Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2018-11-05

出合いたちの重なって─加曽利貝塚縄文秋まつり

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 十一月三日の文化の日、千葉にある加曽利貝塚の縄文秋まつりに行ってきた。
 去年、はじめて出かけて、魅力的な場所、催しだったので。祭りは十一月三日、四日。春まつりもあるらしいが、こちらはGW中で、道が混みそうだから、遠慮した。
 加曽利貝塚は、縄文時代中期(五〇〇〇年前)の北貝塚と、後期の南貝塚(約四〇〇〇〜三〇〇〇年前)でちょうど8の字の形になる、日本最大級の貝塚。二〇一七年の一〇月に国の特別史跡に指定されていて、貝塚博物館のある公園として整備されている。正式名称は加曽利貝塚縄文遺跡公園。ここから出土された土器は、発掘地点をアルファベットで区切っていたが、そのB地点から、縄文時代後期(約三五〇〇年前)の土器が、E地点から、縄文時代中期(約五〇〇〇年前)の土器が、出土していて、それぞれ、加曽利B式、加曽利E式と呼ばれる。これは主に関東地方で出土され、土器の年代を推測するための指標となる標式土器となっている。土器の特徴は、計測器(キャリパー)のようで、逆三角形に近く、火炎型土器のような装飾の派手さが抑えられつつある感じ。

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 去年は、ちょうど特別史跡に認定された年だったから、縄文秋祭りも、宣伝に力がはいったのだろうか。都内の電車の吊り広告か何かで、見つけたのがきっかけだった。物販、縄文体験、そして潮干狩りで形だけしっていたちいさな巻貝、イボキサゴが大量に貝塚から出てきていた…、名前を知った喜び、それらで素敵な、大切なイベント、思い出となったものだったので、今年もずいぶんと前から、楽しみにしていて、出かけたのだった。
 二回目だったから、初めての時のような、見知らぬことと出合った、そんな驚きに満ちた喜びは少なかったかもしれないが、今年も、楽しかった。もちろん、はじめて知ったことも、今年も多々あったのだが。
 そのまえに、順を追って。お祭りが十時からだったので、開始に間に合うように車で出かけて、着いたのが九時四五分ぐらいだったか。ちょうどいい感じ。九時から開いている加曽利貝塚博物館の中をざっと見る。ああ、そうだ、ここも触ることのできる縄文土器片があったのだなあと思い出す。それと黒曜石の塊も。黒く光って、実用に使われた美でもあった。
 あと、去年はおそらく気づかなかったのかもしれない。丁寧に埋葬された犬の骨。レプリカだったが、本物そっくりだった。ちなみに本物は「発掘された日本列島2018  ─新発見考古速報」展で巡回中。わたしは今年の夏に江戸東京博物館でそれを見た。本物の犬は全国を旅しているのだなあと、ふっと思う。ちなみに前にも書いたけれど、それがあるから、加曽利貝塚のイメージキャラクターは、カソリーヌという犬になっている。帽子に加曽利式の土器をかぶって、ネックレスにイボキサゴをつけて。
 企画展「あれもE これもE」として、千葉で出土された加曽利E式土器の様々を比較していたので、もうすこしゆっくり見たかったが、十時になりそうだったので、物販コーナーへ。
 実はお祭りが始まる前に、縄文土器タンブラーを売っているのを見たのだ。売っていることはHPなどで事前に知っていたのだが、実際に見て、思ったよりも、ずっと素敵だったので、迷わずに購入を決めた。だが、まだ開店前だった。三日にしか売っておらず、しかも、どうも六点限定らしい。手作りなので、微妙に見た目が違う。売り切れも心配だったが、選びたいというのもあった。十時に再度いったが、わたしと連れと同時にもう一人購入していて、あと残り三点になっていた。ちなみに、それからすぐ、残り三点もなくなっていたから、やはり早くに見つけて、求めることができて良かった。ちなみに、加曽利E式で、底が狭いので、安定が悪い。台座も買う。台座にはカソリーヌが陶器のワッペンみたいに付いている。縄文土器と違って、タンブラーには、内側に釉薬のようなものがかかっている。そうしないと注いだものがしみてしまうからだろう。わたしはその釉薬が茶色のものを、連れは黒いものを買った。
 その後、土器のレプリカが抽選で当たるというので手続きをしたり、石器による魚の解体ショーをみたりした。学芸員さんの腕もいいのだろうけれど、鯛が黒曜石などで三枚におろされるのが、スムーズで、すこし驚いた。このあたりの黒曜石は神津島のものだとか。おろした魚は復元住居の中の炉で燻し、あとで頂くらしい。燻すことで、保存が聞くのだとか。
 十一時からボランティアさんの遺跡ガイドツアーがあるので、途中まで参加した。のっけから驚いたのは、今立っている場所、というか、あちこちに貝塚の貝が露出しているということ…。落ち葉やドングリに混じって、白い化石のような貝の数多…。これが貝塚の貝たちなのだと。ドングリは拾ってもいいですが、この貝や土器は持って帰るのは禁止です、と言われた。え、土器も露出したりしているのかしらとびっくりしたが、それよりも、去年も、そして言われるまで、足元を見なかったのだろうか、花たちが咲いているのや、ドングリが落ちているのはわかっていたが、貝塚の貝たちには、まったく気づいていなかった。だが教えてもらってからは、もう、貝だらけ。あちこちに白い貝の骨のようなものたちが。あとで、レジャーシートをひいて昼食を食べたのだけれど、その周りにも貝だらけで、こんなところでご飯をたべるなんてと感慨があった。そして、いわれるまで眼にはいってこなかったということも妙だった。まるで名前のようだ。名前を知るまで、わたしにとって存在が不確かだったものが、名前によって存在しはじめるような。

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 それと、この公園の森がなかば縄文人がみていた風景でもあるのだということ。木々も植物も、当時の植生を調べたうえで、植えているものだといっていた。クヌギやコナラ、スダジイ、クリなどのドングリがなる木たち。
 このことは、去年もなんとなく知っていた。けれども、いわれてみると、やはり、いっそう植物たちが、縄文をつたえてくれるような気持ちがした。あとで散策したとき、アザミ、そしてリンドウが咲いているのを見て驚いた。アザミは、どこかで普通に咲いているのを見たことがあったが、リンドウは、こんなふうに自然に近いかたちで咲いているのを見たことがなかったと思う。鉢植えか、栽培品種になった、もっと丈のたかいものでしか。

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 そのあと、貝層断面観覧施設へ。古い北貝塚と南貝塚両方。両方ともイボキサゴがあったが、より新しい南のほうは、ハマグリなどの大きな貝が目立った。理由はそうだとは断定できないけれど、一〇〇〇年のうちに、食べ方に変化が起きたのでは、とのことだった、たとえば大きいほうが食べやすいとか。
 もっと聞きたかったが、十二時からイボキサゴスープのふるまいが別の会場であったので、そちらに行った。
 去年も食べたのだけれど、これも名前をしって、特別な存在となった、イボキサゴにもっと接したかったのだ。異説はあるだろうけれど、おそらくダシや塩分摂取のために、とられたであろう小さな貝、イボキサゴ。縄文中期以降の加曽利貝塚は、やはり、今とあまり変わらず、海から数キロ離れていたとか。貝塚公園の端っこに、港ではなかったかという坂月川があった。その川から海の方を眺める。海は見えなかったが、あそこから、イボキサゴはやってきたのだろうか、あるいは黒曜石も。

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 今年もイボキサゴスープを頂いた。そして、煎ったイボキサゴも。こちらは爪楊枝で、身をほじくりだして頂く。こちらのほうがイボキサゴ本来の味が楽しめておいしい。ほじくり出すのは少々手間がかかったけれど、それも愛嬌。食べた貝、殻になったそれを数個持ち帰った。
 土器抽選会(見事に外れた)、イボキサゴグッズの販売、公園内の散策、博物館の見学、それらで会場には、なんだかんだで、今年も結構いた。午前九時四五分から午後二時過ぎ。名残惜しいが、帰ることに。途中、幕張のパーキングエリアで千葉の物産を見る。八街の落花生を買った。家で、さっそくタンブラーで、お酒を飲んだ。大きいので、すぐにお酒がなくなってしまう。落花生をつまみに、そして物販で買った、やはり千葉の物産の枝豆も。枝豆はもう本当に最後なのだろう、こちらではせいぜい九月末までだった。今年最後の特産品をいただけて良かった。そういえば、石器による解体ショーでだったか、学芸員さんが、縄文の人たちは地産地消、そして旬の食べ物を味わっていたと言っていた。保存なども難しい時代だ、それしか選択肢がない、だが、それはそれですばらしいことだ。その季節ごとの食材を、一期一会として味わうこと。贅沢とはいえない、当たり前が、大切なことだったのだ。
 知ったことたちが、やさしく、おだやかに、よりそってくれている。名前たち、過去たち。イボキサゴという小さな貝が、ますます愛しくなった。その貝の化石たちが、あちこちに。来年も行くのだろうか。いけたらいいなと思う。また、小さな出合いたちがあるだろう。




posted at 21:14:33 on 2018-11-05 by umikyon - Category: General

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