Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2020-02-25

猫ちゃん柳と梅たちと府中市郷土の森博物館など

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 沈丁花がもう、あちこちで香りを放っている。姿をみせる前から、かくれんぼした子のように、匂いでヒントをくれているのだった。
 家の近くの梅も満開だ。そういえば、このところ例年のように足を運んでいる、府中市郷土の森博物館の「郷土の森 梅まつり」(2020年2月1日─3月8日)。出かけたのはいつだったろう。二月の八日(土曜日)、もう三週間以上前になってしまう。
 春のこの時期はそれぐらい間が開いてしまうと、もはや別の季節…。
 言い訳をすると、しばらく風邪を引いていた。年のせいだろうか。この頃、風邪がゆっくりと身体に留まるようになってきている。ひきはじめは気のせいかなと思うぐらい、わずかな喉の違和感。それが確信的に風邪の症状になるまで数日。以後も長い。鼻に来て、つぎに頭痛、微熱、喉の違和感が痛みに変わり……。倦怠感、節々の痛み、以前はほぼ微熱だけですんだのだが、このごろはきちんと風邪の症状が出るようになってきている。微熱で抑えていたのに、その堰がよわまったので、べつの症状たちの力を借りるようになったのだろうかと、勝手に素人判断をする。だが、それがいいこともある。以前、微熱で症状が治まっていたときは、微熱がひいた後も全身倦怠感などが残った。この頃は鼻や咳などに分散されたせいか、以前のだるさや微熱がほとんど出ないので、割と元気に動けてしまう。今の時期は、例年にみない、新型ウイルスのことがあるので、外に出るときはマスクをしてはいるけれど、これも人に移さないようにとのことだけ、個人的には必要を感じていない。ともかく、その風邪をもう三週間は引いている、以前に比べて症状に出るようになった分、元気に過ごせるようになっているとはいえ、それでもほぼ寝込んだりしていた時期もあった。なんだか、呼んでもいないのに来て居座っている精霊かなにかのようだ。丁重に帰って頂くようにおもてなしをしている。風邪薬を飲んだり、身体が温まるものを食べたり、休みの前日はニンニクを食べたり。
 その風邪と付き合っているうち、季節がすぎてしまったのだった、まだ引き始めのころは冬の気配だらけだったというのに、ほとんど治りかけている今、もはやとうに春一番も吹いてしまった。

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 マンションの植え込みの木瓜の花も咲きだした。アジサイの芽も黄緑色のやわらかそうな色彩が目立ちはじめた。俳句の春の季語のひとつである「猫の恋」の季節もはじまった。駐輪場ちかくで雌猫が恋をささやく、ダミ声をあたりに発している、そして雄たちの騒動。
 で、梅祭りだ。また記憶をたどって、二月八日の府中に戻ってみる。
 ここも家から車だと近いこともあって、近年は毎年のように赴いている場所。二月初旬だと梅よりも開花時期がはやいロウバイが咲いているのにも会うことが。それと二月初旬だけではないだろう、もっと季節が下がってもおそらくつぼみを付けているであろう、水辺沿いのネコヤナギたちにも会いたかった。さらにまるでそこにいるうちに化石になってしまったかのような珪化木たちが屋外で保存されているところ、縄文時代中期の遺跡を移設し、造型保存した「柄鏡形敷石建物跡」にも、博物館本館の常設展示室の縄文時代の土器や土偶にも……会いたいものばかり。こんなふうに挙げてゆくと、自分がどれほど、ここ「府中市郷土の森博物館」が好きなのか、気づく。
 森というか公園自体が博物館になっている不思議な施設だ。移築復原した建物たちも森のなかでたたずんでいる。入口前には物産館もあり、府中の野菜や観光お土産的なものを売っている。このことにいつも優しい違和感をすこし覚えるのだった。うちからほんの十数キロ離れただけのところで、旅にでたような、不思議な感覚。今回は買わなかったが、地ビール、郷土の森博物館の梅干し、野菜、お菓子などをもとめたことがある。
 二月の八日、まだ寒かったと思う。けれども晴れていた。寒いときに晴れていると、もうそれだけでうれしい。
 そのころ、梅はまだ種類によってはぽつぽつと咲いているぐらいだった。おおむね静かに梅を愛でる人たち。年配の方々が多い。静かにスマホや携帯、一眼レフのカメラなどを梅に向けている。あるいは梅と自らを一緒に撮影。
 全体的にはまだまだ最盛期というわけではなかったが、ほぼ満開の梅もあり、そこに人が群れをなしているのがほほえましかった。みんな梅を、春を求めているようで。

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 個人的になじみがあるのが白梅なので、白梅にばかり眼がいくが、白梅と紅梅がならぶと色彩が華やかになるなと、いとしく思う。空は蒼。
 お目当てのひとつであるロウバイの小径へ。こちらはほぼ満開。蝋を塗ったような、ぷっくりと厚い花びらたちが、黄色く照っている。早春のまだ弱い陽射しのなかで、太陽光をそっと助けるように咲いている姿が神々くすらある。おもわず花びらのさわりたくなる。蝋の梅、ロウバイ。また今年も会えたなあと思う。連れ合いは火を付けたらすぐに燃えそうだなあといっていた。春の黄色い蝋燭。

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 ロウバイの小径を抜け、出口のほうへ歩くとネコヤナギのある、湧水の豊富な国分寺崖線をあらわしたハケの流れに着くのだが、戻って、野外ステージのあるほう、珪化木を見に行く。目的のひとつだったのに、森が広くて、梅たちをぼうっと見ているうちに、通り過ぎてしまったのだ。
 珪化木は、案内によると秋田県大内村の水田から発掘されたものを府中市が寄贈をうけたとある。森の中で、ひっそりと切り株のように眠っている。前にもここで触れたが、珪化木は樹木の化石。木の原型のまま、二酸化珪素、瑪瑙状に変化したもので、この化石は白亜紀後期の七〇〇〇万年前のものだとか。
 植物のまま石になった、そのことにとても惹かれる。柔らかさと硬さの共存、生と死の、永遠と限りある命たちの融合。たんに今そこにある切り株たちが七〇〇〇万年前のものだということにも感動する。ともかく、また今年もその石の側面に触った。

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 そうして、珪化木の生える場所から、ネコヤナギの生える水辺へ。まだ少し早い季節で、いないかもしれない、期待と不安におののきながら、覚えている場所に向かう。
 いた。猫のようにふわふわとしたつぼみの花穂たちが、陽射しをうけて銀色に輝いている。「猫の恋」のように、春をつげる猫たちだ。ふんわりと寒さを耐えるような毛たちが、とてもしみる。
 子どもの頃から猫が傍らにいた。猫は大切な存在だった。そのこともあるだろう。子どもの時、ネコヤナギをドライフラワーにしたものを大事に宝箱にしまっていた。ネコチャンヤナギと勝手にいつしか呼んでいた。「ネコヤナギ」という言葉に、いろいろな意味をこめて、みてしまっている。
 ともあれネコヤナギには、大切な思い出たちを感じてなのか惹かれるのだった。早春のやさしい呪文をおびた、いや、そんなわたしの勝手な思惑をものともせず、普段どおりに、いつもの季節のように、たわわに毛をつけているネコヤナギたち。


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 ちなみに、その後、家の近くのお花屋さんで、ネコヤナギ、正式にはこちらはアカメヤナギというが、ともかく売っているのを目にして、ほっこりしている。やわらかい、小さな猫たちが眠っているようなつぼみたち。
 購入して、家でその姿を見つめようかしらといつも思うのだけれど、お花屋さんで見るだけでなんだか満足してしまう。まるで、お花屋さんでいましも生をともしているような気がして。あの府中市郷土の森博物館のネコヤナギたちのように。いや、切り花としてそこにあるのだから、根本的に違うだろう。切り花としてある彼らは、そのまま、生を終えるのだ。ならば、切り花を購入するべきなのでは……。また、次に来たときに考えよう。明日考えよう。「Tomorrow is another day」、映画『風と共に去りぬ』のラストの台詞を思い浮かべた。これも子どもの時よりは、もうすこし大きくなって、中学生の頃から好きな言葉なので、連想したのだろう。子どもの時も中学生の時も、もはや遠いから、けれども、わたしのなかでかすかに灯っているから。明日になったら、家にネコちゃんヤナギたちは来ているのだろうか。来ていないかもしれないし、来ているかもしれないが、どちらにせよ、勝手な言い分だ。
 ネコヤナギたちに府中市郷土の森博物館で会った後、先に書いた縄文の遺跡、そして博物館の本館というか、建物へ、常設展へ。また縄文土器たち、土偶たちをみて、力を頂く。

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 前述のとおり、府中市郷土の森博物館の梅祭りに出かけたのは三週間前の出来事だ。もはや今日は、あのお花屋さんで売られていたネコヤナギが姿を消してしまった。代わりにそこにいたのは、桃の節句ということで、桃の花、そしてなぜか青い麦。
 今年は暖冬だったのか、春が来るのが早い。春が一年で一番好きな季節なので、二月の末に春をこれほど感じられることに、うれしい戸惑いがある。啓蟄もまだなのに。
 木瓜の花にメジロが止まっている。空高く鳴いているのはあれはシジュウカラ。春を告げる鳥たちもわたしに温もりをあたえてくれる。家の近くでは、ロウバイはもはやとっくに花を終え、おなじ黄色い花ならマンサクが目につきだした。そしてわたしはといえば、ようやく風邪がいなくなってくれたらしい。猫がどこかでまた鳴いた。
19:18:00 - umikyon - No comments

2020-02-20

春に、やさしい感触たちをいただく─あつぎ郷土博物館(縄文ムラ 発見)

 ここ数日、暖かだったからだろうか。あちこちで梅の満開に出会う。足元では、ホトケノザたち、タンポポ、ヒメオドリコソウ。
 沈丁花がほんの少し咲いているのを見つけた。思わず顔を近づける。あの、懐かしいような、一年ぶりのあまい香り。まだ大半はツボミで、少ししか咲いていないので、そんなふうにかなり花に接近しないと香りがわからない。満開になると、姿が見えなくてもあたりを香りでつつむようになり、その存在を、春の訪れを教えてくれるのだけれど。そう、香りのほうが花を見つけるよりも先にわたしに近づいてきてくれるのだった。
 そんなとき、いつもキンモクセイみたいだなと思うことを思い出した。キンモクセイも、姿をみせるより先に、どこからか香りがただよってくるから。ちなみに秋十月頃、キンモクセイの咲く頃になると、沈丁花もそうだったなあと思うのだったっけ……。この無限ループの花の香りたちが愛しい。
 二月も半ばをすぎると、もう寒いとはいえ、なるほど立春も過ぎたし、春なのだ。

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 そんな時に、終わってしまった催しのことを書くのは気がひけるが、やさしい出合いだったので書いてみたい。
 厚木市のあつぎ郷土博物館で「縄文ムラ 発見─三田林根遺跡の調査から─」(2020年1月18日─2月11日)という企画展があることを知った、というか連れ合いに教えてもらった。それが会期終了間近だったので急いでゆく。あつぎ郷土博物館というのは、展覧会図録によると、2019年1月27日開館で、一周年記念の企画展だそうだ。
 家からだとおとなりの県、神奈川にある。なんとなく近いのかしらと車で出かけた。40数キロ、道が混んでいることもあって、片道二時間ぐらいかかった。おなじ神奈川の三浦半島、横須賀の海のほうは、高速を使うということもあるのだが、家から一時間ぐらいで行ける。距離は60〜70キロぐらいだろう。海のほうが近く感じられることが不思議だった。

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 企画展は、あまり宣伝をしていない印象。三田市三田小学校グランド整備のきっかけに発掘が行われた三田林根遺跡(さんだはやしねいせき)は、縄文時代中期(4500年前)の大規模なムラ遺跡。2015─2019年にかけ、二回に渡った調査の成果を紹介する展覧会。竪穴住居跡14軒、土孔311基、縄文土器、石器などが見つかった、環状集落跡。環状集落とは、中心に広場や墓を取り囲むように住宅を建てたもの。
 目玉は糸魚川産の翡翠と、人の顔が意匠になっている土器の把手(人面把手)。ちなみにこの二つ、ステッカーになっていて、企画展入口にあるワークシートに答えると、もらえるというので、やってみた。

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 遺跡から出土した石器のうち、一番多かったものは打製石斧、木の実などをすりつぶすために使われた道具は、石皿・磨石・敲石とか。
 ワークシートをにらみながら企画展会場を回ったので、最初はなにか本末転倒な感じがした。答えを記入するために展覧会を見ているような……。けれども回答し終わって、改めて企画展をみて、少しだけ概要を知ることができ、企画展がより近しいものとなった気がした。
 解説にあったが、このあたりの縄文土器は、関東地方を中心に分布する加曽利E式土器(千葉県の加曽利貝塚のものが標式土器)、中部高地中心の曽利式土器(長野県諏訪市の曽利遺跡)、関東南西部の連狐文土器の分布に重なっていることから、それぞれの土器が混ざって出土したり、加曽利E式に曽利式の地紋が取り入れられたりと、交流などもうかがわれて興味深いものだそうだ。個人的には、加曽利貝塚は実際に出かけていて好きな遺跡だし、曽利式土器系列の山梨のもの、長野のものも、近くを訪れたり、形も装飾的で好きなものが多い。おおざっぱな感想だが、確かに長野や山梨の土器や土偶に感じたものを、ここで共通項として見いだしたので、それが心地よかった。
 
 企画展の展示から常設展(基本展示室)へ。
 「有孔鍔付土器」「顔面把手土器」の顔が、土偶のそれと共通して、心にひびく。それは先の企画展でも感じた、山梨あたりのものに共通する顔だった。この顔が、何千年前のかつてから、今まであることに静かな驚愕を感じる。

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 いきなり常設の縄文時代のことを書いたが、ここは「あつぎの風土、古来からの大地の形成」「考古・狩猟採集の時代から古墳時代までのあつぎ」「古代から現代のあつぎ」「あつぎの生物たち」「民俗・伝統芸能、道具」の五つからなる総合的な展示となっている。
 石器にさわれるコーナーもあり、興味深かった。そっとさわる、なでてみる。打製石斧は土を掘るための道具だったそうで、思ったよりも鋭利ではない。木の実などを磨りつぶす石皿や磨石には、蕎麦の実をひくときの石臼の感触を想起した。そうして、手触りから今にいたる時を感じるのだった。

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 エントランスホールの隅で、縄文展に関係した塗り絵や絵ハガキづくりができるコーナーがあった。絵ハガキには常設にあった目玉的な土器「有孔鍔付土器」の輪郭があらかじめ印刷されており、そこに様々な模様のスタンプを押してオリジナルのものをつくるというもの。
 ちなみにこの土器。壺形で、土器の中央に人が手を拡げたような人物の半身、左右に蛇のような装飾。蛇と人物がモチーフになっている、どこか両義的なもので、惹かれる形式のものだ。絵ハガキが売っていたので購入する。勝坂式土器、林王子遺跡出土の縄文時代中期のもので、太鼓説、酒道具説があるが用途は不明とあった。
 最初にも書いたが思っていたよりもここにくるまでの道のりが長かったので、もうあまり閉園まで時間がなかった。体験教室では、縄文土器の破片に紙をあてて、色鉛筆やクレヨンでこする、あれはフロッタージュという技法だが、あの場所ではなんといっていただろうか。覚えていない。ともかく土器片が置いてあり、それらで紙に写しとる作業を体験している人が数人いた。紙は持ち帰ってよくて、有料で缶バッチにもしてくれるそうだ。この土器たちの文様を紙に写して、それを持ち帰る……。お土産としてとても惹かれたが、時間的に余裕がなかった。土器片に触れるだけでしまいにする。このざらざらとした質感を、記憶すること。
 はじめて訪れた場所だが、素朴な真面目な雰囲気で居心地がよかった。展覧会の概要が載った図録も無料で頂けた。中津川の岸辺だが、相模川もすぐ近くを流れている。水量が比較的多く、澄んだ水だった。相模川を越すと座間市になる。以前、ヒマワリ畑を観に来たことがあったところだ。こんなふうに何かたちがつらなってゆく。
 家にある、以前求めた縄文土器片たちに久しぶりに触ってみようかと思った。車での帰り道、早朝バイトをしてきてのことでもあったので、眠ってしまった。そうしたらあたりはすっかり夜になっていた。眼を覚ますと、飛び込んできたのは相模川ではなく、家から割と近くの多摩川だった。灯が水ににじんでいる。
 曇り空のまたある日。ほぼ満開の梅たちを見た。曇った空に白い梅はよく似合うと思っう。梅の白さが雲の白さに重なってゆく。どこまでも梅のように、あたりがおぼろになってゆく。春はもうそこここに来ているのだった。

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2020-02-10

縄文と池、神社、思いたちが交錯する大宮公園(縄文時代のたべもの事情展)

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 去年の暮れ、偶然、インターネットで埼玉県立歴史と民俗の博物館で「縄文時代のたべもの事情」(2020年1月2日─2月16日)という企画展があると知った。
 埼玉のどこにあるのだろう。知らない博物館だ。さらに調べるとさいたま市の大宮公園内にあるという。縄文時代に興味があるのはもちろんだが、博物館のある場所にも思いいれがあったから、展覧会が始まったら、2020年になったら、絶対に行こうと心に決めたのだった。
 実際に出かけたのは、1月19日の日曜日。こうした場所に出かけるのは、基本土曜日なのだが、土曜日は雪がちらついていた。車で出かけるのだが、雪対策をしていない車なので、晴れるという日曜日に出かけたのだった。

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 大宮公園は埼玉に住んでいた頃、よく出かけた公園だ。池のほとりのベンチに座って、ぼうっとしていたものだった。景色を眺めたり、読書をしたり、創作メモを取ったり。なにか当時のわたしにとって、屋外の図書館といった場所だった。
 家からさほど近いわけではなかった。バスに揺られて、さらにそこから電車で数駅。距離にして十数キロ(乗り継ぎなどの不便さから、当時はもっと離れていると思っていた)。決して行きやすいところではなかったのに、毎週のように出かけていた。当時のわたしにとって必要な空間だった。
 博物館はその頃は埼玉県立博物館としてあったようだが、うっすらとしか記憶がない。となりに弓道場があった。そのほうは覚えている。公園の入口にはいって割とすぐにある。当時は駅から歩きだったのと、まわりの景色がずいぶん変わっていたこともあったが、それで当時と同じ入口から入ってきたのだとようやく気づく。
 弓道場で、老若男女さまざまな方たちが後ろで順番を待っていた。中央に二人。それぞれ弓を引いて、遠い的に向けて矢を放つ。その動作が緩慢で、能かなにかの所作をみるようだった。「弓道」の「道」という字に思いを馳せる。
 弓道場を過ぎると池がある。まさかまた訪れることになろうとは……。ちらっと池面を確認し、そちらは後で行くことにして、博物館へ。
 博物館の敷地内に、いきなり弥生時代の竪穴式住居跡が復元されているのを見て、これも驚いた。一見縄文時代のものに似ているが、屋根の上に「破風板」と呼ばれるものがあるのが決定的に違う。これは三世紀ごろのもの。
 案内板によると博物館の周辺は「県指定史跡 大宮公園内遺跡」があり、縄文時代と弥生時代の住居跡が発見されているそうだ。
 わたしが好んで訪れていた場所が縄文時代の遺跡だった……、こうしたことはあちこちでよくある。もっと前に気づいていればと少し思うが、遅くなっても知ることが出来てよかったと思う。

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 展覧会のチラシから。
「 今から何千年もむかし、縄文時代の日本列島には、土器を使い、竪穴住居に住み、狩猟や採集をなりわにとする人たちが暮らしていました。ながい氷期が終わりをつげ、気候が温暖になってゆき、人々は豊かな自然からより多様なたべものを得ることが可能になったと考えられています。
 展覧会では、このような縄文時代のたべものに注目します。埼玉県内の遺跡から出土する貝や魚骨、獣骨、またクルミやトチノキなどの木の実など、人々が食べていたものを紹介します。さらに、近年明らかになってきた「栽培」に関する最新研究にも迫りつつ、縄文人と自然との関わり合いについて考えます。」

 埼玉のなかでも、小学生から高校ぐらいまで、わたしが住んでいたあたりは、縄文早期〜前期の頃は海だったようだ。その具体的なことは知らないが、小学生のころに授業でこのあたりが海だったと聞いて感慨深く思ったことは以前にもここで書いた。
 たとえば、隣接した富士見市にある水子貝塚は約5500〜6500年前を代表する遺跡だそうなので、その頃はまわりは海だったのだ。
 今回の展覧会でもらったリーフレットには、縄文早期後半(約8000年前)に海面が上昇し、縄文時代前期(約7000年前)に最高位に水位が上昇、縄文時代後期(約4500年前)には土砂が堆積し、海が後退、晩期(約3000年前)には海退がすすみ、埼玉県域ではあまり貝塚が形成されなくなったとある。
 なので食べ物の展示としては貝塚出土のものが目についた。貝に魚の骨に、鹿角で作った釣針、貝の装飾品。
 そして海を経由したであろう、糸魚川の翡翠や神津島の黒曜石。
 陸のほう、縄文の森に目をむけると、クルミやトチなどを食べていたことを示す「クルミ塚」「トチ塚」への言及があった。さらにダイズやアズキ。この二つは元々は野生のものを食べていたが、縄文中期になると、大型になったから、栽培したのではとのことだった。
 そして縄文の動物たち。土器や土製品に表わされた動物の多くはイノシシ。食べられていた骨としてはイノシシとシカが多いのだが、作られたのは圧倒的にイノシシなのだとか。土器、土製品で見られるものは、ほかにサル、クマ、イヌなど。またクリやクルミなどの植物、巻貝などの貝類も。富士見市の羽沢遺跡では、動物の装飾のついた土器が多く見つかっている。そのなかの獣面装飾付土器は興味深い。以前水子貝塚で見たものがここにもあった。「県の指定有形文化財になっている、羽沢遺跡出土の中期(約4500年前)のもの。これは愛称がムササビ土器という。口縁部のおそらく前面に動物の顔、後ろに尾っぽのようなものが施されている。ムササビと名前が付いているが、おそらく顔は猪で、尾っぽのように見えるところは、人間の眼なのではとのこと。猪と人間が向かい合っている……」(2019年7月30日)。そんなふうに、以前のわたしが書いていた。この企画展には、もうひとつ、西原大塚遺跡出土の「人面蛇装飾付土器」というものがあった。こちらのほうがより人間と獣(蛇)が向き合っている感じが強かった。眼と眼が視線を交わしている。食べること、食べられること、足のあるもの、地を這うもの、自然と向き合う人々、夜と昼、善と悪、生と死。これらたちが向き合った形のひとつが土器や土偶なのではなかったかと、どこかでいつも、感じている……ということを、こんな土器をみると再確認する。

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(写真は水子貝塚資料館にて)

 つぎに常設へ。企画展内は写真撮影が出来なかったが、こちらは写真撮影可。土偶たちに心ひかれた。

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 そして博物館を出て大宮公園の池のほうへ。最後に来たのはいつだったか。二十五年以上前だろう。当時は対岸から池を眺めていたっけ……なぜだかすぐに理由がわかった。今歩いているこちら側にはベンチがあまりない。あっても池から小道一本はさんだところに設置されている。けれども対岸のベンチはすぐ池に面したところにあり、より池に近しい感じがする。理由がわかり、今でも座るならあちらだと思っている自分に気づき、すこしおかしくなる。
 池の岸にスダジイが生えていた。縄文時代の人々が好んで食べていたドングリがなる木でもあり、五月頃に咲く花の匂いが性を帯びて、なかなか刺激的で印象深い木だ。ああ、スダ爺さんだなと、こっそり親しみを感じている。またここでも会えるなんて。
 池にはうちの近くでもよく見かけるカルガモや、上野の不忍池で見かけた黒と白のまじった少し小柄なキンクロハジロのほかに、見慣れない、知らない鴨が眼についた。名前がわからないといつもすこしざわつく。名前を知りたい。そう思いながら池のほとりを進むと、「ボート池の鳥たち」という案内板があり、そこに「オナガガモ」とあった。オナガガモというのか。尾も長いのかもしれないが、カルガモなどより少し大きく、細身というか、シュッとしている。案内板をみたあと、池の彼らをみて、もうほとんど歌うようにして、「オナガガモ、オナガガモ」と、名前をくりかえし、かみしめていた。そうすることで、彼らの名前を覚えようと、いや、かれらと大宮公園との再会の記念を、その言葉、名前に込めようと。

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 池を半周した端には、運動施設やら競輪場、隣接して小さな遊園地と小動物園がある。このあたりはかつて好んで池のほとりで憩っていた頃には実はほとんど知らない場所だった。知ったのは最後のほう、もしかして一番最後に訪れた時ではなかったか。小動物園にだけ入った。その時、わたしは一人ではなかった。憩っていた時はいつも一人で訪れていたのだが。誰と来たのか記憶が曖昧だ。時系列的に考えるとその頃に付き合っていた人なのだろうけれど。
 けれども小動物園のことは比較的覚えていた。なので今回、ぜひ入ってみたくなったのだった。わたしが最後に訪れた時よりも動物たちが増えているような気がした。まずカピバラ。出迎えるような感じで最初に会えたことにすこし驚く。リスにフクロウ、サル、ヤマネコ、ハイエナにヤギ。バードケージのなかは入れるようになっていた。フラミンゴ、クジャクがいる中を、雁の仲間が歩いていた。この動物園ではなかったかもしれない、公園内の別の場所、白鳥池のほうだったか、雁の仲間のガチョウたちを見たことがあったっけと思い出す。

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 大宮公園はもともとは大宮氷川神社の敷地だったらしい。今も隣接する形で氷川神社がある。今一緒に来ている連れ合いの、もうとっくに成人している子どもたちはかつてそこで七五三のお参りをしたそうだ。その頃にもしかすると、この小動物園や遊園地で遊んだのかもしれないといっていた。ちなみに氷川神社。大宮のここには来たことがないが、子どものころの初詣の神社は別の場所にある氷川神社で、さらに今住んでいる家から歩いていけるほど近い、初詣の神社も氷川神社だ。
 信仰心があるわけではないが、こうした言葉たち、場所たちが交錯する、交差するそのことが、とても愛しい。大宮公園、池、オナガガモ、氷川神社、スダジイ。この日は晴れていてよかった。土曜日、雪まじりの寒さのなかでは、博物館以外のこうした散策は難しかっただろう。池のまわりはそういえばソメイヨシノほかシダレザクラなどの桜が咲いて、桜の名所となっていたっけ…。そう、まだかたい花芽のソメイヨシノの樹をみて思い出した。思いたちがおちこちで交錯する。
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