Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-12-25

命なりけり、小夜の横浜──縄文と弥生展(神奈川県立歴史博物館ほか)

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 このところ、博物館とか美術館とか、そういったものに出かけていないなあと、ふとインターネッドなどで探してみたら、「令和元年度 かながわの遺跡展 縄文と弥生」というのが、神奈川県立歴史博物館(二〇一九年十一月二七日─十二月二十二日)と綾瀬市役所(二〇二〇年一月九日─一月二十六日)で開催とのことを知った。
 神奈川県立歴史博物館の最寄り駅は馬車道。知ったのがもうこの場所での開催終了間近だったので、急いで出かけてきた。
 バイトでけっこう疲れていた。でも出かけなければいけないと思った。言葉たちが、そうしないと、わたしのまわりにやってこないから。言葉たちと言葉を交わすこと、言葉たちのなかに身を置くこと。それは厳密には言葉ではない、言葉を通じて彼らと出会うこと、そのなかにいるには、なにかそうした場所が必要だった。

 出かけると決めたその日は、平日で、冬のなかでは暖かい晴れた日だった。今日しかないだろう。絶好の博物館日和だ。どこかで、もう今年最後の博物館、展覧会なのだろうなという思いがあった。
 馬車道というと、なんとなく遠く感じる。だが、家から自転車で数キロで二子玉川駅に行けるので、そちらからなら横浜界隈は自分でもいまだに慣れないのだが、びっくりするほど近い。



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 横浜を遠く感じるのは、小学生の頃から大人になるまで、地理的に実際に遠い埼玉に住んでいたことがあり、その印象もある。それと、両親が離婚してから後、わたしと父と二人で、横浜の中華街を散策した記憶とか、そうしたことが影響しているだろう。あるいはちょうど中学生の時に名画座だったと思うが(テレビだったかも)、映画『チャイナタウン』を観た記憶がどこかに優しい影を落としているのかもしれない。
 ロマン・ポランスキー監督、ジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイ、一九七四年。映画はよく覚えていないが、見終わったときの感覚が、後をひいて、心地よかった。べつに横浜の映画ではないが、チャイナタウンつながりで、とにかく、どうにも横浜というと、心が騒いでしまうのだった。
 で、馬車道だ。二子玉川から、東急線、みなとみらい線などでゆく。地下道から最寄り出入り口を昇って外に出ると、、突然、神奈川県立歴史博物館がそびえているのに出くわす。

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 ドイツの近代洋風建築、竣工は一九〇四年(明治三七年)、もとは横浜正金銀行本店だったという。一九六七年(昭和四二年)、神奈川県立歴史博物館として開館された。レンガ造りの建物が古さを帯びて建っているのが、街になじんでいる。他にも古いレンガ造りの建物、ビルヂングと呼びたい建造物が垣間見られたから。
 いい加減な感想だが、神戸みたいだなあと思った。神戸に旅行で出かけたことが何回かある。その時に、明治期の建物たちが港付近に残っているのをみて、維新的なもの、洋風への憧れ、富国強兵などもあっただろうが、そんな息吹を感じたことがあったのだが、それと似た面持ちを、時を経て、ここ横浜に感じたのだ。
 もっとも神奈川県立歴史博物館がこうした建物だったことは、予備知識がなかったのでうれしい驚きだった。

 さて、展覧会。HPやチラシから。
 「 縄文時代から弥生時代への移り変わりは、狩猟採集社会から稲作農耕社会へと変化を遂げる転機であり、歴史上の大きなターニングポイントであったといえます。
 神奈川県域をはじめとした関東地方や中部高地では、縄文時代中期に極大化した遺跡数は、後期を迎えると減少に転じ、後期後葉以降から晩期にかけて激減します。
 その背景として、世界的な気候の寒冷化により植生が変化したことで食料資源が枯渇し、狩猟採集社会が行き詰まり、その窮状を打破すべく稲作を取り入れることで、歴史的な転換がはかられたとされてきました。
 しかし近年、停滞あるいは衰退と評価されてきた縄文時代後・晩期の社会観を見直す動きが出てきています。後・晩期社会が寒冷化を積極的に利用し、植物質食料の多角化を図り、気候の変動に適応したことがわかってきたためです。
 このような視点から、変動する自然環境に適応した人々が縄文時代から弥生時代へと移り変わる時期をどのように暮らしたのかを探ることにします。」

 先に言うと、この転換期で見えてきたことというのは、神奈川の遺跡の状態から、それまで集団で暮らしてきた形を、小さな集団に分散していったとか、食べているものがクルミが主食だったのが、気候の寒冷化により、トチノキやドングリ、クリなどが加わってきたことなど。
 また縄文時代晩期後半には、東北南部から中部、北陸、関東のあたりで、浮線文土器が分布しているとのことで、発掘されたそれらの土器の展示があった。
 器を削り、浮き出た細論で模様を表わしたもので、弥生式土器の成立に影響を与えたものであるとか。
 ちなみにこのあたりの情報は、展覧会会場で紹介されていたことだが、企画展示室にはいってすぐに、三〇頁もある写真も満載のパンフレットを頂いたのだが、そこにも載っていたこと。図録というか、うれしい記念品になった。
 ただ、これはもう、ほんとうに勝手な、趣味的な見方をしているからとしか言いようがない、そのことをすこし我ながら情けなく思ってしまうのだが、個人的には展示されている縄文土器たちに、その土器としてのたたずまいに、あまり感動することがなかった。もともと弥生式土器などにも、思い入れがないこともあるだろう。なんというか、実用に重きを置きつつあるというか。あの縄文時代中期ぐらいの、装飾過多ともいうべき、美しさ、実用に反しているのではと思えるほどの想像力が、少なくなってきているように思えたのだ。あるいはほかに表現の手段が移っていったのだろうか。縄文土器や土偶に込められた一点集中的な表現が、どこかへ比重を移したのかもしれない。
 展示された土偶のところに説明があったが、縄文時代は祭祀などで使われていたであろう土偶だったが、弥生時代前期後半の土偶形容器は、新生児の骨を収めたものだったという。勝手なことをいうかもしれないが、生と死の境目のないところでの(両方を含んだ)祈りだったものが、ほとんど死のほうへ傾き、境目のなさから、一線をすこしだけ画したもの(まだ土偶の形態は妊婦的な女性だったから)、ということになるのだろうかと思った。
 ただ、そうした表現と別のところで、展示された浮線文土器のなかに、内底部に、黒くなり、使われた跡がおびただしいものがあった。これには心惹かれた。生活の痕跡のような気がした。

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 歴史的な建物のなか、今度は常設展へ。神奈川の縄文から今へ…ということなのだろうか。ここでも勝手な見物人なので、縄文時代ばかりに見入ってしまう。この展示は良かった。ここに来て、ああ、やっと縄文時代の土器や土偶たちに会えたなあと、我ながら、わがままだなと思いつつ、一息ついてしまった。
 「日本最大級の縄文の「あたま」」(公田ジョウロ塚遺跡出土、縄文時代中期(約五〇〇〇年前))だという、土器の一部なのか土偶のそれなのか、おそらく顔面把手なのではという、ともかくあたまだけのもの…。山梨や長野で見られた土偶や土器と表情がつうじる、おだやかな、ぬくもりのある、不思議な笑みをたたえてすらみえる「あたま」。そして「立体的な造型が施された縄文土器」(横浜市内、縄文時代中期、高津コレクション)の、装飾たちの立ち上がったような表現への愛しさ。「あたま」近くに展示されていた土偶たちにも、心が惹かれた。やっと、ここで、いつもの土偶に会えたとどこかで感じた。

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 名残惜しかったが、博物館を後にした。時刻は三時半、四時近かっただろうか。あまり地図的なものをみなかったが、このあたりは海が近いはずだ。今年最後の海をみたいなと、なんとなく、海っぽいほうへ向かう。方向音痴なのに、なんとなく、気配を感じた。大海原は望めないだろうが、運河的なものでいい、ともかく水を見たかった。
 あるいて五分、十分かからないうちに、海っぽいところに出た。建物たちで遮られて、水平線は見えない、だが充分だと思う。もうすでに夕焼けが始まりつつあった。横浜の海を見るにはふさわしい時間だとどこかで思っていた。それは夕方という時刻が、逢魔が時、過去と出会いやすい時であると、思っているせいだろうか。過去と現在が出会うにふさわしい、懐かしいような、さびしい時刻。わたしのなかの古い横浜が、そこに見え隠れしているようで。
 水のむこうに、観覧車が見えた。あれは……。もうずいぶん前だ。子どもの頃の記憶ではなく、だいぶ大人になってから。あの観覧車のなかで、キスしたことがあったっけ。

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 「年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山」(西行法師)だなあと、苦笑する。
 こんなに年月が経ってから、また同じところに、思いがけず来たなんて…。こんなことで思い浮かべられて、西行法師も迷惑かもしれないが。
 また水面に目を転じる。意外と水がきれいだ。岸辺近くでは、底まで見えるぐらい透明度がある。
 そして、さきほどから鳥たち…、都鳥だ、都鳥だ、白くって、赤い嘴で、群れをなして、鳴き声がカモメのそれ、美声とは言いがたい……、それが、飛び交っているのが目についた。先日、家の近くの野川で遭遇してから、もはやユリカモメではなく、わたしのなかでは、呼び名が都鳥となっているのが、おかしかったが、ともかく、都鳥たちが沢山いるのに、ちょっと興奮した。だが、すこし遠い。やっと近くまで来たなあと思ったら、すぐさま飛んでいってしまった。それでもたくさんの都鳥たちに会えてうれしかった。やはり、いくら野川のような、内陸まで飛んでくるとはいえ、本来は海辺で多く見られる子たちなのだろう。

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 今年最後の縄文の展示、今年最後の海…。そして都鳥たち。彼らに会えてよかったと思いつつ、帰路へ。バイトの帰りだったし、繁忙期で疲れていたこともあって、帰りの電車は、乗っている時間は二〇分ほどだったが、ぐっすりと寝てしまった。そのあいだにどっぷりと夜。あたりは暗くなっていた。多摩川を横に見て、そして野川沿いに、自転車で家へ。命なりけり小夜の横浜、そして多摩川、野川。

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2019-12-20

名にし負はば…鳥たちの声が冬を

 十二月。植物たちは、もうほとんど眠りにはいってしまった。静けさが冷たい空気のなか、満ちている。もうほとんど、紅葉という植物たちの冬のイベントもおわってしまった。だが、落ちた葉たちがかさこそと、たまに足の裏で、ここちよい。そうして、鳥たちがにぎやかだ。

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 バイトの途中、うちの近くの川…野川の上空で、鷹が飛翔しているのをみた。滑翔という飛び方…、グライディング、羽ばたかずに風に乗ってすべるような。最初、作り物なのかと思った。ラジコングライダーとか、その手のもの。だが、そう思ったのも一瞬だった。美しく、羽を広げたまま、割と近い空を滑っている、その姿にみとれるうち、豊かな、なまなましい生を感じたのだ。
 それは鷹の仲間のようだった。けれども、わたしが海などで出合うトビではなかった。彼らとは色が違った。飛ぶ姿を、その色を、眼にやきつける。見とれていたこと、その瞬間を大事にしたいと思ったこと、そしてたぶんカメラなどにおさめる時間がないことに感づいていたのだ。案の定、すぐに岸辺の木々の中に消えてしまった。家に帰って調べる。おそらくオオタカのようだ。お腹が白く、頭や背や翼の上面が黒っぽい。この黒っぽいと感じた色は、青みがかった灰色だそうで、それが、「蒼鷹(アオタカ)」、オオタカの名の由来となったとか。蒼を帯びた鷹……。オオタカはもっと山のほうで生息するのだと思っていたが、近年、秋冬は特に、こんな低地の都市部に現われるようになったのだという。この野川の周辺は国分寺崖線などもあり、特に緑が深い。
 そのことに関して、いろいろ問題はあるのかもしれない。オオタカの生息環境の変化と自然破壊についてなど。けれども、蒼鷹、水辺での滑翔。好きな水のちかくで出合えたことに感謝した。


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 そして、おなじ野川、ほぼおなじ場所で。やはりバイトの途中、欄干にたくさんの鳥が止まっているのをみた。めずらしそうに何人か、手持ちのスマホなどで写真を撮っている、電気工事や、測量などに従事しているのだと思う、青っぽい制服や、ベージュの作業着を着た数人。こちらも仕事の途中だったから、彼らに親近感をいだいた。川は都区内にしては水が澄んでいる。
 なんの鳥だろう。ユリカモメに似ているなと思う。でも、こんな内陸にいるだろうか。橋を人が通るたびに、バサバサといったん離れ、空に舞い、川面へむかう。だが、すぐにまた欄干にもどってくる。
 わたしも彼らのように写真を撮った。今度はオオタカと違い、多分、刹那ではない、ある種の余裕を感じたのだ。彼らは写真を撮っているあいだも、そこにいてくれた。家に帰って調べる。白い鳥、眼がくっきり。そしてくちばしと脚に特徴が。やはりユリカモメだった。冬鳥として、カモメの仲間のなかでは、いちばん内陸までやってくるとか。古名が載っている。ああ、都鳥だったのだ。

  「白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上にあそびつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず、渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ひけるを聞きて」(『伊勢物語』第九段)。

 わたしは高校生の頃から、『伊勢物語』が好きだった。だが都鳥というのは、なぜか物語のなかの鳥だとずっと思っていた。白くて、赤い、あの子たちの特徴が、そこには書いてあったというのに。

 「名にし負はばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」。

 こんなふうに、ばらばらだった名前と姿が一致すると、いつもいとしい。そのときから、それはわたしにとって存在をはじめるから。こんどからは、くちばしと脚の赤き、白き鳥をみるたび、都鳥をふくんだユリカモメとして、わたしの上であそぶだろう。

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 ユリカモメ=都鳥をみた川は野川だが、もう少し下流にゆくと、多摩川に合流する。その多摩川ですこし前に、やはり群れをなした白い鳥をみたことがあった。あれも都鳥だったのだ。川がつながるように、白き鳥たちも名前でかさなる。
 そして、この野川の、橋の名前は雁追い橋という。なぜ雁と名前がついているのだろう、わからないが、以前から名前にひかれている橋だった。この橋の近くで、雁が渡る姿が見られたのだろうか。今は鴨類が飛んでいるのを見ることができる。
 そうして、都鳥たち。そういえば、『伊勢物語』当時の都の「京には見えぬ鳥」なのに、武蔵の国辺りで都鳥といったのは、なぜだったのだろう。まばゆいばかりの白さを、都へむかうにふさわしいと思ったのだろうか。いまは京都ではない、東京都の鳥というのも、すこしおかしい。

 東京湾岸を走る新交通のゆりかもめ。以前、港区に住んでいたことがあり、その時に、あの界隈に、よく自転車などで赴いたことがあった。海が見たかったのだ。その海や運河では、ユリカモメたちをよく見かけたものだった。その時は、だから都の鳥なのだと解釈していた。ゆりかもめが走っている。まさか「これなむ都鳥」と結びつくとは。物語と現実、鳥たちの名前に、川が、水がそそぐ。

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 またある日。今度は野川のおとなりの仙川にて。仙川は小金井のあたりから流れてきて、最後に野川に合流する。こちらは野川のような自然にちかい感じの護岸がされていない、コンクリート護岸で、すこし悲しい川だが、長い年月の間に、中州などができ、鳥たちが来やすい環境になっていったのかもしれない。冬などは意外と鴨の類いが多く見られる。

 ある原稿を書くために、そのあたりを調べるように岸辺を自転車で回った。世田谷区の祖師谷から成城一丁目にかけて。桜の時期は、両岸からしだれるように咲く桜たちの数多で、幻想的なぐらい、絢爛とした見事さに包まれ、悲しい川のイメージは一掃されるが、この冬の景色も、多い鳥、成城大学の池なども岸辺から見ることができて、意外と楽しい。夕景が川に映り始めたのに出合えたのもうれしかった。日が短いので、さっきまで午後だと思っていたら、もう夕方。水面が夕景に染まる。


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 そうこうしているうちにもはや年末の声が聞こえてくるようになった。バイトがそのせいで忙しいというのに、まだ実感がわかない。
 そういえば花が少なくなり、陽射しに力がなくなる冬は苦手で、いつも冬になると落ち込み、塞ぎがちになるのけれど、ことしは比較的症状が軽い。花のかわりに鳥たちが、あちこちでささやいてくれているからだろうか。
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2019-12-15

ねむり女は煙草をすう

 またここをあけてしまった。
 この期間、何をしていただろうか。原稿で、夢のことを考えていた。その関係で、珍しく、夢で覚えていられるものがいくつかあって、書き留めていた。
 本当はもっと、毎日、夢を覚えていたいのだが…。
 夢の話と日記はつまらないと言われる。そこには“わたくし”の要素が大きいからだろう。他人の関与する要素がすくない。
 だが、ごめんなさい、ここをあけていた間に綴った夢のメモを今回は載せておきます。なるべく、“わたくし”を消しながら…。


11月17日 日曜日
 金魚の夢。旅館の渡り廊下のようだ。ずいぶん光沢のある板張りの廊下の真ん中に台があって、そこに大きな金魚がいる。ラクビーボール大で、大きな鯛ほどもある。二匹は水槽に入っているのだが、あとの二匹は水の外、水槽の脇にいて、こちらを見ながら口を開けている。
 廊下の左壁に鏡台があり、櫛やアクセサリーなどが置かれた台の上で、やはり水の外にいる金魚が、口を開けて、こちらを見ている。
 仲居さんのような人が通りかかったので、金魚たちを、はやく水にいれてあげてくださいと頼む。
 だが、言うことが理解できなかったのか、生返事をして去ってしまった。
 わたしは、どうも、何人かの人と史跡巡りのようなことをしていて、その途中で大きな金魚たちに遭遇したようだ。
 持っていた鍵で、蔵のようなところを空ける。次に来るであろう詩人のエスさんに、鍵を渡さないといけないと思っている。
 水の外の金魚はどうなるのだろう。だが、口を開けてはいたが、苦しそうではなかった。
 ああ、あの金魚のまなざしは、子どもの時にみた、夢のなかの魚のまなざしだと、今思い至った。
 あるいは子どもの頃にみた物語のなかの魚。こちらを見ているが、実はこちらにあまり関心がないような、どこか覚めたまなざし。そして魚だからか、ぬれたような瞳、そうしてどこか暗さをたたえている。
 わたしはあのまなざしになぜか惹かれていたのだった。無関心そうな目だったから、よけいにだったのかもしれない。
 夢のなかの大きな金魚はどうなったのだろうか。


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11月24日 日曜日
 比較的、はっきりとした夢だ。
 誰かの子どもを預かっている。手をひいて歩くが、急いでいたのかもしれない。ここに置いて待っていてもらうということはできないんだよなあ、どうしようかと考えている。商店街というか駅ビルのなかのショッピングモールのような場所。屋根があって、通りの両脇に店が並んでいるが、都心の駅ビルのなかにあるより、派手さがない。
 抱きかかえることにする。すると、どうしたことか子どもはとても小さくなる。手のひらにおさまるぐらいの胎児のようになってしまった。わたしには子どもがいないので、猫よりもちいさいんだなと、自分がともに暮らした猫を物差しにするしかない。これなら抱いてつれてゆくことが出来る。
 そう思ったことで気持ちが安心したのか、子どもの姿が夢から消えた。今度はビルの四階か五階ぐらいの窓から、人が飛び降りようとしている。わたしは地上にいて、飛び降りるのをやめるようにいう。じつはそれからのことはあまりおぼえていないのだが、ビルの上の階の窓からと、地上で普通に会話している。まるで飛び降りるといったことがなかったように。しかも人数が増えている。そのうち、お茶でもいれましょうかと、奥から女性の声がした。わたしはビルの下にいるのにと不思議に思うが、次の場面では、もうその窓のある部屋にいた。ソファーに座って数人と談笑している。飛び降りようとしていたのは、誰だったのかしらとふと考えている。お茶をいれてくださった女性ではなかったかしら。では話していたのは誰だったのか。
 部屋のなかには数人いたが、部屋に住んでいるのは、お茶をいれてくれた女性と、眼鏡をかけて短髪の、男性にしかみえないが女性だという人の二人。このうちのどちらかが飛び降りようとしていたことになる。だが、仲がよさそうだ。さっきまで外は明るかったが、もはや夜。窓の外に月が見えた。月明かりのなかで、この二人が、なにかすてきな、大切なことを語ってくれたのだが、覚えていない。このあたりで眼がさめた。

12月2日 月曜日
 高校の時に仲の良かったキー子と一緒に居る。大学の講義が行われていたのだろう、講義室を抜け出して、二人で外に出た。庭のあちこちに桜の木があるが、咲いていない。だが、注意深くよく見ると、何本か……というよりも、けっこう咲いている。しだれたもの、色がすこし濃いもの、斑のはいったもの、八重の物、うすい白、そしてソメイヨシノ。一分咲きぐらいだ。いや、最初にみたよりもあきらかに咲いている。まるで注視することで咲いたかのように。
 キー子にそれを教えると、カメラを取ってくるという。わたしも講義室に戻る。机の中からスマホを取り出す。なぜ、置き忘れたのかしら。いつも首からさげているというのに。講義は今まさに行われている。先生はなんとも思わないだろうか。でもたしか、わたしたちは受けなくてもいいはずだ。
 彼女は小さなバッグをもっている。あれで全部入るのだろうか。
 わたしは外に出て、桜の木の下で、たばこを吸おうとした。そしたら、顔見知りの男が一本くれないかという。さっきもあげた男だ。年は二十代代前半ぐらい。だがわたしももうあまり持っていない。「ちょっと待って、買ってきたらあげるから」。そうして、いっしょに買いに行く。駅のホームのようなところの自販機。高い。五〇〇円以上している。今度は有人販売のところで、四本入り二七〇円というのをようやく見つけて、それを買う。これでわたしが元から持っているのとあわせて八本……。わたしが吸う分があるだろうかと不安になる。このごろはほとんど吸うことがないから足りるかもしれない。それにしても男もすこしはお金を出してくれたらいいのにと思いながら一本あげる。
 そのあとで、洋服屋にはいった。キー子も一緒だ。暗い感じのジーンズとか売っているカジュアルな店。キー子がさわったり、なにかを買った後と、わたしのその行為のあとで、マネキンの着ている洋服が変わっている。紫のめだつ服とミニスカート。これはキー子の後だ。わたしのときはどうだったかしら。
 このあたりで眼が覚めた。眼をさます刹那、ああ、煙草は…、よかった、吸っていないんだっけと思う。煙草をやめてもうかなりになる。夢のなかではいまだにまだ煙草を吸っていることがよくあるのだった。キー子とは二十歳ぐらいの頃から没交渉だ。会いたいとは思うのだが。どこで何をしているのかわからない。

12月6日 金曜日
 家人に、すぐに帰るようなことをいって、もう二時間以上たっている。その間、書き上げた原稿をわたしたり、逆に原稿依頼をしにいったり。電車に乗って移動している。来たことのある場所だなと思う。どんどん景色に緑が多くなってゆく。そのことにほっとしている。山のほうに来ているようだ。前に来たことのある、滝と渓流のある場所だと夢のなかで思う。青璋の滝と書いてあった(現実には存在しない。だが、現実で泊まった宿の名前に似ている)。駅を降りるとお寺の門のような改札だ。ここから右にゆくと、川の奥が滝だが、用事があったので左にゆく。ここで、詩のイベントがあったのかもしれない。Nさんとすれ違ったので挨拶する。前日、眠る前に、業務連絡的なメールが来ていたので、それで出てきたのだろう。ずいぶん前につきあっていた人ではあったが、もはやそうした事実が夢のなかでも他人事になっている。
 用事をすませ、改札にもどり、家人に電話する。家人は心配しているのだろうか。すこし怒ったような感じだ。
 この滝までくると、電車の本数があまりないんだよなと思う。だが今日はあと三十分ほどで電車がくるようだ。時間が早いからだろうか。高田馬場行きだと行っている。夢のなかでは当たり前だと思っているが、これも存在しない路線。
 覚えているのはこのあたりまで。


 夢のメモはここまで。
 これを書いている今日みた夢は覚えていない。なにかはっきりとした夢をさっきまで見ていた筈なのだが。
 十二月にはいり、バイトが繁忙期になってしまった。つかれた頭で、公園などの前を横切る。最近まで、紅葉していたのだが、もはや色付いた木々の葉も落ちてしまっている。自転車の車輪が、かさかさとした葉たちを踏む。ああ、紅葉していたとき、桜の花が咲くように葉が染まっているところを、もっと、ちゃんと見ておきたかったなあと思ったが、もはや桜たちも冬木立となっている。二度咲く桜……、そう呼んでいたものだったが。花たちが終わり、葉も散った。あとは実たちが華やかだ。鳥たちも増えてきた。
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