骨のうたう   竹内浩三
            (1921〜1945・三重県生まれ)


   戦死やあはれ
   兵隊の死ぬるや あはれ
   遠い他国で ひょんと死ねるや
   だまって だれもいないところで
   ひょんと死ねるや
   ふるさとの風や
   こいびとの眼や
   ひょんと消ゆるや
   国のため
   大君のため
   死んでしまうや
   その心や

   白い箱にて 故国をながめる
   音もなく なんにもなく
   帰ってはきましたけれど
   故国の人のよそよそしさや
   自分の事務や女のみだしなみが大切で
   骨は骨 骨を愛する人もなし
   骨は骨として 勲章をもらい
   高く崇められ ほまれは高し
   なれど 骨はききたかった
   絶大な愛情のひびきをききたかった
   がらがらどんどんと事務と常識が流れ
   故国は発展にいそがしかった
   女は 化粧にいそがしかった

   ああ 戦死やあはれ
   兵隊の死ぬるや あはれ
   こらえきれないさびしさや
   国のため
   大君のため
   死んでしまうや
   その心や

――『竹内浩三全集・1984年刊』より――

竹内浩三の思想の根底をなしているものは、幼いとき母親が繰りかえし読み聞かせた「イワンの馬鹿」にあったようです。
竹内浩三は1942年10月に入営。1944年12月、斬り込み隊員として、フィリピンのルソン島に派遣される。この作品はその折に友人へ送ったものとされているが、どのようにして検閲を免れ、郵送されたのだろうか?そのうえこの作品は見事に「死」も「戦後の状況」も予言されているのだ。
1941年の夏休み、竹内の恋の相手は同郷の娘だった。「わたしが出した手紙で御飯が炊けるとしたら、彼女のくれた手紙で味噌汁がわかせる。」というような悲恋であったらしい。1945年4月9日、フィリピンのバギオ北方1052方面の戦闘にて戦死、24歳の若さだった。竹内の絶筆となった友人宛ての手紙には「森ケイ……トキドキハガキヲカク気ニナルガ、イツモ出サズニヰル女人ノ名デアル」と書かれてあった。
あと4ヶ月で終戦である。世界中にこのような若者が一体何人いることだろう。


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