Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2006-11-25

靴音の響き


 日本経済新聞の毎週日曜の連載物として、「美の美」という絵画にまつわる記事がある。八月十五日もここで取り上げたが、その誠実な紹介文がわりと気に入っている。あるいは、あらたな発見、あたらしい出会いのなかで、共鳴、共有することに。
 現在は「ブルトンと画家たち―シュルレアリスムの冒険」というテーマに沿って画家を紹介している。十九日は先日(十一月五日)もここで触れたマグリットだった。《光の帝国》について、「絶対にありえない、昼と夜の時間が共存していた」とある。共有と共存。またこの絵を所蔵している王立美術館の館長の話として、「マグリットが探求したのは対比ではなくて、絵の奥に隠された神秘的なメカニスムだと思います。これは詩の力と呼べるし、ミステリーの探求といってよい」とあった。詩という謎への探求が、絵をひたし、呼べないもの、名づけられないものを渡し、つなぐのだった。靴の先が青筋を立てた足になっている《赤いモデル》(一九三五年、ポンピドゥセンター、パリ国立近代美術館)の写真。これについてマグリット自身のことばとして「人は『赤いモデル』のおかげで、人間の足と靴の結び付きが実際は得体の知れない習慣にすぎないことを強く感じるのだ」(『マグリット』山梨俊夫・長門佐季訳)と書かれている。結びつけるのではなく、結びつけたものを、そこからはがすこともまた共存なのだ。そこではがされた、あらたな関係のまえで、わたしたちはおどろきとともに、習慣をはがされた場所に共に立っているのだった。習慣、日常に対して、詩的言語が衝撃を与えることについて、ヤコブソンは、「音韻と意味との機械的な接近連合は、習慣化すればするほど、ますます速かに成立するようになる。ここから日常のパロールの保守性が産れる。かくて、語の形式は急速に死滅する。/ 詩においては、機械的な連合の役割が極度の抑えられる。その反面、語の構成要素を分離することが排他的に関心を惹く。分離されたものの断片は容易に組み合わされて新しい結合体となる」(『ロシア・フォルマリスム論集』1 せりか書房)といっている。この「新しい結合体」を、《赤いモデル》の足にまぎれもなく見たのだった。この結合の場をとおして、死滅した言語の統一に送り込まれた生を感じたのだった。この生は、けっして壊すものではなく、日常にふきこまれた息吹となるものなのだ。あるいは、マグリットは「われわれが突き当たるものはすべて、その原因がわれわれの理解力の外にある作用である」(『日付のある言葉』)といっているが、その外の作用をひきこむ瞬間が、この靴と足のありえない、けれども正確な一致なのだった。
 この新聞記事から二日後、ひさしぶりに画集たちがそろっている書店にゆく。《光の帝国》、《赤いモデル》、そして文章、ことばたちが重なって、つまりマグリットをめぐるかたまりとなって、頭のなかにちいさな重みの渦が生じていた。その渦につきうごかされるようにして画集がほしくなったのかもしれない。あるいはマグリットをめぐるかたまりを、もっと集めたくなったのだ。そうすることで、彼を知ろうと、つまりどこかで共鳴、共有を感じていたか、もっと感じたかったのだ。あの一致にふれること、せめて聞こうと。
 店内に入る。マグリットは何冊かあったが、《光の帝国》が載っていたことと、ぱらぱらとめくった文章になんとなく惹かれて、TASCHEN社の『ルネ・マグリット』(マルセル・パケ著)を買う。B5変型なので、画集というよりも“小さな本”だ。大きさについてだけそう思ったのだが、これは後述するが別の意味でも書物だった。ともかく《光の帝国》の図版キャプションには、マグリットのことばとして、「昼と夜のこの共存が、私たちを驚かせ魅惑する力をもつのだと思われる。この力を、私は詩と呼ぶのだ」とあった。十一月五日の日記で感じた詩の場がここにあった。共存、共有の鳴る場所。この場にみちびかれ、わたしはたぶんこの小さな画集にたどりつきもしたのだから。ページをめくる。
 「マグリットの絵にはほとんどいつでも、相互に激しく矛盾する要素、そのために見る者の心を揺さぶり、思考力を刺激する衝撃を引き起こす要素が潜んでいる」として、《光の帝国》を例にとっている。《赤いモデル》もそうだろう。足首から上がない靴と、靴のような爪先。またマグリットは「概念の画家だった。素材ではなく思考を描く画家だった。(…)抽象は好まなかった」。それは、彼が「すべて明確にそれと分かる」ものを、「正統的な技法で描く」態度によるものだ。けれどもその絵を前にしたとき、「すべては様変わりして根本から揺れ始める。というのは、マグリットが詩の論理に従って事物を提示するからだ。そして事物を新しい視点から照らし出し、事物に新しい力を与えるのである」。彼の絵に詩の場所を感じたのは、こうした詩の論理がさそっていたからだろう。彼が詩の論理に従い、思考して描くことから、「灰色の脳細胞で思考する画家」であったとある。「マグリットは、非現実性を思いがけないところに侵入させることによって、現実感を根底から覆し、激しく揺さぶるのである」。この思考、詩の論理だからこそ、詩的言語について書かれたヤコブソンの「既知のものを土台にしてのみ、未知のものが了解され、衝撃を与える」(前掲書)と共鳴しあい、わたしを誘うように静寂を響かせてくるのだった。あるいは詩の謎のほうへ。マグリットの絵は、「見えるものの裏側を熟考し、考え」ることをわたしたちに語りかけてくる。だが、「省察によって可能なのは、神秘を感じることだけだ」。「秘密の扉」がとざされる、その隙間から、謎たちが共鳴しあっている。最初に“小さな本”と思ったことが重なってくる。これは小さな、あるいは大きな詩集なのだった。

(写真:ルネ・マグリット《赤いモデル》)

posted at 00:01:00 on 2006-11-25 by umikyon - Category: General

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