伝言   加藤温子
        (1932〜2000・東京生まれ)

 
   はげしい雨の日
   泥水に全身を濡らし
   学徒兵となったぼくのことは
   妹であるおまえのほか もう誰も知りはしない
   瀬戸内海を見下ろす花崗岩の山墓に
   ぼくは眠ってなんかいない
   只一人の戦友が 軍靴の底にしのばせて
   やっと 祖国に届けてくれたぼくの五片の爪
   幼かったおまえもあるいは見てくれただろう
   たぶん 変色していたと思うけれど
   ぼくが存在していたことの
   あれが たった一つの証明だなんて
   やはり 少し悲しいね
   ぼくが埋められているらしいのは
   ニューブリテン島 旧日本軍ラバウル基地の片隅
   ある日突然 戦犯として
   デス・バイ・ハンギング
   つまり吊るされてしまった
   おかあさんや おまえに
   「さようなら」ひとつ書くことも許されず
   名前も呼ばれず
   番号だけが「ぼく」だった
   灼けつくような熱帯の刑場で
   一言もいわずに
   カタン と小さな音をたてて……
   祖国のための戦死でもなく 公死でもなく
   「死」すら認められないこともあるんだね
   ぼくの死には
   目印の小石ひとつありはしない
   絶望もなにもない すっからかんさ
   でも 遠く海をへだてて 目を閉じているとね
   深夜 勉強部屋にさびしくひびいた
   山陽本線の連結器の音のあいまに
   カタン カタンとしずかにめぐる時代の音が聞こえてくる
   だから
   おまえに そっと伝えたいんだ
   つぎに カタンとかすかな音が聞こえたら
   それは あるいは
   無名戦士にすらなれなかったぼくにとっても
   何かのはじまりかも知れない ……と

――『少女時代・1986年・砂子屋書房刊』より――

同詩集のなかに「ミーレの唄」という作品がある。ミーレの口癖はこうだった……。

   「さあ たくさん遊ぼうよ
    先へ
    先へいこう」

「カタン」というかすかな音をたてて時代はやさしく連結されるはずでした。そして時代はゆっくりと先へ先へと進んでゆくはずでした。温子さん、あなたが逝って、生きているものたちは一つづつ歳を重ねてきました。しかし、しずかにめぐる時代の音を、わたしたちはまた聞きのがしてしまったのです。聞こえてくるのは耳をふさぎたいほどの轟音ばかりです。


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