国名   清水昶 
          (1940/11/03〜2011/05/30)

  ――亡き林賢一君に

  お母さん ぼくは遠くから流されて
  異郷の砂浜にうちあげられた貝だった
  水が欲しいよ 水をふくんだことばも少し
  ただぼくはだまっていただけなんだ
  歴史的に半島の血を割って 古い戦争が移しかえた
  三つの国名が汚れている
  はんぶんだけの祖国はみどりが滴っていると聞いたけど
  関係ないよね 三代目の図画の時間には

  ぼくだって片想いに区切られた恋もした
  どこまでもひろがる海図の迷彩色にすっかり染まって
  勉強もがんばった 悪意を抜いて……
  まだほそい腕から切れ込んで意味の手前でするどくまがる
  凄いカーブもみせたかったな
  ひとりぼっちで喝采して網に突込む 
  素晴らしい右脚のシュートもさ
  ほんとうにみてもらいたかったんだ
  校庭はがらんとしていて 落葉だけが降りつもり
  だあれも受け手がいなかったから
  全部ボールは行方不明
  いつもそんなゆうぐれが肩から昏れて
  明日の学校は暗欝だった
  ぼくはだまっていただけなのに
  三つ目の国名が窓を閉めきり
  大人の手口とそっくりな手と口が
  けたたましくぼくの出口を覆うから
  夢を教える教室は 退屈しきった
  健康で小さな病者がいっぱいだ

  お母さん
  ゆうやけが水たまりに落ちていたりして
  帰り道がきれいだったよ だけどもう
  腕が抜けそうに鞄がおもい 学帽の中味も投げ棄てたいな
  国名のない海の音が聞きたくて
  屋上の夜までのぼってみた 眼下のあかりを吸って波だつ
  晩夏の夜空は海みたいだったな
  ぼくは誇りをしめたひとつの貝だ
  みしらぬ渚で寒さと嗚咽に堪えながら
  国名を解くために
  じっと舟を待っていた  

――『だれが荷物をうけとるか・1983年・造形社刊』より――

この作品に付記されている解説によると、これは実際にあった事件が背景となっている。埼玉県上福岡市の中学生林賢一君(当時12歳、在日朝鮮人三世)が飛び降り自殺をした。学校内で起きた集団による「いじめ」が原因であった。それは小学校卒業時頃より始まり、中学校入学後も続いたのだ。担任の女性教師の不適格な指導が「いじめ」を加速させていたとも思われる。市の教育委員会はその「非」を認め謝罪文をご両親に提出したという。しかしふたたび賢一君のいのちは戻ってこないのだ。ここにも「戦争」がひきずってきた大きな罪があるのだ。

清水昶の詩をもう一編紹介いたします。詩集「夜の椅子・1976年・アディン書房刊」のなかの「青葉城址―仙台の小さな友人赤間立也君へ」より抜粋。

  だからこそぼくないしぼくら大人は
  きみのやさしい敵として
  いつまでも背中をみせて坐っている

このようなやさしい大人の背中ではなく、残忍な大人の背中が子供たちに教えた人間の差別を、清水昶の詩はこのように書く。

  大人の手口とそっくりな手と口が
  けたたましくぼくの出口を覆うから
  夢を教える教室は 退屈しきった
  健康で小さな病者がいっぱいだ


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