テオ・アンゲロプロス監督 映画『エレニの旅』
嘆く草原

 テオ・アンゲロプロス監督の映画『エレニの旅』を観ました。そのことで大切な友人に手紙を書きました。以下、ほとんど手紙のままに。

前略 先日はお手紙をありがとうございました。前回お送りしたチラシの『エレニの旅』、観てまいりました。とても良かったです。6年前の同監督作品『永遠と一日』とテーマは似ていると思いました。よそ者であること(『永遠と一日』)、難民であること(『エレニの旅』)。どちらも孤独を受け入れながら、孤独でない場所を探しています。それを見つけることがほとんど不可能であると知りながら。『永遠と一日』の主人公の詩人よりも、『エレニの旅』の主人公であるエレニのほうが、具体的にひとりです。難民として孤児としてひとりでやってきた少女。その彼女の旅の三十年をたどり、夫や子供とはなれ、またひとりになったところから、たぶんはじまる物語として、映画は幕をとじます(後述しますが、この映画は三部作の一作目なのです)。まるで『風と共に去りぬ』のラストのように。なにもかもなくしたスカーレット・オハラが「Tommorrow is another day」というように。エレニのラストの台詞もまたとても印象的でした。「あなたは彼…。彼はおまえ…。おまえはあなた…。あなたはあなた…。」この代名詞の入れ替えは、もしかして代名詞を無意味なものにしたい、そうすることで人と人の関係性を溶かすような、孤独でない場所(家)にたどりつきたい、という願いのように聞こえました。アンゲロプロス監督のいう家(場所)とはインタビューによると「母の胎内のように安定した場所」だそうです。それは愛するものがいるところです。「人間は“家”が見つからないからこそ、何らかの行動を起こす」のだと、彼は言っています。カミュのシシューポスの神話を例にとりながら(「ひとりの人間が、岩を山の上まで運んでいって、またそれを下まで降ろす、その行為を永遠に繰り返すという話なんだが…」)、たぶんその行為を続けることを旅といいながら。
映画はよくいわれることなのですが、とても詩なのだと思いました。この詩にこめられた圧倒的な凝縮をひろげることができないから。尽きることのない泉となって、あふれてくるのです。謎として、日々として、痛みとして。また、ギリシャ神話に出てくるダナエ(雨となったゼウスにより子どもを身ごもる女性)やカッサンドラ(太陽神の求愛を拒んだために、誰も信じることのない予言を告げる者となった女性)という登場人物の名前にもなにかが語られているのかもしれません。「エディポスの神話やテーバイの神話の痕跡が見出されるだろう」と監督自身がパンフレットのなかで語っています。それは漂流、旅ということでもあるでしょう。この泉を汲むことなどとてもできないのですが、もうすこしだけ、なんとか汲んでみようと思います。
 そう、水が印象的でした。難民たちが川を渡って上陸してくる。川辺につくった村が最後には水没してしまう…。二重三重に故郷が喪失してしまうということ。エレニの恋人がはじめのほうで「いつかふたりで河のはじまりを探しに行こう」といいます。それはラストでも印象的に語られます。そうすることで、河がずっと物語のなかで流れてもいるのでした。河や水、海は渡るものです。あるいは渡れないもの。それは国境ということも含んでいるでしょう。人との間ということも含んでいるでしょう。船での別れの場面で、両者の手で持った赤いマフラーがほどけていきます。ほどけきり、海に浮かんだ赤い毛糸が美しく流れていました。生と死の間に流れる水でもあるでしょう。葬式の場面で、棺をのせた筏を先頭に、無数の小舟が河に浮かんでいるのが静かでした。
 河が物語を流れるように、全編を通して流れる、ひとつの印象深い曲がありました。エレニの恋人のアレクシスが作った曲です(彼はアコーディオン奏者なのです)。どこかできいたことがあるように思いました。なつかしい、というのとはすこし違います。映画の冒頭で、セピア色の写真たち…家族の集合写真であったり、貴婦人の写真であったりが何枚も映されるなか、バックにも流れています。サントラには「ザ・ウィーピング・メドウ」とあります。この映画は三部作の一作目なのですが、そのことについて監督が「三つの映画はそれぞれ、「王国と追放」、「ユートピアの終焉」、「永遠の故郷」、でもありえただろうが、もっと散文的に「嘆く草原(ザ・ウィーピング・メドウ)」、「第三の翼」、「帰還」でいこうと思う。」とパンフレットの中で語っています。つまりこの曲の題名は「嘆く草原」という意味なのです。嘆くのは涙なのでしょうか。「地に降る涙のように」河ははじまっていたのです。この曲はその河のように、水のように、もしかして、羊水を思いうかべてもよいのかもしれません。ゆれるものとして滔々と流れているのです。きいたことがある、そんな風にしみてきたのは、そんなことたちも関係しているのでしょうか。
 テオ・アンゲロプロス監督が良いと薦めてくださったのはあなたでした。『霧の中の風景』が特に好きだと仰ってましたね。あの漂泊、あの渡ることがまた、ここでも溢れていると思います。あの木が、ここでは同じものを別の様態にかえた木として一本、傷のように印象的に生えています。
 以上つたない報告ですみません。とにかく、まだご覧になっておられないとのこと、ぜひお出かけになってみてください。
 家のベランダでは手入れもしておりませんのに、ローズマリー、ユキノシタ、シラン、イブキジャコウソウが咲いてくれています。先日、ようやく網戸をいれました。窓辺から渡ってくる風が心地よいです。どうぞお元気くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。


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