Minami-hatoba_1(Shirouyasu_Suzuki)

2010-09-10

貞久秀紀詩集『明示と暗示』と北爪満喜詩集『飛手の空、透ける街』の短い感想

 須永紀子さんの詩集『空の庭、時の径』を読んで長い感想を書いた後、続けて貞久秀紀さんの詩集『明示と暗示』と北爪満喜さんの詩集『飛手の空、透ける街』を続けて読んで短い感想を書いた。貞久秀紀さんの詩集は『現代詩手帖』に掲載された詩論「明示法について」と合わせて読んだ。この二つの感想はそれぞれ私信としてお二人に送った。一部訂正してここに掲載します。
 なお、明日9月11日からわたしは左股関節の手術のために入院します。
 
 貞久秀紀さんの詩集『明示と暗示』の短い感想
 詩論「明示法について」は大変興味深く拝読しました。事物の存在を浮き彫りにすることばの使い方として、人の主観的な認識から意識空間を解放する方法と思いました。なんか突き詰めると神秘的精神に到ることができるのかななどとも思いました。
 人は事物を視覚という知覚の対象として捉え、次いで認識の対象にして、そこから自己の価値観や記憶へと送り込むことになるのですが、その限りでは、事物と自分が互いに偶然にそこにあるという関係が忘れられてしまう。つまり「存在関係」に至れない。その「存在関係」という地平を明示法という叙述の仕方で開いたと思いました。
 詩集『明示と暗示』はその方法で、こつこつと生活の中にある木の枝とか橋とかの事物との存在関係をことばによって実現していると受け止めました。読んでいくと、詩の独特の言い回しがうつってきて、庭の花を見るとき、その言い回しを反復したりしていました。貞久さんの詩のことばの力ですね。詩としては道端の木の数を書いた「数のよろこび」と、知人の家を訪ねたところを書いた「ことばの庭」が面白く共感しました。わたしは毎日Twitterに庭の花の数を書いているのですが、書きながら貞久さんの詩と重なってくるように感じました。
 
 北爪満喜詩集『飛手の空、透ける街』の短い感想
  『飛手の空、透ける街』は読み始めたら、朗読を聞いているような感じで、その詩の語り口に引っ張られて、作者の気づきの深みに引き込まれて行きました。イメージとそのイメージが独自の意味合いで説き明かされて行くというのを楽しめました。昼の月を切り取って夜の月に貼り付けて自分を癒すというアイデアに感心していると、月の光を人や物を照らす糸として、その一本一本の光の糸で月を頂点にして具体的に人や物を繋げて行くなんていいなあと思いました。
 月とか雨の滴とか草の葉の露の雫とか、透明に輝くものに作者の気づきを映して、その深みに連れて行く語り口が綺麗にできていると思いました。ただ、わたしとしては、作者の記憶に照らして、少女の頃のこと、母親とのこと、父親のことなど、肉親との関係を読者にはもっと不明なこととして、理解しにくい言葉遣いで語られた方が、詩として力が出るのではないかとも思いました。
 詩集全体で、わたしとしてはいいなあと感じながら、ちょっと不満が残りました。朗読ということを意識しているのしょうか、ことばの流れが分かり易す過ぎるという印象でした。黙読でイメージを重ねていくことばの展開と、聞かせて、分からせて話を展開していくのとは違いがあるということを、この詩集は示していると思いました。わたしはどちらかというとイメージに頼る方なので、語りの力を感じながら不満が残ったということなのでしょう。


posted at 14:54:25 on 2010-09-10 by shirouyasu - Category: General

Comments

北爪満喜 wrote:

詩集の感想をありがとうございました!
私のホームページの「メモリーズ」からリンクさせてください。
明日から入院なさるのですね。手術のご成功とご回復を祈っております。
2010-09-10 23:12:25

北爪満喜 wrote:

朗読を意識しているのでしょうか、と問いがありますのでお答えします。詩と向かい合うときに朗読はまったく意識してませんでした。このよに言葉がうまれ出てきました。
2010-09-11 00:22:24

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