Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-10-30

水たちの贈り物、くらわんか中伊豆から西伊豆へ

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 十月下旬の日曜と月曜で、伊豆に一泊の旅行に出かけてきた。伊豆も箱根と同様に東京に住んでいる自分には行きやすい場所なので、もう何度も出かけている。
 なのに、なぜ…。きっかけは些細なことだ。ウインドーショッピング的に宿を検索したり、パンフレットを見ることをたまにしている。掲載された美味しそうな料理や温泉の情報などを見ているだけで楽しい。
 そんななか、西伊豆の土肥で、よさげな宿を見つけたので、出かけることにしたのだった。空想を楽しんでいたのが現実に、といった感じ。
 伊豆にはもう何度も…と思ったが、これまでは東伊豆が多かった。運転免許がないわたしにとって、電車などではすこし遠い西伊豆は少なかったし、海が好きだったので、海のない中伊豆にもあまり興味がなかったから、行ったことがない。だから、泊まることにした土肥は初めての場所だった。もっとも今回は車だけれど。
 何度も行っている伊豆半島。でも初めて…。そんなことをおそらくどこかで意識していた。西伊豆と中伊豆をメインに旅のプランを考えた。旅に出かけるまえに脳内で、宿を探すように旅をすること、それと現実の旅を合体させること。旅行ガイドやネットなどで出かけるところをあらかじめ探す。今は観光協会などで出しているパンフレットがPDFで取り出せるから便利だ。そんな作業を楽しんでいる自分がいる。
 なので、今回の旅行はそんなふうに、ほぼ、あらかじめ決めたルートにしたがってのものになった。最初は三島と沼津の真ん中あたりにある、清水町にある柿田川湧水群。ここは以前から気になっていたところ。富士山の雨や雪解け水が地下に染み込み、約八五〇〇年前の噴火の跡である三島溶岩流の先端から湧き出た水とのこと。
 湧水群ということばに惹かれ、ずっと行きたいと思っていた場所だった。写真などで見ると、とにかく水が澄んでいる。
 実際に行くと湧水群なのだから、周りはもっと緑が深いのだろうと思ったが、国道沿いで、近くまできていても、なんというか、水のある雰囲気はまったくない。車が多く、道の両脇にはどこにでもあるスーパーやチェーン店が立ち並ぶ。だが「柿田川湧水公園」の案内の看板が。入ると芝生広場として開けたところで、噴水や人工のせせらぎがあり、本当に公園といった感じで、湧水群らしくないのが少しおかしかった。広場は柿田川の岸に沿った高台にあるようだ。広場から下った緑深い場所が湧水群で、下りきったところが柿田川。最初に第一展望台のほうへ向かう。緑が多く、渓谷といった感じだなあと思う。
 第一展望台は柿田川の最上流になるそうだ。国道下から突然に湧き出て、川が始まる。川というか大きな泉といった感じ。湧き出る水で砂が動くのがわかる。展望台にはガイドの方がいて、地下水だから、その前の週に通った台風の影響もほとんどないといっていた。ガイドの方が、あの黒いのが鮎ですよと教えてくれた。最初、どれを指しているのかわからない。「いつもこんなにいないんですが、台風で逃げてきたんでしょうね」とのこと。まだわからない。指しているものと、指されているものが一致しないと、存在しない。ことばの不思議さに気づかされつつ、一致させるべく、川を見る。澄んだ水たちの放つ様々な色合い、青にうすい緑、暗い影の光、などに惹かれながら。言葉では、そこにいるのに、実物と一致しない、存在しない鮎たち。
 だが、ほかの観光客の方から、救いのような言葉が発せられた。「あの水草みたいな黒い塊が鮎なの?」
 たしかに川のなかに水草のような黒い塊があった。水のなかでゆらゆらしている。それが鮎が一致した瞬間だった。目の前に鮎がいる、それも無数の、うごめくものたちとして。うれしかった。鮎と水。

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 第二展望台に向かう。緑のなかをぬけるのだが、そこかしこに染み出る水があり、心地よい。
 第二展望台から見る湧水は、昔紡績工場が井戸として利用していたとのことで、井戸の丸い輪のなかから湧き出る水を上から眺める感じだ。砂と陽の光、深さの関係なのだろうか、輪のなかの水がサファイアのような真の青、美しい水色で、あまりに青が濃すぎて、違和感すら感じてしまうが、これが現実の色なのだ、ということに、心地よい水を受け取る。幻想と現実の境目にある青といえばいいのか。ただただその色に魅せられた。

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 そのあとは木製の八つ橋をとおって散策する。柿田川中流の流れを見たり、あちこちに染み出る湧水や、その小さな流れを感じる。うちの近所にも湧水はある。それを思い出し、比べる。特に小さな流れが地面をぬらしながら這う姿。見た目は似ているけれど、この場所は圧倒的だ。豊富な水が、力をくれるような、清冽さが、あたりに満ちている。いにしえの人々が水に見えない力を感じたことなどを想起する。そういえば、この公園内には水の神様である貴船神社の分社があった。守っている狛犬がどこか愛らしい。

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 次は村の駅へ。ちょうど昼ご飯を食べる頃だったので。飲食店や物販店が集まっている。野菜、とくにキノコ類が東京では見ることのないものがあり、興味深い。このあたりは椎茸の産地でもあるそうだ。沼津で獲れた鰺のフライ、そしてキノコの味噌汁などで昼食を。値段は比較的安価だったが、とてもおいしかった。
 そのあとで伊豆の真ん中をさらに南下する感じで上白岩遺跡と隣接した伊豆市資料館へ。遺跡には縄文時代中期から晩期の環状列石遺構があるという。資料館はそこからの出土品などが展示されている。資料館に駐車場があることもあり、最初にそちらに行く。入口には黒曜石が石碑のように埋まっている。磨いていないので、くすんでいる。だがつい、触ってしまう。触っているうち、磨いたあとの鮮やかなきらめきも思い浮かべることができた。このあたりも黒曜石の産地なのだとか。
 資料館のなかでは、発掘された黒曜石のやじり、埋がめとして使われた縄文土器などが展示されていた。埋がめは、おそらく埋葬で使われたのではとのこと。そして石斧、顔面把手、石棒。顔面把手は、部分出土のようだったが、土偶みたいだった。口を開けた姿がなにかを伝えるようで、印象深い。

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 資料館を出て、道を挟んだところにある上白岩遺跡へ。遺跡は広いくぼみのなかにあったが、遺構や住居址のある場所には入れず、くぼみにそってコの字になった三片を下方から歩いてそれを眺める感じだ。コの字の上方に竪穴式住居を復元したものがある。だいぶ手入れされていないようで、入口に大きな蜘蛛が陣取った蜘蛛の巣。茅葺きの屋根も孔があいていたり、蔓草が巻き付いている。
 二つの場所は旅行ガイドなどには載っていない。伊豆市のサイトに載っていただけだ。観光としてはあまり力が入っていないようだった。そもそも、伊豆・縄文遺跡と検索して、知った場所だったから、観光スポットではないこと、予想できそうなものだし、なんとなく行く前から想像してはいたのだが、それ以上に、静かでひとけがなくて、そのことをすこし寂しく感じた。それは夕焼けをみる心持ちにも似ている。
 次の場所へ向かう途中、柿田川が注ぐ狩野川などを見る。水が豊富で少し高台。それは縄文人が住んでいたところに共通する。このあたりにきっとかっては…と思いを馳せた。
 中伊豆ワイナリーシャトーT・Sへ。ここは遺跡からかなり近く、寄れたら寄ろうぐらいな感じでいった。ワイナリーを中心とした観光施設で、ぶどう畑とホテルと醸造所、ワインセラーなどがある。ワインの試飲もでき、乗馬もできるそうだ。グラッパ(ワインの絞りかすを蒸溜させたアルコール度数の高いお酒)も作っており、販売していて、それがほしいなと思ったのだが、試飲ができず、味がわからなかったこともあり、買うことは控えた。
 けれどもこちらで作った白ワイン、シャルドネを有料試飲で一杯飲んでみる。ブルゴーニュのシャブリやムルソーなどのシャルドネ種で作った畑のワインに共通した、香りふかいおいしさ。
 庭のほうで地元野菜などを売っていて、そこで試食したスモークチーズ、そして落花生が美味しかったので購入した。ミカンを二つおまけにつけてくれた。
 敷地内を馬が歩いている。
 時刻は三時ぐらいだっただろうか。宿に向かいつつ、次の目的地、旭滝へ、
 こちらも旅行ガイドなどには載っていない。上白岩遺跡を調べたときに、偶然見つけたものだ。一気に滝壺まで直線的に落下するのではなく、岩肌を滑るような渓流滝で、伊豆のほかの滝の名所、浄蓮の滝なとと比べて穴場とのこと。なのであまり期待していなかった。入り口もなんというか、小さな案内があるばかりで、あまり積極的な感じがせず、なおさらだった。
 だが、小さな流れを遡る感じで、滝に向かう。思いがけず長い、そして高さのある滝が眼前に飛び込んできた。
 渓流といってもかなりの傾斜があり、それが力強い姿を湛えていた。うれしい驚きで、瀑布の豊かさに圧倒される。
 岩肌は石垣を積んだような形になっているが人工のものではない。「柱状節理」といって、火山のマグマが急激に冷やされて出来た溶岩なのだという。この岩肌の珍しさも、滝を見る目に、新鮮な深い感動を与えてくれるものとなった。自然の大規模な造型の深さに、柿田川でのように、思いを馳せる。そういえばこの滝もまた、柿田川のように狩野川に注ぐようだ。

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 時刻は四時近い。この日の西伊豆の日の入りは五時五分ぐらい。それまでに宿について、荷物を置いてから夕景の海を見に行きたかったので、いよいよ宿のほうへ、つまり海を目指す。中伊豆から西伊豆へ。道も直角に折れて、西に向かったので、西の空の太陽がまぶしい。ああ、この太陽が海に沈むのを今から見に行くのだなと、まぶしさのためにできた眼裏に点在する黒い点たちを、夕日への道案内のように感じた。
 宿からは海が見えない。宿に向かうときも見えなかったか、気づかなかった。それほど海から離れているわけではないのだが。土肥。土肥に限らず西伊豆には夕景の海を眺める場所が点在している。宿から歩いて一〇分ほどのところに旅人岬があるので、そこを目指す。今日初めての海。伊豆に来たのに、ここにくるまで海と出合わなかったなんてと、そのことをすこし面白く感じる。海とは出合うことがなかったが、柿田川湧水群、旭滝など、水とは出合っていたから、心にゆとりがあったというか、伊豆で海にふれる機会がないことを楽しむ余裕があったのだった。
 日の入り前の四時五〇分ぐらいに旅人岬近くについた。やっと海。まだ暮れ残っていて、南の方はなんとなく午後の色を保っている。だが曇り空というか雲が多い。西は夕焼けが始まっている。ともあれ、やっと海だ。
 実はこの日、朝方は少し雨が残っていたし、前日は雨だった。だから雨が上がって天気が保ってくれただけで御の字といった感じだったので、夕景はあまり期待していなかった。実際、太陽はちょうど雲で隠れてしまい、沈むのがわからなかった。ただ雲の形が面白い。白い龍か、若冲の描いた白い象のようなものを思い浮かべた。なんとなくの夕景だったが、十分だった。

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 夕食が六時からだったので、急いで宿に戻って、温泉に入った。内湯は時間がなかったので入らなかった。身体を洗って露天風呂へ。あたりはすっかり夜だ。雲ばかりで星が見えない。五分ぐらい湯船にいた。だが、身体がぽかぽかしている。
 お風呂から出て部屋に戻って数分で食事。朝晩の食事が部屋食なので、少々落ち着かない。だがそれを知っていて宿を選んだのだからいいのだが。
 宿には庭園があり、池があるのだが、台風の影響で水が濁っているのだという。たしかに灰色の水で、そのなかを鯉が泳いでいた。
 翌朝の天気は下り坂。雲が前日よりも厚く、全体的に灰色の光景が広がっている。宿をチェックインし、土肥の町というか、土肥金山へ。土肥は金山で栄えたところらしい。江戸時代、そして明治、昭和四〇年に金山閉山。今は伊豆市指定史跡兼観光施設になっている。その観光坑道に入ったり、砂金掘りを体験したり。小さな粒が三つほどしか採れなかったのはご愛敬。
 土肥金山へ向かう途中、土肥の港などを通ったが、月曜日ということもあって、賑わいがない。海も曇り空のなかで、灰色の水を湛えている。そういえば土肥温泉の宿もどこも古いものが多く、なにか全体的に静かすぎるような感じがした。旅行ガイドなどでも、東伊豆や南伊豆が多く紹介されているのに対し、西伊豆は堂ヶ島ぐらいで、後はあまり積極的に紹介されていない。土肥や隣の戸田に割かれたページは少しだ。そのことに合点がいったような、そんな寂しさがあった。
 土肥を後にして、西伊豆を南下する。この後に寄った観光スポットはとりたてて書くことがないので省略。
 黄金岬、安良里、田子、堂ヶ島。うねうねとした岬も多いので、内陸になったりするが、基本海沿いを通った。だが天気が悪いのがすこし残念。
 堂ヶ島をすこしすぎたところの大浜海岸へ。
 昔、どこの海辺で拾ったのだったろうか。おそらく西伊豆だ。うちに古い時代の陶片がある。その時に一緒に行った人が、これは江戸時代ぐらいの古伊万里なのだと教えてくれた。青い染付。江戸時代のものが落ちていることに、それを手にしていることに感動した。波でもまれているうちに、破片たちは鋭利さをうしない、色もこすれて、丸みをおびた温もりをはなつ。それは過去からの投壜のようでもある。その連想からか、陶片だけではない、ガラス片であるシーグラスと称されるものにも何か惹かれる。やはり丸みをおびて透明さが曇った、小さなガラスたち。
 いや、陶片やガラスたちに、それほど思い入れが強かったわけではない。その当時、拾った刹那は心動いただろうが、その後、長らく忘れたままだった。最近になって、縄文土器などに惹かれるようになって、ふと思い出し、ひっぱりだしてきたのだった。過去からの温もりを伝えるかけら、として共通項を見いだしたのだろうか。
 そうして、ひっぱりだしてきた陶片やシーグラスたちに思いをよせる感じで、調べてみると、西伊豆ならば特に大浜海岸で、そうしたものたちを拾えるという情報を得た。ビーチコーミングというそうだ。西伊豆町観光協会で出しているガイドマップにも海水浴のほか、石拾いの場として紹介されていた。
 また陶片たちに会えるだろうか。そんな思いで、ほぼ旅の最後に訪れることにしたのだった。
 浜につくと、すこし雨が降ってきた。釣りをしている夫婦がいたが、わたしたちと入れ替わりに帰っていった。季節外れの海水浴場には誰もいない。砂浜は石や陶片が流れつくからなのだろうか。流木だけでない、海藻などの漂流物もいっぱいだ。ああ、そうだったなあと思い出す。あれはやはりここではなかったが西伊豆だったのだ。おだやかな海、そしてきれいな海。でも、浜には海藻などの漂流物が多く、あまり見栄えがよくないなあと、思ったものだったっけ。きれいなものが漂流してくる、だけではないのだ。そういえば、あの浜で、トンビの死骸を見たのだった。
 雨が降っているぐらいだから、空は厚い雲でおおわれ、海も鈍色だ。灰色の砂、灰色の海のなか、石たちを探す。あるいは足元ぎりぎりまで打ち寄せる波を眺める。
 古伊万里の陶片…と大雑把に書いたが、もうすこし調べてみると、江戸時代、有田の隣町、長崎の波佐見で大量に焼かれた日常使いの磁器「くらわんか」というものらしい。江戸の人々が日常で使っていた器たちのかけらが、こうして流れついてきている…。そういえばシーグラスには、そうした人の手を感じなくても、つい惹かれてしまう。宝石というより、小さい頃にきれいだなと思ったドロップとかビー玉を見るような感じに近い。曇って不透明になったガラスだからこそ、よけいに時間を感じるのが、心地よい。
 だが、それらを意識して探すとなかなか見つからない。青い陶片と海のガラス。昔拾ったときは意識しなかったからこそ、逆に拾えたのだろうか。
 それでもすこしだけ、採取した。雨がすこし強くなってきたこともあり、帰ることにする。時刻は二時過ぎ。昼ご飯がまだだったので、堂ヶ島で食べて帰ることにした。というか、土肥から大浜まで来る途中、食べ物が食べられそうなところは堂ヶ島ぐらいしか見当たらなかったのだ。ここならお土産なども見たりすることができる。
 堂ヶ島は何回か来たことがある。遊覧船も楽しそうだったが、過去に二回以上乗っている。それにあいにくの雨だったので、今回はもういいと思った。
 鰺とシラス丼を食べる。お土産屋さんで、このあたりで作ったというダシパックの試飲が美味しかったので購入した。
 そのあと、また土肥まで戻り、中伊豆に入って…。行きに寄った村の駅にまた立ち寄り、柿田川湧水群の看板も見た。というか、柿田川のすぐ近くの国道を走った。この緑のむこうに流れている…。また近くを通ることがあるなんて。雨が強くなってきた。
 そうして数時間で、東京へ。こちらは雨が上がっている。というかほとんど降らなかったようだ。気候が違う、それだけ離れているのだなと思う。
 また日常が始まった。後日ダシパックで、この秋初めての鍋を作ってみた。香りというか、ダシが効いている気がした。拾ってきた陶片やシーグラスを洗って乾かした。思ったよりも多くきれいなものたちを採ってきていて驚いた。以前拾った時と、あまり変わらないか、シーグラスに関しては前回よりも多かった。そのことがおかしい。また雨が降った。
17:07:30 - umikyon - No comments

2019-10-10

古いものが新しさ、日々、教えてくれる加曽利貝塚縄文秋まつり

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 少しここを空けてしまった。その間に、まだ暑いときもあるが、だいぶ秋が進んできた。彼岸花も咲いた、いや、もう殆ど終わり。好きな花で、毎年、埼玉県の巾着田に群生を見に行っているのだが、今年は例年よりも開花が遅れていて、九月末から十月初旬が見頃だというので、十月の土日に行こうと思っていたのだが、何気なく調べたら、思いがけず、これもこのところ毎年出かけている、千葉の加曽利貝塚の縄文秋まつりが、十月五日、六日に開催されるという。去年もおととしも十一月三日あたりに開催されていたから今年もそうだと思っていたので、一ヶ月ほど早いことにびっくりした。そして開催される前にわかって心底良かったと思った。そう、彼岸花は残念だが、加曽利貝塚のほうに行くことをすぐさま決めた。もしかするとあの遺跡公園で彼岸花が咲いているのを見ることができるかも……という頭もあった。

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 加曽利貝塚は、縄文時代中期(五〇〇〇年前)の北貝塚と、後期の南貝塚(約四〇〇〇〜三〇〇〇年前)でちょうど8の字の形になる、日本最大級の貝塚。二〇一七年の一〇月に国の特別史跡に指定されていて、貝塚博物館や貝層断面観覧施設のある遺跡公園として整備されている。正式名称は加曽利貝塚縄文遺跡公園。ここから出土された縄文土器は、発掘地点をアルファベットで区切っていたが、そのB地点から縄文時代後期(約三五〇〇年前)のもの、E地点から縄文時代中期(約五〇〇〇年前)の土器が出土していて、それぞれ、加曽利B式、加曽利E式と呼ばれる。これに似たものは主に関東地方で出土されており、土器の年代を推測するための指標となる標式土器となっている。土器は逆三角形に近いかたちのもの。

 公園には竪穴式住居の復元したものもあり、縄文ゆかりの植物も植えられている。博物館では今年は企画展として「写真で見る加曽利貝塚の万葉植物」(九月七日─十一月四日)が開催されていた。
 祭りは物販、飲食の販売、ステージイベント、縄文土器が当たる抽選会、火おこしや弓矢、縄文服の試着、ガイドツアーなど、盛り沢山。今年は人数を限ってだが、発掘調査体験も行っていた。現在、実際に調査している現場に入るという。
 十時開始だが、博物館は九時から開いているので、九時から十時の間に着くように、車で出発した。
 ほんの少しの雨。うちから千葉は意外と近い。首都高などを使うと一時間強ぐらいで着く。九時すこし前に到着したので、車の中で時間をつぶした。あの森、あの緑深いところが、貝塚だ。
 まだ祭りの準備中の加曽利貝塚へ。博物館にまっすぐに向かい、企画展や常設を見る。企画展は万葉植物のパネル展だったので、ざっと植物たちとそれにまつわる歌をながめた。この常設には、触ることのできる縄文土器片と、やじりなどの原材料となった黒曜石がある。さらに腕輪としてつかっていたオオツタノハ貝を腕にはめてみることができる。それらを順番にさわって感触を確かめた。そして土器や土偶を眺める。久しぶりだなと思う。土たちが感触ごと、わたしにしずかにやさしい。

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 十時すこし前に、博物館の外に出て物販エリアへ。まだ開店前であったが、一部のお店では販売が開始されていたので、さっそく購入した。土器風マグカップと、加曽利式土器の形の箸置きなど。これらは素焼き風だったので、なんとなく土器に近いものを感じた。ほかに、別の店ではTシャツ、手ぬぐい、縄文の人たちが食べていたドングリを使った食べ物、あと何だったかしら。ある店で、レジン樹脂で黒曜石のやじりをまねて作ったものが売られていたが、これはちょっと頂けないなあと思う。なぜ本物の黒曜石を使わないのだろうか。それがオリジナリティということなのかもしれないが、違和感があった。
 十時になり、いよいよお祭りが始まった。縄文土器(加曽利貝塚土器づくり同好会の方々が作ったもの)が当たるかもしれない抽選、発掘体験の抽選に応募したあと、ガイドツアーに途中参加した。また博物館の中に入り、説明を受ける。ガイドツアーに参加するのも三回目だが、毎年発見がある。今年は、千葉で発掘された土偶のなかに、なぜか遮光器土偶(部分)があり、東北から移住してきた人がいたのでは? という話を聞いた。そして、加曽利貝塚で大量に見つかっている小さな貝、イボキサゴ。前回や前々回に聞いたときは、ダシとして使われていたのではということだったが、今回は、細かく砕かれた跡があるものもあり、これはおそらく漆喰のように、壁を補強する目的で使われたのではというのが新鮮だった。
 さらに、現代人よりも身長が十センチほど低い縄文人だが、その骨は現代人よりも太いというお話。展示された屈葬されたかたちの骨を見る。たしかに力強い骨だ。
 円環ということに対して、強い思い入れがあったのではなかったかということも触れられていた。環状列石的なサークル。
 屈葬された人は胎児のような姿でもある。これも円環だと、ぼんやりと思った。
 ツアーの後、復元住居のほうで焼き栗を無料ふるまいしてくれるというのでそちらに行った。焼き栗は熱く、煤がついているが、殻をむいて食べると自然な甘さが美味しかった。おそらくここで作った縄文土器で焼いたもの。
 また、実際に復元住居で火が炊かれていたので、入ってみると、こちらではマテバシイだという、ドングリを縄文土器のなかで煎っていた。こちらも二つほど頂いた。香ばしい木の実だ。

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 ただ、復元住居、台風の影響だったのだろう、だいぶ傷んでいたのが気になった。屋根だったのであろう茅の類いが側に落ちている。そういえば、公園のあちこちで、太い木の枝なども散乱していた。
 焼き栗のふるまいが十一時。この後、急いで昼ご飯を食べて、十二時からのイボキサゴスープの無料ふるまいの列に並ぶ。例年おいしく頂いてはいるが、塩味が薄い。だがこれは当時の再現ならば仕方ないのだろうか。イボキサゴは小さな巻き貝で、身は取りづらいといえばそうだが、爪楊枝があれば、食すことができる。小さなサザエのようで、美味しい。前にも書いたが、わたしはこのイボキサゴ、この加曽利貝塚で名前を知る前から、名を知らぬかわいい巻き貝として大切に思っていたので、愛着があるのだ。

 今年はクラフト体験で、「黒曜石アクセサリーづくり」というものがあったので、珍しく参加してみた。黒曜石のネックレス。縄文時代に使われていた、あのキラキラした黒い光のやじり、ナイフ的なものを身につけてみたかったのだ。
 紐で網を作って、そこに黒曜石を入れてペンダントトップを作る。黒曜石は隠岐、長野、北海道、三つのうちから一つ自由に選べた。各地方で、少しずつ黒曜石の感じが違う。すこしくすんでいたり、はっきりとした黒だったり。個人的には長野のものがいちばんしっくりした。ガラス質の光を放って、わたしが黒曜石に抱いているイメージにいちばん近いというか。
 アクセサリーは今まで全く作ったことがなかったので心配だったが、なんとか完成させることができて良かった。子どもの頃から、基本的にこまごましたものを作るのが好きだったことも役立ったのかもしれない。
 ただ、所用時間が四〇分から一時間ということだったが、それ以上かかってしまい、連れ合いを待たせてしまったのがちょっと申し訳なかったが。

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 そうこうするうち、祭りはほぼ終わり。ちなみに抽選でもらえる土器、発掘体験、どちらも当たらなかった。だが参加するだけで楽しかった。発表を待つとき、それでもすこしドキドキしたし、その感触が新鮮だったので、それだけで良かったのだ。
 施設は土の匂いがした。くすんだような温もり。断面は自然と人がつくった美しい作品のようで、心にしみる。貝たち、イノシシの骨、土器もまざっている。

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 公園内の彼岸花はもうすっかり終わっていた。アザミが咲いていた。ムラサキシキブの紫の実が色付いていた。これが今日みたリアルな万葉の植物なのだなあと思う。去年はたしか、リンドウを見たのだったっけ。

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 毎年、このお祭りに行くと新しい発見がある。だが、それは本当はどこででもそうなのだ。
00:01:00 - umikyon - No comments