ざくろはとば
 

波止場には荷物が、という足どりの濃密さがわたしたちをどこかでよんでいたので、とまどってはひとくくりにしてしまう、つまり熟れたざくろを荷ほどくまえに点在させ、つめたくなった童話を、家からかえる矢先の絶望を、うみたいとでもいうように、うけとったことをおぼえておこうと、ねむりの草をあがなってもみるのだった。いにしえの述懐、いのりとしての会話、潜在する想いのほとばしる無意味さを鳥たちにあつめ、すかしていたからだろうか、くるくると、まるで死んだ肉にまつわるすべてのとうとさに対してのように、描いた円のくるしかった。めまいに大切さをおぼえさせ、たいまつのようにかかげ、傾斜するみちをめがけて、歩くことにきめたのはけっして子どものせいではなかったのに。
積荷の大小に性別はなかった。おもさをつなぐ、どんな梱包も果肉のしたたりをあまんじてうけ、刻印され、容赦なくそそいでくる、あの月光、あるいは日光を、てらすことでおはなしたちを分解し、体温のすきまにおくりこんでくる、それが女なのかもしれなかった。あおざめた腐乱のようでしたが、まもなく凪いでゆくでしょう。わたしは男らしく、いつもおくれてこぼれている。なげますか、きっとますます片方をたばね、しぼったひとつを空にほどく、波にひたした扉のようです。ぬうようにしてもとめる女に、こわれた語尾をひたしてやる。男のわきをこどくがもえた。めざめのしぶきをすわせた羽が、たぶん性別をさびしくなって。
ふくらみつづける頭のうえに、爬行のむれをさわりたかった。つみあげ、くりひろげられた、おびただしいひまつの壮絶さに、波打ちぎわをとおまきにまきこみ、かつてからの線のふちで、まちがえのない慣習をそそぎながら、かわきを肌にひたすものだけが、めざめにあたらしさをよみとれるのだと、かすれた声が草をたおった。あさい陽射しのなか、荷物のやどした寝入りばなは、そろそろと潮時にひたされているのだった。波のあいだに果実をこぼし、けれどもどうしたってうかんでしまう願いだったかを、めずらしく大事につつんでいる、という接しかただから、きっとだれもがほうばろうとしたのだろう。童話の入り口が名前をしたたり、あわだつ切っ先が夢をくぐる。ここにはどんな季節もいない。
荷運び人たちがほどいた帰郷は、鳥の声でみえなくなっていたのかもしれない、果汁のかるさで風につらなっていったのかもしれない。喫水線がおもてをあげた。たゆたう波止場に容赦はなく、うまれたのかうんだのか、ちがいがまたれたとしても、男たちを腕にささやき、女のまえでかげっていた。しずんだひまつ、やぶれた甘さ、ついばむような羽ばたきが、草のひとかけをひらくだろう。おもい水たちがページのなかでひいてゆくので、ちいさなひずみ、かきあつめようとしたんです。あのいたましさは景色をやぶく。船がまたきこえなくなるのが、子どもの背丈の合図になった。途中のなかでうめた種もまたきっと。そんなはじまりが足をつたった。かげった昼に、満月のようなざくろもおわる。

初出:『GANIMEDE』vol.39 2007.04


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