召集   金子光晴
         (1895〜1975)

 
   バネのこわれたベッドのうえに
   仮死の子が横たわる。
   むりにも子供を病人にしたて、
   敵のてだてのうらをかこうと。

   非国民の父親は、窓をしめきり、
   松葉で子をいぶしたり、
   裸にして、庭につき出し、
   十一月の長雨にたたかせたり、

   子は、衰えて眠る。夜もふけて、
   父は、子のそばで紅茶をいれる。
   人がみな、鬼狼になった時代を、
   遮断する、破れカーテンのうち、

   タムの穿く
   刺繍の靴。
   蒟醤の箱、プノンペンの面。
   それら、みな。

   子の父や、母が、子のために
   世界のすみずみを旅して
   あつめかえったおもちゃの影まぼろし、
   幾歳、心の休み所となったこのかくれ家。

   この部屋も、あすは木っ端みじんとなろう。
   だが、その刹那まで、
   一九四〇年日本の逆潮を尻目の、
   ここの空間だけが、正しいのだ!

   窓のすきまを忍び込む、
   風がことりという。
   戸外の夜陰をひっさらって
   「時」の韋駄天走りをかいまみて、

   子と父を引き裂くその「時」が
   刻々に近づく
   だが、その不安を
   しまいまで、口にすまい。

   子はねむる。わるい夢をみてか
   ときどき、うなされるが、
   父は、机にむかって、
   アリストファネスをよむ。


この作品は「落ちこぼれた詩をひろいあつめたもの」という詩群のなかの一編である。これらの作品はすべて、第二次大戦時、息子、乾(1925年生まれ)の召集を拒み、逃れ、反戦の意志を貫こうとしたことが書かれています。

1937年日華事変がはじまる。その時期に金子は仕事で「北支」へ行く。戦争の実態を日本軍の一方的な国内情報ではなく、みずからの目で見たのである。そこから彼は「反戦」を貫くことになる。それは息子、乾の徴兵拒否にも繋がってゆくのです。

1944年、息子に召集令状がきたとき、息子を大雨の中に裸で一時間も立たせたり、部屋に閉じ込めて生松葉でいぶしたりして、気管支炎カタルの発作を起こさせ、1945年の召集と二度にわたり、息子の招集をまぬがれさせた。

父母と子の三人は、山梨県の河口湖畔平野村に疎開。そこで金子は発表するあてのない詩篇を書き続ける。それらはやがて戦後の詩集「落下傘」「蛾」となる。


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