火の馬   北川冬彦
        (1900年〜1990年・滋賀県生まれ)

背中に
火のついた馬は 駆けつづけるより外はない
止まることは
死神の
頬の皺を
いやらしく引き攣らせることだから
死物狂いに
駆けるのだ
毛が燃え上る臭いを
水のように吹き流しつつも
駆けつづけるのだ
背中の火は
その領土を拡大するばかり
火のついた馬の
この目覚しい疾駆に
草も木も
頭を垂れた

――「しんかん・1964年・時間社刊」――


 北川冬彦は1920年代に詩人として出発し、西欧の前衛詩の影響から、短詩運動、新散文詩運動を推進した時期もありましたが、1929年の詩集「戦争」あたりから社会性を帯びた作風へと移行しています。「15年戦争」の第1段階「満洲事変」は1931年に始まっていますので、これは時代を先見したものと思われます。詩集「しんかん」は戦後の思想統制が解かれた時期を経て、出版されたものと思われますが、この「火の馬」が実際に(密かに!)書かれた時期はおそらく戦時下ではないでしょうか。


火のついた馬は 駆けつづけるより外はない


「火の馬」は侵略戦争を言っているのでしょう。ナポレオンにせよ、ヒットラーにせよ、自爆するまで駆けつづけたのです。侵略者は、哀れにも常に進むしかないのです。

「草も木も」は「民草」を指しているのではないでしょうか?軍国主義優先の時代に、最も口をつぐみ、時代の不安に翻弄されていたのは、疲弊した民なのではないでしょうか?

この作品は、一見して「批判性」を見過ごす危険をはらんでいます。思想統制の時代において、北川冬彦の「新散文詩運動」の詩法がここに見事な比喩として生かされたともいえるでしょう。


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