Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2006-11-15

子どもの穴、夢の羽


▲アンリ・ルソー《サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島》

 東京都庭園美術館に行く。「アール・デコ・ジュエリー」展が開催されていたが、どちらかというと美術館そのもの、建造物を見に行ったのだった。旧朝香宮邸、アール・デコ様式の建物。いや、そうではない。玄関ホールのガラス・レリーフとシャンデリアを見に行ったのだった。久しぶりに玄関に入る。浮き彫りになった女性(女神)に、羽と葉のような装飾が、身体を中心に放射状にとりまいている。あるいは後光のように。わたしは最初、羽を葉と見間違えていた。ガラスの縁の花の装飾、まっすぐ両方の手をおろした下から生える葉のために、彼女は木の精なのだと思いたくなったのだ。空と土のあいだをつなぐ女性が、大木のように出迎えてくれている。日々にさしこまれた明るさが渡しあうもの、たち。シャンデリアは、手元に写真がないので、うろおぼえだが、上をむいたツリガネソウのような花たちが灯るようになっている。花を支えるのはガラスに刻まれた茎たち。館内には、ほかにもシャンデリアがあるので、最初、目当てのものかどうか一瞬迷った。だが、その隙間から陽が射すように、もれてくる灯りに、まぎれもなさが運ばれてくるのだった。つまりルネ・ラリック。展覧会のほうにも、ラリック作品として、宝飾デザイン、エメラルドのブローチなどがあった。それはそれでもちろんラリックと同じ匂いを感じたが、やはりガラス、日々にとけこんだ違和としての単色ガラスにひかれるのだった。生活と美が共存できることを教えてくれたのは、わたしにとってはたぶんラリックがはじめてだったのだ。
 次の日「ルソーの見た夢、ルソーに見る夢」展(世田谷美術館、二〇〇六年十月七日―十二月十日)に行く。いままでわたしが思い描いていたルソーは、密林やジャングルのなかのそれだった。それは湿気の粘つく暑い感触と、なぜか明るい日射しのはずだった。けれども、展覧されたそれらは、概して静かで孤独で暗さがたちこめていた。そこには暑さもなく、寒さもなかった。気候的には丁度いいのかもしれない、あるいは気候と関係ないところで、ある重さが通底音としてたなびいているようだった。
 《サン=ニコラ河岸から見たサン=ルイ島》(一八八八年頃、世田谷美術館)。右に川、船、建物、岸に積荷がある。積荷手前に帽子をかぶった黒い衣装の男、前方にちいさな、影のながい男、夜のような昼にかかる満月、あるいは太陽。税官吏としてのルソーが職場へ向かう途中の風景を描いたものだと解説にある。これを読んで、ラリックで感じたのとは違う仕方の非日常、日常と非日常の接点を思った。ラリックのそれが日々のなかに取り込まれた非日常だとすれば、ルソーの風景は、日々に異質さが触れては帰っている、離れて遠ざかるものをつなごうとする行為なのだと思った。けれども解説を見ないでも、この絵はどうしようもなくさびしい。第一印象は郷愁めいた暗さだった。あるいは水の反映が白い筋となってにじんでいる。さびしさは、おおむねくらい道、昼にまぎれこんだ夜たちがひきつれてやってきたものとして夜気のようにやってくるのだった。
 《釣り人のいる風景》(一八八六年頃、ユニマット近代絵画コレクション)では、小山にかこまれた水辺にボートが一艘、舟上に釣り糸を垂らしている人がいる。岸と山のあいだに、赤や茶色の屋根の家たち。暗い水辺に影を落とさない、白い家の壁たちが、ぬりこめたかなしみのように重い。これはのどかとはとうていいえない孤独だった。こうした静かな重さたちを感じてしまうと、ほかの絵を見るわたしももはや前とは同じではいられない。事前にイメージした通りであろう、《熱帯風景、オレンジの森の猿たち》(一九一〇年頃)の密林を見ても、そこにはもはや静寂をみてしまうのだった。猿たちは大きさがまちまちで画面全体をとおしてみるとアンバランスだ。そこに小さな穴のような不安を感じてしまうのだった。
 アンバランスといえば、《牛のいる風景―パリ近郊の眺め、バニュー村》(一九〇九年、大原美術館)。牧草地帯真ん中に牛がいる。牛の右後ろに積み藁、右前に座った人物。横に描かれた牛の静けさが画面を暗いものとして覆っている、そしてそこからノスタルジーが醸してくると思った。後日、NHKの『迷宮美術館』でルソーを取り上げていたので見たが(十一月十日)、発表された当時、この絵は遠近法を無視しており、「六歳のこどもが筆のかわりに指を、パレットのかわりに舌を使って描いたなぐりがきに似ている」と、批判されていたとあった。けれどもわたしは違和感ないものとして牛をみていたのだった。わたしは遠近法を技術として習っていたはずなのに。その眼でみれば、牛はたしかに大きすぎ、人物は小さすぎるのだった。だが、あの絵の牛の大きさにまったく違和感がなかったのだ。あの大きさだからこそ、郷愁なのだ。テレビでは、実際子どもたちに絵を描かせて実験していた。彼らは興味があるものを大きく描く。ルソーは大人の心を持った子どもなのだ、といっている。このことに心ひかれた。そうしてわたしは思い出すのだった。わたしの大好きなコンスタンティン・ブランクーシの言葉「もはや子供でなくなったとしたら、すでに死んでいるのです」を、あるいは、「種子の中に人の世の宝石はつまっているのです。幼少時の幻想から創造的な芸術は始まるのです」(プゾーニ、オペラ『ファウスト』)を。郷愁は幼年への誘いとしてもただよっていたのだった。
 わたしは画家の来歴などを今まであまり気にしなかったが、ルソーの熱帯は、植物園のスケッチ、猿やライオンは図鑑から模写したもので、ほとんどフランスを離れずに描いたものだという。日常のなかに、非日常を、楽園を見つけようとしていたのだ。《散歩(ビュット=ショーモン)》(一九〇八年、世田谷美術館)は、糸杉と熱帯の混合のような木の脇にあいた小さな穴のまえに親子だろう、三人がむかっている。日常にあいた、やはり小さな穴。そして、テレビでは、ルソーは妻や子どもに先立たれ、家族に恵まれなかったといっていた。そのせいかどうかはしらないが、《ジュニエ爺さんの馬車》(一九〇八年、オランジュリー美術館、これはルソー展の出品作ではない)で無蓋の馬車に乗った家族は、てんでばらばらのほうを見ている。そこに視点を統一させることによる接点はないのだった。小さすぎる猫か犬の黒さが青空にあけた小さな穴のようだった。家族に恵まれた、恵まれないは芸術に及ぼす影響という点から見れば重要なことではないし、そのことにけっして拘泥してはいけないが(《釣り人のいる風景》は、年代記によれば、まだ妻と子とともにある時の作品だ)、それゆえにも、わたしはルソーに惹かれるものもあるのだろうと思った。さまざまな出会いとして、絵がわたしを呼んだのだ。非日常の波としても、そして彼の幼年、ノスタルジーの果てからも。この郷愁の終点はないのだということを、けっしてたどりつけない場所であるということを、わたしたちは知っている。あるいはこの楽園に。それがルソーに通底音として感じたやさしい重さだったのだろう。遠近からこぼれおちて、葉たちがつなぐ夢の羽。


▲ルネ・ラリック、ガラス・レリーフ像


posted at 00:01:00 on 2006-11-15 by umikyon - Category: General

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