Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-10-10

古いものが新しさ、日々、教えてくれる加曽利貝塚縄文秋まつり

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 少しここを空けてしまった。その間に、まだ暑いときもあるが、だいぶ秋が進んできた。彼岸花も咲いた、いや、もう殆ど終わり。好きな花で、毎年、埼玉県の巾着田に群生を見に行っているのだが、今年は例年よりも開花が遅れていて、九月末から十月初旬が見頃だというので、十月の土日に行こうと思っていたのだが、何気なく調べたら、思いがけず、これもこのところ毎年出かけている、千葉の加曽利貝塚の縄文秋まつりが、十月五日、六日に開催されるという。去年もおととしも十一月三日あたりに開催されていたから今年もそうだと思っていたので、一ヶ月ほど早いことにびっくりした。そして開催される前にわかって心底良かったと思った。そう、彼岸花は残念だが、加曽利貝塚のほうに行くことをすぐさま決めた。もしかするとあの遺跡公園で彼岸花が咲いているのを見ることができるかも……という頭もあった。

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 加曽利貝塚は、縄文時代中期(五〇〇〇年前)の北貝塚と、後期の南貝塚(約四〇〇〇〜三〇〇〇年前)でちょうど8の字の形になる、日本最大級の貝塚。二〇一七年の一〇月に国の特別史跡に指定されていて、貝塚博物館や貝層断面観覧施設のある遺跡公園として整備されている。正式名称は加曽利貝塚縄文遺跡公園。ここから出土された縄文土器は、発掘地点をアルファベットで区切っていたが、そのB地点から縄文時代後期(約三五〇〇年前)のもの、E地点から縄文時代中期(約五〇〇〇年前)の土器が出土していて、それぞれ、加曽利B式、加曽利E式と呼ばれる。これに似たものは主に関東地方で出土されており、土器の年代を推測するための指標となる標式土器となっている。土器は逆三角形に近いかたちのもの。

 公園には竪穴式住居の復元したものもあり、縄文ゆかりの植物も植えられている。博物館では今年は企画展として「写真で見る加曽利貝塚の万葉植物」(九月七日─十一月四日)が開催されていた。
 祭りは物販、飲食の販売、ステージイベント、縄文土器が当たる抽選会、火おこしや弓矢、縄文服の試着、ガイドツアーなど、盛り沢山。今年は人数を限ってだが、発掘調査体験も行っていた。現在、実際に調査している現場に入るという。
 十時開始だが、博物館は九時から開いているので、九時から十時の間に着くように、車で出発した。
 ほんの少しの雨。うちから千葉は意外と近い。首都高などを使うと一時間強ぐらいで着く。九時すこし前に到着したので、車の中で時間をつぶした。あの森、あの緑深いところが、貝塚だ。
 まだ祭りの準備中の加曽利貝塚へ。博物館にまっすぐに向かい、企画展や常設を見る。企画展は万葉植物のパネル展だったので、ざっと植物たちとそれにまつわる歌をながめた。この常設には、触ることのできる縄文土器片と、やじりなどの原材料となった黒曜石がある。さらに腕輪としてつかっていたオオツタノハ貝を腕にはめてみることができる。それらを順番にさわって感触を確かめた。そして土器や土偶を眺める。久しぶりだなと思う。土たちが感触ごと、わたしにしずかにやさしい。

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 十時すこし前に、博物館の外に出て物販エリアへ。まだ開店前であったが、一部のお店では販売が開始されていたので、さっそく購入した。土器風マグカップと、加曽利式土器の形の箸置きなど。これらは素焼き風だったので、なんとなく土器に近いものを感じた。ほかに、別の店ではTシャツ、手ぬぐい、縄文の人たちが食べていたドングリを使った食べ物、あと何だったかしら。ある店で、レジン樹脂で黒曜石のやじりをまねて作ったものが売られていたが、これはちょっと頂けないなあと思う。なぜ本物の黒曜石を使わないのだろうか。それがオリジナリティということなのかもしれないが、違和感があった。
 十時になり、いよいよお祭りが始まった。縄文土器(加曽利貝塚土器づくり同好会の方々が作ったもの)が当たるかもしれない抽選、発掘体験の抽選に応募したあと、ガイドツアーに途中参加した。また博物館の中に入り、説明を受ける。ガイドツアーに参加するのも三回目だが、毎年発見がある。今年は、千葉で発掘された土偶のなかに、なぜか遮光器土偶(部分)があり、東北から移住してきた人がいたのでは? という話を聞いた。そして、加曽利貝塚で大量に見つかっている小さな貝、イボキサゴ。前回や前々回に聞いたときは、ダシとして使われていたのではということだったが、今回は、細かく砕かれた跡があるものもあり、これはおそらく漆喰のように、壁を補強する目的で使われたのではというのが新鮮だった。
 さらに、現代人よりも身長が十センチほど低い縄文人だが、その骨は現代人よりも太いというお話。展示された屈葬されたかたちの骨を見る。たしかに力強い骨だ。
 円環ということに対して、強い思い入れがあったのではなかったかということも触れられていた。環状列石的なサークル。
 屈葬された人は胎児のような姿でもある。これも円環だと、ぼんやりと思った。
 ツアーの後、復元住居のほうで焼き栗を無料ふるまいしてくれるというのでそちらに行った。焼き栗は熱く、煤がついているが、殻をむいて食べると自然な甘さが美味しかった。おそらくここで作った縄文土器で焼いたもの。
 また、実際に復元住居で火が炊かれていたので、入ってみると、こちらではマテバシイだという、ドングリを縄文土器のなかで煎っていた。こちらも二つほど頂いた。香ばしい木の実だ。

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 ただ、復元住居、台風の影響だったのだろう、だいぶ傷んでいたのが気になった。屋根だったのであろう茅の類いが側に落ちている。そういえば、公園のあちこちで、太い木の枝なども散乱していた。
 焼き栗のふるまいが十一時。この後、急いで昼ご飯を食べて、十二時からのイボキサゴスープの無料ふるまいの列に並ぶ。例年おいしく頂いてはいるが、塩味が薄い。だがこれは当時の再現ならば仕方ないのだろうか。イボキサゴは小さな巻き貝で、身は取りづらいといえばそうだが、爪楊枝があれば、食すことができる。小さなサザエのようで、美味しい。前にも書いたが、わたしはこのイボキサゴ、この加曽利貝塚で名前を知る前から、名を知らぬかわいい巻き貝として大切に思っていたので、愛着があるのだ。

 今年はクラフト体験で、「黒曜石アクセサリーづくり」というものがあったので、珍しく参加してみた。黒曜石のネックレス。縄文時代に使われていた、あのキラキラした黒い光のやじり、ナイフ的なものを身につけてみたかったのだ。
 紐で網を作って、そこに黒曜石を入れてペンダントトップを作る。黒曜石は隠岐、長野、北海道、三つのうちから一つ自由に選べた。各地方で、少しずつ黒曜石の感じが違う。すこしくすんでいたり、はっきりとした黒だったり。個人的には長野のものがいちばんしっくりした。ガラス質の光を放って、わたしが黒曜石に抱いているイメージにいちばん近いというか。
 アクセサリーは今まで全く作ったことがなかったので心配だったが、なんとか完成させることができて良かった。子どもの頃から、基本的にこまごましたものを作るのが好きだったことも役立ったのかもしれない。
 ただ、所用時間が四〇分から一時間ということだったが、それ以上かかってしまい、連れ合いを待たせてしまったのがちょっと申し訳なかったが。

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 そうこうするうち、祭りはほぼ終わり。ちなみに抽選でもらえる土器、発掘体験、どちらも当たらなかった。だが参加するだけで楽しかった。発表を待つとき、それでもすこしドキドキしたし、その感触が新鮮だったので、それだけで良かったのだ。
 施設は土の匂いがした。くすんだような温もり。断面は自然と人がつくった美しい作品のようで、心にしみる。貝たち、イノシシの骨、土器もまざっている。

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 公園内の彼岸花はもうすっかり終わっていた。アザミが咲いていた。ムラサキシキブの紫の実が色付いていた。これが今日みたリアルな万葉の植物なのだなあと思う。去年はたしか、リンドウを見たのだったっけ。

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 毎年、このお祭りに行くと新しい発見がある。だが、それは本当はどこででもそうなのだ。


posted at 00:01:00 on 2019-10-10 by umikyon - Category: General

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