豹日記 vol.9
二〇〇七年六月十五日〜九月五日

(アルベール・マルケ、水の情景展(高嶺格《水位と体内音》、竪山南風《魚楽図》、菱田春草《夏汀》、丸山直文《path 3》、照屋勇賢「10のボタンと13の指輪」、真板雅文《竹水の閑─横浜》)、習慣、プルースト、ラベンダー、速水御舟《炎舞》、誘蛾灯、ルドンの黒展、ボードレール、アルベール・カミュ、一誠堂美術館、ドーム兄弟の蝸牛)

【マルケの水、夜の借景】
六月十五日
 ひらたい不透明な色彩の景色。厚く塗ったわけではないのに、その不透明性のせいだろうか。なにかを塗りこめたように感じてしまう。不透明? たとえば水は青ではなく、乳白色に青、緑、オレンジ、さまざまな色で固めているのだった。こもっているのか、こめているのか、それは息苦しくもやわらかい。さびしくも、あたたかい。アルベール・マルケ。最初は、数年前のプーシキン展だった。《オンフルール港》(一九一一年、プーシキン美術館)。白濁のような海に灰色の帆をもつボートが傾いている。このひらべったさになぜかひかれ、展覧会場で絵葉書を一枚買った。そのままどこかに、頭のなかへ、絵葉書ファイルのなかへしまい、忘れていた。先日、青山ユニマット美術館で同館所蔵の《アルジェの港》(一九四〇―四二)を見た。海の水たちがまったく《オンフルール港》とおなじだった。厚ぼったい空がまったく彼だった。たましいの色が、というべきか。そうして思い出したのだ。そのやわらかなナイフで貫かれたような感触を。感動というのだろうか、それにはいつも痛みがまとわりついている。なぜだろう。その痛みは甘美だ。たとえば美がうしなわれたものをつかのま開示させてくれるからだろうか。永遠にうしなわれたものが一瞬戻ってくる。そしてまた去って行く。不連続なわたしたちに、連続の記憶を? 「芸術がなりたつのは、世界からのこの隔たりのゆえである。芸術は、あたえられた世界をひとつの「異郷」として手わたす。(…)芸術は、その意味でおしなべて「異邦的(エキゾティック)」であり、異郷としての世界をこそあらわにするものである。芸術によって開示された世界のまえで感じられるものは、この世界そのものが異邦であることにほかならない」(『レヴィナス入門』熊野純彦)。そう、あるいは不連続なわたしたちだからこそ。ともかく、このぬりこめられた壁のような景は何なのだろう。マルケの絵との二度目(二枚目)の出会いに、えにしのようなものを感じ、彼をもうすこし知りたくなる。
 だが青山ユニマット美術館にも、書店にも、彼に関するものは見つけられない。フォーヴ派とも関係があったらしいのでそちらもあたってみたが…。この詳細は省く。今、とにかく手元には、一九七三年に巡回展として開かれたマルケ展の図録(読売新聞社)がある。
 図録には、生没年も書かれていない。ネットで略歴を少し調べる。一八七五─一九四七年。ギュスターヴ・モローに絵を学び、マティスらのフォーヴに一時所属し…、だが知りたいと思ったのはそうしたことではなく、もっと彼の絵を見たかったのだ。欲をいえば、生でその絵と会いたかったのだ。「彼はひとつの風景を、垂直線と水平線に分解し、もっとも本質的な要素に還元する」、そして彼の絵に共通なモティーフとして「動的でもあり不動でもあり、流動的でもあり不透明でもあるもの、即ち水」と図録にあった。「ぼんやりとした、湿っぽい手法」(とは、わたしがのっぺりとした、平べったいと感じている乳白色のことだ)で、水を描いていたのだった。なぜだろう。「“霧のはう流れに映る樹々の影が煙のように死ぬ時”の描写」。「描くとは(中略)「過ぎ去る何ものかを定着すること」、幸せな瞬間を呼び起こすことなのである」(図録より)。例えばその過ぎ去る何ものかは、水と響きあうのだろう。流れ去る、刻々と姿を変える、雲になる、それらの水の瞬間を記憶すること、わたしの言い方だと、その瞬間に触れること…。この水たちは、モネの時間にも通じるだろう。彼の関心は水そのものというより、水の反映にであったが。彼の描く植物(ひなげし、アイリス、アガパンサスなど)に季節を反映させていたように。マルケは水そのものにすべてを流し込み、注ぎ込み、還元し…どうだろう。それは後から感じたことであるかもしれない。重たい、けれども陰鬱ではない、わずかな毒のような白濁と乳白色のつなぎ目にあるあの感触が、忘却の河(レテ)への誘いのように…。図録は、約七割の作品がモノクロ写真という、古いものにありがちな体裁で、物足りなさが残る。カラー写真もあまり鮮明ではない。だがそれでも一枚、とても気になるものがあった。《ポン・ヌフ、夜》(一九三八年)。セーヌ川が歩道の街灯と百貨店の電飾で滲んで見える。百貨店側の依頼で書かれたらしいが、その思惑はさておき、夜の暗さを借景にして、河は海のように見える。海に浮かんだにぎやかな漁り火たちのように。夜が忘却をひきよせ、灯火をつけることにより、そっと何かをかいま見せてくれるようでもある。マッチ売りの少女のあのマッチのように。それは具体的な像を結ぶものではないけれど。そしてわたしは思い出すのだった。以前、通勤に使っていた電車の車窓から見えていた川のことを。行きの朝はその川底を見つめる。魚の影か本体、冬は水鳥の落とす影も見える。そして帰り。夏至前の日が長い頃には、どうにかすると薔薇色に染まる水と遭遇することがあった。そのほかはたいてい夜の川を海に見立てていた。桟橋、漁り火、黒い波。河口の橋を電車が渡ってゆく、末広がりに海が夜に溶けているのだと、通るたびに思っていた。図録の《ポン・ヌフ、夜》に、わたしの川を注ぎ込む。夜は恐ろしいばかりでなく、そんなことを感じることを許してくれる、見逃してくれることもあるのだった。

【呼び水】
六月二十五日
 「水の情景―モネ、大観から現代まで展」(二〇〇七年四月二一日〜七月一日、横浜美術館)に行った。前回のマルケの水と関係しているようだが、自分としてはそうした感覚はなかった。いや、心のどこかで水がつながっていたのかもしれないが。水が水を呼んでいたのだろうか。それにわたしは元々水に惹かれているのだ(だからペンネームに海埜という名字を選んだこともある)。ともかく、モネにまた出会えるだろう、そして思いがけない作家たちとの出会いがあるだろう、知らない水に触れることが出来るだろうと思ったのだった。桜木町駅から動く歩道に乗って行く。運河や海が見える。それは完全に濁った水だ。マルケの水に色合いは似ているが、彼のそれは濁りと清冽を共に持っている。だが見えたこの海は、澱むばかりだ。曇り空もそうした澱みを増長していたようだ。だが海だ。ひさしぶりに見た水だ。水の情景はもうここからはじまっているのだと思った。
 モネ、シニャック、浮世絵、大観、現代の作家たち。オブジェ、写真、映像、さまざまな水。高嶺格《水位と体内音》(二〇〇四年)は水の入った水槽に、プロジェクターで光を浴びせ、水の反映を暗い室内に映し出す。ともすると、この水槽は、水が生活に密着していることをわたしたちに教えてくれる。洗面器の水が光の加減で、壁に反映する、橋の裏に映った水、金魚鉢に陽光が当たる、など。そして羊水のありかを映し出してもくれるのだ、たぶん。竪山南風の《魚楽図》(一九二六年)の八枚の連作のうち五枚。鮒や鮎の泳ぐ川底もよかったが、なぜか、「其三 蜻蜒」にひかれた。これは鉢に露草やイヌタデらしき野草が書かれ、草の周りにトンボ、鉢の下に無数のメダカが描かれている。どうした設定なのかわからないけれども、ありふれたものたちだ。身近にいたものたちだ。それがとても新鮮だった。たとえばこの頃だと、昼顔に出会う。露草が咲いているのを見る。雑草と化し、栄養が足りないのか、小さい花をつける芥子の花を、通りがけに見る。その瞬間のざわめきが、こうした絵と共鳴するといったらいいのか。日々の中から、彼らのざわめきがなにごとかを誘うようにつぶやくのだ。それは前回も書いたが、なぜか痛いものを持っているのだが。菱田春草の《夏汀》(一九〇二年)は、水に浮かぶ岩に鳥が乗っている。別の岩には河原撫子。この鳥、撫子に逢ったことがあると思った。あるいは今逢っていることがうれしかった。水はわずかにグラデーションを帯び、背景と空と水と、それらの境界をなくしているようでもあった。あるいはそれらすべてでもあった。モネはこの間見たばかりだからか、何枚かあったけれども、今回はとくにひかれなかった。そして突然アクリル絵具ののっぺりとした水に目が行く。わたしはアクリルはなぜかあまり好きではない。自分でも使ったことがあるのでわかるのだが、その簡便さが失礼だが安易さに通じるようで苦手なのかもしれない。だが、丸山直文の絵たち、これはアクリルなのだが、なぜか気にかかるのだった。例えば《path 3》(二〇〇五年)は、田圃にはった水、畦道らしく、くねった青い線(おなじ青い線で一筆書きのようにたまに木が書かれている)を、ちいさな人物が一人、走って行く。水は黄色とパステルグリーンの二色だけ。だが、夢の水を、夢をつうじて郷愁の水を走っているかのような気になった。この人物がもってきた田圃の水が、なぜか呼び水となって、とおい誘いをしかけてくるのだった。あまいような、にがいような。また、本の挿画、聖書のなかの水もあった(大洪水など)。水は本をひたすのだ。ナルシスの水もあった。水は鏡になるのだ。水はだから、あるいは無数の比喩になるのだろう。時の、血液の、たとえば…。照屋勇賢「10のボタンと13の指輪」(2007)は、インスタレーション。屋外に溜池(これは見損なってしまったのだが)、屋内はサンゴの砂に貝殻(作り物だと後で知った)が散りばめられている。わたしたちは最初、その砂浜を脇に、踏まないように歩いた。だが、ついに踏まなくては出れなくなってしまう。海の記憶をもっている遺品たちとして、文字通り死んだサンゴとして、作家の作品として、それらは文字通り、触れられるようになっていた。さわさわと砂の感触が、足を伝う…。砂をとおして水の比喩をうけとったのだった。
 外に出る。真板雅文《竹水の閑─横浜》(二〇〇七年)は浅い四角い池の中央部に、円錐を逆さにしたようなかたちに竹が配置されている。池は行きにみたときは、端から霧を出していた。雲のようだとも、朝霧のようだとも、古代世界のようだとも思った。地動説の頃、その端は、滝となって、どこかに流れつづけていたから。帰りにみたとき、池面から噴水として吹き上げていた。刻々と変わる水、その水の変化を照らし出すように。助長するように、姿を変えていることが、したたってきた。とはいえ、この作品を見ていたとき、この展覧会のためではなく、常設されたものだと思ってもいたのだったが。「竹はだんだんと青い色を失い、色が変化していく、これも毎日の自然の現象としてとらえ、感じて欲しい」と、作家のことばがカタログにある。変化こそが水なのだ。水は変化を映す鏡なのだ。変わらないものはない、と水が差し出してくる。反映して。わたしたちをも流れる水の音がどこかで鳴って、鳴り続けて。

【あるいは忘却の河】
七月五日
 呼び水のように、あるいは河を流れる水の成分がかなり等しいように、一環していることがある。一環は、わたしが経験したり感じたりしたことから、引き出してくるので、以前ここで引用したことをついまた使ってしまうが、こうした点から、習慣や日常について少し考えてみたい。
 ヤコブソンは、「音韻と意味との機械的な接近連合は、習慣化すればするほど、ますます速かに成立するようになる。ここから日常のパロールの保守性が産れる。かくて、語の形式は急速に死滅する。詩においては、機械的な連合の役割が極度の抑えられる。その反面、語の構成要素を分離することが排他的に関心を惹く。分離されたものの断片は容易に組み合わされて新しい結合体となる」といっている。そうしてわたしは日常をつい軽んじてしまうのだった。あるいは習慣に形式化を、「急速に死滅」した魚の澱んだ目を思い浮かべてしまい、形骸だけにあきたらず、自身の日々の単調さを、そこにすべて投げ込み、つい蓋をしてしまいがちになっていたのだった。それは、ほとんど悪役の容貌をもつものとなる。
 赤坂憲雄『異人論序説』から。「〈異人〉とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして境界をつかさどる〈聖〉なる司祭=媒介者としての〈異人〉。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての〈異人〉」とあり、わたしは〈異人〉を詩人になぞらえ、つい外側に、日常や習慣を置いてしまいがちになっていた。共同体が外部にむけた窓であるなら、日常が外部(非日常)にむけた窓として、重なっていたはずなのだが。ちなみに、この本では、外側には想像上の生き物が置かれることもあったので、創造(想像)されたものが接しているということでも、詩人が境界にいるという、この考え自体は水として一環しているといえる。窓や扉とは境界である。そして窓もまた、水として連なってゆく。
 そして、小屋といえば、河合隼雄『昔話と日本人の心』の「うぐいすの里」では、「日常的な空間からやってきた男性が、非日常な空間に出現してきた美女に会う」中間地点として「見知らぬ館」を置いていることを水に置く。この「見知らぬ館」に居たいと私が思っていたのは、境界にということではなかったか。「このような日常・非日常の空間構造を、心の構造として読みとると、意識・無意識の層と考えることも出来る」とあった、その接点の場に。館は窓となり敷居となる。
 ここでも、その館にいようと思うあまり、日常的な空間を外部として疎外していたのではなかったか。まるで日常に属する男が、女を恋しく思うあまり、日常を疎ましく思うように。だが男のその思いは、まさに自身が日常に属するからなのだ。
 この館にいることは難しいと河合隼雄も述べている。中間にいるのは、均衡を取るのは難しい。片方に傾注しない、ということは。だが、日常を必要以上に疎外しないこと。それも均衡なのだから。窓をみつめること。ことばは非日常にではなく日常に属するものだから。
 岬、言語、舌は、ラテン語ではlingua、すべておなじ語源だという。「岬=言語(リンガ)とは、それを通じて社会が自然に向かって突き出すもののことだ」(パスカル・キニャール)。これは、日常から非日常に向かって突き出すもの、とも言えるだろう。言葉はなにかをつかもうとする…。小屋(見知らぬ館)の壁は岬かもしれない。突き出し、混沌とした世界にむけて、ひりひりとしている。
 水は、諸刃の剣のように、ヤヌスの鏡のように、同じもののはずなのに、別の様相を示すだろう。混沌への恐怖が、混沌への渇望と重なるように。
 鈴木道彦訳『失われた時を求めて』の文庫版が全巻出そろったので(集英社)、読み始めている。家で井上究一郎訳の全集が、かなり場所を取っているので、置き場所と相談の結果、文庫が出揃うまで待っていたのだ。鈴木訳は抄訳版で知っていた。それは肌に合うようだったので、全訳を読むのは楽しみだったのだ…。
 その最初のほうのページに、習慣について書かれた箇所があった。水がここにも流れていた。居心地の悪い部屋がある。だが「習慣がカーテンの色を変え、柱時計を黙らせ(中略)、防虫剤の臭いを完全に追放しないまでもそれを気にならなくさせ、そして天井を著しく低く見せるようになるのだった。習慣! この巧妙な、だがひどくのろまな調整者は、最初は何週間も私たちの精神を、一時的な仮の調度のなかで苦しめる。しかしなにはともあれ精神は、この習慣を見出せば大喜びなのだ。それというのも精神は、もしも習慣がなくなって、自分の持っている手段だけに頼るようになると、一つの部屋を私たちの住めるようなものにすることもできないであろうから」。部屋と小屋は重なっているだろうか。同じ水が流れているだろうか。水が洪水を起こす、あるいはその後に肥沃さを約束してくれる。
 また、『失われた時…』では、子供の頃、寝付かれない話者に両親が幻燈を見せてくれた時の記述があった。「なるほど私はこの見事な幻燈に、魅力を感じていた。(中略)にもかかわらず、私がすっかり自分の自我で満たしてしまった部屋、自我と同じくもう気にかけなくなってしまった部屋のなかに、こうして神秘と美とが侵入してくると、どんなにいやな気持がするものか、それは言葉にすることもできない。感覚を麻痺させる習慣の力が停止してしまったので、実に悲しいことだが、私は考えたり感じたりしはじめていたのだ」。ここで、私はショックだった。習慣、日常をつまらないものと見ていた狭量さに。私もまた、習慣のしつらえる部屋のなかで、わずらわされること少なく、静かにしていたかったのではなかったか。例えば夜、電話が鳴ると気が重くなってしまうのは、侵入され、習慣が乱されるからだ。目覚まし時計、オーディオ、モノが壊れたりすると動転するのも、習慣に穴がうがたれ、そこから異質のものが押し寄せてきそうになるからではなかったか。新しいモノを買うのにも、期待よりも気が重くなるのは、習慣が…。
 そこで、思い至るのだ、混沌に満ちたモノたち、畏怖と期待、謎であるそれらにむけた岬、小屋、その区別が壊れたら、わたしこそが混沌と化してしまうだろう。岬、壁は、習慣が作り出した、最後の砦なのだ、と。
 あの館にいるのはむつかしい。あるいはあの館は舟のようなものなのか。日々、水の上で揺られている…。ともかく、働き者の習慣にかわいそうなくらい悪役を押しつけていた私がいた、ということをも、水は告げてくれたのだった。

 少し気分が沈むから、心が求めていたのだろうか。ラベンダーを見に行った(埼玉県菖蒲町)。ラベンダーは気鬱を和らげる作用があるから。一面の紫、一面の芳香を期待していたが、想像していたよりも、狭い範囲の花畑だったし、香りもほとんど薄かった。だが、日が経つにつれ、小さな紫の面積、かそけき香りが、そこだけ切り取ったように生々しい紫、香りとして形成されつつある。部屋で、殆ど毎日、ラベンダーの香りをくゆらしたりしているからだろうか。こちらは偽物、あちらは本物、と習慣が告げてくるのかもしれない。部屋のこれは嘘、あのラベンダー畑が本当、そう、習慣から囁きづづけられることによって、あのラベンダーが対比的に磨き上げられ、輝いているようでもあるのだ。ラベンダー畑が壁の外で、岬の下で咲き誇っているのかもしれない。私は静かに、どちらからともいえない香りを嗅いでいるのだった。

【燃える空気】
七月十五日
 蛾が炎の上の方で舞っている。去年、新聞記事でその絵を観てから、ずっとどこかで気に掛かっていた。速水御舟《炎舞》(一九二五年)。山種美術館所蔵なのだが、多分、その記事で観て以来、はじめての展覧になったかと思う。山種コレクション名品選後期展(二〇〇七年六月六日〜七月一六日)。一枚だけ離れ、上からの薄明かりに照らされているので、よけいに炎が明るい。黒地に映えるしずかな火に、音もなく(実際もそうであろうと思われるほどに)、蛾が燃えるのではなく、踊っている。あるいは燃える寸前の最期が、生の舞いとして天に昇っている。これもまた瞬間の永遠なのだ、生と死が接するところなのだ、あるいは美と醜が。しずかなまったき明るさが、絵からにじみでるようだった。遠くからでも、その炎は息づいてみえるのだった…。
 ちなみに速水御舟は、一昨年やはり山種美術館で観た、《春の宵》(一九三四年)以来、気に入っている。
 〈幽玄な、なにか夜に溶け入りそうな(だが決して溶けない、そのすれすれで止まっている)かそけき、か細い一本の夜桜から、花びらが散っている。三日月の細さすらかぼそい、異界に通じるような一枚だと、そんなことをたぶん思った。だが、もういちど、枝たちにうながされてみてみる。その柳のようにかぼそい幹から花びらにむかって、つたえている生、それこそが、幽玄なのではなかったか。夜のなかで息づくことが。枝たちがやはりしずかに、とてもしずかにだったが、ささやいてくれたのだった〉。
 と四月十五日の日記でも書いているが、この時は、《炎舞》とあまり結びつけて考えていなかった。こうして《春の宵》について書いたことをここに載せてみると、両者に接点を感じていたのだと、共通点を感じるのだが、他の画家のようには不思議と一見して一貫した共通性を見いだせないのだ。ルノワールの肌の色(彼はコーヒーカップまでも肌と共通している)、モネの空、とか、奥村土牛の花びら、とか、目立った徴が私には探せない。今回の名品選展にあった、速水御舟の《翠苔緑芝》は屏風絵で、苔の上に、左雙は兎、右雙は黒猫が描かれ、金の地がまばゆく、特に一匹だけ小さく座る黒猫、その小ささに(といっても、対比的には合っているのだが)、逆に強調を見て、思わずひきこまれてしまうのだが、これと同じ作者とはやはり見た限りでは気づかなかった。《白芙蓉》、一枝の芙蓉に、蕾三輪、開花したもの一輪。特に咲いた白い花びらが、人肌よりも柔らかそうで、その質感に驚いた。それはあるいは蛾の羽よりも、といったほうがいいかもしれないが、柔らかすぎて、空気にふるえながら、光りを放っているようだった。こうしてやはり書いてみると、炎舞の蛾に、《春の宵》の桜の灯るような白さと、共通していると思うのだが、展覧されたそれらを観た折は、共通性を見出すことができず、やはり名前を見るまで速水御舟のものだとはわからなかったのだった。だが、まさか個性がないと失礼なことを書こうとしているのではない。あるいは変幻自在だと書こうとしているのでもない。私は一見しただけでは、彼の絵とはわからないけれど、彼の絵のたいていのものには惹かれてしまう。わからないなりに、これは…と目を奪われると、彼の絵だったりすることが多々あったのだ。《炎舞》もそうだった。新聞の写真を見た瞬間、ふるえたのだ。こうした惹かれるということこそ、彼に連綿と流れる何かなのではと思ったのだ。見ただけでわからない、けれどもどこかで、肉眼では見ることができないが、匂いよりもなおかそけき、たとえばしめった空気などのようなものとして、感覚を通して確かに伝わってくるもののような、けれども、そのしめった空気はいつも同じ感触なのだ、といったような。火の粉がかそけき空気をはなって、わたしにふれてくる、浸透してゆくのだった。奥底で、ちらちらと空気がうなづいて。《炎舞》のまごうことなき明るさが照っている。

【箱のなかの誘蛾灯】
七月二十五日
 そうして去年、《炎舞》を新聞で観てから、おそらくそれは、私の中で、ある場所、箱のようななかに、まとめてしまわれたのだと思う。そこには誘蛾灯、「飛んで火にいる夏の虫」、蛍光灯にどうにかして入ってしまった蛾の死体、なども一緒にいるのだった。先日の日記であるように、今回、美術館で《炎舞》にはじめて生で観た。そしてそのことを、また箱に生々しくしまった。その生々しさは、しまわれたものたちをもまた活性化させてしまったのだろうか。あのパブロフの犬のように、《炎舞》と直接結びついているわけではないのだが、その近辺、その蛾と光りのあたり、その箱全体として思い出すと、いつもあるにおいがたちこめてくるようになってしまった。
 においをはなつ根源的なものは、箱のなかのこんな光景からだ。随分昔、私は中学生だった。軽井沢の方に家族や親戚と車で出かけたことがある。旅の終わりに寄ったどこかのドライブインに巨大な誘蛾灯があった。青白い灯で、そこに蛾や虫がおびきよせられ、やってくる、電流の流れる鉄線に当たり、ちりちりと音がする、じゅっと燃える。ひっきりなしに虫が当たるので、焦げた匂いがよどんで、全体を包んでいるようだ。ほとんどむせんばかりだった。わたしはずっと、食い入るようにその光景を見つめている、そのなかにいた。見たくないような胸が焼けるような気持ち悪さを感じながら、惹かれていたのだ。特にそのにおいが強烈だった。ほとんど嘔吐を感じていた。それは蛋白質が燃える焦げたにおいに、わずかに甘い香りを放っていた。すこしの吐き気。多分そのにおいがいちばんリアルな死として感じられたからだろう。焼け焦げた虫の瞬間は、とっさのことで、見ていても死をあまり意識しない。あるいは、小さすぎて、紙が燃えたのとあまり区別がつきにくいからかもしれない。ともかく、においだけが死を感じさせるもの、死に近いものだったのだ。
 そうして、今、蛾たちを思い出すたび、においが思い出されるようになってしまったのは、だから死の香りとしてなのだろうか。
 死の香り、その虫の瞬間を、箱から、出してみる。死と生の瞬間、と虫は感じないだろう。そう感じるのはわたしたちのほうだ。だが、つい、蛾が死の誘惑に浮かされたようになって、灯や火に飛び込んでしまうと思ってしまいたくなるのだった。灯や火は美しく手招きをしているようではないか、などと。死の誘惑といったが、それは死と生の接点、その極限からの誘い、というほどの意味だ。わたしたちは死を知らない。そして、だからこそ、知りたいと思うから。蛾に象徴をみてしまう、というよりも、蛾に自身を重ねてしまうのだろう。誘蛾灯、「飛んで火に入る夏の虫」、それらは、わたしのなかで、箱として、恐ろしくも美しいものとしてしまわれていたのだった。焦げたような、わずかに甘い香りを、燐粉のようにまきちらして。
 箱にもうすこしなにかをいれるために、ネットでなぜ蛾(に限らないが)が光にひきよせられるのか、調べてみる。彼らは太陽からの光、月や星からの光をもとに、自分の位置を確かめて飛行するという(走光性という)。光に対して垂直に飛行するのだが、太陽や月からの明かりは距離があるので平行に注ぐが、火や人工のものは円錐状になる。円錐と垂直になろうとするので、光の周りを回りながら光源に近寄ってしまう。そして、方向性がわからなくなり、眩しさに目が眩んで、光の中に飛び込んでしまうとあった。
 そう、彼らは生きるために、光を欲するのだ、とまたついそこに何かを見てしまう。よく生きるために、光に近づこうとするのだった。生を生きないものは死をも死ねない。とは誰がいったことばだったか…。ともあれ、生きるために必要な本能で、死んでゆくということが、奇妙な円環として心に残った。また箱にしまう。生まれたばかりの蛾の幼虫は、まず太陽、光に向かって上へ昇ってゆくのだという。

【キマイラ(ルドンの黒)】
八月五日
 「ルドンの黒」展にゆく(二〇〇七年七月二八日―八月二六日、Bunkamura ザ・ミュージアム)。岐阜県美術館所蔵作品で構成されているオディロン・ルドン(一八四〇―一九一六年)の展覧会。
 「ルドンの黒」の黒というのは、版画展だからだ。黒い、茎から花ではなく顔が咲く、気球が毛まみれの眼球になっている、人面魚あるいは女性の顔をつけたゾウリムシ、リンゴのように皿に乗る顔…。類人猿が雲を見つめているのもあった。黒は豊かな色彩だと、ルドンがいった言葉が、会場内に掲げられている。そう、凝縮なのだと思った。色の三原色。青、赤、黄色をまぜると黒になる。黒はすべての色なのだ。そして、白黒映画のように、その黒には、観るわたしたちがそれぞれ色をそそぎこむことができる。青い羽を、赤い足、茶色い毛をつけてもいいのだ。緑の水中を、物語が泳いでゆく。ゴヤ、ポー、ヴェレーラン、フロベール、ボードレールらとともに(これらのリトグラフ集、版画集、挿絵なども作っている)。
 《眼をとじて》(一八九〇年)。これは、油彩画のほうを以前観たことがあるが、黒い時代の後期の作品。彼はこの頃から、色彩に移ってゆく。彼が入手したゲランの書簡集のことばがキャプションにある。「魂の内なる眼である。我々の眼がとじられたとき、我々は自然と魂の接触を確立できるのだ」。そうして、とじた眼がひらく世界が、このルドンの黒だというのは、たしかにそうだと思った。まぶたをとじて、まなうらにうつる世界、闇をスクリーンにして。だが、このとじたまぶたから、色彩がひらかれてゆく、色彩の時代がはじまる、というのもまたうなずけた。とじた世界はゆたかだから。過剰な接触。
 彼の絵の特徴の一つに、合体をイメージした、ということがあげられる。先にあげた類人猿(《永遠を前にした男》)は、ダーヴィンの進化論が挿入されているらしいし、気球と目玉(《石版画集『エドガー・ポーに』I眼は奇妙な気球のように無限に向かう》)、植物と人間(《石版画集『ゴヤ頌』II 沼の花、悲しげな人間の顔》)、顕微鏡の世界との融合(《石版画集『聖アントワーヌの誘惑』第一集Vすると魚の体に人間の頭をつけた奇妙な生き物が現れる》)、科学と芸術の混成動物、ポーやゴヤらへのオマージュを通じての彼らとのふれあい、つまり、その絵は、キマイラ、スフィンクスなのだ(彼の作品には、このキマイラ、スフィンクスを描いたものも多々ある。これは、世紀末に多く描かれたモティーフらしいが)。
 《青い花瓶の花々》(一九〇四年)は、パステル画。青い花瓶から、様々な花がこぼれるように咲いている。花瓶を乗せた台がない。背景が夕暮れのように蒼、碧、薄桃色で描かれ、花瓶が宙に浮いているようにも見える。私は実は、ルドンの後期、パステルや油彩が好きなのだ。その花は、具象で描かれているが、幻想に満ちている(ユイスマンスは、ルドンの絵のことを、「幻想的現実」といったそうだ)。いわば、現実と夢想、現実と非現実のキマイラなのだ。

【香りの記憶】
八月十五日
 「ルドンの黒」展に、ボードレールの『悪の華』の挿絵群があった。そのうちの一枚、《『悪の華』II.思い出顔の古びた香水壜が時として見つかるものだ、昔の人の心が生き生きとそこに甦って》(一八九〇年)。詩篇四八「香水壜」から。台座のあるガラスのなかに、座った女性がいる。煙のように彼女をとりまいているのが、香りなのだと感じられる。まず、絵から、せきこみたくなるような、むせるものをはなっているのだ。そうしてボードレールの詩を思い出した。あるいは、香りのようなもののなかで、ルドンとボードレールがたゆたっていた。それは総じていえば古びた華の濃密な香りの残り香、といったものだ。ボードレールのそれは、死臭と表裏一体の生々しい華の香りだろう。古い恋の、不吉な疫病神の、毒のある…。「僕はお前のお棺になるぞ!/(中略)/僕を焼き焦す液体よ、わが心の生にしてまた死なる者よ!」(堀口大学訳)。だからルドンの絵の瓶の中の女性の姿がしっくりとくるのだと思った。黒い版画が、暗い淵(「毒気立ち迷う暗い淵」)からの匂いをただよわせていると思った。そうしてその絵から放たれた匂いのようなもの、香りは、わたしをまた違う場所に静かに連れてゆくのだった。
 匂いと記憶。鼻から入った匂いは、嗅細胞で香りを電気信号に変換。嗅神経を通って、脳の大脳辺縁系に。この大脳辺縁系には、海馬や偏桃核といった記憶や感情をつかさどる部分があるので、匂いを嗅ぐことで昔のことを思い出したり、気分がよくなったりするのだそうだ。
 ギリシャ神話では、黄泉の国の王ハデスの妻のベルセポネが、地下で生活するにあたり、地上の生活を思い出すよすがにするために、連れてきた妖精を、香りを放つ草、ミンテ(ミント、はっか)に変えてしまう。
 わたしはこの話が好きだった。香りは記憶を浮かび上がらせるのだ。だが、これは私に個人的な香りのエピソードがあるからではなく、もっと抽象的なそれによるのだろう。あるいは、私自身に、そうした体験がほとんどないからこそ、魔法のような親しさと遠さを感じるからかもしれない。すぐそこに香りはある。わたしはそれを活用することはできないけれど、その効用はたしかで、記憶のリアリティは、すぐそこに、手をのばせば届くところにある、という期待感があるのだ。これは、プルースト的だ、と思わずにいられない。そして、この香りと記憶の関係を、「プルースト効果」「プルースト現象」ということがあると知って、さらに驚いたのだった。匂いはどこまでゆくのだろう。『失われた時を求めて』の、マドレーヌを紅茶で浸した味が、記憶の回路をひもといた、そのことからくるのだそうだが(味であって、厳密には匂いではないし、この記憶から永遠の瞬間と時間について、考察はつづくのだが)、プルーストに、こんなところでまた会うとは思わなかったのだ。匂いはどこまでゆくのだろうか。

【太陽がいっぱい】
八月二十五日
 今年の夏は暑い。そう感じるのは、去年の暑さを忘れてしまっていることもあるだろうか。あるいはもっと以前の暑さを前にした、自分の状態を。少し歩いただけで汗がふきだしてくる。こめかみが痛み、息が不規則になる。体のどこかが不均衡になるようで、そこから早くもとに戻りたいと思う、均衡をつかみたいと思う。だが、汗になってそれが流れ落ちてしまうようだ。ようやくエアコンのきいた部屋に入る。しばらくのあいだ、そこにすら慣れることができない。暑さとの違和をどこかで感じながら、とまらない汗にとまどっている。
 夏が苦手だ、と言ってしまっていいのだろうか。少なくとも、今はそういわざるを得ないのだろうか。ここに後ろめたいような逡巡を感じてしまうのは、以前は夏が好きだったからだ。
 というより太陽が好きだった。とりわけ夏は太陽をよく感じられる。じりじりとした陽射し。それは太陽が近づいているからなのだ、とうれしかった。音をたてて焼けるような暑さを感じる肌は、太陽と可能な限り触れているのだと思っていた。そうしてとめどなく吹き出す汗は、陽光のエキスのように感じられたのだった。わたしはどんなに暑くても平気だった。
 日に焼けることも好きだった。太陽が身体に徴を残してくれたのだと、思うのだった。そうして砂浜で、仰向けに日に焼かれている。「太陽に磔になっている」とつぶやき、心をざわめかせていたのだった。
 そうして、太陽というと、すぐさま、カミュを思い出す。
「太陽がいっぱいの今朝――街は暑く、女たちがあふれている。街角という街角では花を売っている。そして微笑む娘たちの顔」。
「太陽が輝くある日の午前、それに裸体。シャワーを浴びる、ついで熱気と光」。
「《(中略)太陽はいつもと同じ時刻に沈んでしまった。そのことから俺は、物事の秩序を変えたって無関係だという結論に達したのだ。》/ だが、なぜ、太陽がいつかは西から昇らぬといえるだろう?」(『太陽の讃歌 カミュの手帖―1』カミュ、新潮文庫)
 この手帖には、詩のような断片的なことばたち、メモなどに、太陽がちりばめられているのだった。あるいは夏、乾いた風と、ねっとりとする植物と。「風、世界の稀にきれいなものの一つだ」。
 そうしてやはり『異邦人』も思い出す。太陽により、殺人をおかしたムルソーを。
「太陽の光はほとんど垂直に砂のうえに降りそそぎ、海面でのきらめきは堪えられぬほどだった。(中略)私は何一つ考えられなかった。帽子なしの頭に直射する太陽のおかげで、私は半分眠ったような状態だったから」。
「空から降って来るきらめくような光の雨にうたれて、ここにじっとしていても、やっぱり堪えられぬほどの暑さだった。ここに残っていても、出掛けて行っても、結局同じことだったが、しばらくして、私は浜へと向き直り、歩き出した」。
「私は汗と太陽とをふり払った。昼間の均衡と、私がそこに幸福を感じていた、その浜辺の特殊な沈黙とを、うちこわしたことを悟った」(『異邦人』新潮文庫)。
 太陽と死の接吻をしたのだ、と思った。私は太陽とともにカミュが好きだった。太陽を先に好きになったと思う。おそらく、あらすじを裏表紙で見て(人を殺害し、動機について「太陽のせい」と…)、興味をもったのが最初だったかもしれない。だが、もはやわたしのなかで、太陽とカミュは密接に接しているから、実際はどうだったのかわからない。丁度、ムルソー村のワインを飲んだり、見たりすると、『異邦人』の主人公の同じ名前ムルソーからくるのだが、カミュを思い出すように(そしてその白ワインは、太陽の陽射しのような、うっすらとした黄金色なのだ)。
 だがこの記憶はカミュを読む前だ。夏の木漏れ日が、海のなかにいるように、ちらめく。肌をまだらに、反映させる。葉が、風にそよぐ、波紋のように肌の上で、足元で、ちらちらとざわめく。これは太陽の海なのだ、いま、わたしは太陽のなかで、泳いでいるのだ。そう歌うようにつぶやき、踊るように歩いていた。
 そして、ばかげた行為だが、夜中、アスファルトの上で、寝転んだことがある。昼の熱を温存しているかのように、道路は温かい。背中にそれを感じている。わたしは、そこにも太陽の存在を思った。ここ、このアスファルトも、太陽から熱をうけとったのだ、うけとったものを、わたしもまたうけとってぬくもりを感じているのだ、いや、そうではない、わたしがここにいなくても、気づかなくても、太陽をアスファルトはうけとっている、太陽からの熱をうけとり、こうして温存している、そのことがうれしかったのだ。それはなにか無償の行為のように思えたのだった。わたしが寝転ばなければ、だれもこの温かさをしらなかっただろう、それはかぎりなく優しい行為だった…。
 今、わたしは夏が苦手といってしまっていいのだろうか。こめかみが痛い。ねばつく汗が、らせんをえがくようで、めまいがする。だが、もうすぐ夏がおわる。毎年、この時期になると、それをさびしく思ったものだった。今もなお。秋の虫の声が夜にするようになった。日が落ちるのが夏至にくらべ大分早くなった。そのことに、遠ざかる太陽を感じるのだった。今もなお。明日もまだ暑いだろうか。

【蝸牛のマスク】
九月五日
 小さな美術館(といってしまっていいのだろうか)に、アール・ヌーヴォーのガラスたちを観に行った。一誠堂美術館(自由が丘)。展示スペースは小さいのだが、逸品たちをガラスケースのなかに、ランプならば彼らのもつ照明で照らし出し、花器などであれば、彼らを照射することで、まるで彼ら自らが発光しているようで(実際、彼らもガラスの力で輝いていたのだろう)、黒を基調とした背景もそれらをひきたて、温かい光の中へ差し招いてくれるのだった。
 展示品はエミール・ガレ、ミューラー兄弟、アージー・ルソーが一点ないし数点で、後はドーム兄弟の作品で構成。ドーム兄弟は、風景をガラスに描いたものに惹かれていたので、この出会いは嬉しいものだった(以下の作品はすべてドーム兄弟)。
 《ガラスと雪景色文花器》(一九〇〇年)は、四角形のもの、円筒形の大きさが違うもの、三つで、図柄は同じ、雪の積もった枝に烏が止まっている。空は青空のように、凍てつきながらも澄んでいる。その白と青は、寒い光景なのだが、優しいのだった。優しいというのとは違うかもしれない。見たことのある光景を美として差し出してくれることを、優しさとしてこちらが受け取るといったほうがよいかもしれない。雪景色なら、《雪景色文リキュールセット》もあった。茶色い空に雪を積もらせた枝たち。瓶三点、グラス九点、盆にそれぞれ描かれている。器として使うことで、日々のなかで景色と触れることができるのかと液体を注いでいる姿に想いを馳せる。
 そして《蝸牛装飾葡萄文ランプ》《かたつむりと装飾ぶどう文花瓶》(一八九八年頃)は黄地に赤が滲み、青紫の葡萄が描かれており、それぞれに蝸牛がリアルに張りついているのだった。描かれている虫たちや、虫の形の蓋などは見たことがあるが、蝸牛そのままの形で、ランプや花器を這っている様は初めてみたので、新鮮な驚きがあった。見なれたその姿が、優しいもの、美の使者として心に染み入るのだった。
 「マスクの暗示性は、存在と仮象とのあいだの緊張にあるのであって、仮象の現実化のような、実現不可能なことにあるのではない」とS・メルヒンガーは言っている(『現代の演劇』白水社)。少しちがうかもしれないが、蝸牛や冬景色にかぶさったマスクのようなものが、こうした作品たちなのではと思った。それは、現実の存在としては、気にもかけずに通り過ぎてしまう蝸牛や冬の風景などを、緊張という違和、日々への違和、日々の異化として、わたしたちにマスクをして、差し出してくる。この違和こそが美であるのではと。《薔薇文花瓶》(一九〇九年頃)は、ピンクの薔薇が描かれている。これもまた、マスクそのものの美としてそこにあるが、現実の薔薇の美をあらためて教えてくれるのだった。わたしは現実の薔薇にすら、ふだんは目をとめていないのだと、ささやきかけてくるのだった。つまり、日々の異化といったのは、日々に埋もれさせてしまっていたものを掘り起こしてくれるもの、といったもののことだ。マスクをすることで、浮かび上がる日々の本来の姿…。
 暗い明るい館内から外に出ると、賑やかな街だ。蝉が転がっている。夏の終わりを、動かないマスクのような姿が、鳴き声よりもなお叫んでいた。


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