身持ちよき淫蕩について   耕 治人
              (1906〜1988)

   一人の女から他の女へ
   たえず移ってゆく男が淫蕩であろうか
   同時に数人の女と関係している男が
   淫蕩であろうか
   西鶴の世之介は
   何百何千の女と関係したということであるが
   関係した女の数で
   彼を淫蕩と言うことはできないし
   彼がそれで
   女を知っていると言うこともできない
   真の淫蕩は彼のように女を転々しない
   彼は淫蕩とも言えないし
   真の漁色家とも言えない
   彼は苛立たしい浅薄な男にすぎない
   一人の女を味わい尽くすことができたら
   世之介のごとく
   女から女へ移ってゆかれるものではないのだ
   女から女へ移っている男の網膜に
   一体女の何がうつるのか
   彼は女について何を知っていると言うのだ
   一人の女が
   一年や二年で味わい尽くせるであろうか
   世間では一生一人の女を守ってきた男を
   素行正しい人とほめるが
   陰では 話せぬ人と言う
   ところでその身持正しい男は
   世間の評価に反して最も深い女通であるのだ
   それは何人もなすことのできる技ではない
   私は一人の女を守っている
   身持正しい淫蕩なもののなかにこそ
   真の女を解している人があることを知って
   私はその男を
   具体的に書き表わしたいと思っていた
   その男は電車に乗る 街を歩く
   時刻には正しく食事をする
   早く寝て早く起きる
   外見なんの変哲もない
   いつも悶着を起こしたり 泣いたり叫んだり
   有頂天になったり
   絶望したりする世之介の類と違って
   海の底に沈んだようにじっとして動かない
   私は私の身近に暮しているその男を
   小説に書き表わしたいと願いながら
   できないのである 私の身体が薄いように
   私の描写には肉づけがない

――『耕治人全詩集・1980年 武蔵野書房刊』より――

はじめに書いておくが、耕治人の作品は下手(ごめんなさい。)である。それでも読み手を惹きつけるものは、耕治人生来の魂の透明性によるものだろうと思う。そして徹底して「虚」はなく「実」だけを書いた人でもあるからだろう。
耕治人は熊本県の温かな家庭に育ち、それが彼のその人格を最初に形成したと思われます。中学時代の作文に「天下は広いものだと言うけれど、私の家程いい家は他にあるまい」と記されている。しかし、その家庭はほどなく崩壊する。家族が次々に肺結核で亡くなってゆき、かれが22歳の時には優しい継母と二人きりになってしまった。(後に、この継母は耕の結婚と同時に籍を抜き、耕から離れていった。これは彼女の心優しい配慮であった。)
中学時代の耕は、武者小路実篤が宮崎県日向に開いた「新しき村」に 入村しようと訪ねていったこともある。しかし入村はかなわなかった。その後、耕は画家を志し、上京して白樺派の画家、中川一政に弟子入りを志願するが挫折。中川が詩も書いていたこともあり、このころから耕も詩を書くようになる。そして、中川を通じて白樺派の詩人、千家元麿に出会う。以後、千家を師と仰ぎながら最初は詩を、後には小説を、こつこつと彼は死ぬまで書き続けていくことになる。
彼はキリスト教教育で有名な明治学院に入学。卒業すると『主婦之友』編集局に入り、27歳のとき職場の先輩であった腰山ヨシと結婚している。彼は辞職している。しかし彼が世に認められたのは62歳、作品集『一条の光』(読売文学賞)による。遅すぎる出発であった。
ある時、耕は戦争末期に思想犯として誤認逮捕され、拷問を受けたことがある。その体験は『監房』という小説になっている。あたりまえに考えれば、誤認に対して無実を叫び、権力を告発するということになるはずだが、彼の場合は「これまでの人生のなかで、犯した過ち」のために、警察へ連れてこられたと考えるのである。その過ちとは、例えば、「子供も作らなかった。」「金を儲けなかった。」「友人が死んでも悔み状も出さなかった。」「好意を示してくれた娘を放った。」などなど。(微笑)
また彼の絶筆となった小説『そうかもしれない』に書かれているように、耕の妻ヨシが80歳になって痴呆症となる。老いた耕は必死に看護するのだが、その生活は困難を極め、さらにみずからが癌におかされていく。しかし彼は妻が漏らしたお小水を「清い小川」と言い、骸骨のようにやせ細った妻の体を「美しい」と感じて愛撫することさえあったのだった。
こうした耕治人の生き方が、そっくりこの作品に凝縮されているように思える。「身持ちよき淫蕩」とはおかしみのある言葉だが、おそらく耕は大真面目なのだろう。いや「大真面目な皮肉」だろうか?


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