薄明のフライパン   清水哲男
                    (1938〜)

                
   目玉焼き
   フライパンに湧き上がる太陽?
   火を使うときにだけ
   女は底抜けの善意の手つきを持つ
   なべて熟練とは悲しい術だが
   とりわけて台所にある女の
   尻にまで垂れてくる慣れの弾性は
   目玉焼き以上の酸度を持ち
   およそ食欲とは遠いところで
   太陽に対しての自信さえ示しているようなのだ
   食いたかねえなア 目玉焼きなんて
   ましてやガスの火を消してから
   新聞をひったくるような女の顔を前にして
   食いたかなんかあないぜ 目玉焼きなんて
   まったくもって善意というやつは
   食欲を減退させてくれらあね
   とまあ
   ひとり身のときの朝の連想は
   善意を弾機にして女の息苦しさを
   計っていたというわけだったが
   いまはひとりでときおり
   家族よりもはやく薄明の台所に立って
   前夜から浅く水のはられたフライパンを
   両の手でぐいと持ち上げ
   結局は計りかねたといわざるを得ない
   女との生活が
   目玉焼きのように食い散らかされたものであることを
   やがてはのぼる朝日の善意のうちで
   身にしみて計ることができたらばと
   口から酸の唾が出るまで
   捧げ持つフライパンに
   意味を持たせようと努力したりするのである。


――『夕陽に赤い帆・1994年・思潮社刊』より――


 長い日々であった。休みなく火や水を善意の手で使いこなし、全身が「自信」と「慣れ」と「熟練」となってしまった者にも、その日々の「意味」は欲しいものだと思ったことはある。火を焚きつづけ、水ですすぎつづけた日常は、実は「努力」ではない。ましてや「意味」でもなかった。それは日輪が下す地上への沈黙の指令を女性が受け止めて、それに従っていたものにすぎないのだった。おそらくは潮の干満からも、見えない指令を女性には感じることができたのだと思うようになった。
 そこに気付いたとき、わたしは「家族」という手垢にまみれた小惑星から、いつだって自由になれるものなのだと思うことができるようになった。長い歳月がかかったが、無駄な時間だったとは思わない。おそらく必要な時間だったのだろう。


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