ツグミの声   牟礼慶子
              (1929〜2012)

   季節は穏やかにめぐり
   大空はあくまで澄み
   果樹は甘く実を結んだ
   そしてツグミも今年は
   いつもの枝に帰ってきた

   はるかな林から林へ渡る
   百千の鳥のさえずりの中
   短く鳴いてやむ
   あの低い声を聞きわけるのは
   あれは私を呼んでいる声だから

   あの人の呼ぶ声は
   心の底まで届いていたのに
   抱き寄せられる前に
   立ち去るすべを選んだ
   あまたのことばよ

   共にとどまることも
   飛び立つこともしなかった私は
   あの人の胸深く生い育って
   さやさやと緑の葉を揺らし
   声のないことばで答えようとした

   ついに羽を連ねて飛ばなかった
   遠い日の哀しみは
   今はもう甘く実を結んで
   明るい静かな光の中
   ツグミの呼ぶ声を聞いている

――『牟礼慶子詩集・現代詩文庫128・1995年・思潮社刊』より――

   私のことばは
   空に噴き上げる多彩な虹でなく
   開ききった大輪の花でもなく
   まぶしい恍惚ですらなく
   いっさいの充足とは無縁である  
   (「私のことばは」・詩集「日日片言」より抜粋)

牟礼慶子の言葉は美しく開花することを拒んでいるかのようだ。甘美な音楽になることすら拒んでいるようにも思える。ツグミは「キョッ キョッ ピッ ピッ」と短く鳴く。美しい声とは言えない。聞き取ろうとする鳥の鳴き声にすら彼女は「ツグミの声」を選んだのだ。そして花ではなく一本の果樹になることを試みようとしているかのようだ。この作品は「恋唄」の形を借りて、牟礼慶子はみずからの「ことば」と「魂」への矜持を示しているではないだろうか?

   魂は手や足をはなれて
   あんなに空に近い
   木の枝に存在することもあるのだということを 
   (魂の領分・最終行より)

美しい空を見上げるとき、いつもこの詩行を思い出す。空の美しさを誰かに伝えたくなる。このようにして、わたくしは「ことば」をやすやすと「咲かせてしまう」のだと自省する詩行でもあるのです。わたくしと詩人牟礼慶子との出会いは詩集「魂の領分」だった。その詩集のタイトルに強く魅せられて、未知の詩人の詩集を買ったのは20代の頃だったか?しかし30代の前半に、わたくしは蔵書のすべてを売り払った。その時は一切「詩」と無縁となる人生を送るつもりだった。当然「魂の領分」も手放しましたが、このタイトルの言葉だけが、わたくしから離れてしまうことがなかった。そしてこの言葉が、わたくしをふたたび「詩」に呼び戻してくれたのかもしれません。わたくしのささやかな「ことばの領土」を持つために。


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