Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-04-07

今年の桜は。

null

 体調があいかわらず、すこし不調。その間に、風邪もひいたようだ。前回書いてから、今日まで、もう半月になってしまった。三月から四月へ。この期間に、いろいろあった。あたらしい元号が発表になった。桜が三月末から見頃になり、もはやその時期を終えようとしている。
 今年は身体がきついなと思いつつ、例年、桜の頃になると、足を運んでしまう、うちの近く、仙川沿いの桜並木を見に、何回か出かけた。
 何回か書いているけれど、仙川は基本的にコンクリ−トで護岸工事されているので、なんとなく、ものがなしく、桜が咲く頃でないと、ほとんど通らない。もうひとつの近くを流れる川、野川は自然に近いかたちで護岸されているので、こちらはよく通るのだけれど。


null

null

 ともかく、その仙川に毎日のように桜を見に行った。最初は、まだまだだなあと、なかば信じられない面持ちで。なにが信じられなかったのか、毎年、どこか狂想ということば、なのか、狂った、幻想、ということばなのか、どこかがこわれている、日常が平然と非日常になる、そんな違和をも内包した、あたり一面の静かな狂乱に、心がざわめく。その状態にまだなっていないことで、あの得体の知れないような狂の空間になることが、まだ信じられないと思うのだった。だから、憑かれたように桜をみてしまう。そして、一日、一日経つうち、三分咲き、五分咲きと、花が満開に近づいてゆく。そのうちに夢と現実の境にかかる橋として、桜たちは枝をわたす。春が全開でやってきた、その象徴のお祭り、のような。祭りと日々が、共存している、それが春のソメイヨシノといえるかもしれない。信じられなさが、日を追うごとに薄れてゆき、気がつけば、この空間のとりこになっている。

null

null

 場所は仙川沿い、東宝撮影所の近く、成城一丁目付近。この桜に魅せられて、もう十五年ほどになるかもしれない。
 川に桜が映る、護岸された苔むしたあまり綺麗といえない岸辺が、このときばかりは美しくなる。川に映った桜、それに覆い被さるように咲く桜、さらに散り始めてしまうと、桜と川のあいだに花吹雪になって、四方八方、桜だらけになる。この狂をどう表現したらいいのか。
 気がつくと、仙川をぐるぐる回っている。何度も何度も。もういいじゃないかと、どこかで声がする、けれども、同じ場所を、桜たちをみてしまう。みるたびに表情がすこし違うように感じられたのかもしれない。雲の位置が変わる、日差しが翳った、川面に花びらが散った、鳥が着水した、一歩歩いただけで、桜の見え方が変わるというのに、なんと瞬間は永遠なのだろうか。この変幻は、やはり、魔だった。

null

 仙川だけでなく、近くのお寺の桜も見に行った。ふたつのお寺。どちらもライトアップされるらしい。ありがたいことだ。
 わたしは朝早い仕事の関係で、夜出歩くことがなく、なかなかライトアップされた桜を見る機会がない。言い忘れていたけれど、仙川の桜も、東宝撮影所の好意というか、無償で数日間ライトアップされている。ある午前中に、照明機材を設置して回っているのをみて、どこか心が微笑んだ記憶があった。

null

null

 ともかく、ライトアップ。四月六日の土曜日のこと、次の日曜日、早朝バイトが休みだったので、家人と、夜ご飯を食べに出かけた。帰りにライトアップされた桜を見ることが出来た。
 何回も昼間や午前中にみていた、立派な桜の木。一本だけだが、大木で、その桜だけで静かな威圧感が感じられる。昼間とはちがう表情。桜自体が夜の中で白く発光しているようにも見える。この桜は、ほんの少しだけ、開花が遅かったので、六日ぐらいだと、ほかの桜は早いものはそろそろ葉桜になりかけているものもあったけれど、ちょうど満開といっていいぐらいだった。ほんのすこしだけ、花びらが散り始めて。

null

 話は前後してしまうが、仙川の桜を見た帰り、さらに家の近くの公園の桜も見て回る。野川沿いにあり、野川に面した桜も見応えがあるのだけれど、田んぼが復元されていて、いまはそこにレンゲが咲きはじめているが、その田んぼの用水沿いに何本か桜が植えられていて、それがとくに目当てだった。五日の金曜日だったか、用水にカルガモが泳いでいるのを見つけた。めずらしく桜といっしょに写真に撮ることが出来た。菜の花も咲き、タンポポも咲いている。公園の入口にしだれ桜も何本かあって、そちらはすこし開花時期がずれていて、まだ三分咲き、四分咲きぐらいだったが、次の土曜日に通ったら六分咲きぐらいになっていた。

null

 仙川の桜の前や後に、数回、成城学園前の住宅街の桜も見に行った。桜並木となっている場所があるのだ。こちらも綺麗なのだが、下が川ではないからか、それに車も通る道なので、あまり桜に見とれてばかりいられないということなのか、狂というほどではない。だが、せっかくの桜だ。桜がアーチ上になっているところを歩くのは素敵だった。
 そのほか、仙川の桜(ここが標準地点となっているのがおかしい)の後で、世田谷通り沿い、大蔵に向かう坂の桜並木も見に行った。こちらは桜よりも、大蔵三丁目公園の湧水で出来た池が目当てだった。池のまわりに桜はないのだが、花びらが散って澄んだ池面に浮いている。

null

 そのほか、こちらは家人と車で通ったのだが、和泉多摩川、狛江の多摩川沿いの桜も。六郷桜通りというらしい。七日の日曜日も通ったが、盛りをすぎた満開といった感じだった。この日はお祭りも開かれていたので、ぎりぎり、桜の見頃と重なってよかったなあと思う。せっかくのお祭りだもの。
 多摩川の土手下で、レジャーシートを敷いてお花見をしている人たちが目立った。お花見といったけれど、ほとんどの人が花を見ていないようだった。にぎやかに飲んだり食べたりを楽しんでいる。それはそれで、桜を愛でている、春を感じている、ということなのだろう。
 そういえば仙川の桜を見に来ている人たちのほとんどが、わたしをふくめて、ただ桜の花を見に来ている。土曜日はちらほら、レジャーシートを敷いて食事をしつつ花見をしている人たちもあったが、それが例外的といっていいほど、桜に足をとめ、眺め、写真を撮っている人たちばかりなのだ。この花を愛でている人ばかり、というのも、わたしが足繁く通う理由の一つになっているかもしれない。

null

 五日の金曜日、野川(仙川ではない)の橋の上で、花のついた桜の枝をひろった。子どもが折りでもしたのだろうか。桜がくれた贈り物のような気がして、連れて帰る。いつかも、こんなことがあった。やはり野川近く、田んぼのある公園でだったか。桜の枝をもちながら、公園の桜を見に行った。手折ったのがわたしだと思われないかしらと、いらぬ心配をしながら。
 家に帰ってきて、水切りをしてから、コップに花をいけた。家で小さなお花見。日曜日の七日、コップの桜はだいぶ終わりに近づいてきた。七日の今日は仙川に行かなかったけれど、あの桜ももう、見頃を過ぎただろう。六日の土曜、昨日、彼らにお礼をいった。ありがとう、今年も、花をみせてくれて。野川の桜にも。祭りは終わりに近づいている。微熱がさがらない。

null

null



posted at 23:58:00 on 2019-04-07 by umikyon - Category: General

Comments

No comments yet

Add Comments

:

:
: