Minami-hatoba_1(Shirouyasu_Suzuki)

2011-04-16

庭の花の移り変わり2011年1月から3月までの纏め。


庭の花の移り変わりをだいたい毎日twitterにツイートしている。その2011年1月から3月の分を日付順に纏めてみた。これを読んでもどうってことないけど。


野ぼたんの紫の花は、昨日一つ散って二つ咲いて、咲いている花は三つになった。水仙とヒメジョオンとメキシカンセージは変化無し、カニサボテンも。
2011-1-2-14:20

花の位置が変わったように感じて、野ぼたんの花は二つの花が交代したようだ。水仙の花は花びらを開き切って、もう一つが開き始めた。ヒメジョオンとメキシカンセージとカニサボテンは変化していない。
2011-1-3-14:26

野ぼたんの花が四つになった。開き切った花とおずおずと開き始めた花をつけた水仙。メキシカンセージの花は少し減ったようだ。ヒメジョオンとカニサボテンは変わりない。
2011-1-4-13:30

水仙の花は二つ咲いている。別のプランターに別の水仙が芽を出した。野ぼたんは二つ散って二つ咲いた。ヒメジョオンの茎が折れたので支えをつける。メキシカンセージとカニサボテンは変わりない。
2011-1-5-14:42

野ぼたんの花が五つになった。水仙の二つの花の間の蕾が大きくなってきた。ヒメジョオンは茎が折れて苦しそう。メキシカンセージとカニサボテンは変わりない。
2011-1-7-18:28

庭の吹き込んでくる冷たい風に野ぼたんは花を一つ落として、四つの花が揺れている。水仙の二つの花の間の蕾は少し大きくなったように感じられる。ヒジョオンは枯れてしまった。メキシカンセージとカニサボテンは変わりない。
2011-1-10-13:42

別のプランターの水仙の芽が5センチくらいに伸びている。咲いている水仙は二つ、膨らんできた蕾が二つ。野ぼたんは花が三つになった。ヒジョオンは枯れたが、萎れた花はまだ落ちてない。メキシカンセージとカニサボテンは変わりない。
2011-1-11-14:34

昨夜、トイレに起きたとき庭を覗いてみた。窓から漏れる光に丈があるのぼたんは見えたが、花の在処はよく分からなかった。光が当たらない他の花も分からなかった。寒いので急いでベッドの戻って布団を被った。
2011-1-12-14:02

咲いている野ぼたんの花は二つになってしまった。その内の一つは片側の花びらが落ちてしまっている。三つ目の水仙の花が開き始めた。ヒメジョオンは花の姿がない。メキシカンセージの花は減ったが、カニサボテンは変わりない。
2011-1-14-13:28

部屋の光に浮き上がった野ぼたんの数枚の葉群れが今のところの夜の庭のイメージです。

水仙の三つ目の花が咲いた。野ぼたんの花は一つになってしまった。萎れた野ぼたんの花はまだ花びらを落としてないけど。
2011-1-15-15:15

野ぼたんの花が全部散ってしまった。ちょっと寂しい。水仙の花は三つ咲いて、二つの蕾が膨らんできた。メキシカンセージは花の数が少なくなっている。カニサボテンの二つの花は変わりない。
2011-1-16-14:33

水仙の三つの花は重なるように咲いている。最初に咲いた花も枯れたり萎れたりする様子もない。冬の日差しが居間の椅子や床に奥深く差し込み移動するのを猫が追って日向ぼっこしている。
2011-1-17-13:24

水仙の四つ目の花が開き掛けている。咲いているのは後、メキシカンセージの花だけ。今日も猫が日だまりを追って日向ぼっこしている。
2011-1-18-13:14

水仙の四つ目の花が咲いた。四つの花が重なるように咲いている。ところで、昨日、Twitterに書き込んだ後、窓辺に行って水仙をみたら、花の重みで花軸が折れていた。杖をついて庭に出て花軸を延ばして支柱に結びつけた。
2011-1-19-13:14

水仙の残りの二つの蕾がほころび始めた。野ぼたんは花がない。ヒメジョオンの花もない。メキシカンセージとカニサボテンは相変わらず。
2011-1-21-16:14

水仙の花が六つ全部咲いた。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/suisen2011-1-22.JPG
2011-1-22-14:05

六つの水仙の花はそのままの姿で咲いてる。カニサボテンとメキシカンセージの花もそのまま。今日も冬の日差しが部屋の中を廻った。実は今日、わたしは病院に行って前立腺癌の診察を受けてPSAの値が1年前には300を越えていたのが0.13になっていた。よかった。
2011-1-25-15:04

野ぼたんの葉が色づいてきてしまった。水を撒いて側に寄って見るとまだ蕾が二つあった。咲いてくれると嬉しいのだが。水仙の花はまだ六つ咲いたまま変わらない。長持ちするんですね。寒いと長持ちするというはなし。
2011-1-26-13:50

水仙の一番最初に咲いた花の花びらの咲き具合が乱れてきた。しかしまだしっかりと咲いている。
2011-1-28-14:31

メキシカンセージの花の数を数えてみたら、19本だった。こちらもばらけてはいるが、水仙やカニサボテンと同様に咲き続けている。
2011-1-28-14:25

室内の窓辺の鉢植えのハイビスカスの二つの蕾の赤い部分が大きくなって、一つは1センチ、もう一つは2センチくらいになった。その蕾から斜め下に見える外の水仙の花はそのまま咲いている。
2011--1-31-14:53

窓辺のハイビスカスの大きい方の蕾の尖端がほどけてきた。こうなると開花を待つ気持がつのってくる。水仙もカニサボテンもメキシカンセージも同じ姿で咲いている。
2011-2-1-13:41

窓辺のハイビスカスが咲いた。径が7センチほどの小ぶりの花だが、その赤がうれしい。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/haibisukasu2011-2.jpg
2011-2-2-14:41

昨日咲いたハイビスカスの花は今日もう萎んでしまった。ハイビスカスの花は一日しか持たない。それに比べると水仙の花は何日咲いているか忘れるくらいに長く咲いてる。まだ六つ咲いたままだ。
2011-2-3-13:18

萎んでしまったハイビスカスの花は、昨夜、一層硬く萎んでぽとりと落ちてしまった。花には花びらを散らす花と萎んでぽとりと落ちる花がある。水仙の花は散りもせず落ちることもなくまだ咲いている。
2011-2-4-14:40

窓辺のガラスに接したところの鉢に日日草の小さな赤い花が一つ咲いているのを見つけた。もう一つのハイビスカスの蕾は少しずつ大きくなっている。
2011-2-5-14:51

もう一つのハイビスカスの小さな可愛らしい花が咲いた。蕾がもう少し大きくなるかと思ったが、枝を切って挿し木したまだ丈の低い木なので花も小さいなりに咲いたようだ。
2011-2-6-16:30

小さいハイビスカスの花はもう萎んでしまった。ハイビスカスには1センチに満たない極小さな蕾が幾つかあるが、当分咲かないだろう。日日草も水仙もまだ咲いている。
2011-2-7-13:56

水仙の茎が折れてしまったので、支える棒に縛り付けて貰った。花は咲いたままだが、花弁の張りがなくなってきた。側のカニサボテンも花が小さくなってきた。
2011-2-8-13:20

水仙の花は久し振りの雨に濡れて形が崩れてきたが、まだそのまま咲いている。
201-2-9-13:59

窓辺の日日草が萎んで、その隣の鉢に丈の低いヒジョオンが幾つかの花を咲かせた。
2011-2-10-14:00

夕方になって、野ぼたんの葉、八つ手の葉、君子蘭の葉などに雪がうっすらと積もった。
2011-2-11-17:16

昨日、詩人の薦田愛さんから「みちのく初桜(啓翁桜)」という花芽がびっしり着いた桜の枝が届いた。早速花瓶に挿して窓辺に置いた。花が開く日を待つ楽しみが増えた。薦田愛さんありがとう。
2011-2-12-11:43

窓一杯に射し込んだ日の光にガラスの花瓶に挿した桜の枝の沢山の小さな花芽が光っている。その隣のハイビスカスの葉が二枚黄色く変色しているが、蕾には赤い色が出て来た。
2011-2-13-16:10

窓辺の花瓶の桜の花芽が膨らんできた。膨らんだと言ってもごく僅かだが、尖端が白くなって、枝全体がふわっとした感じになった。
2011-2-14-15:13

昨夜の雪が庭の植物の上に積もった。水仙の花軸が折れたが、花は形が崩れてもまだ咲いているので、再び細い鉄の棒で支え直した。カニサボテンの花は小さくなり、メキシカンセージの花も花穂の先の方で僅かに咲いているだけになった。
2011-2-15-14:40

ガラスの花瓶の桜の花芽は尖端がピンクに色づいて、二つに分かれて小さな蕾という感じになった。カニサボテンはもう花をつけているとは言えなくなった。水仙はまだ形を崩しても咲いている。
2011-2-16-13:48

窓辺のヒジョオンが咲いている鉢の隣の小さな鉢のシクラメンが七つのこれも小さな蕾を持ち上げているのを見つけた。桜の小さな蕾はもうすぐ咲きそうに膨らんできた。ハイビスカスの蕾はまだ小さい。小さい尽くしになった。
2011-2-17-14:32

今朝、窓辺のガラスの花瓶の桜の花が咲いた。一本の枝の蕾の一つ二つが昨夜ほころび始めたかなと思っていたら、今朝になってパラパラと咲いてしまった。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/sakura2011-2-18.jpg
2011-2-18-10:32

六本ある桜の枝のそれぞれの枝の蕾が幾つか咲いた。全体の半分が咲いたことになる。庭の水仙の二つの花の白い花びらが散ってしまた。
2011-2-19-14:09

桜の枝の花がほぼ満開になった。薄いピンクの一重の花が群がっている。その隣りに真っ赤なハイビスカスの花が一つ咲いた。
2011-2-20-12:02

桜が満開になった。ハイビスカスの花はもう萎んだ。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/sakura2011-2-21.jpg
2011-2-21-14:25

冬の最中、部屋で桜の花を見ることが出来て嬉しいです。
2011-2-22-15:02

最初に咲いた水仙の花は、白い花弁を落とした後、とうとう真ん中の黄色い花びらも萎んで花の姿を失ってしまった。他の花はまだ崩れた姿を保っている。
2011-2-22-15:06

桜の花は花びらを開き切って触れば散りそうになっている。メキシカンセージの花は萎れるというかくすんで見える。
2011-2-23-17:16

窓辺の桜の七つの芽から葉が出てきた。そのうちの四つには双葉が開いている。水仙の花は形を保っているがくすんで萎んできた。
2011-2-24-17:36

窓辺の葉桜は勢い増しているような感じだ。テレビが今日の気温は20度で四月上旬の気候だと言っている。シクラメンの蕾に赤く色が付いてきた。
2011-2-25-12:41

桜の葉は花を押しのけて出て来ている。今朝、麻理がタンポポと云って、蕾のついたキク科の草の鉢を窓から見えるところに持ってきた。
2011-2-26-14:50

桜の葉は紛れもなく葉桜となった。しかしこの枝には幹もなく根もない。ガラスの花瓶の中でいつまで緑を保つのだろう。
http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/hazakura2011-2-27.jpg
2011-2-27-14:20

ガラスの桜の花瓶の横の小さな鉢のシクラメンの赤い蕾が綻んできた。桜の花はかなり散った。外のプランターの水仙の花は雨に打たれて黄色い花びらだけが残っている。
2011-2-28-14:02

水仙の花は見る影もないというほどに萎んできた。カニサボテンの花は消えそうになっている。メキシカンセージも萎れた。季節がすっかり変わったということだろう。
2011-3-1-13:48

シクラメンの赤い花が一つ咲いた。外の鉢からひょろひょろっと生えたタンポポも花開いた。
2011-3-2-17:26

桜の花が散った後に、そこから次々に葉が出てくると思っていたが出てきていない。シクラメンの花の赤に目が引き寄せられる。
2011-3-3-15:10

かなり強くなった日差しに君子蘭などの植物の葉が光っている中で、小さく色を失って萎んでいる水仙の花は、一抹の寂しさを感じさせる。
2011-3-4-15:08

また一つハイビスカスの花が咲いた。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/haibisukasu11-3-5.jpg
2011-3-5-15:17

花瓶の桜の花はすべて散ってしまった。一つの芽から出た葉は四枚五枚と増えている。
2011-3-6-16:20

綻んだ野ぼたんの蕾に三月の雪が積もった。室内では名前を忘れてしまった蘭の蕾が膨らんできた。
2011-3-7-13:12

窓辺の鉢のシクラメンの花は、一つは咲いて、二つがもうすぐ咲きそうで、あと幾つか小さな蕾を持ち上げたところだ。
2011-3-8-17:20

庭に出て風に当たって、芍薬の鉢を見たら芽が出ていたので、昨年の枯れた葉と茎を鋏で切った。
2011-3-9-15:19

シクラメンの花が三つになった。昨日、別の水仙の花茎を数えたら六つあった。咲くのが楽しみ。
2011-3-10-15:00

電話していたら揺れが来て、横揺れだから大丈夫と思っていたが、揺れが激しくなって電話をきると、摘んであった本などが崩れ落ちた。揺れで戸が開いた勝手口から猫が庭に飛び出して行った。
2011-3-11-17:21

四つ目のシクラメンの花が咲いた。昨日は歩きとバスで麻理が帰って来て一安心。息子たちが崩れた本などを片付けてくれた。
2011-3-12-10:33

蘭の花がようやく一つ咲いた。花が咲くまでの植物時間、地震が起こるまでの地層時間、生まれて死ぬまでの動物時間、というのがあるのですね。
2011-3-13-10:15

蘭の花が二つになった。今日はハイビスカスの花も咲いた。この窓辺には春めいた日差し、テレビでは被災地の映像。瓦礫の前に座る人の背中が心に残る。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/ran2011-3-14.jpg
2011-3-14-11:00頃

更に蘭の花が二つ咲いて、四つになった。ピンクのシクラメンの四つの花と隣り合わせで、そこだけ賑わっている。
2011-3-15-16:42

蘭の花が六つになった。あと二つが綻んでいる。もうすぐ満開だ。と思ったら、別の茎に小さな蕾か。
2011-3-16-16:16

蘭の花が更に二つ咲いて八つの花で満開になった。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/ran2011-3-17.jpg
2011-3-17-17:58

シクラメンの花が一つ咲いて五つになった。気がつかなかったが、庭のアロエの茂みから水仙の蕾が突き出ていた。窓ガラスの脇では日々草が二つ咲いている。
2011-3-18-15:34

カタバミが突然咲いた。カタバミにしてみれば突然ではないのだろうが、思ってもみなかった所に咲いたので突然のように感じた。そういえば自然現象ってみな突然に起こるのですね。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/katabami2011-3-19.jpg
2011-3-19

18日の金曜日に麻理が講師をしている日本語学校の卒業式で貰ってきたチューリップの花が咲いた。麻理の話だと両学生たちはぞくぞくと帰国しているという。
2011-3-20-11:56

アロエの中から蕾が突き出ていた黄水仙が咲いた。雨が降っていて、窓から見ると向こうを向いていて正面が見えないのが残念だ。
2011-3-21-18:19

シクラメンの一株の花が全部咲いた。この鉢は窓辺に置いて何年にもなる。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/sikuramen2011-3-22.jpg
2011-3-22-10;50

プランターの水仙の蕾が膨らんできた。その脇にヒメジョオンが小さく咲いている。目を移すと別の鉢の水仙の蕾も膨らんできている。
2011-3-23-15:01

フィルムセンター買い上げの3時間20分の16ミリフィルム作品の大作「草の影を刈る」の35ミリブローアップ版をIMAGICAの試写室で見た。フォーカスラフの画像がフィルムの粒子を浮かび上がらせて、日常性を対象化して問い掛け、42歳の私自身の人生再出発を果たす言葉の脈絡が描かれていた。
2011-3-24-18:50

窓辺のハイビスカスの花が咲いたと、下を見ると、アマリリスの鉢にカタバミ小さな花が三つ咲いている。窓の外に目を移すと紫陽花の鉢に紫の名前が分からない花が二つ咲いている。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/namosirenu2011-3-25.jpg
2011-3-25

そう、紫の花はハナニラのようです。ありがとうございます。RT@peco_ex これ、はっぱの臭いがにら臭かったらハナニラかもです。
15. 1:22 PM Mar 26th webから

庭の鉢の水仙の蕾が薄皮を破って顔を出した。
2011-3-27

ご愛読、ありがとう。この花たちが失われたら、と思うと恐ろしいです。RT@iwaitenshi ボクの恩師、鈴木志郎康氏は震災前も震災後も一貫して庭の花に眼を向け、咲散を呟いている。いつも変わらないものが眼の前にある。そこに眼を向ける心を教えてくれる。
9. 3:06 PM Mar 27th webから

庭には三つの黄色いカタバミの花が咲いた。室内では窓辺のアマリリスの鉢に生えたカタバミはピンクの小さな花を三つ咲かせている。
2011-3-28-15:11

peco_exさん、オキザリスはカタバミ科カタバミ属ということで、わたしのところではカタバミにして置きます。庭の隅に沢山生えていて今日一つ黄色い花が咲き、蕾がツイツイと何本も伸びて来ました。
2011-3-29-13:49

庭にまた一つ黄水仙が咲いた。http://www.haizara.net/~shirouyasu/2011photos/suisen2011-3-30.jpg
2011-3-30

庭の隅に繁茂したカタバミが7つの黄色い花を一気に咲かせた。
2011-3-31-13:46
17:58:54 - shirouyasu - No comments

2011-04-02

「現代詩手帖」2011年1月号の「現代日本詩集2011」の詩の解題

 2011年、つまり今年の1月から3月にかけて、「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の詩を全部読んでその解題を書いて、連日「twitter」に一つずつ掲載した。現在書かれている詩がどういうものか、一つ一つ確かめてみたかった。

「現代日本詩集2011」に作品を発表しているは90歳代から20歳代の詩人を代表している51人だが、詩を書く人は日本全国ではおよそ1万人ぐらいかもっと多いのではないと想像する。多くの人が「詩」を言葉を書くための「器」とか「乗り物」とかにしているように思える。詩って何だろうと思う。
2011-3-21-18:21

「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の49作品を読んで解題を試みたが、詩人達は言葉の出し方やその出方に力を注いでいるようだが、それぞれの詩の言葉の出され方を適切に述べられなかったと感じた。つまりそれぞれの詩人が何故そういう詩を書くのかを述べる力の無さを感じさせられた。
2011-3-20-


「現代日本詩集2011」の「連載詩」の枠では、1933年生まれで77歳の中江俊夫さん35年生まれで75歳の北川透さん79年生まれで31歳の岸田将幸さん、三人はテーマと詩法を持続させていると、そして連詩の78歳の新藤涼子さん49歳の河津聖恵さん29歳の三角みづ紀さんたちは楽しんでいるに見える。
2011-3-18

連詩「悪母島の魔術師(マジシャン」新藤涼子・河津聖恵・三角みづ紀
「現代日本詩集2011」の「連載詩」の枠の連詩では、1932年生まれの新藤涼子さんの詩で森の中のベンチに死体が空想され、1961年生まれの河津聖恵さんの詩でクレソンの青い茂みに帽子を被らない死者が現れ、1981年生まれの三角みづ紀さんの詩で大きすぎる帽子が目障りと受け止められる。
2011-3-17-17:44

連載詩 岸田将幸「絶対主義、避けたザクロ」
「現代日本詩集2011」の「連載詩」の枠で、1979年生まれの岸田将幸さんの詩は、詩を書く者にとっての詩の意義を追究し、人を掘削すべき土とするなど感性に訴える独特の思考を断言的に展開して、個の限界を超えた共同としての詩の「絶対主語」を目指す決意を歌い語っていると受け止められる。
2011-3-15-11:21

連載詩 中江俊夫「青空」
「現代日本詩集2011」の「連載詩」の枠で、1933年生まれの中江俊夫さんの詩は、4行2連と3行2連を交互に組み合わせて、自分が言葉を書くことを木々も細々と書いていると自然に照らして考えて、謎のままに、最後に人の身体に纏わるいろいろな慣用句を列挙構成して人臭さを浮かび上がらせる。
2011-3-13-17:13

連載詩 北川透「大凶事昔暦」
「現代日本詩集2011」の「連載詩」の枠で、1935年生まれの北川透さんの詩は、海峡の淵に立つ海水に浸食され沈下した棺状の古い空マンションに住む自称語り部の老婆を登場させ、元住民の影の騙りと云って、詩と現実の様々な問題を妖怪相手に皮肉を込めて誇張した言葉で芝居風に語らせている。


「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠では、生まれが1969年の小川三郎さんが41歳70年の水無田気流さんが40歳74年の蜂飼耳さんが36歳80年の鳥居万由美さんが30歳82年の山田亮太さんが28歳91年の文月悠光さんが19歳で、皆さん自己存在と書くことに拘っていると見られる。
2011-3-9-15:48

文月悠光「余白を孵す。」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、1991年生まれの文月悠光さんの詩は、日常で自己を見失いそうな自分が、他者から余白になれと唆されるが、自分が生きて語ることで余白を活かすと、歩く踵と言葉の踵を揃えて書き続け自分を確かめて書くことに生きる自己を語っていると受け止められる。
2011-3-8-18:02

山田亮太「みんなの宮下公園/避難」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、1982年生まれの山田亮太さんの詩は二つ、一つは宮下公園に渋谷区役所が掲示した言葉に対する利用者の激しい反撥の言葉を構成したもの、もう一つは山手線を乗り回して頭に浮かんだ言葉に拘る語句を一見ランダムに自己の弱みが出るように構成している。
2011-3-7-17:30

鳥居万由美「00.01.04.10」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、1980年生まれの鳥居万由美さんの詩は、垣根に蝶が…と書きだした瞬間に、言葉を書く者と現実の乖離から生じる自己存在を巡る不安に落ち、巨大な掃除機や記憶を載せた鳥のイメージを走らせた思念を会話形式で語り、最後に日常に帰って書き終えられる。
20111-3-6-16:53

小川三郎「天」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、1969年生まれの小川三郎さんの詩は、「天」に導く道案内人がその気になった人を案内する道すがら、何も拾わず、見つめられる視線も気にせず、複雑に入り組んだ道を案内に従って行けば、「不可能だけがある天」に歓迎されるとその口上が語られている。
201-3-5-15:51

水無田気流「浮遊器」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、1970年生まれの水無田気流さんの詩は、視野や生き方や感情や信念などをモチーフに観念語の音韻をずらして作った対句の連で、全体を形よく構成して、自分の世代のあり方を言葉の上で否定して浮き上がらせる仕方で、自己主張していると受け止められる。
2011-3-4-17:37

蜂飼耳「パイン・ガーデン」
「現代日本詩集2011」の「作品7」の枠で、蜂飼耳さんの詩は、軒に生えそろった草に乳歯を連想して生命感を感じ、その思いにテレビの雑多な画像の中の松が生えないところに日本人が植えた松林が重なり、植物と哺乳類の生命活動が引き出す観念の言葉に惑わされる不安を語っていると受け止められる。
2011-3-3-18:10


「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠では、城戸朱理さん四元康祐さん小池昌代さんが1959年生まれで51歳、高貝弘也さん広瀬大志さんが1960年生まれで50歳、和合亮一さんは1968年生まれで42歳、それぞれ自分の表現意識を自覚し言葉の効力を勘案し詩としての現場を実現している。
2011-3-2-

和合亮一「逃亡逃亡」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1968年生まれの和合亮一さんの詩は、刻々と時を刻む時計を前に、あなたに対する思いから生じるロマンチックな思念やイメージを、様々な大きさの紙片にメモするように、紙面に35個の四角い枠を作って書き込み、脳髄のスキャンデータのように見える。
2011-3-1-17:22

小池昌代「股引」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1959年生まれの小池昌代さんの詩は、地蔵になってぞっぞっと鎌倉の小町通りを行くと、頭を剃り上げた田村隆一の亡霊が「深く落ちていけ」と刀を振り回す傍らで、股引を買って履き、宇宙心を舐め、ぼろぼろに崩れるという夢のような話が語られている。
2011-2-28-

広瀬大志「黄金の舞踏」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1960年生まれの広瀬大志さんの詩は、日常の気分に埋もれた身体を、性行為を彷彿させる身体の動きを語る話し言葉の79行中に、「踊れ」という言葉を14回も繰り返して奮い立たせて、身体の自然の力を取り戻そうと、躍起になっていると受け止められる。
2011-2-27-18:20

高貝弘也「母子草」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1960年生まれの高貝弘也さんの詩は、あなたとわたしという近しい関係を設定して、モンゴルの草原と多摩川へと一気に空間を広げて、読者の想像力に働きかけ、植物の阻まれた成長を関係に重ねて、そこはかとなく悲しみの余韻が溢れるように語っている。
201-2-26-18:21

城戸朱理「手紙が届かない。夏」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1959年生まれの城戸朱理さんの詩は、暑い夏の夜、深まる疑問にとらわれて、分かり切った日常に関わっていることの苦悩が生まれ鮮やかな悲しみを感じて、足長蜂の哲学的な生態の謎に失跡した者を思うという思念の疼きを呈示していると受け止まられる。
2011-2-25-

四元康祐「多言語話者のカント 息子は歌う」
「現代日本詩集2011」の「作品6」の枠で、1959年生まれの四元康祐さんの詩は、アメリカで日本人の父母から生まれた俺が父の転勤で英語とドイツ語の中で育ち、自分のアイデンティティーは言葉を超えて行為にあるとして普遍語を考えるまでの言語歴を語り口調の3行32連で叙事詩風に語っている。
2011-2-24-17:39


「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠では、それぞれ言語を優先させて、63歳の吉田文憲さんと58歳の江代充さんはスピリチュアルな詩を書き、55歳の伊藤比路美さんと平田俊子さんは言葉を軽快に乗り回し、59歳の野村喜和夫さんと50歳の多和田葉子さんは言葉を杖にして内面を探っている。
2011-2-23-15:18

野村喜和夫「出発」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1951年生まれの野村喜和夫さんの詩は、文字も発音も違う様々な言語の10人の詩人たちの集まりに参加して、内面で受け止めた印象が抽象的に語られ、その国際的な交流からの出発を「名が集められ、刻がわきたち、/われわれは出発する」と語っている。
2011-2-22-15:42

多和田葉子「菱形」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1960年生まれの多和田葉子さんの詩は、「かけ離れた類似/一本の手で運ばれてきた/どこにも書き込まれることなしに/ /蛇が『何』という」と書き始められて、書く意識の運動を追って、イメージを呼ぶ抽象的な言葉を連ねて独特の世界を語っている。

平田俊子「いざ蚊枕」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1955年生まれの平田俊子さんの詩は、鎌倉の知人が住所に「蚊枕」と記入し、それが蚊が寝るときに使う枕だと聞き、夏の帰省を語る展開の詩行の「か」音に「蚊」を嵌めて、奇想を語って盛り上げて、「ば蚊で/おろ蚊で/あさは蚊な蚊」と締めている。
2011-2-20-12:14

伊藤比呂美「日系人の現在(母が死んだ)」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1955年生まれの伊藤比呂美さんの詩は、死亡した母の預金を解約する際に、在外日系人が「母が母であること」「私が私であること」の証明のために、次々に様々な書類に署名して、ついでに在外選挙人証も入手したことを追い重なる語り口調で語っている。
2011-2-19-14:25

江代充「諸物 ある改作」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1952年生まれの江代充さんの詩の一つは、子供の頃物干ししている叔母さんの腰元で母と話す女ことばを体感した情景と母の遺骸の前の情景が、もう一つは、地面の降りた二羽の雀が干上がった後に雨で膨れたミミズを跳ねて啄む情景が率直に語られている。

吉田文憲「光」
「現代日本詩集2011」の「作品5」の枠で、1947年生まれの吉田文憲さんの詩は、前半で暗闇にうごめく息づかいするもの感じて死者の呼び声を聞きいたと、また後半では夢の光が発した瞬間に清寧が壊れて折れた小枝が飛び交い鏡の中を歩く人や跳ねる子どもを見たと現実を超えた現象を語っている。
201-2-17-14:59


「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠では、1948年生まれの瀬尾育生さんが62歳で1953年生まれの池井昌樹さんが57歳、団塊の世代とポスト団塊の世代のこの枠の詩人たちは、生きることの意味を問いながら、言葉自体を意識して、それぞれ独自のスタイルで迷うことなく詩を書いているという印象。
2011-2-16-14:16

朝吹亮二「あけまして(あけません)}
「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、1952年生まれの朝吹亮二さんの詩は、正月の挨拶の「あけまして」を「あけません」と取って空漠たる心理を理由に、「ろのけろっぷ」と「ぎのぎゃろっぴ」の音列を曲げて箱を作り、無音の促音や拗音が発音できず、あけられないと韜晦気味に語っている。
2011-2-15-14:50

池井昌樹「鎌田公園の河馬/滝宮祭禮図屏風」
「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、1953年生まれの池井昌樹さんの詩は、二篇とも子どもの頃を過ごした郷里をモチーフにして、池に河馬がいると噂があった坂出市の鎌田公園の賑わいと祖父の手の温もりと、滝宮の御殿橋を描いた屏風の中の子どもの目に自分を重ねて散文で懐かしんでいる。
20111-2-14-15:09

井坂洋子「あんまんの赤い月」
「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、1949年生まれの井坂洋子さんの詩は、第一連でいきなり「頭上に まだ槌はおちてこない」と切迫した状況を設定して、冬眠の後の黒い蛙や大きな赤い月やあんまんなどを演出して心情を語り、第二連では追い詰められた行為を総て書くと決意を語っている。
2011-2-13-16:26

瀬尾育生「使いたちが高い梯子をのぼる」
「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、1948年生まれの瀬尾育生さんの詩は、神話という枠組みで女性関係からある部族の変革の事態に巻き込まれた話を複雑な物語で語り、終いに舞台を見終わって外に出で空を見た時の現実感に帰って、そこに時間を超える梯子を示唆していると受け止められる。
2011-2-12-14:33

稲川方人「首飾りの歌 G・Bに」
「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、1949年生まれの稲川方人さんの詩は、晩秋の夕暮れの川岸の小屋で死者を弔いながらも悲しみから離れて、偽善の綱領に絶望して、義勇と自由についての深い川のような思考を辿って、生き方として献身は反国家的だと結論した感慨を語ってると受け止められる。
2011-2-11-17:46

荒川洋治「外地」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品4」の枠で、
1949年生まれの荒川洋治さんの詩は、領土問題に触れて、戦前の「外地」という言葉から、国境線の内外を往き来する実例を辿り、その線の現在の薄弱な意識に、昔の病院の下足番のおばさんの足元の出入り記憶の凄さをぶつけている。
2011-2-10-14:05


「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠では、1929年生まれの金時鐘さんが81歳で1947年生まれの佐々木幹郎さんが63歳、60年代前後のこの枠の詩人たちはそれぞれ独自なスタイルで詩を書いているが、その言葉には記憶と存在感を確かめようとしている心情が感じられた。
201-2-9-13:59

佐々木幹郎「地図に迷って」
「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1947年生まれの佐々木幹郎さんの詩は、書いたのを忘れてパソコンに残っていた詩から発想して、遙かなヒマラヤとスコットランドに旅行したとき、現地の実際の場所と地図とがずれていて迷ってしまったことに重ねて現在の心境が散文で綴られている。
2011-2-8-13:34

藤井貞和「滅亡(ツクシ)の力」
「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1942年生まれの藤井貞和さんの詩は、50年ほど前の記憶を撃つ単語や短い句を括弧で括り、30数字の一行に三つから五つ重ねて展開して、若い頃の情念を甦らせ現在を葬ろうと、隠された意味を叩いて言葉に「滅亡(ツクシ)の力」を与えている。
2011-2-7-18:14

井川博年「香港へ」
「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1940年生まれの井川博年さんの詩は、青春時代に詩集を出したが認められないで屈折した気持になり、知人の話に刺激されてフランスに行こうと貯金して、香港までの切符で豪華客船に乗船し、香港に着くまでの緊張した船旅が3900字の散文で綴られている。
2011-2-6-16:24

鈴木志郎康「地図に載ってない/二本の杖」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1935年生まれの鈴木志郎康ことわたしの二つの詩は、草や人が地図には載っていないと当たり前のことを敢えて書いて、枯れたり死んだりして消滅する生きものの存在のあり方を照らし、主観の不確かさをユーモラスにを語っている。
2011-2-5-14:47

天沢退二郎「サムサの神話 サムサの夏はなぜおろおろあるくか?」
「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1936年生まれの天沢退二郎さんの詩は、宮沢賢治の詩句「サムサノナツハオロオロアルキ」の「サムサ」を小さな皿に乗ってくるキャラクターにして、オロオロアルキはその皿の下の蛙の発光で寒天質になって蛇に呑み込まれたからという神話を語っている。
2011-2-4-15:13

金時鐘「窓」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品3」の枠で、1929年生まれの金時鐘さんの詩は、窓をモチーフにして、自分と世界を隔てる絶対的な壁として設定し、その窓のあり方と内側の自分との関係をこれまで生きてきた身近な場面から歴史的な場面に照らして直截に語ることばが綴られている。


「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品1」と「作品2」の枠の1914年から1934年までに生まれた90歳代から70歳歳代の詩人たちは、死や過去に触れた詩を書いていた。改めて驚いたが、それぞれ年齢に即して詩を書いているということで、現代詩の詩表現の成熟とも受け止められる。
201-2-2-14:38

粕谷栄市「来世/永訣」
「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1934年生まれの粕谷栄市さんの二つの詩の一つは、来世を念頭にげじげじの来世としての現在の自分とその来世を、もう一つは、大きな湖のほとりで農業をしながら難解な詩を書き続けて孤独死した詩友の生涯が完結した一篇の詩と語っている。
2011-2-1-14:40

安藤元雄「このまま枝の下に」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1934年生まれの安藤元雄さんの詩は、枝の下に寝ころんでゆっくりと体も心もときほどいて暖かい日差しのなかで心地よく眠りに誘われるようにすべて肯定されてとろける、心地よくこの世を終わらせたいという思いが語られている。
2011-2-1-13:51

白石かずこ「新年という巨大なネズミが……」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1931年生まれの白石かずこさんの詩は、新年を迎える思いが「新年という巨大なネズミがやってくるとしたら」と書き始められて、詩の眼を洗うという想から、言語の遡行へ、過去の時間が流れ落ちていく無音の轟音で終わっている。
2011-1-31-15:10

新川和江「コース」
「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1929年生まれの新川和江さんの詩は、裏庭から回ってきて居間の前を横切って「午後の陽が明るく差している西の通りへ」出ていく猫に重ねて、ひっそりとした死を願う思いが語られている。
2011-1-30-16:45

牟礼慶子「海からの贈りもの」
「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1929年生まれの牟礼慶子さんの詩は、こだわることもなく自然のままに受け止めるという心境で窓辺に立って、青くひろがる海と空の対話を飽きることなく眺めて、それを至福のひとときと意識するご自分の心情を語っている。
2011-1-28-14:25

長嶋三芳「哀しい認知症」
「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1917年生まれの長嶋三芳さんの詩は、長嶋さんの生地の港町の老人ホームで認知症になった老婦人が、亡母と夫の眠るお墓に風になってでも会いに行きたいと思いながら、一人ぼっちで記憶を失って寂しく暮らす姿を語っている。
2011-1-28-14:25

杉山一平「叩く」
「現代日本詩集2011」の「作品2」の枠で、1914年生まれの杉山一平さんの詩は、人生を振り返って戦時中はビンタを張られ平和になってからほめられて頭を叩かれ、と叩かれたことを「晴天のあいさつだったのか」と語っている。身体で受けた痛みの共有が仲間の証と年を取って気がついたということかしら。
2011-1-28-14:25

中村稔「晩秋悲歌 磯輪英一さんの死に」・辻井喬「別れについて」・岡井隆「大歌人出棺の図」・平林敏彦「寄る辺なき駅のほとりで」・長谷川龍生「倦怠 記憶のなかに消えることのない他者の祭祀」・石牟礼道子「わたくしさまの しゃれこうべ」
「現代日本詩集2011」の「作品1」の枠で、1927年28年生まれの詩人たちの詩では、中村稔さんが人は死ぬとき、辻井喬さんは別れの複雑な様相、岡井隆さんは大歌人の死、平林敏彦さんは帰らぬ青春、長谷川龍生さんはガンジス河畔で感じた倦怠、石牟礼道子さんはご自分の髑髏のことを語っている。
2011-1-28-14:23


「現代詩手帖」1月号の「越境2011[フランス]」の吉増剛造さんの詩は昨年の9月から10月にフランスの7つの都市で朗読した際に吉増さんが遭遇した詩想を独特の発音を基底にした表記で綴られた作品。八戸で出合った「鐵」が言葉の袋を破ってフランスで「marteau鐵槌」になるという話。


「現代詩手帖」1月号の「越境2011[香港]」の谷川俊太郎さんの詩は、香港の大学に招待した北島(ペイタオ)の肖像を語った4行4連の「言語の胞衣」と香港のことを語った「極めて主観的な香港の朝」の2編。北島の肖像詩にはその生きる姿、生活、与える影響、詩人の言葉の力動感が語られている。


「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」では、谷川俊太郎さんと吉増剛造さんの詩が、昨年の秋、海外に招待された際の書かれた詩として、「越境2011」と括られている。谷川さんは香港の大学に招待されて、吉増さんはフランスの7都市の朗読会に招かれて、それぞれ現地で書いたということ。
2011-1-26-14:08


先週「現代詩手帖」1月号の「現代日本詩集2011」の53人の詩人の詩49作品全部と新作能の台本一つを読み終えて、その全体の印象を頭の中で転がして一週間が過ぎた。年齢を意識したもの、虚構の枠組みで語るもの、極度の抽象を語るもの、現実の即した抒情、言葉そのもの向かう意識などなど多彩。
2011-1-24-14:32

16:52:31 - shirouyasu - No comments

2010-12-31

近況のこと。

この一年わたしの病身を気遣って下さった方々に感謝します。わたしは毎日同じような日々を送っています。ベッドに横になるのを主とした生活です。朝は7時半頃起きて紅茶を入れてパンを焼き麻理が作ったサラダで朝食を取り薬を九錠呑み朝刊を読みます。政治欄などを細かく読むのがこの頃の習慣になっています。その後日録を書きます。昨夜の夕食のおかずなど思い起こすのにちょと時間が掛かったりします。読んだり書いたりして目が疲れてベッドに横になり、テレビで「八丁堀の七人」とか「素浪人月影兵庫」などの時代劇の再放送を見て、必ず天気予報を見ます。それから昼食にはうどんを食べ薬二錠とサプリメントを呑みます。食後、eMacが置いてある仕事場に行き、メールとTwitterとMixiをチェックして、メールに返事を書いたり、Twitterに花の数を書き込み、詩集を読んだりその詩集について書いたりするとまた目が疲れてディスプレイの文字が読めなくなって、ベッドもどって横になり「新科捜研の女」とか「相棒」とか「京都地検の女」とか「京都迷宮案内」とかの再放送を見ます。そして続けて毎日楽しみにしている「水戸黄門」の再放送を見終わって、ベッドから起きてテーブルに行き、茹でたサツマイモ一切れと煎餅とかりんとうとかピーナッツを少しづつ食べ、続けて夕刊を読みます。天気予報とテレビニュースを見て、夕食になります。日曜日には夕食前に「笑点」を必ず見ます。夕食後薬を四錠呑んで、濡れたタオルで身体を拭き、下着を取り替え、身を屈められないので靴下を麻理に履かせて貰います。一日中靴下は履いたままです。そして再びベッドに横になり、テレビドラマを見ます。「龍馬伝」「水戸黄門」「セカンドヴァージン」「獣医ドリトル」「医龍3」「フリーター、家を買う」などを楽しみました。だいたい11時を過ぎて小さなサツマイモの欠片と干しいちじくを食べてサプリメントを呑み、ニュース「ZERO」を見て眠くなって眠りに着きます。毎夜、夜中に三,四回はトイレに行きます。去年の秋から今日まで、腰部脊柱管狭窄症と左右の人工股関節置換の三回の手術をした後の以上の生活パターンに、時には何度かお見舞いに来て下さった人たちと午後の一時を楽しく過ごすこともありました。
18:01:51 - shirouyasu - No comments

2010-12-30

長田典子詩集『清潔な獣』の感想

 送って戴いた詩集を手に取ってパラパラと捲って、ページが活字でぎっしり埋まっているのを目にして、閉じたまま時間が経ってしまった。どうも散文になじめない。131頁の詩集の作品は全部で10編、その殆どの作品が行分けで書かれた部分より散文で書かれた部分の方が多く、行分けの2頁で終わる詩は最初の「蛇行」だけで、後の9編の詩は、短い詩で6頁、長い詩になると18頁に及ぶ長編なのだ。それらの詩の外観からして気楽には読めないという気がしたのだった。それから日が経って、Webで作者の長田典子さんのMixiの日記を見ているうちに、どうやら近々ニューヨークに行って長期滞在するらしいことが分かって、行かれる前に読んだ感想を伝えようという気になり、再び手に取って読んだのだった。
 一気に読むというわけにはいかなかったけれど、全部の詩を読んで、特異な人物が登場する話として面白かったと言えば面白かったが、これらの作品をどう受け止めるかというところでまた迷った。というのは、詩の言葉の主体が作者自身と受け止められるのは行分け21行で書かれた「蛇行」だけで、他の詩は言葉の主体としては虚構の人物が設定されていて、その人物の内面の独白というか自分を語るという形で詩が展開して行くというように書かれているから、作品を成り立たせている言葉を直接作者に結びつけて受け止めることができないように感じたのだった。とすると、その言葉は人物の言葉として、作者がその人物になりきって書くとき、その人物になりきるということと、その人物の持つ意味合いが問題になるが、小説や戯曲であれば、その人物と他の人物との関係や運命から作者がその人物に持たせている意味合いが語り出されてくるが、この詩の場合は人物が語る言葉だけが書かれているので、そこが曖昧になってなってしまうのだ。従って、作者は単に自分が人物になって言葉を楽しむために書いているようにさえ感じられてしまうのだ。読者であるわたしはおいてきぼりにされた感じになってしまう。
 この詩集の栞に川口晴美さんは「この詩集のように明らかに作者でないキャラクターの語りで、しかも散文詩形だと、これは小説ではないかと考える読者もいるかもしれない。だが、これはまぎれもなく詩だ」と書いている。それは「ストーリーを語るために言葉がつかわれているのではなく、痛みとともに生み落とされた言葉の連なりに牽引されてストーリー(のようなもの)がぼんやりあらわれてくる。たどっていくと見えてくるのはキャラクターたちの葛藤や成長ではなく、ただその存在の内側に巣食った卵としての言葉が作者によって次々と孵されていく気配だ」ということなのだ。つまり、作者が人物になりきるのは、その存在の内側に巣食った卵としての言葉を孵す気配を感じさせるためであり、それが詩だというわけだ。「卵としての言葉を孵す気配を感じさせるのが詩だ」といわれてみると、なるほどそうかと頷いてしまう。しかしそうかなと、ここでわたしの考えは一旦止まる。
 川口さんの「卵としての言葉」という言い方は、詩集の最初の詩「蛇行」の「蛇か わたしは 蛇なのだ」と蛇になった「わたし」が「歪んだ湖面から発破音の響く場所へ/瓦礫の隙間へ/わたしの卵を産み付けに行く」という詩句から来ている。この詩について、川口さんは「過去を孕んだ『わたし』はその全身で現在に触れることによって卵としての言葉を生み、それによってまた過去を引き寄せる。そして、現在を生きながら生み落とした言葉を、壊れ失われてしまった過去へ届けようとする」と書いている。つまり、卵としての言葉は「わたし」の過去から生まれ、過去に返されるというわけだ。言い換えると、「蛇行」という詩は、作者が朝食で卵を割った時から出勤途上にかけてダムの湖底に沈んだ村の記憶の断片を思い起こして、疎外された自らの本性を自覚するところを言葉にしたという作品だ。そこで「卵を産み付けに行く」と語られていることの意味合いは、ダムにされて失われた生まれ育った土地と重なる本来の自己を取り戻すということのように考えられる。この「蛇行」に呼応した作品「湖」にはダムの湖底に沈んだ村出身で、ドメスチックバイオレンスを受けている男から逃れられない女の死を意識した悲痛な独白が綴られているが、その独白の中で自分の来歴を語りながら、「落ち着いて。/わたしは逃げたの逃げ果たせたんだよ。」という言葉が繰り返されて語られる。ここに作者の長田典子が自分で創りだした人物たちに乗り移って言葉を語る構造があるように思える。現在の自分の有り様を言葉にして、そこからすり抜けるという構造だ。語られる言葉としての現在がそこにあり、人物たちはそれぞれの現在を生きている存在となる。そこで言葉を書く作者と言葉で語る人物とが重なるわけである。つまり、その言葉の主体性が問題になる。
 この詩集には「蛇行」の他に「また来てね」「いったい1」「いったい㈼」「夢の坂道」「いったい㈼」「カゲロウ」「世界の果てでは雨が降っている」「湖」「モスコーミュール」の9編の詩が収められていて、それぞれの詩は、作者が創りだした人物の自分を語るいわば「心の叫び」としての言葉が書かれている。その人物たちとはどういう人たちなのかというと、「また来てね」の人物は、67階のホテルの大きなベッドで、自分を抱き寄せて幸せに感じさせてくれる誰でもよい男を待って、一人で自分の誕生日を祝って去り際に「また来てね」の言葉を残して行く中年の女性であり、「いったい1」と「いったい㈼」の人物は、学校の私服解禁日にブランドもののファッションを身につけて行き、張り合っているクラスメートに当てつけてやりたいという思いで、そのブランドものを買うために、テッシュペーパーの立ち売りのアルバイトをするが、騙されてアルバイト代を貰えず(「いったい1」)、男に身体を触らせて金を稼ぐ風俗の店でアルバイトをする羽目になる(「いったい㈼」)乳房の小さい少女であり、「7:54」の人物は、自分が飼っているハムスターが飲み会で一夜帰らなかった時、凍えて硬くなっていたのを炬燵で温めたら生き返って回転車を走って回すようになったを見て、その仮死して生き返る姿を、自分を振ったミカという女性のストーカーをしている自分に重ねて、彼女が乗る電車の発車時間の7時54分に駅に向かっていく男であり、「夢の坂道」の人物は、藁の懐かしい匂いの男に引かれて男の部屋に入り、抱かれ、毳立った気分になって男の縫いぐるみの熊の籾殻を散らし、男の農業の学術書を散らかし、湖底に沈んだ自分の村のあの人を思い出し、男の言いなりになる女であり、「カゲロウ」の人物は、子どもに与える物はすべて消毒すという病的な潔癖性の母に育てられて他人との接触を強度に嫌うようなって、人の吐く息が充満する電車や人混みに行くときは他人が3センチ以内に入って来ないぶかぶかの動物などの着ぐるみを着て外出する程の人嫌いだが、ブランドを着たがっている女に自分との共通点を感じて、彼女の後をつけ回した末に路上で背中をカッターナイフで切りつけて、「オマエの血液は清潔な水辺の匂いがする/オマエの血液に触れると俺も清潔な獣になれるんだ」とほざく男であり、「世界の果てでは雨が降っている」の人物は、母親から鍵を預かるのを忘れて家には入れないで、自分が訳の分からないことを口にしたり、思ったように動けなかったりするのは、自分のお腹の中にいる駱駝さんが自分を運転していると思い込んで、雨の降る日に、おじさんという者に性的な悪戯されても愛情を感じ、一緒に「月の砂漠」を歌うランドセルを背負った小学校の女生徒であり、「湖」の人物は、男の暴力を受けながら、その度にそれに耐えるように湖畔で見た溺死体に話しかける、自分の村がダム湖の湖底に沈んでしまった女であり、それから最後の「モスコーミュール」の人物は、モスクワでピアノのレッスンを受けているが、不揃いな八分音符しか弾けずに先生にいつも叱られて、やがてその不揃いの八分音符が自分の故郷の言葉のせいだと自覚するターニャという名の女性なのだ。
 これらの人物たちは言ってみれば思い込みによる一方的なコミュニケーションを持つことによってぎりぎりに生きている人たちだ。そういう人たちの自分語りを、読者を予定した作品に書くということは、その人たちの存在のあり方を読者と共有することによって、ある意味では、作者自身も含めて個人を疎外している社会のあり方を告発していると受け止めることも出来る。序詩のように置かれた「蛇行」から察しられるところでは、その告発と彼ら彼女らに通じる自分の気持ちも込めて、これらの詩は書かれたものと思われる。そこのところを川口さんは「長田典子は、世間的に言えばさまざまなイタイ存在に憑依し、自らの記憶や傷と触れあったところから、詩を書き出している」と説明している。
 わたしにとっての問題点は、この「さまざまなイタイ存在に憑依し」というところにある。確かに長田典子の詩として言葉を語っている人物たちは、思い込みでぎりぎりに自分を支えているというところで「イタイ存在」に違いない。そういう人たちに長田典子は憑依して、彼ら彼女らの言葉を書いたというのであれば、長田典子の言葉ではなくなる。つまり、確かに長田典子が書いた言葉であるには違いないが、長田典子は表現者でない彼ら彼女らになり切ることによって、自分が主体となって表現者として生きる現在を逃れてしまったのではないだろうか。これらの詩として書かれた彼ら彼女らの自分語りのことばが小説の中の人物の語りの言葉であるなら、意味合いが全く違ってくると思う。人物たちは作者の対象になり、読者に向けられた「その告発と彼ら彼女らに通じる作者自身の気持ち」を表す存在になるからだ。
 では、長田典子はこれらの人物が登場する小説を書けばよかったのかというと、そうではない。多分書かれた小説は風俗小説なってしまって、「その存在の内側に巣食った卵としての言葉が作者によって次々と孵されていく気配だ」というところはなくなってしまうに違いない。ここが問題点として微妙なところだ。
 結論として、長田典子さんはこれらの詩を書くことで、創造した人物になり切るという仕方で、沢山の言葉を夢中になって書くことが出来る鉱脈を見つけて、詩の言葉の主体のあり方の問題点を提起したということですね。わたしとしてはその人物たちを自分語りから要約するのに結構手間取って、そこに長田さんの言葉に込めた粘り強さを感じたのでした。
 
18:28:37 - shirouyasu - No comments

2010-12-11

石原康臣さんの車で海老塚耕一さんの版画展を見に行った。

 昨日の午後、石原康臣さんが運転する車で、橋本の株式会社ハシモトコーポレーションの三階のギャラリーに行って、海老塚耕一さんのジークレー版画としての作品展を見に行った。手術後初めての病院以外の外出だったので、ちょっと不安があったが、無事に行って来られたのでほっとした。
 会場には、海老塚さんが昨年から今年の三月まで、観光船で西回りで地球一周した船室で制作した全紙大の平面作品を「高精細大型スキャナーで読み込んでアーカイブして、ジークレー版画として制作した作品」が、三十点展示されていた。赤と青と黄を基調に構成された色彩の上に緑の昆虫を思わせる図柄が散りばめられた迫力のある作品だった。その色彩が見るものに迫って来るような印象だった。海老塚さんは日常のしがらみから解放されたところで生まれた力でしょうと言っていた。会場ではその高精細大型スキャナーで読み込んでプリントしたものと元になった作品とが区別がつかないほどの精巧さが話題になった。画用紙の質感まで再現されていたのだ。わたしとしては、その「ジークレー版画」なるものに初めて出合ったわけで、驚くばかりだった。
 往復の車の中で、わたしは多摩美上野毛で助手をしていて今は大正大学の教員をしている石原さんを相手に、彼が知っている卒業生のことや映像教育のことについて喋りまくってしまった。日頃ベッドに横になって「水戸黄門」の再放送や「サスペンスドラマ番組」ばかり見て、人と話す機会がないので、溜まった話したい気持が堰を切ったように出てしまったのであろう。石原さんは来月またドライブに誘ってくれるというので楽しみだ。
14:54:20 - shirouyasu - No comments

2010-10-01

左股関節の人工股関節置換手術を受けて、今日、退院した。

9月11日に慶應義塾大学病院に入院して、9月14日に整形外科の藤田貴也医師の執刀で人工股関節置換手術を受けて、その後リハビリ科で歩行訓練をして、どうにか伝わり歩きができるようになって、今日10月1日に退院した。これで両方の股関節が人工関節になったが、杖無しで歩けるようになれば嬉しい。そうなるにはまだ暫く家で歩く訓練をしなければならないようだ。御心配お気遣いありがとうございました。
11:52:31 - shirouyasu - 2 comments

2010-09-10

貞久秀紀詩集『明示と暗示』と北爪満喜詩集『飛手の空、透ける街』の短い感想

 須永紀子さんの詩集『空の庭、時の径』を読んで長い感想を書いた後、続けて貞久秀紀さんの詩集『明示と暗示』と北爪満喜さんの詩集『飛手の空、透ける街』を続けて読んで短い感想を書いた。貞久秀紀さんの詩集は『現代詩手帖』に掲載された詩論「明示法について」と合わせて読んだ。この二つの感想はそれぞれ私信としてお二人に送った。一部訂正してここに掲載します。
 なお、明日9月11日からわたしは左股関節の手術のために入院します。
 
 貞久秀紀さんの詩集『明示と暗示』の短い感想
 詩論「明示法について」は大変興味深く拝読しました。事物の存在を浮き彫りにすることばの使い方として、人の主観的な認識から意識空間を解放する方法と思いました。なんか突き詰めると神秘的精神に到ることができるのかななどとも思いました。
 人は事物を視覚という知覚の対象として捉え、次いで認識の対象にして、そこから自己の価値観や記憶へと送り込むことになるのですが、その限りでは、事物と自分が互いに偶然にそこにあるという関係が忘れられてしまう。つまり「存在関係」に至れない。その「存在関係」という地平を明示法という叙述の仕方で開いたと思いました。
 詩集『明示と暗示』はその方法で、こつこつと生活の中にある木の枝とか橋とかの事物との存在関係をことばによって実現していると受け止めました。読んでいくと、詩の独特の言い回しがうつってきて、庭の花を見るとき、その言い回しを反復したりしていました。貞久さんの詩のことばの力ですね。詩としては道端の木の数を書いた「数のよろこび」と、知人の家を訪ねたところを書いた「ことばの庭」が面白く共感しました。わたしは毎日Twitterに庭の花の数を書いているのですが、書きながら貞久さんの詩と重なってくるように感じました。
 
 北爪満喜詩集『飛手の空、透ける街』の短い感想
  『飛手の空、透ける街』は読み始めたら、朗読を聞いているような感じで、その詩の語り口に引っ張られて、作者の気づきの深みに引き込まれて行きました。イメージとそのイメージが独自の意味合いで説き明かされて行くというのを楽しめました。昼の月を切り取って夜の月に貼り付けて自分を癒すというアイデアに感心していると、月の光を人や物を照らす糸として、その一本一本の光の糸で月を頂点にして具体的に人や物を繋げて行くなんていいなあと思いました。
 月とか雨の滴とか草の葉の露の雫とか、透明に輝くものに作者の気づきを映して、その深みに連れて行く語り口が綺麗にできていると思いました。ただ、わたしとしては、作者の記憶に照らして、少女の頃のこと、母親とのこと、父親のことなど、肉親との関係を読者にはもっと不明なこととして、理解しにくい言葉遣いで語られた方が、詩として力が出るのではないかとも思いました。
 詩集全体で、わたしとしてはいいなあと感じながら、ちょっと不満が残りました。朗読ということを意識しているのしょうか、ことばの流れが分かり易す過ぎるという印象でした。黙読でイメージを重ねていくことばの展開と、聞かせて、分からせて話を展開していくのとは違いがあるということを、この詩集は示していると思いました。わたしはどちらかというとイメージに頼る方なので、語りの力を感じながら不満が残ったということなのでしょう。
14:54:25 - shirouyasu - 2 comments

2010-08-31

須永紀子詩集『空の庭、時の径』の感想をようやく書き上げた。

 実は6月から書き始めた感想なのだ。『空の庭、時の径』を著者から戴いて、一度読んでことばに緊張感があっていいなと思ったが、分からないところが幾つもあるので、それを理解しようと一つ一つの詩について書き始めたら、なかなか終わらなくなってしまった。それに、病気のせいで一日のパソコンに向かう時間が限られていたので、日にちかかってしまったというわけ。詩集『空の庭、時の径』は虚構の物語体験を通じて、詩人が自分にとっての詩というものを問い質していく12編の詩で校正された詩集だ。「<世界とはどこか>」という詩行ではじまる最初の「囲繞地にて」という作品、また2001年9月11日の「同時多発テロ」を切っ掛けに書かれたという「遠い庭」という作品などが記憶に鮮やかに残った。
 感想文はb2evolution blogにあります。
 「須永紀子詩集『空の庭、時の径』感想」
18:33:07 - shirouyasu - 3 comments

2010-08-14

久し振りに劇団「快快(faifai)」の公演を見に行った。

 13日の夜、多摩美の加納豊美さんに誘われて、長畑さんの自動車に同乗して、池袋の東京芸術劇場に行き、その小ホール1で「東京芸術劇場プロデュース・日タイ共同制作『スパイシー サワー アンド スウィート Spicy,Sour,and Sweet』を見た。「快快(faifai)」とタイの「B-Floor」の合同公演ということで、B-Floorの新作『Flu O Less Sense』と快快(faifai)+B-Floorの『どこでもdoor』が上演された。小指値から始まった「快快(faifai)」が国際交流の上演をするようになったかと思うと感慨があった。
 最初に上演された『Flu O Less Sense』はタイの赤シャツを着た人々の街頭デモと政治家たちの写真をふんだんに使って、その前でプラスティックの皿を数十枚使ったパフォーマンスが男女数名の俳優によって演じられるものだった。タイの政治状況には無知なわたしにはそのパフォーマンスの意味合いが理解できなかった。そろって身体を動かす快感はあった。
 50分ほどでそれが終わって、休憩時間になって、壁にタイのチュラロンコン大学の教室のライブ映像が映され、演出の篠田さんがその教室の一人に話しかけて、客席の人の質問を送ったりしていたが、それもよく分からなかった。遙かな空間を越えて同じ時間を共有しているという実感がないのが残念だった。
 それから快快(faifai)+B-Floorの『どこでもdoor』の上演となった。小ホールの両脇に客席があって、真ん中が演じる場所になっていて、その隅にやや大きめのピンクの両方に開くドアが置かれて、そのドアから演技者が出たり入ったりするという動きを基本に、三人あるいは数人のグループになってパフォーマンスが行われるという展開だった。始めにひと組の男女が自転車に乗っているというマイム出できた後、本物の自転車に乗った別のひと組が現れて、ドアをくぐり抜けて、それから沢山の男女がいろいろなことをやったが、処女の女性が何とかすると雨が止むということで、実際に天井から雨を降らして次々に女優さんを濡れさせ、そこで観客の拍手をさせて、拍手が終わると、雨が止んだということで、役者たちが客席に向かって、タイ製の麦わら帽子とか団扇とかその他小物を売り歩くのだった。それを買うのには、パンフレットに挟まれていたタイのバーツの紙幣を使わなければならないのだった。そのほか、観客に簡単なヨガ体操をやらせることもあった。
 見ていて、何がどう進行しているの分からなかった。行きたいところを叫んでドアを通り抜けていたが、行きたいという動機が分からないから感じさせるものが伝わってこなかった。わたしは「快快(faifai)」の役者たちのフアンなのだが、彼らの魅力も存在感も感じられなかったのは残念だった。それでも、言葉の通じない外国人たちと演じる空間を作るのに「どこでもdoor」を考え出したというのは面白い発想だと思う。そして、叫び声と身体の動きで明るい気分の空間ができていたのは、快快の力だと思う。その一人一人の声と身体がドアを抜ける事情を分からせて欲しかった。そこで、やはり言葉で開いていく軸がほしいと思った。一緒に行った麻理さんは「いいも悪いも、学ぶところが沢山あった」と言っていた。
15:49:44 - shirouyasu - No comments

2010-07-27

昨日からTwitterを始めた。

 http://twitter.com/shirouyasu_0wl
 何だかよく分からないけど、一日に一回ぐらいはつぶやけるでしょう。
14:36:40 - shirouyasu - No comments

2010-07-18

最近、志郎康はどういう生活をしているか。

 また渡辺洋さんからblogを書いてと催促されました。
 昨日。7月17日のことを書きます。
 だいたいこの頃は朝食の支度の紅茶を入れるのを手伝って、それから汗びっしょりの下着を換えて、「ゲゲゲの女房」を見る。昨日は「テレビ君」の漫画賞の授賞式だった。それからハムトーストとサラダとハチミツ入りのミルクティの朝食になる。10時過ぎまで「朝日」と「日経」の政治面を主に読む。先月からの政治面は小説のように面白いと感じて時間を掛けて読む。日録を書いて、スクワットをやってから歯を磨き、ベッドで磁気を掛けながら、この時間、月曜から金曜までは、「暴れん坊将軍」の再放送を見る。毎週必ず2、3人の悪奉行が成敗される。それから天気予報の雲の動きを見て、素麺の昼食。昼食後、シャワーを浴びる。身を屈められないので、足を麻理に洗って貰う。その後、仕事場に行ってeMacを起動して、メールとMixiをチェックする。そして、須永紀子さんの詩集『空の庭、時の径』についての文章を書く。この詩集を巡ってもう一ヶ月余りあれこれ考えながら文章を綴っている。虚構的な体験を通して詩人自身が詩を書くことの意味合いを語っているところに注目していいる。前立腺癌の薬の副作用だと思うが、頭に血が上ってぼーっとしてくるのと、股関節変形症と脊柱管狭窄症のせいで長く椅子に座っていると腰がひどく痛くなってくるので、パソコンと向き合うのは2時間が限度になっている。居間のテーブルに戻って、どら焼きと煎餅とピーナッツ数粒を食べてベッドの戻る。月曜から金曜までのこの時間には「水戸黄門」の再放送を見る。水戸黄門が偽の水戸黄門になったりとか、いろいろと工夫された仕掛けを楽しむ。最後に約三分間のチャンバラで悪代官と悪親分が「もういいでしょう」と黄門様の前にひれ伏すことになっている。それから「Nスタ」を見て、7時過ぎに夕食。昨日はソーセージとエリンギの野菜炒めと蕪の味噌汁。食後は、麻理が新しく買ったdynabookで、麻理の目白大の授業「日本事情」の学生の発表を撮ったビデオを一人5、6秒にして55人分を麻理と一緒に編集してDVDに焼いた。Windows7のDVDMovieWriterは初めてだったので、マニュアルとメガネを外したり付けたりの首っ引きでの編集だった。疲れた。サツマイモとロールケーキと干しイチジクを食べて、歯を磨いて、トイレに行き、汗の下着を換えて、ようやくベッドに横になって「全英オープンゴルフ」中継で石川遼選手の猛烈な風の中のプレーを2時頃まで見て眠ったのだった。ゴルフ場の雲が綺麗だった。それから夜中はほぼ2時間置きに汗をかいてトイレに行くというのが毎夜のこと。
 
17:06:20 - shirouyasu - 3 comments

2010-06-03

9月に更にまた股関節を手術することになった。

 昨日、慶應義塾大学病院の整形外科で、藤田医師の診察を受けて、9月に左股関節の人工関節置換手術を受けることになった。2月に股関節の手術を受けた右脚は、痛みも痺れもなくかなり力が入るようになったが、どうも左脚がよくない。昨年10月の腰部脊柱管狭窄症の手術で、右脚の痛みと痺れは取れたが、左脚の痛みと痺れが残っていて、股関節も診断によれば変形症になっていて痛みがある。そこで、股関節を治してから、左脚の痺れと痛みの治療にかかるということで、股関節の手術が9月に予定されることになったのだった。
 相変わらず一日の大半をベッドに寝てテレビを見るという生活をしている。寝ている分には、脚の痛みや痺れは苦にならないが、前立腺癌のホルモン療法の薬の副作用か、汗がひどいのと時折頭がカーッとなるのには閉口している。女性の更年期障害と同じ症状だという。それと、テレビを見続けているから、目がしょぼしょぼして本が読めない。
 テレビは最近小鳩政権のW辞任で、皆さん右往左往しているのが面白い。刑事ものの「絶対零度」「おみやさん」「臨場」、連続ものの「チーム・バチスタ2」「同窓会」「水戸黄門」「タンブリング」「ヤンキー君とめがねチャン」など、またNHKの「龍馬伝」「日本GO」なども見逃さないで見ている。
 少なくとも、一年前、二年前では考えられない生活をしている。こんなざれごとの詩を書いた。

パンツ


脚が曲がらない
杖で横に広げて
孔、二つ
先ず左から
次に右
脚が通った



その人


近づいてきた
その人
志郎康さんですね
そうです
にこっと笑って
立ち去った
杖をついたまま
残った

13:55:35 - shirouyasu - 4 comments

2010-05-27

近況報告

マイミクシィのf451_hiroさんから
「公開で近況などうかがえると、ほかの人もほっとすると思います」
というメッセージを貰ったので、「そうか」と思い、近況をお知らせします。

[近況]
 現在、ベッド生活を送っています。
 二月に受けた人工股関節の手術の予後はいいようで、杖をついて家の中を歩いています。最近では、杖を使わなくてもそろりそろりと数歩歩けるようになりました。五月のイメージフォラムフェスティバルの二つのプログラムを見に行きましたが、往復タクシーで、帰りは会場からタクシー乗り場まで車椅子で押して貰いました。
 四月に見つかった前立腺癌の方は、ホルモン療法ということで、注射と飲み薬を服用してます。こちらの方は、薬の副作用と思える発汗がひどく、ちょっと動くと汗が出て、動かなくても夜寝ている時は二時間置きに汗をびっしょりかいて下着をかえなくてならず、閉口してます。
 一日の生活は、昨日を例にすると、朝は八時前に起きてNHKの「ゲゲゲの女房」を見て、ハムトーストとサラダに蜂蜜入りの紅茶で朝食をとり、朝日と日経の朝刊を見て、歯を磨いてトイレに行き、その後日記を書きます。それから、足腰の筋力増強のためにスクワッシュ10回、片足立ち数回の軽い体操をします。そして須永紀子詩集「空の庭、時の径」の詩を二編くらい読んでからベッドでテレビの時代劇の再放送を見ます。先週は「暴れん坊将軍」、今週は「素浪人・月影兵庫」で、同じ登場人物でストーリーが変わる、その組み立てが面白いです。十二時頃だいたい蕎麦かうどんの昼食を食べて、その後、仕事場に行ってeMacを起動してメールとmixiをチェックします。二時頃またベッドに戻って、テレビの刑事物の再放送を見ます。一昨日テレビ朝日の「相棒」、昨日はTBSの「世直し公務員・ザ公証人」を見ました。「相棒」は時効後に出頭した少女殺しの殺人犯が殺されて、しつこく犯人を知りたがっていた被害者の少女の両親が疑われるのを晴らすために、水谷豊たちの相棒の両人が真犯人を上げるという話でした。「世直し公務員・ザ公証人」の方は渡瀬恒彦が元検事の公証人で、嘗て自分が生んだ子どもを弟として戸籍に入れた資産家の老女の遺産相続を巡って、その弟の男を殺した計理士の犯人を割り出すという話でした。それを見た後、カステラとクッキーのおやつを食べて、今度は再放送の「水戸黄門」を見ます。これは毎日やっていて、欠かさず見ています。だいたい水戸黄門の一行が結託した悪代官と悪商人を成敗する話ですが、その荒唐無稽なストーリーが面白いのです。昨日の「水戸黄門」は犬山で、材木の不正を見つけて訴えに出た下っ端役人の夫が行方不明になったが、その夫の帰りを待って毎夜琴を奏でている盲目の人妻の琴の音に感動した黄門が、悪代官と悪商人を成敗して、夫婦が琴と尺八を合奏するのを聞きながら旅を続けるという話でした。その後は「Nスタ」でニュースを見ます。普天間問題がスリリングで面白いです。相撲のある時は相撲中継を見ていました。そして、七時頃日によって煮物や刺身やハンバーグや焼き肉などと豆腐とワカメの味噌汁で夕食になります。食後、パンツと下着を換えて、だいたいテレビのドラマを見ます。昨日は「臨場」、一昨日は「絶対零度」に続いて「チーム・バチスタ2」を見ました。「タンブリング」や「ヤンキー君とめがねちゃん」も見ます。それから、十一時頃サツマイモと干しイチジクなどを食べて、痛め止めの薬を呑んで、ラジオを聞きなながら眠りに着きます。
 以上のような生活を毎日繰り返しています。
14:11:26 - shirouyasu - 5 comments

2010-03-18

股関節手術の予後は順調のようだが、入院中の検査で前立腺癌が見つかった。

 昨日3月17日に退院後初めての股関節の診察があった。午前中に麻理と慶應義塾大学病院の整形外科に行って、藤田医師の診察を受けた。採血とレントゲンの診断で、異常はなく順調に回復しているとのことで、後は自分で筋力を回復させるだけだと言われた。
 診察の順番を待つ時間が3時間ぐらいあったので、麻理の提案で車イスを押して貰って、病院の外に出て医学部の校舎のあたりまで30分ほど散歩した。北里記念医学図書館の古いコンクリートの建物が印象的だった。およそ半年の間まだ外を歩いたことがないので、不安を感じながら、冷たい風に曝されてちょっと寒かったが、嬉しかった。
 一昨日は、慶應義塾大学病院泌尿器科に行って、長田医師から入院中に行った前立腺針生検査の結果の説明を聞いた。かなり大きな前立腺癌が見つかって、更に転移の検査を進め、それから治療するということになった。
 股関節手術の入院中に前立腺針生検査を行うことになったのは、手術後に尿管を抜いた後、血尿が出て、なかなか止まらなかったので、泌尿器科で診察して貰ったら、前立腺が大きくなっていて、PSAの値が正常の4以下を遙かに超えた360もあるので、癌だということになった。そこで前立腺針生検査を行ったというわけ。針生検査はお尻の穴に機械を入れて前立腺の10カ所の組織を取る。これはけっこう痛かった。その夜、出血でおしっこがしたいのに出なくなり、泌尿器科の医師に来て貰って、膀胱内の尿の有無を調べて、尿カテーテルで800mlと500mlの2回抜いて貰った。おしっこがしたいのに出ないというのがあんなに苦しいものだと初めて知った。入院中だったので、直ぐに処置して貰えたので助かった。
 股関節の手術で入院したら、前立腺癌が見つかったというこで、一石二鳥と運がよかったと言えるのかも知れない。
15:11:38 - shirouyasu - 12 comments

2010-02-26

近況報告

 今年に入って一月は、昨年十月に受けた腰部脊柱管狭窄症の手術の予後が思わしくないところに、左股関節の骨頭壊死症と変形症がひどくなり、1月28日に慶應義塾大学病院に入院して、2月1日に左股関節の「人口関節置換術」の手術を受け、2月23日に退院しました。
 現在、自宅のベッドで療養中です。股関節の手術の予後はよいようで、ようやく家の中で杖をついて移動できるようになりました。ベッドでテレビを見たり、ラジオを聴いたり、詩集その他の本を散見してます。
 今日2月26日は、午前中からテレビで冬季オリンピックの女子フィギュアの決勝戦を見ていました。浅田真央さんの、銀メダルを得ても、悔し涙でインタビューに言葉が出ない姿は印象的でした。その後、先日亡くなった俳優の藤田まこと主演の「はぐれ刑事純情派」を見てから、この「灰皿町blog日記」を久し振りに書きました。
 
15:50:04 - shirouyasu - 7 comments