Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-12-15

ねむり女は煙草をすう

 またここをあけてしまった。
 この期間、何をしていただろうか。原稿で、夢のことを考えていた。その関係で、珍しく、夢で覚えていられるものがいくつかあって、書き留めていた。
 本当はもっと、毎日、夢を覚えていたいのだが…。
 夢の話と日記はつまらないと言われる。そこには“わたくし”の要素が大きいからだろう。他人の関与する要素がすくない。
 だが、ごめんなさい、ここをあけていた間に綴った夢のメモを今回は載せておきます。なるべく、“わたくし”を消しながら…。


11月17日 日曜日
 金魚の夢。旅館の渡り廊下のようだ。ずいぶん光沢のある板張りの廊下の真ん中に台があって、そこに大きな金魚がいる。ラクビーボール大で、大きな鯛ほどもある。二匹は水槽に入っているのだが、あとの二匹は水の外、水槽の脇にいて、こちらを見ながら口を開けている。
 廊下の左壁に鏡台があり、櫛やアクセサリーなどが置かれた台の上で、やはり水の外にいる金魚が、口を開けて、こちらを見ている。
 仲居さんのような人が通りかかったので、金魚たちを、はやく水にいれてあげてくださいと頼む。
 だが、言うことが理解できなかったのか、生返事をして去ってしまった。
 わたしは、どうも、何人かの人と史跡巡りのようなことをしていて、その途中で大きな金魚たちに遭遇したようだ。
 持っていた鍵で、蔵のようなところを空ける。次に来るであろう詩人のエスさんに、鍵を渡さないといけないと思っている。
 水の外の金魚はどうなるのだろう。だが、口を開けてはいたが、苦しそうではなかった。
 ああ、あの金魚のまなざしは、子どもの時にみた、夢のなかの魚のまなざしだと、今思い至った。
 あるいは子どもの頃にみた物語のなかの魚。こちらを見ているが、実はこちらにあまり関心がないような、どこか覚めたまなざし。そして魚だからか、ぬれたような瞳、そうしてどこか暗さをたたえている。
 わたしはあのまなざしになぜか惹かれていたのだった。無関心そうな目だったから、よけいにだったのかもしれない。
 夢のなかの大きな金魚はどうなったのだろうか。


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11月24日 日曜日
 比較的、はっきりとした夢だ。
 誰かの子どもを預かっている。手をひいて歩くが、急いでいたのかもしれない。ここに置いて待っていてもらうということはできないんだよなあ、どうしようかと考えている。商店街というか駅ビルのなかのショッピングモールのような場所。屋根があって、通りの両脇に店が並んでいるが、都心の駅ビルのなかにあるより、派手さがない。
 抱きかかえることにする。すると、どうしたことか子どもはとても小さくなる。手のひらにおさまるぐらいの胎児のようになってしまった。わたしには子どもがいないので、猫よりもちいさいんだなと、自分がともに暮らした猫を物差しにするしかない。これなら抱いてつれてゆくことが出来る。
 そう思ったことで気持ちが安心したのか、子どもの姿が夢から消えた。今度はビルの四階か五階ぐらいの窓から、人が飛び降りようとしている。わたしは地上にいて、飛び降りるのをやめるようにいう。じつはそれからのことはあまりおぼえていないのだが、ビルの上の階の窓からと、地上で普通に会話している。まるで飛び降りるといったことがなかったように。しかも人数が増えている。そのうち、お茶でもいれましょうかと、奥から女性の声がした。わたしはビルの下にいるのにと不思議に思うが、次の場面では、もうその窓のある部屋にいた。ソファーに座って数人と談笑している。飛び降りようとしていたのは、誰だったのかしらとふと考えている。お茶をいれてくださった女性ではなかったかしら。では話していたのは誰だったのか。
 部屋のなかには数人いたが、部屋に住んでいるのは、お茶をいれてくれた女性と、眼鏡をかけて短髪の、男性にしかみえないが女性だという人の二人。このうちのどちらかが飛び降りようとしていたことになる。だが、仲がよさそうだ。さっきまで外は明るかったが、もはや夜。窓の外に月が見えた。月明かりのなかで、この二人が、なにかすてきな、大切なことを語ってくれたのだが、覚えていない。このあたりで眼がさめた。

12月2日 月曜日
 高校の時に仲の良かったキー子と一緒に居る。大学の講義が行われていたのだろう、講義室を抜け出して、二人で外に出た。庭のあちこちに桜の木があるが、咲いていない。だが、注意深くよく見ると、何本か……というよりも、けっこう咲いている。しだれたもの、色がすこし濃いもの、斑のはいったもの、八重の物、うすい白、そしてソメイヨシノ。一分咲きぐらいだ。いや、最初にみたよりもあきらかに咲いている。まるで注視することで咲いたかのように。
 キー子にそれを教えると、カメラを取ってくるという。わたしも講義室に戻る。机の中からスマホを取り出す。なぜ、置き忘れたのかしら。いつも首からさげているというのに。講義は今まさに行われている。先生はなんとも思わないだろうか。でもたしか、わたしたちは受けなくてもいいはずだ。
 彼女は小さなバッグをもっている。あれで全部入るのだろうか。
 わたしは外に出て、桜の木の下で、たばこを吸おうとした。そしたら、顔見知りの男が一本くれないかという。さっきもあげた男だ。年は二十代代前半ぐらい。だがわたしももうあまり持っていない。「ちょっと待って、買ってきたらあげるから」。そうして、いっしょに買いに行く。駅のホームのようなところの自販機。高い。五〇〇円以上している。今度は有人販売のところで、四本入り二七〇円というのをようやく見つけて、それを買う。これでわたしが元から持っているのとあわせて八本……。わたしが吸う分があるだろうかと不安になる。このごろはほとんど吸うことがないから足りるかもしれない。それにしても男もすこしはお金を出してくれたらいいのにと思いながら一本あげる。
 そのあとで、洋服屋にはいった。キー子も一緒だ。暗い感じのジーンズとか売っているカジュアルな店。キー子がさわったり、なにかを買った後と、わたしのその行為のあとで、マネキンの着ている洋服が変わっている。紫のめだつ服とミニスカート。これはキー子の後だ。わたしのときはどうだったかしら。
 このあたりで眼が覚めた。眼をさます刹那、ああ、煙草は…、よかった、吸っていないんだっけと思う。煙草をやめてもうかなりになる。夢のなかではいまだにまだ煙草を吸っていることがよくあるのだった。キー子とは二十歳ぐらいの頃から没交渉だ。会いたいとは思うのだが。どこで何をしているのかわからない。

12月6日 金曜日
 家人に、すぐに帰るようなことをいって、もう二時間以上たっている。その間、書き上げた原稿をわたしたり、逆に原稿依頼をしにいったり。電車に乗って移動している。来たことのある場所だなと思う。どんどん景色に緑が多くなってゆく。そのことにほっとしている。山のほうに来ているようだ。前に来たことのある、滝と渓流のある場所だと夢のなかで思う。青璋の滝と書いてあった(現実には存在しない。だが、現実で泊まった宿の名前に似ている)。駅を降りるとお寺の門のような改札だ。ここから右にゆくと、川の奥が滝だが、用事があったので左にゆく。ここで、詩のイベントがあったのかもしれない。Nさんとすれ違ったので挨拶する。前日、眠る前に、業務連絡的なメールが来ていたので、それで出てきたのだろう。ずいぶん前につきあっていた人ではあったが、もはやそうした事実が夢のなかでも他人事になっている。
 用事をすませ、改札にもどり、家人に電話する。家人は心配しているのだろうか。すこし怒ったような感じだ。
 この滝までくると、電車の本数があまりないんだよなと思う。だが今日はあと三十分ほどで電車がくるようだ。時間が早いからだろうか。高田馬場行きだと行っている。夢のなかでは当たり前だと思っているが、これも存在しない路線。
 覚えているのはこのあたりまで。


 夢のメモはここまで。
 これを書いている今日みた夢は覚えていない。なにかはっきりとした夢をさっきまで見ていた筈なのだが。
 十二月にはいり、バイトが繁忙期になってしまった。つかれた頭で、公園などの前を横切る。最近まで、紅葉していたのだが、もはや色付いた木々の葉も落ちてしまっている。自転車の車輪が、かさかさとした葉たちを踏む。ああ、紅葉していたとき、桜の花が咲くように葉が染まっているところを、もっと、ちゃんと見ておきたかったなあと思ったが、もはや桜たちも冬木立となっている。二度咲く桜……、そう呼んでいたものだったが。花たちが終わり、葉も散った。あとは実たちが華やかだ。鳥たちも増えてきた。


posted at 10:00:36 on 2019-12-15 by umikyon - Category: General

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