不惑遊行―黒い野原   池井昌樹
                          (1953〜)

  
   仕事を終えて
   夜も更けて
   ひとりっきりで
   駅の階段をのぼってくると
   まっくろい
   野原なのだ
   あんまりつかれているんだろうか
   かえりたいところも
   かえらなければならないことも
   かえろうとするぼくじしんさえ
   きれいにわすれてゆきそうな
   こんなこころを
   よろこんでいいのか
   かなしんでいいのか
   降るような虫の音のなか
   やがてはひとりで乗ることになる
   終電車の灯を待ちながら
   とほうにくれて

――『晴夜』1997年・思潮社刊 より――

この作品「不惑遊行」には「白紙」「黒い野原」「産湯」「はしらのきずは」「ふしぎなかぜが」という五篇の作品が含まれている。そのうちの一篇である。「白紙」では詩人としての池井昌樹がいる。「産湯」では寧楽(なら)気分で、風呂に入るという行為を産湯のふるさとに浸っているように感じる池井がいる。「はしらのきずは」では息子の背丈の伸びてゆく先にある、明るい水面のようなものを見つめている。「ふしぎなかぜが」ではならんで眠る親子のいのちは彼方からつぎつぎに引き継がれてきたもので、さらに引き継がれてゆくもの。その彼方から静かに風の音が聴こえるというものだ。

この五篇の詩は詩人池井昌樹のささやかではあるが、しかし全世界なのである。そこへ仕事を終えて深夜に帰るとき、ふとみずからの存在でありながら、それが遠いものに感じる不安な時間となる一瞬でもある。夜の闇は暗い野原となり、どこかの異界に迷いこむような感覚にとらわれるのだ。疲れすぎている人間の放心でもあるだろう。

   やがてはひとりで乗ることになる
   終電車の灯を待ちながら
   とほうにくれて

この終電車にはふたつの行き先がある。一つは家路へ向かう電車でありながら、一方では人間が「一人」に還るための電車でもあるのだ。さてどちらに行こうか。


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