弔詞   石垣りん
          (1920〜2004東京生まれ)

  
 ――職場新聞に掲載された一〇五名の戦没者名簿に寄せて――


   ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

   ああ あなたでしたね。
   あなたも死んだのでしたね。

   活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。
   悲惨にとぢられたひとりの人生。

   たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。
   一九四五年三月十日の大空襲に、母親と抱き合って、
   ドブの中で死んでいた、私の仲間。

   あなたはいま、
   どのような眠りを、
   眠っているのだろうか。
   そして私はどのように、さめているというのか?

   死者の記憶が遠ざかるとき、
   同じ速度で、死は私たちに近づく。
   戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、
   覚えている人も職場に少ない。

   死者は静かに立ちあがる。
   さみしい笑顔で、
   この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

   私は呼びかける。
   西脇さん、
   水町さん、
   みんな、ここへ戻って下さい。
   どのようにして戦争にまきこまれ、
   どのようにして
   死なねばならなかったか。
   語って
   下さい。

   戦争の記憶が遠ざかるとき、
   戦争がまた
   私たちに近づく。
   そうでなければ良い。

   八月十五日。
   眠っているのは私たち。   
   苦しみにさめているのは
   あなたたち。
   行かないで下さい 皆さん、どうかここに居て下さい。 


――詩集「表札など・1968年・思潮社刊」より――


2004年12月、詩人石垣りんはお亡くなりになりました。12月28日付け朝日新聞の夕刊にて、三木卓の石垣りんへの追悼文が掲載されていました。その文末で三木卓が選んだ石垣りんの詩の一節がここでした。

   死者の記憶が遠ざかるとき、
   同じ速度で、死は私たちに近づく。

この二行だけを読みますと、死者と生者とのいのちの距離感覚、均衡関係から生まれた「弔辞」のように思われましたが、あらためて詩集を開いて作品全体を読んでみますと、これは戦没者名簿に書かれた方々への、その一人一人への弔辞の一部だったのですね。

   戦争の記憶が遠ざかるとき、
   戦争がまた
   私たちに近づく。

 「そうでなければ良い。」と石垣りんはお書きになりましたが、2004年を経て、2005年へと生き継いでゆくわたくしたちは、この「良い。」方へ生きることが出来なかったのです。戦争が終わって二十年後にこの作品が書かれ、その約四十年後には、「記憶を遠ざけて」わたくしたちは「戦争に近づく。」という愚かさをさらに重ねているのです。死者にあるそれぞれの名前、一つ一つのいのち。それは「数」ではない。


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