曠 野   新藤凉子
         (1932〜・鹿児島県生まれ)


   高粱畑を過ぎ 牧草地を過ぎ
   赤い芥子の咲き乱れる群落を過ぎても
   夏の草の原は
   地平線の限りを続いた
   太陽が昇ったあと
   半日をかけて衰えた陽は
   天と地のすべてを血のように染めて融けた
   そのあとに月は曠野のうえを冴え渡る
   もう三日もこの景色は変らない

   毎日 地平線から太陽は昇り 陽は沈む
   お父さん いま
   迎えに行くのよ
   万里の長城を越えて
   二千年をかけて造ったこの城壁を
   たった九年しか生きていないわたしが
   いま越えてゆく
   万里の長城の二千年も
   わたしの九年も
   お父さんの生きた三十六年も
   まぼろしのよう

   先生がこわい顔をして
   「……だからすぐに帰りなさい」といったとき
   隣りの席の子が
   わたしのお父さんでなくてよかった!
   とつぶやいた そのときに
   わっ と泣いたわたしだったけど

   こんなに果てしない広いところを見てしまって
   こんなにも大きな夕陽に覆われて
   わたしたちの いのち
   芥子粒より 小さい とはじめてわかる
   この天と地はなにもかも飲み込んでしまった
   わたしが泣いただけじゃない
   この国のひとはもっと泣いているよ
   わたしたちのいのちは 永遠のなかの
   一滴の涙のように はかないのに
   この美しい地球で人間が争いにまきこまれるのは
   とてもむなしい

   いつの日にか この思いを
   この曠野を なつかしむだろう
   わたしたちが滅んだあとにも
   毎日 陽は昇り 陽は沈むだろう
   お父さん わたしは生きるよ
   ひとしずくの血になって土に染みとおり
   海に流れこむまで
   わたしは生きる 生きてやる

   さあ わたしの血を運べ
   汽車よ 汗血馬よ
   すっかり小さくなった
   父のそばに

――『薔薇ふみ・1985年・思潮社刊』より――

1941年、満鉄に勤務していた新藤凉子の父上が蒙古で亡くなった。大連にいた9歳の彼女は父上の遺骨を迎えにゆく旅にでたのです。小さな小さないのちは、広い広い大地をひた走り、小さくなった父上を迎えに行ったのです。

   もう三日もこの景色は変らない

それは旧満州で暮らしていたわたくしの亡き父母が幾度も幾度も語った思い出話と同じだった。そして地平線に沈んでゆく赤い夕陽のとてもとても大きかったことも。記憶にすらないわたくしがその風景をありありと思い浮かべることができるのはなぜだろうか?さらにこの詩の風景をなつかしいと思うのはなぜだろうか?忘れているわけではない。わたくしたち日本人が「占領者」だったことを。あの大陸において、日本軍がどのように残虐であったかも。

   いつの日にか この思いを
   この曠野を なつかしむだろう
   わたしたちが滅んだあとにも
   毎日 陽は昇り 陽は沈むだろう

それでも「なつかしい」と思うのは、人間の恥ずかしい戦争行為は「むなしい」と、「陽は昇り 陽は沈む」あの広大な風景が無言で教えてくれるからなのだろうと思うしかありません。


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