鶏   石原武
       (1930〜・山梨県甲府生まれ)

   羽根を毟られた裸の鶏の
   まだぴくっと動く鳥肌を
   裏庭のバケツで洗うオフクロの
   白い首に吹く黄砂まじりの旋風
   三月の暮れどき
   低い地平が黄塵で少し明るい

   そのあと
   鶏ガラ汁に
   ゆであげうどん

   満州から
   イガグリ頭の男になって
   姉が生還した日
   ソヴィエト兵や八路兵の乱暴など
   断固として口を閉ざして
   首を垂れ
   鶏ガラ汁のうどんを啜る姉

   座敷の隅では
   雛祭りの人形たちが
   固唾をのんでいる
   まだ赤く燻る黄塵を背に
   姉はゆであげうどんを啜っている
   酔いつぶれたオヤジの
   鼾に
   オフクロがその鼻をつまみ
   ようやく
   春の夜のさざめき

   遠い野火も眠りに落ち
   満州は終った


――『飛蝗記・2004年・花神社刊』より――

この石原武の作品に出会った時に、はじめに思い出したしのは財部鳥子の詩集「腐蝕と凍結・1968年・地球社刊」のなかの作品「詩の音」でした。財部鳥子は1933年新潟県で生まれ、間もなく旧満州国、ジャムス市に渡り、引揚げまでをそこで過ごしています。

   きみの耳なりは詩の音 死の音とよぶ
   髪を刈られた極限の少女がすわりこんでいて
   永遠にうごかない息をしている
   (中略)
   きみの心は犬の涙のようにおわっている (「詩の音」より)
 
三月、女子の祝いの季節には、この土地には中国大陸から吹いてくる西風に乗って黄砂がやってくることがあるようです。その黄砂と同じ道筋を辿るようにして、イガグリ頭の姉は満州から故郷へ無事生還したのでしょう。姉の背後には「まだ赤く燻る黄塵」がただよい、若すぎる姉が見つめざるをえなかった、ソヴィエト兵や八路兵の行ったであろう凄惨な蛮行を物語っているかのようだ。飾られた雛人形でさえ口をつぐむほどの……。この時代、旧満州からの引揚者のなかにいる少女や若い女性は、身の危険を守るために男児あるいは男性に成りすましたということは、幾度も亡き父母から聞かされていました。これはどの時代であっても、戦争があれば世界中どこでも起こりうる悲惨な女性の状況なのです。

「オフクロ」はおそらく、当時大変貴重な食糧源であったであろう「鶏」と「うどん」を無事に帰ってきた娘への精一杯のご馳走として食卓に出す、と解釈していいのでしょうか?わたしの亡父の郷里は東北地方で、ここでは「祝事」の場合には「餅」をふるまう。これは中国地方でもみられる風習です。石原武の郷里甲州ではどうであろうか?お二人の甲州出身の方にうかがってみましたが、「ほうとう=ゆでていないうどんをそのまま、野菜とともに味噌味で煮込む料理」のお話は聞くことができました。「鶏」は地方を問わず、その当時はまず「卵」を食糧として求めるために飼ったという例は大変多いのではないか?ということをお話して下さる方もいらっしゃいました。一匹の鶏を食するということは、やはり「特別」なことなのではなかったかとわたくしには思われます。

久しぶりのお酒に酔い、安堵して酔いつぶれた「オヤジ」の鼾、その鼻をつまむ「オフクロ」、そしておだやかな「春の夜のさざめき」が一家にようやく戻ってきた。遅い雛祭りのように。姉の「沈黙」が記憶から遠ざかり、やがて新しく幸福な記憶を積み上げてゆくことを願いつつ……。


【付記】

わたくしが上記の文章を書いた後で、甲州出身のF氏からのメールが届きました。メーラーの不調が原因で間に合いませんでしたが、とてもあたたかで深い眼差しが届いている文章ですので、ここにご紹介させて頂きます。F氏の承諾は頂きました。以下がF氏からのお便りです。


鶏は肉と卵と二つとも提供してくれる稀有な存在だ。
これに匹敵するのは、乳と肉とを下さる牛だけだ。
しかし、牛は貧農の食卓をにぎわすにはでか過ぎる。
そこへいくと鶏はなんと手ごろか。
客がきたといっては、祭りといっては、鶏をつぶす。
マキを枕に斧で首を切り落とす。
うっかり離すと、首をなくした鶏はそれでも数十メートル走る。
そんなはずはないのに、けたたましい断末魔の声を上げながら走ったような記憶が残る。

茹で上げ饂飩の意味は分からないが、ホウトウは日常食。
何もかもぶち込んで作る手抜き料理と違って、比較的手のかかる「茹で上げ饂飩」はご馳走でしょう。白く、熱湯でゆでる(探湯を寓意させる)などに象徴性をこめているのでしょうか。

野火はこのころよく見られました。新しい芽吹きのために枯れ草を燃やす。子供のころは固く禁じられていたのに、一番楽しい遊びだった。


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