Suigara-yama_OoazaHyo(Kyoko_Umino)

2020-03-08

日々の近くで梅が咲く越生梅林梅祭りなど

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 コロナウイルスの影響が眼に見えてきている。マスクや消毒用アルコールの品薄はもとより、トイレットペーパー、ティッシュペーパー、キッチンペーパー。他にも食材での影響もある。スーパーやドラッグストアなどでは開店前に列をなし、そのほかにももっと。近所のスーパーでは、チラシの新聞折り込みを止めた。チラシ掲載商品の販売を約束できないからということだった。
 イベントの中止、公共施設や娯楽施設の休園、休館、バイト先も物流関係なので色々と影響が出ている。日用品配達の増加、仕事用の車や自転車の修理の遅れ(部品が中国製)など。飲食宿泊関連の売り上げも激減している。
 こういうことも含めてコロナウイルスなのだと思い知らされる。実際の感染だけではない影響として見えない姿をみせつける、それが怖さでもあるのだろう。
 数日前、買い物の折り、品薄だったり、売り切れ、お一人様一点かぎり、それらの状況を指してのことだろう、老婦人が「まるでわたしが子どもの頃みたいねえ」といっていた。年齢から推測して、おそらく戦後まもない頃のことだろう。
 こんな折、あちこちで、すさんだ状況を聞いたり目撃するが、そんななかで彼女があっけらかんとしているのが、どこかほっとするものだった。
 そして、ひな祭りの3月3日。いつも行くスーパーでは、祝うという感じが殆どなかった。そこに併設されたお花屋さんがある。季節ごと、花たちの装いが変わっていて、見るのを楽しみにしている(夏にはメダカも登場したりする)。ここでは桃の節句用に切り花が売られている。
 そこでまた別の老婦人が桃の花と、菜の花、ユキヤナギなどの、春のおひな様セットの花束を手にしているのが眼に入った。自分のためかもしれないし、お孫さんのためかもしれない。店員さんと話している表情が華やいでいるみたいだった。それらすべて、ひな祭りの日、桃の花たちを購入しようとしている姿に、やはり心に明るさをもらった。「あかりをつけましょ、ぼんぼりに」。
 売り切れでスカスカになった棚たちは連日続く。興味深い記事をどこかで読んだ。所有することで、見えないウィルスに対抗できていると錯覚しているのだと。そして買い占めなどをしている人たちは、パーセンテージ的には低い。ただ眼につきやすいだけなのだ。
 別の小さなスーパーでは、ボックスティッシュが普通に売られていた。店員さんがほかのお客さんに「さっきまで、トイレットペーパーもあったんですけどね」「そうなの〜」と淡々と話している。なんとなく野菜がたまたま品切れだったような感じで、これもどこかほっとした。日常的で。
 買い占めを肯定する気持ちは毛頭ないが、見えないものの恐怖から身を守る術のひとつというのは腑に落ちた。日常的なことが平々凡々とあることを、どこかで大切に思っている、それと根っこは通じるだろうから。買い占めることで日常という砦を作ろうとしているのだろう。自分勝手な砦だけれども。スーパーのお花屋さんは、桃の節句を終えて、そろそろ桜たちを咲かせている。そしてチューリップ。

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 そんななか、いや、少しだけ話は遡る。二月二十九日、三月になる前、越生梅林の梅まつり(二〇二〇年二月十五日─三月二十二日)に出かけてきた。
 今年は暖冬の影響で、春の訪れが早いようだ。桜も例年よりも早い開花……、家の近所の梅たちももはや満開。越生はうちよりもほんの少し北にあたるので、すこし開花時期が遅い。それでも出かける前に調べたら、ほぼ満開に近い状態。
 毎年のように出かけている。これは日常のなかのお祭りだけれど、年中行事という意味で日常なのかもしれない。毎年、梅干しを買っている。
 前日までは雨だったが、天気はおおむね晴れ。梅祭り会場でのイベントは中止だったが、梅祭り自体は行われていた。車で出かけたのだが、いつもの土曜日よりも若干道が空いていた。梅祭り会場も。例年、会場から遠い駐車場に停めていたのだが、今年は一番近い、第一駐車場に停められた。
 今年はそれほど訪れる人が少ないのだ。梅農家の方々、観光の打撃は多かっただろう。おとずれるわたしたちにとっては非日常だが、梅農家の方々には、日常に近しい梅たち。梅はほぼ満開。足元にはいつものように福寿草、ヒメオドリコソウ、空から落ちてきたような、うすい青のオオイヌノフグリたち。春があちこちで、訪れによって、陽射しの中でやわらかく出迎えてくれている。

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 梅林の梅の木の低い枝たちが空とわたしたちの媒介となっているようで、花盛りの梅はやさしい。空の青さひきつれた、どこか温もりのある白い花たち、ほのかな甘い香り。折れた梅の幹が横たわっている。あとでガイドの方が解説しているのをたまたま聞いたのだが、去年の台風で倒れてしまったようだ。その幹が地面に接しているところから、あらたに根を張ったらしく、幹の先に梅の花を咲かせていた。命たちに脱帽する。

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 陽射しが感じられるなか、越辺川(おっぺがわ)のきれいな水の流れが見えるなか、敷物をしいて、作ってきたサンドイッチで、梅見しながら昼食をとる。いや昼食をとりながら梅見をする。

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 河原で石投げをする子どもと父親。ひゅん、ひゅん、飛ぶ石たち。あまりうまいとはいえない。たどたどしい渡りが、それでもやさしい。
 別の子ども。亀だ! といっている。亀がいるのかしらと思ったら、そうではなかった。河原の大きな石を亀に見立てているようだ。「ぼくは亀に乗っているんだよ」、石にまたがって、その姿をスマホで写真を撮ろうとしている父に誇らしげに示している。
 梅のほぼ満開、穏やかな、春の日々だ。
 売店で、梅こぶ茶を配ってくれているところがある。これも例年。このお店はなぜか梅干しはあまり多く置いていないので、今年は地元で作ったゆず胡椒の瓶、やはり地のものを調合した七味唐辛子、梅のお菓子などを購入する。別のお店で梅干しを買った。越生で売っている梅干しは、越生で昔からある品種の「白加賀」と「べに梅」、小田原原産の「十郎」、和歌山原産の「南高」があるようだ。白加賀は、たしかに梅林にも沢山生えていて、なじみがあったので、その梅干しと「十郎」を買った。
 ちなみに越生の梅干しは、すっぱい部類だ。うちはすっぱいほうが好きなので、それも越生の梅にひかれる理由になっている。いや、昔から食べている梅に近いし、越生は子どもの頃からなじみがあるから、ということが先なのかもしれない。
 梅干しを求めて、梅をかんじて、そのあとに、ここからほどちかい黒山三滝にいった。ここもなじみがあるところだ。子どもの頃に、家族できた記憶がある。梅林の側を流れる越辺川の支流、三滝川に落ちる三つの滝、上から「男滝」「女滝」少し下流の「天狗滝」、これら三つをあわせて黒山三滝と称している。
 天狗滝は、去年の台風の影響なのだろうか、立ち入り禁止で遠巻きにしか見ることができなかったが、女滝と男滝には、行くことができた。最初に女滝、そしててっぺんに男滝。けっして大きな滝ではない、長さも短い、けれども二つの滝が同時に見ることができるからだろうか、それだけではないだろうが、滝の気配に浸されたような、力を感じるのだった。滝のまわりの森はまだ春らしいところがない。季節が冬に戻ったようだ。夏はきっと、あたりがひんやりとして、それが心地よくなるのだろう。箱根の森あたりを思い出した。
 三滝のあたりでそろそろ夕刻、午後四時ぐらいだった。またそこから帰路につき、日常にもどってゆく。
 ネコヤナギは、つぼみであることをやめ、衣を脱いだように花をさかせている。今年は桜の開花も早いそうだ。


posted at 10:04:19 on 2020-03-08 by umikyon - Category: General

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