愛情69    金子光晴
           (1895〜1975)

 
   僕の指先がひろひあげたのは
   地面のうへの
   まがりくねった一本の川筋

   外輸蒸気船が遡る
   ミシシッピイのやうに
   冒険の魅力にみちた
   その川すぢを
   僕の目が 辿る。

   落毛よ。季節をよそに
   人のしらぬひまに
   ふるひ落とされた葉のやうに
   そっと、君からはなれたもの、

   皺寄ったシーツの大雪原に
   ゆきくれながら、僕があつめる
   もとにはかへすよすがのない
   その一すぢを
   その二すぢを、

   ふきちらすにはしのびないのだ。
   僕らが、どんなにいのちをかけて
   愛しあったか、しってゐるのは
   この髯文字のほかには、ゐない。

   必死に抱きあったままのふたりが
   うへになり、したになり、ころがって
   はてしもしらず辷りこんでいった傾斜を、そのゆくはてを
   落毛が、はなれて眺めてゐた。

   やがてはほどかねばならぬ手や、足が
   糸すぢほどのすきまもあらせじと、抱きしめてみても
   なほはなればなれなこころゆゑに
   一層はげしく抱かねばならなかった、この顛末を。

   落雷で崩れた宮観のやうな
   虚空に消えのこる、僕らのむなしい像。
   僕も
   君も
   たがひに追い、もつれるようにして、ゐなくなったあとで、

   落毛よ、君からぬけ落ちたばかりに
   君の人生よりも、はるばるとあとまで生きながらへるであらう。それは
   しをりにしてはさんで、僕が忘れたままの
   黙示録のなかごろの頁のかげに。

――『愛情69』 1970年頃 より。――

この時期に金子光晴が主宰していた詩誌「あいなめ」に発表された作品69編を収録した詩集の最後におかれた作品である。この詩集は男女の愛の在り方への切実な想いがこめられた詩集である。同詩集に収録されている詩「60」の最終行には、こう書かれている。

じぶんのむささがわからぬ程に / あひてのむささがわからねばこそ、 / 69(ソワサン・ヌフ)は素馨(ジャスミン)の甘さがにほふ。

話は少し飛ぶが、2003年10月、アサヒ・コムにて、1953年発表された森三千代(金子の妻)の小説「新宿に雨降る」の草稿がみつかったと報道された。その頃、リウマチにおかされていた妻の口頭筆記をしたのは金子自身だったとのこと。その小説とは、森三千代と中国軍人「柳剣鳴」との実際の不倫を題材にしたものだったのである。
二人の一人息子乾の著書のなかでは、この二人は「良人以外の男性との情事を積極的にしゃべることに快感を感じる。」母、「妻の告白をきいて、いやしめられ、苦悩し、地獄のどん底にいる状態になっても被虐的立場に興奮を覚え、いっそう妻を愛する。」父として描かれている。しかし乾一家はこの両親を深く愛していたということも忘れてはならない。

この報道にふれて、わたくしがはじめに思い出した金子の作品が上記のものだった。この二人の愛の在り様と、この詩がどのように繋がっているかは、わたくしにはわからない。これはわたくしの勝手な「響きあい」にすぎぬやもしれぬ。ただ、いかようにしても「愛する」ということは、底なしの「寂しさ」との抱き合わせとなって、男女の心身を犯してゆくものだということを、これほどに伝えてくる詩に、わたくしは出会ったことがない。
金子光晴のこの自虐的とも思える独特のダンディズムは、生涯にわたって貫かれたと言っても過言でないだろう。


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