あたらしいいのちに   吉原幸子
                          (1932〜2002)

  
   おまへにあげよう
   ゆるしておくれ こんなに痛いいのちを
   それでも おまへにあげたい
   いのちの すばらしい痛さを

   あげられるのは それだけ
   痛がれる といふことだけ
   でもゆるしておくれ
   それを だいじにしておくれ
   耐へておくれ
   貧しいわたしが
   この富に耐へたやうに――

   はじめに 来るのだよ
   痛くない 光りかがやくひとときも
   でも 知ってから
   そのひとときをふりかへる 二重の痛みこそ
   ほんたうの いのちの あかしなのだよ

   ぎざぎざになればなるほど
   おまへは 生きてゐるのだよ
   わたしは耐へよう おまへの痛さを うむため
   おまへも耐へておくれ わたしの痛さに 免じて

――『幼年連祷・1964年・歴程社刊』より――

吉原幸子についてはどの作品を選べばいいのか大変迷いました。それゆえ思い切って「恋の詩」を選ぶことはすべてやめました。そしてこの子供の誕生にあたって書かれた詩を選びました。

子供を産むということは、母親の痛みは当然あります。しかし産まれてくる子供にとってもまた、暗い産道を通過することはそれはそれは苦しいことなのです。母と子との血まみれの苦しみのなかから、「生誕」という輝く出来事は完成するのです。これは生命への必死の行為です。

ある若い女性詩人の作品のなかに「なぜわたしは花ではなかったのか」という一節がありましたが、それはわたくしには痛かった。それは母親が「産んでしまった罪」を問われているように感じたからなのです。

   ぎざぎざになればなるほど
   おまへは 生きてゐるのだよ

それに対して母親はこの詩行のように語りかけるしかないでしょう。たとえ「痛いいのち」であっても生きてください。産まれたことを喜べる人生であってください。産まれ出るあまたの幼子たちよ。


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