Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-05-05

キンラン、ギンラン、令和に緑に会いに行く──神代植物公園

null

 元号が令和になった。わたしのパソコンでも、知らないうちに令和の漢字変換が何の支障もなくできるようになっていた。まるで前から存在していたように。このところの、元号が変わったこと、それにともなう公式行事などに、あまり関心がない。どこか他人事だ。
 もともとあまり平成に思い入れがなかったからかもしれない。昭和生まれなので、どちらかといえば昭和のほうが愛着がある。平成は最後までなじめなかった。昭和は西暦と五の倍数という共通項があるので、計算しやすい。昭和の元号に二十五年足せば西暦になる。昭和二〇年が一九四五年、昭和五十五年が一九八〇年といった感じだ。平成はそれがないので変換しずらい。もっとも令和も元年が二〇一九年、二年が二〇二〇年だから、そうなのだが。ただ、令和という文字は意外と気に入っている。
 世間は十連休だが、わたしのバイトは祝日とか関係ないといえばいえる。そのこともあって、他人事なのかもしれない。その連休もそろそろ終わる。ちなみにバイトと祝日、関係ないと言い切らないのは、祝日や日曜は仕事量が少なくなる、いくぶん暇というか楽になることによる。こんなふうにどこかで何かが関係しあっているのだろう。
 連休はわたしは通常通り。五月四日は土曜日で、五日が日曜。日曜は週一回のバイト休みの日なので、土曜日はなんとなく、特別な日だ。休み前の日。

null

 みどりの日でもある。その特別な日に、神代植物公園に出かけてきた。去年、たまたま、やはり五月四日に出かけたのだが、その折り、無料開放日だと知ったのだ。公園の新緑たちが見たかった。それに隣接した深大寺あたりの蕎麦も、食べたいと思ったのだった。
 連れ合いはずっと連休中は休みだった。だから、やはりわたしの生活に、連休が関係ないとは言い切れない。その連れ合いと車で行く。うちから神代植物公園は車だとかなり近い。十キロぐらい。途中の道は比較的空いていたが、去年、植物公園の駐車場に車を停めるのに結構並んだ記憶があったので、すこし不安だった。今年は十連休だし、もっと混むのではと。だが去年よりも出かけた時間がすこし早かったせいか、さして並ばずに停められた。時刻は午前十時をすこし回ったぐらい。まだお昼には早い時刻だったが、連休中だし、昼時は今よりもっと混むだろうと、最初に蕎麦を食べることにした。
 神代植物公園の駐車場からだと、深大寺の北参道からゆく感じ。いわゆる門前の蕎麦屋といったことなのだろうが、深大寺蕎麦として、二十軒ぐらいの蕎麦屋さんが並んでいる。国分寺崖線の育んだ湧水も各所に流れ、それを元にした池などもあり、深い緑と水、団子屋さんにお茶屋さん、植木屋さんに、観光みやげを売るお店もあり、家から十キロという距離をいつも忘れてしまいそうになる。どこかもっと遠いところに旅にきたような。この錯覚はいつも心地よい。
 去年食べたお蕎麦屋さんは、いまいちの味だったので、今年は別のお店へ。というか、有名な蕎麦どころであるのだけれど、これまで深大寺蕎麦ば、おいしいとおもった記憶がない。並ぶのがきらい、行列が出来るお店は避けている、ということもあるかもしれない。
 今回はいった店は、はじめてのところ、すこし端というか、にぎやかな目抜き通りではないので、それで比較的すいているといった感じ。おいしかった。ほどよいコシがあって。いままで深大寺で食べたなかでは一番だった。

null

null

 そのあとで、植物公園へ。公園内も、蕎麦屋さん周辺もそれなりに人は多かったが、さして気になるほどではなかった。とくに植物公園のほうは、敷地が広いから、人は緑にまぎれてしまう。
 薔薇はまだ、すこし咲き始めたかんじ、藤はそろそろおわり、シャクヤクやボタンも咲き始め、ツツジ、サツキも……。植物は好きだが、これらの花たちは、じつはそれほど好きというわけではない。ただ、緑が多い、やわらかに、春というより初夏を満喫している、あの葉たちの色合いが心にしみた。
 芝生広場で、グリーン・マルシェというイベントをやっていた。食べ物や飲み物、植物や雑貨などのお店の出店、ワークショップ、コンサートなど。
 林の中で、エビネが咲いているのをみつける。蘭科の植物だが花が小さいこともあって派手さがあまりない。色も茶色だった。だが、林の下で、ひっそりと咲く姿は、それでも凜として存在感があった。山野草としては人気があったと思う。家で父が育てているのを見た。それからもたまに、デパートや、植木市の類いで鉢植えを見たおぼえがある。林の中で見るのは初めてかも……と感慨にふけろうとした矢先、エビネの近くでやはり蘭科のキンランを見つけた。こちらは久しぶりにその姿を見た。小学生高学年から中学生ぐらいのときに、父とよく近所の雑木林を散歩した。その林に生えているのを見た。それ以来だ。あの林の下のキンランが思い出の中からなにかを突き破って、立ち現れた。
 ただ、そのかつての林でも、中学生のある年からは、姿を見かけることがなくなった。もはや当時でも、減少しつつある花だったのだろう。
 植物公園から離れ、深大寺周辺をまた抜けて、こんどは神代植物公園水性植物園へ。湧水が湿地を作っていて、気持ちの良い場所だ。アヤメが少し咲いていた。菖蒲園もあり、稲作も行われるようだ。まだ水田に水が張ってあるだけだったが。ああ、田んぼ池だなあと、その水をいとしく思う。

null


 今まで知らなかったが、ここに小高い場所があり、そこは深大寺城があったのだとか。空堀と土塁、腰郭などの遺構が残るのみで、緑の山といったところ。今回、そこを登ってみた。この一画に、キンランとギンランが咲いていた。キンランは目立つ黄色なので、目に付いたが、ギンランはなかなか最初、さがせなかった。白くて、キンランよりも小さい姿なのだ。でも、その白さをいったんみつけたら、もうあちこちに。びっくりした。
 これも、父と行った林に生えていたものだ。こちらはキンランを見なくなってもしばらく林で咲いているのを見た。林の下で、一面に咲いていた記憶がある。けれども、キンランもギンランも、ともにあの林で見た以来だ。キンランのほうはおおかた記憶どおりの姿だったが、ギンランのほうは、記憶のなかではもっと緑ががっていた。あの林の色を花びらににじませていたからだろうか。あの林の気配が、この神代植物公園のそれに流れ出す。これらの蘭は、菌根に依存する性質から人工えでは育てにくいことがあり、鉢植えで見たことがない。今はどちらも激減し、絶滅危惧種となっているらしい。ともかく見ることができて良かった。あの林を、そして父を思い出させてくれて。

null

null

 湿地のほうへまた戻る。ヒメウツギが白い花を咲かせていた。名前はよく聞くのだけれど、実は最近まで名前と実際の花が一致しなかったもの。もう、おぼえた。ウツギ。卯木が咲く季節だから卯月。好きな季節、旧暦四月の花だから、ずっと名前とその姿を一致させたかった花のひとつだった。

null

 それと、植物公園で、もうひとつ。ナルコユリか、アマドコロか、ホウチャクソウかわからなかった花がけっこうあちこちに咲いていた。どれも、白い釣り鐘状の花を下に向けて咲かせる。うちに帰って調べたら、どうやらホウチャクソウだとわかる。ナルコユリに比べて、つける花の数が少ないのだ。ホウチャクソウ…。記憶のなかでもごっちゃになっていて、このどれかを、やはり父が栽培していた。どれも昭和の話だ。その昭和の終わりに父も病気で死んだ。

null


 帰る間際になって、雷の音。いそいで、車に戻ったら、とたんに雨…いや、雹が降ってきた。卯月をすぎ、初夏というより、夏の天気。
 家に帰って、蚕豆をゆでた。今年の初蚕豆。サヤからとりだすとき、残酷なことをしているなあとすこし思う。サヤの裏についた綿のような繊維質が豆を大切に守っている。緑の色たちに会いにいったあとだから、この緑を食したくなった。その日の締めくくりにふさわしいような気がしたのだった。だがというか、やっぱり、茹でた蚕豆はおいしかった。
 令和が始まった。平成をいつかそれでも懐かしく思い出すことがあるのだろうか。緑たちが新鮮だ。
23:45:06 - umikyon - No comments