Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2016-08-15

北斎に会いに行く─「大妖怪展」、北斎生誕の地



 江戸東京博物館「大妖怪展」(二〇一六年七月五日─八月二十八日)に行く。こちらは当初、行く予定がなかった。あまりわたしの興味をひきそうなものがなかったから。なぜなのだろう。
 「妖怪は、日本人が古くから抱いてきた、異界への恐れや不安感、また狄閥瓩覆發劉瓩鮖しむ心が造形化されたものです。
 本展では、縄文時代の土偶から、平安・鎌倉時代の地獄絵、室町時代の絵巻、江戸時代の浮世絵など、国宝・重要文化財を多数含む日本美術の名品により、日本人が恐れ、愛してきた妖怪たちの姿を紹介します。土偶から最新の「妖怪ウォッチ」まで、一堂に公開します。」と展覧会チラシにある。
 妖怪的なものには惹かれるのだ。付喪神、百鬼夜行。恐ろしくもいとしい生をもつものたち。いや、生と死をもって、わたしたちにやってくる。たとえば深い闇のむこうとこちらをつなぐものとして。おおいなる自然とわたしたちをつなぐものとして。なのだろうか。
 それに、妖怪ということばには、どこか、なぜか惹かれるものがある。けれども多分展覧会としては……なんというか、好みにそぐわないものが多いだろうという印象があった。ならば、どうして行く気になったのか。最近いった展覧会でチラシをもらった。そこで、北斎の絵が出展されると知ったから。北斎の百物語シリーズ、もう何回かみたお岩さん、こはだ小平二、笑いはんにゃなど。以前にみたものばかりだ。なのにまた見たくなるとは。どうしてこんなに北斎が好きなのか。
 ちなみに土偶も好きだ。だから土偶が出品されていることに、興をもったけれど、なぜかそれは展覧会にゆくきっかけにはならなかった。その理由はあとで書く。



(「大妖怪展」チラシの裏。右上端の天狗の絵は、今回見ることができなかったが、北斎の《天狗図》、そして左上端から二番目が《百物語 こはだ小平二》)

 チケットは格安で手に入れた。正規の値段でゆくことはしたくなかった。なら行かない。展覧会には申し訳ないが(さっきからずいぶん失礼なことを書いている気がする)、関心としては、その程度のことだった。つまり、気のりしないまま、いや、あまり期待しないで出かけた……。はずなのに、出かけるときはなぜかうきうきしていた。出合いがあるだろうとかいう期待からではない。ただ出かけることがうれしかった。気分がよかったのだろうか。夏のひざしがきついというのに。なかば汗と熱でもうろうとしつつあったというのに。いや、北斎に会えるという期待がどこかにあったような気がする。
 新宿まで出て、それから総武線で両国へ。途中、お堀をみるのが小さな楽しみとなっている。水は真緑といっていいほど淀んでいる。けれども、その葉のような色が暑い夏空によく映えてみえた。市ヶ谷あたりで釣り堀。ちらほらと釣りをしている人々。
 そして忘れていたのだが、両国には、隅田川をわたってゆく。とつぜん隅田川があらわれ、びっくりした。うれしい驚き。こちらも淀んで見えた。にぶい灰色、というか銀のうねり。この川をみると、いつも海が近いから、きっと舐めるとしょっぱいのだろうと思ってしまう。
 さて、江戸東京博物館、展覧会。混んでいた。若冲展ほどではなかったが(あれは行ったなかでは、おそらく一番混んでいただろう)、なかなかだ。混んでいるだけならまだいいのだが、観覧客のかなりがうるさかった。感想をその場でいいあっている人々が多いのだ。或いはうんちくを語る人たち。いつも行く展覧会でも、多少はいたけれど、この展覧会がいちばん多かったかもしれない。もうそれだけで気分がなえた。老若男女、ほとんどすべての世代の声。しゃべらずに鑑賞している人の中で、意外と眼についたのは小学生ぐらいの年齢の子どもたちだった。なかには妖怪ウォッチ目当ての人もいたのだろうが、基本的に静かに見ている。夏休みの課題かなにかだろうか、メモをとっている姿もあった。
 ということもあり、いや、最初から展覧会としてはあまり期待していなかったから、いいのだけれど、北斎以外はほとんど印象に残らなかった。客のマナーの悪さに不愉快になることもなかった。あきらめまじりのため息、といったぐらいか。
 けれども、はいってすぐのところで、《狐狸図》を見た。北斎だ。一八四八年とあるから最晩年に近い肉筆。狐は罠を眺める僧。狸は居眠りをする僧。狐は衣装が風にゆれている。狸は炉にかけた茶釜から立つ煙がわずかな風を感じさせる。どちらも顔以外は人間の姿。とくに狐のほうに惹かれた。横向きで、伏し目がちに罠を見つめて立っている。思索しているような静けさに、風になびく裾などが対比されているよう。動と静。罠は狐をおびきよせるためのものかもしれない。それにかかる自分とかからない自分の狭間であるかもしれない。



 それから、お目当ての百物語シリーズ。こちらは、けれども以前みたよりも、版の質がなのか、保存状態がなのか、定かではないのだけれど、くすんでみえた。以前みたもののほうが、もっと鮮明だった気がする。記憶違いだろうか。でも会えてよかった……そんなふうに眺める。
 さいごのほうで、土偶たち。「第三章 妖怪の源流 地獄・もののけ」のコーナー。「古代人は自然に対する畏れや無気味な心情を造形化した。土偶の中の奇怪な姿をしたものがそれだ。異形であるが、どこか親しみのもてる造形であるところが、後の妖怪表現につながる。」とは展覧会HPからだが、たぶん会場でも似たようなことが書いてあったはず。それはもっともだと思うのだけれども、なにか会場に展示されたそれに対して、いつものように、最初、ひびくものがなかった。土偶たちのせいではない。おそらく考古資料館とか博物館などで見たら、ひかれるものを感じたと思う。じっさい、まわりを気にしないように、見ることだけに集中したら、すこしだけ、かれらの佇まいを心に感じることができた。けれども、なんというか、ともかくだいなしの感じがしたのだ。おそらく、それは先に書いた、展覧会にゆくきっかけとならなかったことと重なるだろう。祈りのような部分が希薄だった。それは土偶に対してでは、もちろんない。展示方法に、ということかもしれないし、まわりの状況が、かもしれない。興味がないものを悪くいいたくはないが、すぐ隣が妖怪ウォッチの展示だったからかもしれない。プラスティックの既製品のようなものたち。土偶の発するオーラがそこなわれてしまっている。
 もう出口だ。《狐狸図》と百物語シリーズだけもういちど観に戻ってから、会場を出る。すぐに並ぶ大妖怪展関係のミュージアムグッズをのぞいたのち、墨田区文化観光コーナーへ。こちらには北斎グッズが結構売っているのだ。北斎は墨田区に所縁が深い。たとえば『北斎かわらばん』という無料で配られているリーフレットをここで貰ったが、九十三回の引っ越しを繰り返した北斎だが、その殆どが墨田区・台東区だったとある。隅田川近く。区内名所図もずいぶん描いている。『すみだまち歩き博覧会』の北斎が描いた風景を特集したリーフレット、『両国にぎわいMAP』も貰う。『北斎かわらばん』にも書いてあったが、今年の十一月にすみだ北斎美術館が両国に開館する。地図でそれがどこなのか確かめたかったのだ。
 と、その前に。結局、この文化観光コーナーで、北斎の絵ハガキを買った。わたしの好きな鷹の絵《桜花に鷹図》(一八三四年頃)と、友人に送る用に別のものを一枚。
 あいらしいような眼と威厳のある姿の均衡。みあげた鷹が桜の中ですっくと立っている。もはやわからない。もしこの鷹の絵を、北斎だとしらずに観たとしたら、北斎を好きになっていたかどうか。いや、今、ほかのちがう鷹の絵をみても、北斎らしい筆致がかんじられるだろうから、北斎を好きになるまえに、ということだ。これが初めての北斎作品だったら。わからないが、これをきっかけに好きになるということはないかもしれない。けれども、そうでなくとも好印象はもつだろう。気にかかる画家のひとりになるだろう。ということを考えながら、さきほどみた《狐狸図》のことを思い出した。あの絵は最初北斎だとは思わなかった。けれどもなにかひっかかった。ひかれるものがあった。北斎だとわかって、納得した気持ちもあったが、北斎でなくとも、ひかれたかもしれない、という気持ちもわきおこっていたから。あるいは逆に、これほどはひかれなかったかもしれない、という思いも。絵にたいする曖昧な思いも奇妙だった。だがこの奇妙さがどこか心地よかった。
 その後、江戸東京博物館のミュージアムショップをのぞいてから外に出る。かわらずうだるような暑さだ。駅に向かう。途中で案内版の地図をなにげに見る。北斎生誕地、そしてそのはす向かいの緑町公園は北斎美術館建設予定地…。さきほど貰ってきたリーフレットの地図もひらく。江戸東京博物館のむこうがわなので、戻るかんじ。行ってみようか…展覧会会場でささっとまわっただけだからか、まだ早い時間だった。暑さに気力が萎えそうになったが、結局足をむけた。博物館をとおりすぎると、北斎通り。北斎と名前がついているだけで、すこし感動している。都心によくある、広めの道だ。なのに名前だけで北斎がいたことがある場所なのだと、勝手に感慨にふけってしまう。往時を思い出させる景色はほぼないというのに。その北斎通りをしばらく歩くと、生誕の地と美術館があるはずだ。地図を片手になんだか旅行にきたような気がしてきている。またわくわくがやってきた。



 生誕の地には、それを解説する、古くなった板の立て札があった。もはや字もよめない。店舗前で、面影はどこにもない。ここで生まれたのだ…という感慨はわかなかったが、これたことがそれでもうれしかった。向かいの緑町公園へ向かう。ノウゼンカズラと百日紅が咲いている。遊具で夏休みの子どもたちが遊んでいる。美術館はその公園の敷地内、奥にあった。もう建物はできあがっている。開館していない、建物だけ見に来るなんて、どんだけ北斎が好きなんだとひそかに笑う。緑町公園は、津軽家上屋敷跡だという。こちらも面影はまったくない。それでも来れたことで、おだやかなやさしいような気持ちになる。きょうは北斎に会いに来ただけのようだ。いや、こうしたことすべてが、北斎の面影を感じているということ、それが北斎に会っているということなのだ。





 家に帰ってきて、《桜花に鷹図》の絵葉書を簡単に飾る。これを書いている手を安め、見上げるとすぐに鷹が。おだやかな、やさしい気持ち。思い出や想いが、絵とわたしのあいだで了解のようにたちこめていて。



posted at 00:01:00 on 2016-08-15 by umikyon - Category: General

Comments

mySQL error with query SELECT c.citem as itemid, c.cnumber as commentid, c.cbody as body, c.cuser as user, c.cmail as userid, c.cemail as email, c.cmember as memberid, c.ctime, c.chost as host, c.cip as ip, c.cblog as blogid FROM nucleus_comment as c WHERE c.citem=7065 ORDER BY c.ctime: Unknown column 'c.cemail' in 'field list'

No comments yet

Add Comments