一九四五年秋 機  中桐雅夫
            (1919〜1983・福岡県生まれ)


   からす二羽。三羽。地を低く舞い。
   見あぐれば。霧の中に。
   夕陽はただ。赫き一箇の円なり。
   しろく穢れたる馬は。空車に繋がれ。
   首を垂れて。動かず。
   この丘上の。一切の世俗は廃れて。
   戦い終わりたる重砲陣地のごとく。
   凄愴の気。四囲より迫り来れり。

   餓えたるか。非ず。
   渇したるか。非ず。
   ただ。懈怠の念いに堪えず。
   濡れそぼち。絡みあい。
   あか錆びたる電線を踏みて。
   ひとり。停車場への路を行くなり。
   
   ここはこれ。
   恥に満ちたる都会の。わが最後の場所なり。
   ここ停車場の歩廊に。
   人ら。みな疲れ果てんとし。
   列車は。ひたすら。悲痛なる号笛を待つを。
   壊れたる椅子に坐せば。
   霧は車窓より流れきたり。
   わが秋の。
   わが秋の。黄昏のしゃつの重きや。

――『現代詩文庫・38・中桐雅夫詩集・1971年・思潮社刊』より――

この中桐雅夫の作品の収められている詩集は残念ながらわたくしにはわからない。この文庫に収められた作品は、詩人長田弘の選定、構成によるものである。解説する必要もないだろうが、タイトル通り敗戦直後に書かれた作品である。

口語体ではなく、あえて文語体で書かれた作品は中桐雅夫の作品のなかでは、おそらくこの作品だけではないだろうか?その特異性において、この作品は中桐雅夫の深い想いがこめられているように思う。詩行のなかにおびただしく配された句点。それは深い疲労を背負って歩く人間の重い一歩一歩のように進んでゆく。立ち止まったらまっさかさまに「虚無」に落ちてしまいそうな人間の必死の歩行のようだ。詩人中桐雅夫は「結核」のため「兵役」は免れたが、戦争の終結が即刻あかるい時代を人々に連れてきたわけでもなかった。

また、戦後の詩人たちは「表現の自由」を手にいれたが、「われ」から「われわれ」という言葉を背負うことになったのである。ここに中桐雅夫の言葉を引用しておきます。

『戦後の詩では「われわれ」つまり作者も読者もふくめた人間全体というものが、表に出てきました。これはいうまでもなく、第二次大戦の影響です。単数の死ではなく、原水爆によるメガ・デスに直面した詩人の声です。戦前でも戦後でも、左翼の詩人たちは「われわれ」でうたうものもありましたが、これはもちろん階級的連帯であって、死を前にした全人間的なものではありません。戦後の「われわれ」の詩はこういう意味で、新しい意味での不安を反映したものといえます。』


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