Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2018-06-20

紫陽花の誘い─郷土の森あじさいまつり

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 どこかで、あじさいがみたいと思っていた。近所で、あちこちで見かけるアジサイを、名所のようなところでなくともいい、すこしだけ、まとまって咲いているのを見たいと思った。
 そんなとき、府中であじさい祭りがあると知った。「郷土の森 あじさいまつり」(二〇一八年五月二六日〜七月八日)。うちから車で割と近くなので、土曜日に出かけてきた。出かけるのもひさしぶりだ。場所は正確には府中郷土の森博物館。森全体が博物館になっているフィールドミュージアム。本館として、企画展や常設展、プラネタリウムのある建物ももちろんあるので、最近まで博物館とは、そこのことだけだと思っていた。けれども、移築復元された建物群、森というか、園の植物たち、すべてを含んで、博物館というのは、心地よい。ここには村野四郎記念館もある。

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 駐車場から、博物館入口にゆくまでの間に、物産館がある。そこをのぞくのも結構楽しい。観光に来た、というのとはすこし違う。旅と日常の境界線で売られているものたち。府中育ちの野菜もあり、府中ならではのものもあり。あじさい祭りにちなんだものもあった。アジサイの和菓子、アジサイを模した金平糖がかわいい。府中の森で採れた梅干しも販売されている。これは、前に梅祭りで来たときに買ったことがあった。
 そして、森へ。博物館へ。正直、あまり期待していなかった。これはわたしの側の問題で、このごろ、心がすこしばかり、下向いていたから。たぶん、それではいけないと思って、出かけることにしたのだろうけれど、アジサイを見て、自分が心をふるわせることができるとは、思っていなかったのだ。それでも、見に行きたいなあと、どこかでぼんやりと思っていた。そんなはざまに、わたしはいた。
 本館を通り過ぎ、復元建物たちが見える。建物の横で、もうアジサイたち。どこかでふわっとなった。心のなかの扉がすこしだけひらいて、そこから、なにかたちが、ふわっと、出ていった。それがアジサイたちに向かって。何をいっているのか。自分でもわからないが、アジサイたちが、わたしに開いてくれたと感じた。アジサイたち、小径沿いのたくさんの、咲きそろった花たちを、見つめる。そのとき、ひさしぶりに、つつみこまれるような、やさしさを感じることができた。すこしむせそうな、花たちとの逢瀬。

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 天気は、曇り、ときどき少しの雨。散策するのにも、アジサイを見るのにも、ちょうどいい、そんな気候。アジサイは晴れた日差しがさんさんと降り注ぐなかで咲いているのを見るよりも、雨に濡れた花を見る方が、なんとなくしっくりする。こちらの勝手な思い入れなのだろうけれど。あるいは曇り空の下で、あざやかな色の花を見る、イメージ。
 郷土の森のなかで、アジサイたちは、思ったよりもあちこちに咲いていた。アジサイに囲まれている気分になったというよりも、森の緑のなか、アジサイを通じて、季節と向き合っている、そんな気がしたのかもしれない。アジサイの向こうに、たとえば梅林があった。今はもう梅の実も収穫され、葉を茂らせた木々となっている。そして蝋梅。以前梅祭りで訪れたときに、蝋のような花びらに惹かれたものだったが、それがなんと実をつけていた。季節が変わっている。彼らの時間が、別に過ごしてきた、別の人生が、一瞬だが感じられた。
 ネムノキも花を咲かせていた。多分、もう盛りは過ぎていたのかもしれない。けれども見ることができて、よかった。なんとなく子供の頃から好きなのだ。夜になると葉をとじて眠る、その姿がいとしいと思った。仲間にオジギソウがある。マメ科ネムノキ亜科。こちらは夜になると葉を閉じるだけでなく、葉に触るだけで葉を閉じてしまう。生き物のようで、好きな植物だった。葉に触って、眠らせることを繰り返したので、父に叱られた記憶がある。かわいそうだからと。そう、これも子供の頃の記憶。わたしの時間は、父と植物とともにあった、過去に、依存しているところがある。止まっているとまではいわないけれど。ネムノキがオジギソウの仲間だと知ったのは、あの頃だ。オジギソウは近頃、あまり見かけなくなったが、ネムノキは、どこかで、たまに、たとえば、こんなふうに。その度に、あの、父とともに、オジギソウを、すこしだけ思い出すのだった。

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 そういえば、アジサイもまた、そんな思い出があるかもしれない。父はガクアジサイを育てていた。ガクアジサイは、額紫陽花と書く。中央の小さな花、つぶつぶとしたものを装飾花が額が囲むようにして咲く。日本古来のもので原種に近い。ちなみに普通にアジサイと呼ばれるものは、ホンアジサイと称されていて、西洋で品種改良した、つぶつぶの中央がない、装飾花だけのもの。本来はあのつぶつぶとした中央がおしべやめしべを有した花なので、それをほとんど持たないアジサイは株分けや挿し木などで増やすのだとか。
 うちには、ガクアジサイがあった。だから、だろうか、あのつぶつぶとした花を持つ、その姿に今も惹かれる。色は青か紫。もちろん、通常のアジサイ、ホンアジサイにも、心を寄せるのだけれど、家にかってあった、というだけで、ガクアジサイにいっそう思い入れを感じてしまうのだった。
 けれども、ここ、府中の森で、アジサイたちを見て、その区分が、ごちゃまぜになって、それがうれしかった。ガクアジサイもホンアジサイも、咲いている、ほぼ満開、かれらの姿が見れてよかった。彼らに包まれるような感じが、また味わえてよかった。ふわっとした、曇り空のしたの、やさしい時間。わたしはまた、彼らのもとに帰ってくることができたのだろうか。

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 睡蓮の池があった。復元した水車小屋、田んぼなども。何かが帰ってきてくれたようで、彼らが優しかった。
 本館にも足を踏み入れる。常設展の、特に縄文時代の土器たちが見たかった。武蔵台遺跡の土器と石器、清水が丘遺跡の縄文中期の土器、本宿町遺跡の土偶。縄文土器、土偶たちに会うのもひさしぶりだと思った。また、わたしに、やさしい時間をくれた。そうだ、家にも土器のかけらがあるんだっけ。また触ってみたくなった。
 本館のミュージアムショップで、珪化木の化石を見た。植物の化石だとか。いつか買ってみよう。『府中市郷土の森博物館 常設展ガイドブック』という冊子を買った。
 また、彼らと出会うことができるのだろうか。すこしずつ。彼らがではない、わたしが心を。アジサイたちが、満開だった。

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posted at 00:01:00 on 2018-06-20 by umikyon - Category: General

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