青春   大岡信
           (1931〜)

  
あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。おごる心の片隅に、少女の額の傷のような裂け目がある。突堤の下に投げ捨てられたまぐろの首から噴いている血煙のように、気遠くそしてなまなましく、悲しみがそこから噴きでる。

うすれて見える街景に、いくたりか幼いころの顔が通った。まばたきもせず、いずれは壁に入ってゆく、かれらはすでに足音を持たぬ。耳ばかり大きく育って、風の中でそれだけ揺れているのだ。

街のしめりが、人の心に向日葵でなく、苔を育てた。苔の上にガラスが散る。血が流れる。静寂な夜、フラスコから水が溢れて苔を濡らす。苔を育てる。それは血の上澄みなのだ。

ふくれゆく空。ふくれゆく水。ふくれゆく樹。ふくれる腹。ふくれる目蓋。やせる手。やせる牛。やせる土地。ふとる壁。だれがふとる。だれが。だれがやせる。血がやせる。空が救い。空は罰。それは血の上澄み。

あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。

――『記憶と現在・1956年・書肆ユリイカ刊』より――

「あてどない夢の過剰が、ひとつの愛から夢をうばった。」という書き出し、「あてどない夢の過剰に、ぼくは愛から夢をなくした。」という最終行に、わたくしも「夢の過剰」に背中を押されるようにして、この作品の前に立ち止まりました。いいえ、立ち往生したのかもしれません。その言葉は、待ち伏せを企んだ恋人のように、うつくしくそこに立っていたのです。しかし「愛」とは「過剰な夢」を苔のように増殖させるが、いつでもその「夢」を裏切り続けるものでしかなかったのではないだろうか?待ち伏せしていたはずの「愛」は壁のようになってしまった。「血」は「水」の思想となり、「水」は「血」の思想をすすぎ、街は水域のようにあやうく揺れる。
額にながれる血、溢れる水、育ちすぎた聴覚、ふくれゆくもの、やせてゆくもの、うつくしい茜空に罰を受け、罪人のようにうなだれる若者たちよ。青春とは過剰な夢と深い欠落の日々であったのだと、改めてわたくしの痩せ衰えた心は思うのです。

   地表面の七割は水
   人体の七割も水
   われわれの最も深い感情も思想も
   水が感じ 水が考へてゐるにちがいない   
   (故郷の水へのメッセージ より抜粋)

大岡信の作品のなかには「水」という言葉がよく出てくる。「故郷の水へのメッセージ」のこの4行が、彼の詩作の底流になっているのではないかと思えてならない。


前ページ     次ページ


『愛の詩』を読む 目次に戻るHaizara net(top page)Shimirin's HomePageUrokocitySiteMap