にょしんらいはい   小川アンナ
                     (1919〜)


おんなのひとを きよめておくるとき
いちばん かなしみをさそわれるのは
あそこをきれいにしてやるときです
としとって これがおわりの
ちょうどふゆのこだちのように しずかなさまになっているひとも
おばあちゃんとよんでいたのに おもいのほかにうつくしい
 ゆきのあしたのように
きよらかにしずまっているのをみいでたときなどは
ひごろいたらなかったわたくしたちのふるまいが
いかにくやしくなさけなく おもいかえされることでしょう
そこからうまれた たれもかれもが
けっして うみだされたときのくるしみなどを
おもいやってあげることもなく
それは ひっそりと わすれられたまま
なんじゅうねんも ひとりのこころにまもられていたものです
てもあしもうごかず ながやみにくるしむひとのかなしみは
あそこがよごれ しゅうちにおおうてもなくて
さらしものにするこころぐるしさ

いくたびもいくたびも そこからうみ
なやみくるしみいきて
いまはもうしなえたそこを きよめおわって
そっとまたをとじてやるとき
わたしたちは ひとりのにんげんからなにかをしずかにおもくうけとって
いきついでゆくとでもいうのでしょうか

――『にょしんらいはい・1970年・あんず舎刊』より――


この詩集は小川アンナの第一詩集です。
小川アンナよりもちょうど10年年下でいらっしゃる詩人新川和江は、この作品に対して「彼女は生への対い方がそのまま詩への対い方になっている。」と書かれている。この作品を読んだ数年後、新川和江自身も老母の病床に付きそうことになりました。「おしものお世話」の度に、この作品を哀しく思いだされたということをエッセー「草の戸」に書いておられます。

「母よ その草の戸を閉じよ」

新川和江はその先が書けなかったと……。
わたくしの内では、長いあいだこの新川和江のエッセー「草の戸」が心に残り続けました。下記はわたくしの作品ですが……。


草の戸

すがれた草の戸をおずおずと開いて
かぼそく
ちろちろと
流れでるこがね色の水は
白く痩せた腿の内側をわずかに濡らし
草の葉先に玉をむすぶ

そして ふうぅと小さく息をはいて
母はしずかになった

その下草の奥
もうひとつの温く暗い小道
ゆらぐ小石
そこはときおりひよひよと鳴りだし
とおいひとを呼んでいる

窓辺の夕日はまぶしく哀しく
あなたの細める目がいろめく

小川アンナから新川和江へ、その優しく美しい「性の流れ」をわたくしはこの二つの掌に頂きました。女性とは「生命の連鎖」のなかに自然に組み込まれてゆくものだと思えてなりません。それは老母のことにとどまらず、娘の誕生の折にも思うことでした。母もわたくしも娘も、ひととして産まれるとき、すでに決められていた「性」の片側だったのです。
「にょしんらいはい」はそれへの「祝福」と「祈り」の作品だと思われます。


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