Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2019-12-25

命なりけり、小夜の横浜──縄文と弥生展(神奈川県立歴史博物館ほか)

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 このところ、博物館とか美術館とか、そういったものに出かけていないなあと、ふとインターネッドなどで探してみたら、「令和元年度 かながわの遺跡展 縄文と弥生」というのが、神奈川県立歴史博物館(二〇一九年十一月二七日─十二月二十二日)と綾瀬市役所(二〇二〇年一月九日─一月二十六日)で開催とのことを知った。
 神奈川県立歴史博物館の最寄り駅は馬車道。知ったのがもうこの場所での開催終了間近だったので、急いで出かけてきた。
 バイトでけっこう疲れていた。でも出かけなければいけないと思った。言葉たちが、そうしないと、わたしのまわりにやってこないから。言葉たちと言葉を交わすこと、言葉たちのなかに身を置くこと。それは厳密には言葉ではない、言葉を通じて彼らと出会うこと、そのなかにいるには、なにかそうした場所が必要だった。

 出かけると決めたその日は、平日で、冬のなかでは暖かい晴れた日だった。今日しかないだろう。絶好の博物館日和だ。どこかで、もう今年最後の博物館、展覧会なのだろうなという思いがあった。
 馬車道というと、なんとなく遠く感じる。だが、家から自転車で数キロで二子玉川駅に行けるので、そちらからなら横浜界隈は自分でもいまだに慣れないのだが、びっくりするほど近い。



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 横浜を遠く感じるのは、小学生の頃から大人になるまで、地理的に実際に遠い埼玉に住んでいたことがあり、その印象もある。それと、両親が離婚してから後、わたしと父と二人で、横浜の中華街を散策した記憶とか、そうしたことが影響しているだろう。あるいはちょうど中学生の時に名画座だったと思うが(テレビだったかも)、映画『チャイナタウン』を観た記憶がどこかに優しい影を落としているのかもしれない。
 ロマン・ポランスキー監督、ジャック・ニコルソンとフェイ・ダナウェイ、一九七四年。映画はよく覚えていないが、見終わったときの感覚が、後をひいて、心地よかった。べつに横浜の映画ではないが、チャイナタウンつながりで、とにかく、どうにも横浜というと、心が騒いでしまうのだった。
 で、馬車道だ。二子玉川から、東急線、みなとみらい線などでゆく。地下道から最寄り出入り口を昇って外に出ると、、突然、神奈川県立歴史博物館がそびえているのに出くわす。

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 ドイツの近代洋風建築、竣工は一九〇四年(明治三七年)、もとは横浜正金銀行本店だったという。一九六七年(昭和四二年)、神奈川県立歴史博物館として開館された。レンガ造りの建物が古さを帯びて建っているのが、街になじんでいる。他にも古いレンガ造りの建物、ビルヂングと呼びたい建造物が垣間見られたから。
 いい加減な感想だが、神戸みたいだなあと思った。神戸に旅行で出かけたことが何回かある。その時に、明治期の建物たちが港付近に残っているのをみて、維新的なもの、洋風への憧れ、富国強兵などもあっただろうが、そんな息吹を感じたことがあったのだが、それと似た面持ちを、時を経て、ここ横浜に感じたのだ。
 もっとも神奈川県立歴史博物館がこうした建物だったことは、予備知識がなかったのでうれしい驚きだった。

 さて、展覧会。HPやチラシから。
 「 縄文時代から弥生時代への移り変わりは、狩猟採集社会から稲作農耕社会へと変化を遂げる転機であり、歴史上の大きなターニングポイントであったといえます。
 神奈川県域をはじめとした関東地方や中部高地では、縄文時代中期に極大化した遺跡数は、後期を迎えると減少に転じ、後期後葉以降から晩期にかけて激減します。
 その背景として、世界的な気候の寒冷化により植生が変化したことで食料資源が枯渇し、狩猟採集社会が行き詰まり、その窮状を打破すべく稲作を取り入れることで、歴史的な転換がはかられたとされてきました。
 しかし近年、停滞あるいは衰退と評価されてきた縄文時代後・晩期の社会観を見直す動きが出てきています。後・晩期社会が寒冷化を積極的に利用し、植物質食料の多角化を図り、気候の変動に適応したことがわかってきたためです。
 このような視点から、変動する自然環境に適応した人々が縄文時代から弥生時代へと移り変わる時期をどのように暮らしたのかを探ることにします。」

 先に言うと、この転換期で見えてきたことというのは、神奈川の遺跡の状態から、それまで集団で暮らしてきた形を、小さな集団に分散していったとか、食べているものがクルミが主食だったのが、気候の寒冷化により、トチノキやドングリ、クリなどが加わってきたことなど。
 また縄文時代晩期後半には、東北南部から中部、北陸、関東のあたりで、浮線文土器が分布しているとのことで、発掘されたそれらの土器の展示があった。
 器を削り、浮き出た細論で模様を表わしたもので、弥生式土器の成立に影響を与えたものであるとか。
 ちなみにこのあたりの情報は、展覧会会場で紹介されていたことだが、企画展示室にはいってすぐに、三〇頁もある写真も満載のパンフレットを頂いたのだが、そこにも載っていたこと。図録というか、うれしい記念品になった。
 ただ、これはもう、ほんとうに勝手な、趣味的な見方をしているからとしか言いようがない、そのことをすこし我ながら情けなく思ってしまうのだが、個人的には展示されている縄文土器たちに、その土器としてのたたずまいに、あまり感動することがなかった。もともと弥生式土器などにも、思い入れがないこともあるだろう。なんというか、実用に重きを置きつつあるというか。あの縄文時代中期ぐらいの、装飾過多ともいうべき、美しさ、実用に反しているのではと思えるほどの想像力が、少なくなってきているように思えたのだ。あるいはほかに表現の手段が移っていったのだろうか。縄文土器や土偶に込められた一点集中的な表現が、どこかへ比重を移したのかもしれない。
 展示された土偶のところに説明があったが、縄文時代は祭祀などで使われていたであろう土偶だったが、弥生時代前期後半の土偶形容器は、新生児の骨を収めたものだったという。勝手なことをいうかもしれないが、生と死の境目のないところでの(両方を含んだ)祈りだったものが、ほとんど死のほうへ傾き、境目のなさから、一線をすこしだけ画したもの(まだ土偶の形態は妊婦的な女性だったから)、ということになるのだろうかと思った。
 ただ、そうした表現と別のところで、展示された浮線文土器のなかに、内底部に、黒くなり、使われた跡がおびただしいものがあった。これには心惹かれた。生活の痕跡のような気がした。

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 歴史的な建物のなか、今度は常設展へ。神奈川の縄文から今へ…ということなのだろうか。ここでも勝手な見物人なので、縄文時代ばかりに見入ってしまう。この展示は良かった。ここに来て、ああ、やっと縄文時代の土器や土偶たちに会えたなあと、我ながら、わがままだなと思いつつ、一息ついてしまった。
 「日本最大級の縄文の「あたま」」(公田ジョウロ塚遺跡出土、縄文時代中期(約五〇〇〇年前))だという、土器の一部なのか土偶のそれなのか、おそらく顔面把手なのではという、ともかくあたまだけのもの…。山梨や長野で見られた土偶や土器と表情がつうじる、おだやかな、ぬくもりのある、不思議な笑みをたたえてすらみえる「あたま」。そして「立体的な造型が施された縄文土器」(横浜市内、縄文時代中期、高津コレクション)の、装飾たちの立ち上がったような表現への愛しさ。「あたま」近くに展示されていた土偶たちにも、心が惹かれた。やっと、ここで、いつもの土偶に会えたとどこかで感じた。

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 名残惜しかったが、博物館を後にした。時刻は三時半、四時近かっただろうか。あまり地図的なものをみなかったが、このあたりは海が近いはずだ。今年最後の海をみたいなと、なんとなく、海っぽいほうへ向かう。方向音痴なのに、なんとなく、気配を感じた。大海原は望めないだろうが、運河的なものでいい、ともかく水を見たかった。
 あるいて五分、十分かからないうちに、海っぽいところに出た。建物たちで遮られて、水平線は見えない、だが充分だと思う。もうすでに夕焼けが始まりつつあった。横浜の海を見るにはふさわしい時間だとどこかで思っていた。それは夕方という時刻が、逢魔が時、過去と出会いやすい時であると、思っているせいだろうか。過去と現在が出会うにふさわしい、懐かしいような、さびしい時刻。わたしのなかの古い横浜が、そこに見え隠れしているようで。
 水のむこうに、観覧車が見えた。あれは……。もうずいぶん前だ。子どもの頃の記憶ではなく、だいぶ大人になってから。あの観覧車のなかで、キスしたことがあったっけ。

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 「年たけてまた越ゆべしと思いきや命なりけり小夜の中山」(西行法師)だなあと、苦笑する。
 こんなに年月が経ってから、また同じところに、思いがけず来たなんて…。こんなことで思い浮かべられて、西行法師も迷惑かもしれないが。
 また水面に目を転じる。意外と水がきれいだ。岸辺近くでは、底まで見えるぐらい透明度がある。
 そして、さきほどから鳥たち…、都鳥だ、都鳥だ、白くって、赤い嘴で、群れをなして、鳴き声がカモメのそれ、美声とは言いがたい……、それが、飛び交っているのが目についた。先日、家の近くの野川で遭遇してから、もはやユリカモメではなく、わたしのなかでは、呼び名が都鳥となっているのが、おかしかったが、ともかく、都鳥たちが沢山いるのに、ちょっと興奮した。だが、すこし遠い。やっと近くまで来たなあと思ったら、すぐさま飛んでいってしまった。それでもたくさんの都鳥たちに会えてうれしかった。やはり、いくら野川のような、内陸まで飛んでくるとはいえ、本来は海辺で多く見られる子たちなのだろう。

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 今年最後の縄文の展示、今年最後の海…。そして都鳥たち。彼らに会えてよかったと思いつつ、帰路へ。バイトの帰りだったし、繁忙期で疲れていたこともあって、帰りの電車は、乗っている時間は二〇分ほどだったが、ぐっすりと寝てしまった。そのあいだにどっぷりと夜。あたりは暗くなっていた。多摩川を横に見て、そして野川沿いに、自転車で家へ。命なりけり小夜の横浜、そして多摩川、野川。



posted at 00:01:00 on 2019-12-25 by umikyon - Category: General

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