いつも見る死   財部鳥子
             (1933〜新潟県生まれ)

 
     ――避難民として死んだ小さい妹に


   いもうとは空色の服をきて
   草むらに見え かくれ
   いもうとは顔のような牡丹の花をもって
   あ 橋のしたを落ちていく
   わたしは目ざめている
   いもうとを抱きとめるために目ざめている
   あおい傷が
   わたしの腕をはしる

   はしる野火にまかれて
   わたしもいもうともそこにいない
   パオミイの林のなかの
   大きな泣き声は わたしではない
   わたしは目ざめて
   気づく
   夢の巨きなおとがいに
   いもうとを捨てたことを
   もう戻れない
   戻れない

   でもはしれ はしれ
   はしるたびに 傷は大きくなりながら
   牡丹の色に裂けて
   わたしは死ぬ いくども死ぬ
   死ぬあとから
   いもうとは 鳥の巣のある草むらにまぎれこんだ
   いもうとは タワン河(ホー)のきいろい水勢に
   のまれてしまった

   そしてわたしは不意に目ざめる
   戻れない 泣き声ののこる夢のあわいで
   わたしは銃声を一発 ききたくない

――『わたしが子供だったころ・1965年・私家版』より――   


財部鳥子は新潟県に生まれ、旧満州にて少女期を過ごし、1946年に日本に引き揚げています。この詩集は財部鳥子の第一詩集である。そしてこの過酷な体験が彼女に「詩」を書かせることにもなったのではないだろうかと思われます。
敗戦後の旧満州で避難民と化した人々のなかで、この妹は逃げおくれて銃殺されたのだろうか?あるいは行き倒れたのだろうか?そして……。

   いもうとは タワン河(ホー)のきいろい水勢に
   のまれてしまった

幼いいのちと老いたいのちがいつでも真っ先に「死」にのみこまれるのだ。その妹は繰りかえし繰りかえし彼女の夢のなかにあらわれるが、ついに妹を救うことはできない。そしてその「無念さ」から彼女も長いあいだ立ち上がることはできなかったのだろう。また避難民に死者がでたとき、こころゆくまで死者を手厚く葬ることはできなかった。いつでも生きているものたちは先を急がなければならなかったのだ。


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