うさぎ    平田俊子
      (1955年〜)

  
   あなたはキツネになってわたしを食らえ。雪のなかでぴ
   ょんぴょんはねるわたしを見つけ、血走った目で追って
   こい。
   わたしは逃げる。あなたに追いかけられるため。時々ふ
   りむき、あなたの姿を確め、ぴょんとはねる、ぴょんと
   はねる。心臓が高鳴る。耳がぴんと立つ。うれしい。
   あなたがわたしをほしがるなんて。こんなにもいっしん
   に追ってくるなんて。
   あなたの足音、あなたの鼓動、あなたのうなり声をわた
   しの耳は聞く。高まる体温、高まる食欲、飛び散る汗を
   わたしの耳は聞く。
   あなたは決してあきらめるな。足の皮がめくれようと、
   切り株でつまずこうと、立ち上がりわたしを追ってこい。
   わたしの肉のうまさを思え。三日ぶりにありつく獲物の
   味を思え。わたしの肉はすこぶる美味だ。
   冬山である。
   一面の雪である。
   徹底的にふたりきりである。
   わたしは逃げる。あなたは追いかけろ。きっとわたしは
   あなたにつかまる。泣きながら笑い、笑いながら泣いて、
   やがてあなたに追いつかれてしまう。あなたはわたしに
   飛びかかる。あたたかな腕。激しい鼓動。ほとばしる汗。
   耳にかかる息。待っていたよ、この時をずっと、もう一
   千年も昔から。
   あなたはわたしの首を思いきり咬むがいい。そこがわた
   しの弱点だ。白い毛が舞う。赤い血がしたたる。雪がよ
   ごれる。空が近い。ふたつのまなこに虹をうつして、薄
   笑いしてわたしは絶える。
   待っていたよ。この時をずっと。

――『ターミナル』 1997年・思潮社刊 より――

   兎落つ雪まみれにて陰(ほと)赤く (加藤知世子)

   白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り (斉藤史)

この俳句と短歌に表現されたうさぎの「ほと」の赤と「眼」の赤は白い雪のなかで、哀しいほどにみごとな美しさだ。そして平田俊子はうさぎを命がけで走らせて、雪の白のなかに「愛の血」の赤を点々とうつくしく、残酷に散らしてみせた。今は亡き詩人辻征夫に「めずらしく退屈しないでおしまいまで読める詩を書く人である。あまりのおもしろさにふと危惧さえ感じる。」とまで言わせた詩人平田は、この詩という魔物のために支払った現実生活の代償も大きかっただろう。それについて詳しく書く気はないが。
わたくしの知る限りでは平田俊子の「恋歌」らしき作品はこの一編ではないかと思う。魔物と対決するような彼女の詩作の合間で、ふと、その掌からこぼしてしまったかのような作品だ。これは女性の描きだした究極の愛の姿ではないだろうか?だから一編でいい。そしてこれは詩の世界だけが見せる現実なのだ。詩語だけが語ることのできる偽りのない告白なのだ。

   空が近い。ふたつのまなこに虹をうつして、薄笑いしてわたしは絶える。

うさぎの赤い目が虹色になる。平田俊子はうつくしい愛と死の瞬間を見事に書ききったと思う。ある方から、雪山でうさぎを追うことは不可能なこと、通常では猟師は罠を仕掛けて待つのだと聞きました。「でも、詩歌の世界ではそれを可能にしてもいいでしょう。」ということでした。


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