豹日記 vol.8
(二〇〇七年三月〜六月)

(セザンヌ、『言霊と他界』、シュルレアリスム展(マグリット《現実の感覚》、ゴッホの黄色、桜、横山大観、速水御舟、渋澤龍彦展(ルドン、瀧口修造、アルチンボルト、エルンスト、マグリット、四谷シモン)、『道化的世界』『境界の発生』『異人論序説』、クノップフ、MONET大回顧展(白)、プルースト、フェルメール、ミュシャ)

【隔たる“郷”】(オルセー美術館展、セザンヌ)(hotel no.17に加筆して掲載)

【ぎたいする漢字たち】
三月五日
 前回引用した『言霊と他界』に、「「漢字」は、単なる表音文字ではない」。同じ音が次々と別の意味、別の文字(例えば中国語音のバンが、半、弁、絆、扮、拌)を算出し、多義的な世界を作り上げる不透明性だとあった。それに対して表音文字である「仮名」は、「つねに音声言語に対して二義的な言語でしかない。それは記憶や記録のための紐の結び目のようなものであり、発音のための符号にしか過ぎない。言語の世界と文字の世界は、透明で」…とあった。「つまり、漢字という文字は、つねにその音と意味とがズレるのであり、そのズレの中に無限の隠された象徴、暗号を見ることが可能なのだ」。そして「文字の表面上の意味とは別に、その音の連なりに隠された意味を」読む、語呂合わせや駄洒落的なものにも言及している(例えば、出口王仁三郎は、「一九三一年」を「いくさのはじめ」と読んで、満州事変が起こることを予言している)。
 わたしは、今まで「かな」の透明性のなかに、意味を流し込んで詩を書いているような感覚があったので、この考えは新鮮だった。じつは方法は逆だが、ほとんど同じことをしているのかもしれないが。つまり、わたしは表音文字である「かな」に、透明なものをかぶせ表意文字をまぎれこませていたのだった。「かな」に擬態させた「漢字」たち。たとえば、「“よる”とかなで“かく”」。この“よる”は、夜でもあり、寄るでもあり、縒るでもあってほしいのだ。よるは、そうしたすべてをつつむにふさわしい音だとおもったのだ。“かく”も、書く、描く、核、であってほしい。えをえがくように。かくように。だから、表音文字であるかなの、その結び目のさきにある、一語一語に、たとえば「森羅万象は七十五(五十音に濁音、半濁音を加えたもの)の声音に還元されるものであって、その一音一音に根源的な意味がある。その音義を言霊と呼んでいる」という、言霊主義的な態度からも、わたしははなれているだろう。ね、とつぶやく。とかく。根、音、寝、ね? と、そのつなぎめのねは、密度の濃い透明の気体となる。
 また、わたしは今まで、漢字で書いてしまうと、逆に意味が固定されてしまうと思っていたのだった。たとえば、葡萄と書くと、ぶどうのもつ生の舞踏的なものがなくなってしまう、それは果実をしかあらわさないと。だが葡萄のもつくさかんむりから、ほかのくさへ、くさかんむりの下の匍は、匍匐前進のほ、蔓性の性質をあらわしている。不透明にぶどうに肉付けしつつ、這うことへ、“ホ”という音に、言葉の連鎖はつづくのだった。こうしたつらなり、そしておもいがけない象徴はある。
 けれども、葡萄は、ぶどうのように、やはり武道や舞踏にはならない。わたしはえらびたくないのだろう。えらぶことは、なにかを捨てることだから。
 「言語は、それが明らかにした世界の一面以外の側面を覆い隠す働きを持っている。「空は青い」と断言した時、その言葉は空が空気の澄み具合、濁り具合、温度、湿度などの様々な要素で青くも、赤くも、白くもなることの可能性を隠蔽してしまうのである」。そして頁をすすめると、こんな箇所があった。この選んだこと、断言は、だが捨て去ってしまったのではない、隠蔽だといっている。一回かぎりのことばだから、隠蔽ではなく、やはり、そのとたん、逃げてしまうのではないか、空から雲のかたちが変わるように? と思ってしまうが、ともかく隠蔽とするならば、「言葉の意味とは、その意味の背後に隠された、いまだ意味を持たざるすべての意味世界をその内部に潜めたものにほかならない」。「こういう考え方をすれば、表現された言葉は、この世界の在り方をそのままに開示する「神秘的な象徴」といってよい」。つまり、捨て去り、消えてしまったものと、隠蔽するものと、どちらも、結局は言葉で断定した、それ以外のものを、追いたがっているのではあるのだった。隠蔽のむこうに、かたちをかえてしまった雲がある。それは、かなに表意文字を潜ませるようにでもある。よる、かなはかく。縒る、可奈はそうして、書く、描く、核。
 そういえば、この海埜の“埜”も、父方の先祖が林姓だったことから、林を一字いれて、ペンネームにしている。土が林の下にあるのは、いかにも先祖らしくて、いいと思ったのだ。これも、漢字のもつ、音とのズレからくる不透明性だろう。「同じ音声で呼ばれるものが、その字音を一部に含んだ漢字によって表現され、それはさらに様々に多義的な漢字の世界を作りあげてゆく。」うみのののには、はやしがある。おはやしが、であったらいいとおもったりもする。

 梅があちこちで咲いている。日が伸びた。日射しがやわらかく、冬よりも近づいているのがわかる。すこし気分が上向きになってきた。

(一部、hotel あとがきに)

【浮かぶ投瓶たち】
三月十五日
 シュルレアリスム展(二月二一日―三月二五日/埼玉県立近代美術館)に行く。ふと見かけた案内の写真がマグリット(《現実の感覚》)だった。彼に会いたくなったのだ。
 ここでわたしが見たマグリット作品は七点(入替えがあるのだろう、カタログには九点掲載されている)。殆どが同じコーナーにあるのがうれしい。そこだけ凝縮した海のような空間がひろがっているようだった。わたしは海を前にすると、いつも、初恋のような、あこがれのような、よびかけを感じてしまう。マグリットたちが、そうした海のような誘いをささやいてくる。この誘いには、たいてい、最近気にかかっていること、だれかがいったこと、たちが、共鳴として差し出されてくることが多い。まるで投瓶通信のように。瓶で届いた手紙の中身が、自分にかかわりがあること、友人からのそれだったように。呼び合って。
 「「空は青い」と断言した時、その言葉は空が(中略)様々な要素で青くも、赤くも、白くもなることの可能性を隠蔽してしまうのである」。前回、そう『言霊と他界』から引用した。受け取った瓶がある。そして《白紙委任状》(一九六六年、宮崎県立美術館)。樹々と馬に乗った女性。だまし絵のように、「馬は樹々の背景にあると同時に、その手前に存在している。また、女性は、樹々の表面に描かれている」(カタログより)。また、隠れているはずの背景を描くために、馬と女性が切断されたかのように描かれていない箇所もある。隠されたものの現前。キャプションに、マグリット自身の言葉として「目に見えるのもはいつも別の見えるものを隠しています。四本の木を通り過ぎる女性は、それらを隠しています。また他の木々は彼女を隠しています。白紙委任状とは彼女がしていることに対して、彼女に与えられた許可証なのです」とあった。この許可証は、描(書)かれたことで隠れたものたちを可能なかぎり引き出すものとなる。『言霊と他界』をもじっていえば、「表現された絵(言葉)は、この世界の在り方をそのままに開示する「神秘的な象徴」といってよい」といえるだろう。隠れたものを定着させようとすること。だが、言葉と絵との距離、現実と絵と間には、距離がある。隠れたものは、決して現実では定着することがない。そのことをマグリットは知りすぎるほど知っている。そのうえで、白紙委任状を持って歩んでいること、隠れたものを引き出そうとする真摯さに、たぶんわたしはひかれるのだった。「思考を目に見えるものにするために、私は絵画を利用するのだ」(「ルネ・マグリット」TASCHEN社)。彼は距離のなかに楼閣を作り出すのだった。さらけだされた姿の。
 そして《現実の感覚》(一九六三年、宮崎県美術館)。巨大な卵形の岩石が、宙に浮かんでいる。下は連なる山、岩石のすこし上に細い、小さな三日月。カタログでは、この月のように地球も浮かんでいるのだから浮かぶ岩石もまた現実なのだとある。また、「写実であっても、イメージに過ぎないという冷めた感覚が根底にある」と書かれている。「タイトルの「現実の感覚」は、前者の「宇宙的な解釈における現実」と、後者の「絵画として描かれているだけの現実」の両者にみられるように、発想の転換によって現れてくるはずの「現実」に掛けた言葉となっている」。つまり、現実という共通の空隙、距離のなかで、浮かぶことだけがつなぐ行為であるかのような。それはどこにも大地をもたない。言葉の現実とも、実際の現実とも、絵画の現実にも着地しない。ただ浮かぶことだけが、それらの接点であるかのような。岩石が、そうして浮かびながら、わたしのなかで深く沈み、そうして浮かんでいるのだった。
 いや、これは後から思った言葉たちだ。ほんとうは、あの岩石の背景に、ざわめいたのだ、ひたされたのだ。それは夕景の空の色だった。逢魔が時、誰そ彼時、夜と昼が出合うあの色の瞬間。それは現実たちが出合うにふさわしい時間帯を現していた。雲が薄桃色に、紫に、「「空は青い」と断言した時、その言葉は空が空気の澄み具合、濁り具合、温度、湿度などの様々な要素で青くも、赤くも、白くもなることの可能性を隠蔽してしまうのである」(『言霊と他界』)、その隠蔽の直前でもちこたえている、さらけだしている、すべてのやさしさのような色だった。それはやはり、わたしが海を前にしたときにかんじるなつかしさでもあった。どこかで、夕景の海の色は、オパールのようだ、とプルーストがいっていたと書いたことがある。浮かぶ投瓶たち。

 マグリットのことだけ書いたが、出品作家数三十名余、出品点数も一一〇枚余と、数も少なくなく、シュルレアリスムを系統立てて紹介している、よい企画展だった。デュシャンのモナリザにヒゲが生えた作品も、ここではじめて生で観る。また、マックス・エルンストの、幼児が夢にまたがるような《偉大なる無知の人》(一九七四年、岡崎市美術館)にもひかれた。これは、ベッドと対になった屏風で、子どものいたずら書きのようなやさしさが、鮮明すぎる赤い地に、生死の抱擁のような夜をつくりだしている。そしてカタログは、黒地に白い文字で、SURREALISMEと書いてあり、表4はその鏡文字。背景の黒地には、木肌模様にフェルトが貼ってある凝ったもの。家に帰ってひらくたびに、なにかおみやげをもらったような楽しさを感じさせてくれるのだった。

【ひとつたちの黄色い】(オルセー美術館展、ゴッホ)
三月二十五日
 オルセー美術館展(一月二七日―四月八日/東京都美術館)で観た、ゴッホ《アルルのゴッホの寝室》(一八八九年)。黄色いひとつのベッド、おおむねの黄色(クリーム)の枕ふたつ、黄色い椅子がふたつ。そしてわたしもまた、おおむねふたつのことが気にかかっている。ひとつは、そのひらたい構造、その黄色が、日本的だといわれ、彼も思っているということ。ひらたい構造は、輪郭をはっきりさせ、かつ二次元的な省略、それゆえの強調された遠近法、つまり浮世絵的手法として理解される。だが、いや、だからとくに黄色。「ファン・ゴッホにとって黄色やオレンジの色調は光であると同時に、幸福や平安と結びついた特別な色彩であったと思われることである。浮世絵に見られる、光を感じさせる黄色を自作に用いることも。ファン・ゴッホのいう日本的な感じに、結びつくのかもしれない」と、カタログにはある。出品作ではないが、たとえば広重の《名所江戸百景、亀戸梅屋舗》を油彩で模写した《花咲く梅の木》(一八八七年)の空は、広重のそれよりも赤すぎ、黄色すぎる空だ。同じく写しの《花魁(渓斎英泉による)》(一八八七年)の花魁の背景は、浮世絵のほうはほとんど白、アイボリーだが、ゴッホのそれはまばゆいばかりの黄色だ。そして《種まく人》(一八八八年)、《夜のカフェテラス》(一八八八年)の夜に輝くカフェの黄色から、ひまわりたち、アルルの光へと、連想は黄色をとおして重なりあい、響きあってゆく。だが、だから、なぜ黄色が日本なのか。日本にいるわたしには、そこに違和がある。浮世絵にはほかの色彩もある。そして日本、ここは黄色いかがやく場所ではない。だが「「日本の浮世絵にあるような」光をもとめて南仏アルルへと旅立った」(ガイドブック)。この黄色は、ここではない場所、をかすめとり、体現させようとした、それゆえの実在、そして創造の、接点としての、色なのか。それはルネ・ラリックたちが描いた梅やトンボたちとの出会いでない。彼らの作品には、だれがみても、日本的だとうなずけるものとの融合が見られる。だがゴッホのそれは、彼だけが夢みた色、いない楽園、それらの奏でる融合のようなのだ。梅が、まばゆさのなかで、ゴッホの花となって咲いている…。あるいはわたしが南に惹かれるようなことなのか。わたしにとっても、惹かれるそこは、概ね黄色い。それは輝きそのものだから。そして、それは南、というだけで地形をもたないものなのだが。ゴッホの黄色は、だが、だから、その激しいひかりが惹きつける、わたしのなかの輝きと響きあうのかもしれなかった。
 《アルルのゴッホの寝室》で、気に掛かっていること、の、そしてふたつめ、ふたつの椅子、ふたつの枕。これは、アルルで芸術家の共同体を作ろうとしたゴッホが借りた家(奇しくも「黄色い家」という通り名があるのだが)で、四つの孤立した部屋があり、そのうちのゴッホのもの。よく説明を読まずに絵を見たが、ふたつの椅子、ふたつの枕が、とてもさびしいと思った。ふたつあることで、とても離れている、圧倒的な孤独だと感じたのだ。あとで説明を読んだら、実際アルルに来たのはゴーガンだけだったが、そのゴーガンと訣別したあとに描かれた作品だとあった。だがそれがわたしの感じた孤独感の理由ではないと思う。それではあまりに散文にすぎるし、ひらたくなってしまう。ふたつはひとつになれない、だからふたつある、そのほうがまだいくぶん感じたことに近いかもしれない。
 オルセー展で隣りに陳列された《アルルのダンスホール》(一八八八年)は、ゴッホがゴーガンの手法、太い輪郭線で縁取るクロワゾニスムで描かれたもの。散文的な背景をここにあげると、描かれたのは、ふたりの関係が小康状態にあった最後の時期(この後、ゴーガンはタヒチに旅立つ)。だが、この絵は、ゴッホの絵であり、筆致であり、ゴーガンはいない。太い輪郭が、ゴーガンをかろうじて匂わせるが、それも、日本髪を結ったような奇妙な女性のヘアスタイルや、ダンスホールの明かりの黄色、あのゴッホ的なものが跋扈して、太い輪郭線にみられるゴーガン的なものを、画面から消し去ってしまってしまうのだ。あるいは、ここに浮世絵的手法が見られるとして、それが浮世絵ではないように、ゴーガン的なものが、ゴーガンからはがれて。
 ひとりだ。にもかかわらず、明るい黄色い部屋から出て、暗い黄色いダンスホールへ。ひとりは連綿とつづき、ここでも、孤独を感じた。ダンスホールにはたくさんの横顔がならんでいる。それは視線をかわすことがないからだろうか。わたしたちは決してひとつにはなれない。ともかくそうしたことをここで赤裸々に感じた。ひとりだ。せいぜいそう感じることで共有を。ダンスのほうへ向けられているであろう、暗い横顔たちが、そのことで時間を共にしているように。それらを照らし出す、黄色が、手招きをして。さらけだすような明るさで。ふたつはひとつになることはない。幸福や平安、黄色い。

【とおまわり】
四月五日
 また桜たちがやってきた。今年は、ぼんやりと、どこか遠いところで心をしずかにさわがせて、開花を待っていたような気がする。三月十八日、テレビで東京の開花宣言の基準木が一輪咲いたといっている。今年は焦がれるほどに待ち遠しくない。五、六輪咲かないと、開花宣言は出ないとも続けていっている。あるいはまだ咲くことが信じられないのか。家は区内だが、都心よりも数日、開花が遅れる。それだけ周りに熱を発する建物が少ないのだ。家の近くの小さな公園に二本の桜の木がある。まだ蕾だ。これは家の基準木だ。三月二十日、東京で開花宣言がだされる。まだ公園の桜は蕾だ。だから桜は遠いし、咲くことが実感としてうかんでこない。あたまがぼんやりとしている。二十二日、勤め先近くの新宿の基準木をみる(去年の日記に書いた。元酒屋さんの庭、今は駐車場となっているところに生えている大木だ)。五、六輪確かに咲いている。だがまだ実感がない。わたしはなにを望んでいるのだろう。二十三日、両方の基準木を見る。遠いところで、よばわる感触があった。あるいはすこしだが近づいてきたのだろうか。いや、わたしは桜に近づきたかったのだ。二箇所の基準木のどちらもわずかだが平常から遠回りしてみにゆく。みあげる。遠回りすることはだからすこしの儀式となる。あたまがじんじんとしている。まだ他人事のようだ。去年おそらく感じたようには、桜たちはやってきてくれない。そんな思いがしずかにふきだまっている。あるいは、そんな思いが、桜とわたしとのあいだを霧のようにさえぎっている。毎日、朝晩、遠回りをする。二四日の土曜日は、新宿の基準木近くの公園に赴いた。まだ寒い。コヒガンザクラが満開だった。ソメイヨシノは、せいぜい二分咲き、日向では三分咲き位だったろうか。寒さのなか、桜との距離をぼんやりとみつめていた。二六日月曜から、また朝晩ふたつの基準木にあいにゆく。遠回りして。ぼんやりと、憑かれたように? その意識はなかった。だが好かれたいと思っていたような気がする。二七日、ようやく、家の近くのほうの基準木が、三分咲き位になる。見上げる。遠い。空よりはだが近い。新宿は六分咲き位。桜をみると、そこに過去の桜がいつも近しくやってきてくれる、と感じていたものだった。過去の、その桜をみた私をひきつれて。だが、今年は、その過去が遠い。そこにわたしはほとんどいない。それがぼんやりとして、遠さとして、桜を隔てているのだろうか。わたしは去年からも遠い。憑かれたように? 新宿の桜はほぼ満開だ。あの、毎年の風をはらんで、花びらたちがみつめてくれているようにも、感じるようになってはいる。水が少しずつ布をひたすように。だが布のどこかが、今年はやけにかわいている。そのかわきが、距離なのだ。好かれたいと思っていた。遠回りして近づくこと。三一日、四月一日、休みに東京の桜たちにあいにゆく。どこもほぼ満開だ。過去はもはやいない。河に映っている桜もみた。いないことがかわきをくるむようだった。つまり、過去のなさに気づくことが、そのままの、その桜をうけいれることのように。河に映った桜に、花びらが散っている。かわきが過去たちから離れ、みつめている。そこで見つめたものは、もしかすると、過去を食べたわたしの姿だったかもしれない。だから過去はいないのだ。養分の澱となって、わたしに沈んでいる。河の桜。憑かれたように花をみる。ぼんやりと、桜の色に、そのうっすらとほのかに明るい灯火のいろに、ぼんやりとした霧がまじりあってゆく。時間たちが一瞬。それが近づいたということなのか。二日、三日の雨でだいぶ花が散った。四日朝、地面にしきつめられたような花びらを踏む。やわらかくなった土の音がひびいている。しずかにさわいだどこかつぼのような場所で。わたしは桜にとうに再会していたのだった。遠回りして。

【枝の橋】
四月十五日
 〈桜さくらサクラ・2007―花ひらく春―〉(三月十日〜四月十五日、山種美術館)に出かけた。去年も行った。美術館の周りは千鳥が淵など、桜の名所になっている。去年は葉桜の頃だった。今年は満開の時に出かけた。去年から、満開に来ようと思っていた。性懲りもなく(というのは、前回書いたように、過去のわたしはもはや離れているから)そう思った去年のわたしと今年のわたしと、願望と実現と、想像と現実と、再会と再会と、外と内と、マグリットのいう絵と現実との距離のなかに、狭間に、桜をちりばめたかったのかもしれない。散りばめることで、埋めたかった、浸りたかった、触れたかった、距離を縮めたかった。絵と現実のあいだの距離に、謎がつまっていることで、やじろべえのようにつながっている、マグリットたち。
 願望、想像と実現、実際の間には、良くも悪くも落差があった。あるいは落差があるからこそ、偶然があるからこそ、距離を縮めたいのだろう。距離がなければ謎もない。悪いほうは、満開の時期、外の桜は見るどころではなくなる、という点。満開の人の群れ。警官の誘導の元、堀に沿って、五列になって、立ち止まらずに桜を見る。わたしは堀に近い側の列ではなかったので、水すら見えない。葉桜の時は、人気がほとんどなく、水に映った桜、落ちた花びら、まだ木によっては花が残っている桜、さくらたちに囲まれ、菜の花の鮮やかな黄色も手伝い、境界に、謎のなかにいたのだったが。良いほうは、展覧会が桜にまつわる収蔵品を出すということで、たぶん毎年殆ど同じなのだろうと思っていたし、同じような感想を抱くかもしれないと思っていた、そのぼんやりと抱いていた予想が、外れたこと。こちらの落差は、偶然のように思いがけない。そして偶然こそが、じつは謎の兄弟であり、つなぐものなのだ。
 去年は、おおむね、満開の桜たちや、夜の桜たち、奥村土牛の桜、おおむね花びら、桜の色たちに惹かれた記憶がある。だが今年は特に枝に惹かれた。横山大観の枝、速水御舟の枝。横山大観《山桜》(一九三四年)は斜めに傾いだ二本の桜だ。色遣いが全体に地味だ。花も一歩さがっているように、目立たずに開花している。これらはすべて、枝を際立たせたかったのではと思われるほどだった。そうして、枝の静かな生の、鼓動が聞こえてくるように感じられた。枝の生は水鳥の水面下の泳ぎのように、見えにくい生だ。四季のなかで、それは眼につく変化が見られない。だが静かにたぎる生を、わたしに教えてくれたのだった。
 枝をあたまに置きながら、速水御舟の絵の前に来る。《夜桜》(一九二八年)と、《道成寺入相桜》(一九二九年)の写生のシリーズ。これらは一枝、二枝の桜たちだ。《夜桜》は大観の《山桜》のようにおさえた色彩だが、夜とは思えない。だが、そして枝。右端に幹がヘビのようにうねっている。なめらかで、濃淡だけで枝が描かれているので、ごつごつとした感触はない。そして花の端にある。だが、それでも息づいているのがたしかに伝わってくるようなのだ。その呼吸が細い枝を伝わり、葉たちに、花たちにつながっているのがわかる。このつながっている感触が夜にぼうっと灯っているのか。だから夜桜なのか、と、どこかで思う。そして冬の枝を、幹を、絵たちから教えてもらったのだった。公園の桜の木、たちの冬の枝の情景が、まざまざとわたしにあらわれてきた。かれらの生が。
 速水御舟は、去年は《春の宵》(一九三四年)のほうに惹かれたのだった。今回も展示されているが、こちらは、幽玄な、なにか夜に溶け入りそうな(だが決して溶けない、そのすれすれで止まっている)かそけき、か細い一本の夜桜から、花びらが散っている。三日月の細さすらかぼそい、異界に通じるような一枚だと、そんなことをたぶん思った。だが、もういちど、枝たちにうながされてみてみる。その柳のようにかぼそい幹から花びらにむかって、つたえている生、それこそが、幽玄なのではなかったか。夜のなかで息づくことが。枝たちがやはりしずかに、とてもしずかにだったが、ささやいてくれたのだった。ささやきが、桜をまた照射してくれて、明るくしてくれたのだった。去年のわたし、いまのわたし、このへだたりに灯った謎。このはざまは縮まらない。距離のなかで、花びらが散っている。
 外に出て、咲いている満開の桜たちにまた会った。花はもとより、枝たちが生々しかった。絵と実際のそれとの間に、距離のなかで、それでもわたされた感触だった。生だった。

【距離のある再会〉
四月二十五日
 「渋澤龍彦―幻想美術館」展に行く(四月七日―五月二十日、埼玉県立近代美術館)。渋澤龍彦は、わたしにとって微妙な作家だ。最初は、はまって読み漁った。熱がさめて、一冊を除きほとんどすべてを売ってしまった。たとえは気に入らないが、それは恋人と別れたようなものだった。そうではないかもしれない。どこか彼と似たところがあって、認めたくないのかもしれない。それは私の影の部分だ。図星を前にしたような気詰まりがある。だから、ずっと無視してきた。今回、その彼の名前を冠した展覧会に何故いったかというと、その出品作家たちにひかれたから。桐田真輔さんが言っていたが(というより、気づかされたが)、美そして文学の紹介者としての彼の功績は大きい。それは否定しようのない事実だ。あるいは彼の交流。展覧会は、サド侯爵(自筆手紙)、ブリューゲル、アルチンボルド、モロー、ルドン、マグリット、エルンスト、伊藤若冲、河鍋暁斎、瀧口修造、横尾忠則など、八〇名以上、二五〇点以上の出品、資料五〇点と充実した内容となっている。ともかく作品たちと、出会いがあるかと思ったのだった。
 出会いはあった。だが、ここで出会っていいのだろうか、のような居心地の悪さが始終、ついて回った。このたとえも気に入らないけれど、昔の男の前で、他の男と親しげに接しているような。たとえばルドンの《ペガサスにのるミューズ》(一九〇七年)の、にじんだ背景のあざやかさが、内外を現出させていた。それは、隣りにあった《XII オアンネス:私は混沌のなかで最初の意識として物質を固まらせた形をきめるために深淵から現れた(「聖アントワーヌの誘惑 第3集」より)》(一九八六年)の黒一色のリトグラフ作品と同じ色彩だった。つまり、黒が赤、黄、青をまぜた色であることを、この空とぶ馬は花開くように教えてくれたのだった。そしてその境界は、リトグラフのように混沌にひらいている、あるいは扉として、ルドンの描く花にも開いている。このペガサスたちの行く背景は、ルドンの他の花たちに何と似ているのだろう…。アルチンボルトの《ウェイター》(一五七四年)のマニエリスム。壷たちでできた顔、樽の胴体、蛇口の手。これは若冲の《付喪神図》にどこか通じる、物たちの生だ。生きていないものたちの生きざまだ(この若冲にも、自分でもおどろくほど、ひかれた)。小津安二郎は、「お早う」のなかで、挨拶は大事な無駄だといっている。それは人との接点だから。これらは遊びのはなつ大事な接点だ。ここから見出されるものたちが、つながりがある。あるいは混合物のはなつ生。エルンストの《博物誌》シリーズ(一九二六年)のフロッタージュによる作品群、瀧口修造の《デカルコマニー》(一九六四年)。フロッタージュは葉や岩をなぞったもの、デカルコマニーは絵の具を塗り、はがすことで生まれる形。これらもまた混合物だ。葉そのものが、エルンストの作品と混合している。たとえば葉の模様でできた鳥たち。瀧口修造の《デカルコマニー》は、偶然との混合だ。そしてまたマグリット。《大鳥たちは宝島の鳥で…(『魅せられた領域より』)》(一九六八年)。二枚一組といった絵で、左側にエルンストの鳥と通じて、フロッタージュではないが葉の胴体を持つ鳥の住む島、その島の輪郭が右の絵に辛うじて侵食しているが、右は《光の帝国》のような、空が真昼で、家と家の周りが夜の一枚。それは植物と鳥の、昼と夜の、混合というよりすべての一致の瞬間だった。左の鳥の島と、右の光の帝国すら、騙し絵のような島の侵入により、繋がっているのだった。それは昼と夜と鳥と島と葉の生のざわめきすべてだった…。
 そうして、マグリットの絵の前で、特にここにいることの気まずさを感じた。それほどに彼の絵に恋しさに似た感触、衝撃が交じっていたのだ。それを澁澤龍彦の展覧会で感じることに疎外感のようなものがあった。それはわたしとマグリットだけの共振で、この展覧会とは関係がなかった。どこかでひっかかりながら、最後の部屋、第VII室 高丘親王の航海に入る。『高丘親王航海記』は遺作となった小説。咽に珠を飲んでしまった親王と、作者の喉頭癌が、混合し、結晶化している、壮絶な美しさをはなつ作品だ。これはわたしが売らなかったたった一冊の本でもある。この本だけは、大事にとってあるのだった…。
 本の原稿、晩年の写真、そして澁澤へのオマージュ作品たち。奈良橋一高の《スターレクイエム―シブサワ》(一九九三/九五年)シリーズ。流星のなか、メガネがある。別の一枚には羽ペンがある(サド侯爵のそれだろう)。このメガネは、澁澤のしていたメガネのカタチだ。そう思ったら、途端に悲しくなった。悲しいのとも違うかもしれない。ここで澁澤展に違和を感じなくなった。はじめて疎外感がうすれた。入ってゆけたと思った。澁澤の部屋にあった頭蓋骨(レプリカだが)があった。これは以前から知っていた。中西夏之の《コンパクト・オブジェ》(一九六八年)があった。これは卵のかたちをした琥珀のような樹脂のなか、オブジェたちが羊水のなかのように、あるいは生死に触れているような作品だが、これも彼の部屋にあったのを写真で観たことがある。そして、アンモナイト、貝殻、わたしも渋澤を真似てかつて部屋に、頭蓋骨までも飾っていたものだった。なぜこの展覧会に、違和を感じなくなったのか。たぶん彼に対してか、彼と共通のなにかをもちつつ、作品たちに接することができたのだろう。マグリット、エルンストの作品へのそれは、わたしと彼らとしかほとんどいなかったが、ようやく、最後の部屋で、作品をとおして、渋澤と共振することができたのだ。死を悼む気持ち、そして懐かしさに包まれた。それはかつて読み漁ったわたしをとおして、みつめることのできた澁澤だった。四谷シモンの《天使―澁澤龍彦に捧ぐ》(一九八八年)。これは四谷シモンの人形に固有のエロティシズムがほとんど感じられなかった。昇華されたうつくしい歌だった。ほんとうにほんとうに捧げているのだと思った。
 会場を出て、ミュージアム・ショップに行く。渋澤と和解できたと思ったにもかかわらず、カタログをめくったが、どうしても触手が動かなかった。作品たちが、ではない。その背後にある、渋澤の影、渋澤のことばたち、に、違和をおぼえてしまうからだった。たとえば、展覧会の一室で見かけた、澁澤のこんな言葉。「ノスタルジアこそあらゆる芸術の源泉なのである。もしかしたら、あらゆる芸術が過去を向いているのである」。こうしたことばにひかれつつ反発してしまうのだ。なぜ芸術が過去を向いているのか、ここには断言があるだけで、説明がない…。やはりわたしには微妙な距離と温度をもった、別れた男、なのだろうか。

【小屋を建てる、辺境に。〉
五月五日
 今回は、頭のなかの整理的に、頭のなかの辺境をかたちづけ、できれば小さな骨組み、小屋を、建てられればいいのだが――。

 〔 〕内は、主に私の注釈、補足。

 例えば、『道化的世界』(ちくま文庫、山口昌男)で、道化と詩人が近しいものだと知ったときから、まず、道化を頭の片隅に大事に置くようになったのだろう。
「道化=トリックスターは、よどみなく流れて人々の意識を眠らせる現実の記号の組み合わせに異議申し立てを行う。そして、現実を「理解」(往々にして従属するという言葉の同義語)するために必要不可欠と思われた言葉及び行為を意味のないものに還元してしまい、ふつうそれが通用する文脈から切り離してしまう。詩人が「あまのじゃく」と精神の何らかの部分を共有するとすればまさにそういった点においてなのである」。
 「道化的行為の根底にある志向は、絶えず、日常世界の中において可塑性の高い、言語及び肉体表現を、想像力を媒介にして、異質の次元に置き換えて、宇宙的リズムをこの世界に導入するきっかけをつくることにある。(中略)詩的言語が道化の身振りと切り離すことの出来ない所以である」。
「語の紋切り型の拒否も最も効果的な形式の一つであろう。ここで、語を行為という言葉におきかえるならば、直ちに、子供の身振り、異人の身振り、狂人の身振り、阿呆の身振り、道化の身振りという連想に我々は導かれる」。
 そして、道化、異人、子供、狂人、あまのじゃくたちをその片隅という場所にさらに住まわせていったのだろう。
 「道化はその限界を知らぬ放恣な性格の故に、定住の世界に安住することを許されない。(中略)定住社会は、一定期間彼らを受け入れて、日常生活を構成する諸要素、ヒエラルキーをすべて、疑わせ揚棄させて、新しい秩序に置き換えるのを援けさせる。しかし、その期間が終ると、彼は元の位置に戻らなければならない。所詮彼は、秩序の内側、「文化」の中心に棲息すべき人種ではなく、周辺部、あるいは境界の外に住むか、絶えず、この世界の周辺を放浪しなければならない種族に属する。境界性(マージナリティ)こそが彼が、本来帯びている刻印である。」
 「彼〔ヘンリー・ミラー〕が「道化は行動の詩人だ」というとき、詩が、純粋身振り、原身振りに他ならず、道化の行為が、日常生活のありふれた交換の記号とは異なり、あらゆる行動の源泉から直接発していることが言い表されている」。こうしたことから、詩人をますます道化とむすびつけて考えていったのだろう。あるいは、その片隅は、辺境、境界、閾ということばを付与していった。いや、ことばだけでなく、辺境として場所を拡大していったのだ。「周辺部、あるいは境界の外に住むか、絶えず、この世界の周辺を放浪しなければならない種族」が道化ならば、それはわたしのなかでは詩的言語を介して詩人と結びついていたのだから。境界ということばに惹かれるのは、だから、そんなこととつながっていたのだろう。
 『昔話と日本人の心』(河合隼雄、岩波書店)でいう、「うぐいすの里」という「見知らぬ館」という中間地点で、「日常的な空間からやってきた男性が、非日常な空間に出現してきた美女に会う」、「見知らぬ館」にひかれたのも、それが境界だからだ。「このような日常・非日常の空間構造を、心の構造として読みとると、意識・無意識の層と考えることも出来る」。「見知らぬ館は〔男の住む〕日常の世界と〔女の住む異界〕非日常の世界の中間地帯と言うことができるであろう」。意識と無意識の接するところ。『影の現象学』では、見知らぬ館に対応するものとして、「王と辺境とを結ぶ道化。日常の世界と非日常の世界に出没するトリックスター」という仲介者の存在をあげている。この道化、接点で、「再び力を得た自我は、新しい統合の道を、現実とのかかわりのなかで堅めてゆくことになる」、それが創造(創造的退行)だと『影の現象学』(講談社学術文庫、河合隼雄)では語られている。「退行とは心的エネルギーが自我から無意識の方に流れる現象である。白昼夢、妄想(中略)一般に退行といえば、病的現象を指すものと考えられていたが、ユングは(中略)むしろ創造的な心的過程には必要なものであることを早くから指摘している。」境界での創造。道化、詩人。わたしのなかで辺境はますます大きくなるだろう。

 最近、『境界の発生』(赤坂憲雄、講談社学術文庫)を読んだ。「共同体の内部は(中略)、日常的で慣れ親しまれ自明性の光に浸された可知敵領域である。それにたいし、境界の外縁部からは混沌の闇が迫り(中略)、穢れや病気や厄災の威嚇を吐きかけてくる。と同時に、そうした混沌の領域は測り知れぬ創造の活力を宿した、非合理と不可知の神秘の聖なる時空でもある」「共同体イメージは、その二元論的な認識構造ゆえに、共同体の外部にさまざまなレヴェルの〈異界〉と〈異人〉を表象=産出する。(中略)秩序と混沌という二元論的世界を生きる定住民にとって、〈異人〉は漂泊性を濃厚に帯びているがゆえに、秩序と混沌に相またがる両義的存在として立ちあらわれてくる。また、混沌自体が聖なる境域として創造と破壊という両義性を孕んだ象徴空間であることから、〈異人〉を迎える定住農耕民は怖れと敬いという両義的な心態に引き裂かれざるをえない。」
 この境界は、先の創造と退行に通じるだろう。両義的存在は、王と道化、にも通じるだろう。そして、この本に出合う前から、わたしの場所に、異人が住んでいたことに気づく。彼らがこの本を呼んだのだ。
 異人とは、現在読んでいる同じ著者の『異人論序説』(ちくま学芸文庫)によると、「1漂泊民(遊牧民、日本中世の遊行聖、土着以前の行商人、遊女、芝居一座、遍路乞食)、2定住民でありつつ一時的に他集団を訪れる来訪者(行商人、旅人、巡礼、赴任した教師、海外派遣の商社マン)、3永続的な定着を志向する移住者(移民、亡命者、嫁、養子、転校生、新生児ほか)、4秩序の周縁部に位置づけられたマージナル・マン(狂人、犯罪者、変人、アウトサイダー、異教信仰者、独身者、未亡人ほか)、5外なる世界からの帰郷者(故郷へかえる人)、6境外の民としてのバルバロス(鬼、河童なども含む)」となる。これにしたがうと、道化は4になるだろうか。秩序の周縁部にいるもの。『影の現象学』では、「ロシアでは道化の役目に選ばれた人間はしばしば外国人であったという。つまり彼等は王国の秩序を超えた世界と通じているのである」とあった。
 また、『異人論序説』では、「〈漂泊〉の民は〈漂泊〉の民であるがゆえに、〈異人〉として表象されるわけではない。混沌のかなたを浮遊する漂泊民は、“まったく存在しないも同然の生物、遠近の彼岸にいる生物”(ジンメル)であって、〈異人〉とはいえない。定住民の生活圏と接触するとき、はじめてかれらは〈異人〉でありうる」とあり、境界に近づくとき、その姿ははじめて関係してくるのだという。つまり「〈異人〉とは実体概念ではなく、すぐれて関係概念である」。河童などは、「“遠近の彼岸”を浮遊する生物」だが、「生々しいイメージとして体験していた」から、異人にいれている。このとき、「想像の産物」とあるが、ここに、言葉の力を、フィクションとしての文学をそそぐことは可能だろう。そうして場所に物語をいれるのだった。
 そして境界は、「外部にたいしては内側・内部にたいしては外側を意味しており、遠/近・または〈漂泊〉/〈定住〉の両義性にひたされた空間といえる。境界的(マージナル)な領域に生きる人々が、往々にして潜在的な遍歴者の相貌を呈するのは、むろんそのためである。」とあったが、遠/近、〈漂泊〉/〈定住〉の両義性にひたされた空間というのと、正負、浄・不浄、こうした対立する観念たちが接していることからくる反転は、関係しているのではないかと思った。「〈異人〉の神秘性の由来は、かれらが混沌のかなたからの訪れ人であり、また、秩序と混沌を媒介する両義的存在と信じられていることにある。無定形の混沌(カオス)は、崩壊もしくは危険の象徴であるばかりでなく、創造もしくは能力の象徴でもある。混沌に内在する正と負の両義性といってもよい。混沌(カオス)を背負った〈異人〉は、そうして、正・負に引き裂かれた神秘性を身にまとうことになる」。
 『境界の発生』にもどると、例えば「供犠の庭にささげられる聖化されたイケニエは、象徴的には、人間/神・内部/外部あるいは俗/聖といった二元的にたてられた対立項をつなぐ媒介者である」とある。媒介者は、二元たちが接する場にいることと繋がっているのではないか。「供犠sacrificeという言葉には、殺害する・聖別するという二重化された意味が孕まれている」。「客人歓待を意味するhospitalityという語が、敵意をあらわすhostilityとともに、外人・敵人・客人・主人などを全体的に意味したhostという語に語源を有するように、原始・未開人は外人を畏怖し、異人を怪奇で悪霊的と見なすと同時に、これら異人を歓待饗応するのである」こうした二元的なものたちを含んだ意味、ということも、ついここにかぶせてみたくなる。殺害と聖別、歓待と敵意、はざまで。「浄と不浄とは、……別個の二綱ではなくて、すべての聖物を含む同じ綱の二変種である」(『異人論序説』のなかのデュルケム『宗教生活の原初形態』)。「ギリシア語の「聖なるhagios」という語は、古代には「穢された」という意味をもち、古代ローマでも、「聖なるものsacer」は、穢し穢されることなしには接触することのできない人間やモノを意味した、とされる。(中略)すなわち、古代世界にあっては、“聖性の尊厳に由来する禁止事項と、畏怖と罪悪を鼓吹する禁止事項とが言語において区別されていない”(カイヨワ『人間と聖なるもの』ことがわかる」(『異人論序説』)。対極的な二項は、区別されにくいほど、近しいものだったのだ、と。あるいは、「道化の両性具有性。道化は単純に男性的でもなければ女性的でもない」(河合隼雄『とりかえばや、男と女』新潮文庫)とある。同書では、「ギリシャ神話の「混沌」(カオス)のように中世的ではあるが、そこからつぎつぎと子どもが生まれるのは、その存在が両性具有的であることを示唆している」ともあり、性が接する場としての境界にも接点を見出したくなる、あのわたしの場所に置いてしまう。
「もともと、物語の主人公としては、ヒーロー・トリックスター融合型のような主人公が多かったのではないか。(中略)ヒーローとトリック・スターという分離が、もっと明確な姿をとるのが、王と道化である。王は至高の存在として絶対的な正しさと権力をもつ。これはあくまで建前のことであり、そればかりを主張していたのでは現実にそぐわなくなる。したがって、王の影の部分を背負うものが道化として登場することになる。道化のもたらす笑いが、ともすれば平板に固まってしまいそうな王国を開放し、活性化するのである」(『とりかえばや、男と女』)。王と道化も、辺境にいるものとして結びつきもするが、二元論的にもむすびつくだろう(「こうした浄と不浄の相互補完性は、国王と死刑執行人(または道化)・帝王と宦官などにもみいだされる」(『異人論序説』))そして、そう、ここでまた道化が。道化が詩人に。そして、「〈芸能〉がいずれ共同体的な日常性を超えた場所にしか成立しがたいものである限り」(『境界の発生』)、とあったので、これもわたしのなかの境界に置く。泥から茎をのばして水面で咲くスイレン(ハスでもいいが、ハスだと、釈迦にまつわる固定的な意味を付与されてしまいそうなので)。

 わたしのなかの場所が広がる、というより、名付けられることで、境界がひきよせられてゆく、といったほうが近い。花が咲いている。名前がわからないと、関係はそのまま遠ざかってしまう。だがたとえば、ハンゲショウという名前を知る。半分だけ白く化粧をした葉。緑に白い絵の具をたらされたような姿が、すこしだけ近づく。かたちを自分なりにとらえるために、名前を媒介者とする。そうして媒介者たちを、境界のかたちを少しでも立体的にしようとする、したいらしいのだ。

 だが、「〈異人〉は日常の地平から排除されるがゆえに、〈聖〉性をおびた存在となる。うらがえせば、かれらの〈聖〉性は排除においてこそ保証されている。この、あやうい逆説的な構図のうえに、共同体と〈異人〉のおりなす両義的光景(敵視と歓待)はひろがっている。〈聖なるもの〉は正・負いずれであれ、なんらかの疎外過程を根底にもつ」(『異人論序説』)。ことがこの境界にあることを骨身にしみて、感じなければいけない。つまり、疎外にまつわる差別も、あの境界では接しているということを。

 あるいはわたしは、小屋を建てたいのだ。わたしのなかに、辺境のアイデンティテイとしての小屋を、名前としての小屋、刻むための小屋を。
 『異人論序説』の最初のほうに、メタファーとしての小屋が出てきた。「小屋を建てるとは、きれめなく連続する無限の空間からひとつの区画をきりとり、ある方向づけられた統一体へと形成することである。(中略)。人間はひとつの意味にみたされた内部を析出し、同時に、小屋の壁という境界線のむこうへ外部を疎外する。(中略)はじめて小屋を建てるとは、それゆえ、原初のカオスを一本の境界線によって劃し、ある囲い込まれた秩序の空間を創造することである。(中略)敷居は、空間的な連続性の廃棄をしめしている。それは移行の象徴であると同時に、その媒介物でもある(エリアーデ『聖と俗』)。(中略)扉こそは、この敷居の小さな神の具現である(バシュラール『空間の詩学』)。境界をつかさどる〈聖〉なる司祭、といいかえてもよい。門もまた、世界を内部と外部にかぎる、神聖な境界である。(中略)。そして境界。あらゆる境界は、わたしたちの想像や夢の源泉であり、始源のイメージ群が湧きいづる場所である。世界という存在の奥底をのぞきこもうとする誘惑と、寡黙な存在をことごとく征服したいという欲望が、そこには渦をまき、蓄積されている。
 〈異人〉とは、共同体が外部にむけて開いた窓であり、扉である。世界の裂けめにおかれた門である。内と外・此岸(こちら)と彼岸(あちら)にわたされた橋、といってもよい。媒介のための装置としての窓・扉・門・橋。そして境界をつかさどる〈聖〉なる司祭=媒介者としての〈異人〉。知られざる外部を背に負う存在(もの)としての〈異人〉。内と外が交わるあわいに、〈異人〉たちの風景は茫々とひろがり、かぎりない物語群を分泌しつづける」。
 「〈異人〉とは、それ以上さすらいはしないものの、〈漂泊〉の自由を放棄したわけでもない潜在的な遍歴者である。」

 この無限の空間という連続を、切り取る不連続、ということもバタイユの死という連続、生という不連続を彷彿とさせ、興味ぶかかったが、今日は小屋を、門をかたちづくったあたりでやめておく。門。「ヒュノプスはギリシャ神話で眠りの神。夜の息子、死の弟、夢の父親。ヒュノプスは象牙の門と角の門の番人でもある。象牙の門は、人々を惑わせ、愚かしい思いに誘う虚偽のまぼろしが群をなして通る門、角の門は、予言と霊感の真実の夢が通る門。この門はきっと、とても接しているにちがいない」と、フェルナン・クノップフ《白、黒、金》(一九〇一年頃)のヒュノプスを描いた作品によせて、十一月五日の日記にわたしは書いている。門は、境界でもあったのだ。

【雪断片】
五月十五日
 『MONET大回顧展モネ』(二〇〇七年四月七日─七月二日、国立新美術館)に行った。モネの絵は、ここでも何度も書いているように、わたしにとっては特別なものだ。はじめにその絵(《睡蓮》だった)に受けた衝撃は、瞬間との出会い、瞬間の永遠をそそぎこむ、その共時性によってだった。その衝撃は、もはや一回限りのものとして、薄れてしまったが、モネの絵に出合うたび、なにかやわらかな衝撃がはぐくまれるといった風になるのだった。マグリットが、硬質につきさす熱だとしたら、モネのそれはやわらかな熱なのだ。
 今回出品されていたモネの絵には、塗り残しがあるものが多かった。四隅が白いままの睡蓮の池たち、また、展覧会の目玉となった《日傘の女性》(一八八六年、オルセー美術館)は、傘の柄はないし、傘をもつ手に指もないし、その顔も書かれていない。これらは、たぶんうつろいを、時間をつかむためには重要ではなかったからだろう。塗っている間に、時間はすぎてしまうから。時間の断片に光りがちりばめられて。そうして曇り空や、夜までも、光りをはなっているのだ、明るいのだ、輝くものを持っているのだと、まざまざと教えてくれるのだった。曇り空では、たとえば《ヴェトゥイユ、曇り日》(一九〇一年、リール美術館)、《ウォータールー橋、曇り空》(一九〇一年、サントリーミュージアム)。その空は、薄い布を透して光りをたたえているようだった。暗い空気に、光りがたゆたっているようなのだ。そして夜。夜といったが、それは概ね日没のことだ。モネには夜だけをえがいた作品はなかったと記憶する。日没、夕景、夜と昼のせめぎあう場で、あかるさがあたかも夜からもにじんでくるような。《エトルタの日没》(一八八三年)の、黒い奇岩と、夕景の空と海。この黒さが、なぜか光りを内に秘めていると思った。そこからにじみだすものに反応して、空と海は、青、白、緑、桃色、橙、呼び合うように光をさらしてくるのだと思った。《黄昏、ヴェネツィア》(一九〇八年頃、石橋財団ブリヂストン美術館)は、教会が炎のような空と水につつまれているのだが、これは夜の側からの、いどみかかるような明るさだった、光りだった。あるいはまるで、風や空気がみえるかのような。
 《ジヴェルニー付近のセーヌ川》(一八九四年、上原近代美術館)は、川岸と水面と空が描かれた、たぶんだれもが、こんな風景をみたことがあるだろう、しっているだろう、とおりすぎたことがあるだろう、そんな景だ。目の結んだ一コマ、断片を差し出してくるこうした連続性から、しばらく眼がはなせなかった。連続性といったのは、それによって、不連続なわたしたちはつかの間ではあるが、連続することができるから。だがこれも、モネの時間との、光との、圧倒的格闘があればこそ、だが。こうした景こそが、わたしたちを時間をもたない瞬間にはこぶのだ。
 会場内で、雪景色ばかりを集めた「2章 諧調」という部屋があった。そこには、「白という、「何もない」色彩と考えられてきた色のなかに、モネは限りなく微妙な色彩と諧調を見出す。とりわけ雪という、西欧人が「病んだ自然」として例外的にしかモティーフとして取り上げなかったものを素材に、その限りないニュアンスを描きすことに挑戦した。雪はあるときはばら色や黄色に温かく、あるときは青や紫を帯びて寒々しい」と書かれてある(カタログより)。白が「何もない」色彩で、「病んだ自然」として捉えられていたとはしらなかった。そこからの視点のずれをモネがもっていたことに、彼の迎合しない、因習などから自由な眼差しが、真摯な美をつむぐのだと思った。ことばにすれば、だいたいそんなことを感じたのだが、展覧会場では、ただただその白さに圧倒された。《雪中の家とコルサース山》(一八九五年、上原近代美術館)の、白い屋根たちと白い空と白い山。この白さたちは、それぞれ青みがかり、灰色がかり、桃色がかりと、微妙な白さたちを湛えている。白のそのねじれたような、微細な色調の変化をまぶしく感じたのだった。《かささぎ》(一八六八―六九年、オルセー美術館)は、一面の雪景色、門に小さくカササギが描かれている。ここでは雪の明るさに眼を瞠った。それは、曇天ではあるが、白さが反射して明るさを増す、あの雪そのものの色だった。それは、水面が反射する光のようだった、あの睡蓮たちや、前出の、《ジヴェルニー付近のセーヌ川》のように。
 そうしてこの白さは、「何もない」から、「何もかもある」色彩になるだろう。「病んだ自然」というヒエラルキーを滲ませた観点からの脱却は、モネのジャポニスムについての態度と通底するのだった。彼は浮世絵をみて、西洋的遠近法からの脱却をはかったという。そしてそこからアニミスム的な考えもうけとっただろう。自然とともにあること。だが、そうではない。だから感動したのではない。白い明るさ、それらすべてが筆にまきこまれ、白をつくっていたからだろうか。それは断片がもつ生だった。不連続さとしての断片が。「モネは世界を凝縮して表わす伝統的な考えに反発していた。彼は世界を断片として捉えること、そのために自分の身体と感覚を通して得た経験をもとに、表現することを選んだ」。「「断片」も浮世絵の一つの重要な特色である」(カタログより)。時間の断片に光りがちりばめられて。連作の積み藁シリーズにも、雪を描いたものがあった。《積みわら、雪の朝》(一八九一年、ボストン美術館)。雪に、積み藁の影が青く落ちている。まるで空のように。何もかもが、一面の。

【黄色い小さい壁、黄色い…】
五月二十五日
 モネの展覧会、あの白い雪たちを観ていたおり、プルーストがフェルメールの《デルフトの眺望》(一六六〇―六一年頃、マウリツホイス美術館)について、白い壁のことを書いていたのではないかとふと思った。というより思わされた。まるで壁が壁を呼ぶように。「白という、「何もない」色彩と考えられてきた色(中略)、とりわけ雪という、西欧人が「病んだ自然」として例外的にしかモティーフとして取り上げなかった」…。白い壁は、もはや何もないものではけっしてない。その白さもまた、描き取られた断片が、瞬間と重なる、塗り込められた瞬間ともいうべき、永遠ではなかったかと。プルーストの小説をも、そこに映していたのではなかったかと思ったのだ。モネの壁は、水面のようだ。鏡のようだ。ルーアン大聖堂の連作では、その壁は、日射しの移ろいをおよがせる、巨大な石だった。この大回顧展にも、二枚あった。《ルーアン大聖堂、正面とサン=ロマン塔》(一八九三年、オルセー美術館)と、《霧のルーアン大聖堂》(一八九三─九四年、青山ユニマット美術館)。切り取られた時間が違うのがよくわかる。この時間のもたらす変化は、自然物ではない、鏡的な効果もない石なので、それを描くのは困難なはずだし、実際、彼は大聖堂が崩れ落ち、下敷きになる夢を見ている。ともあれ、前者が曇り空の午後だろう。そして後者の霧のなかの大聖堂は、晩年の睡蓮のように見えないことに忠実に描いているので(彼は白内障のため、対象を見分けることが出来なくなっていた)、ほとんど抽象画のように輪郭がぼけている。もういちど書こう。見えないことを見えないままに描くこと。対象から断片を切り取ることとはそうしたことだ。見たことがすべてではない。見たことが自然の凝縮だとは決して言えないと、モネが感じていたように。見えないままを描くこと。
 壁に戻る。そうして、ユトリロの淋しい白い壁、佐伯祐三の激情のような壁をそこから連想したりもするのだった。ユトリロの壁は、壁自体がかなしさを湛えているようだ。重苦しさのなか、なんとか息をしているようだ。佐伯祐三の壁は怒りをもぬりこめた壁だった。壁のむこう(それはいつも内側のように感じられる)へゆけないこと、への怒りと悲しさ。そしてユトリロのそれは、なぜか壁の外側へゆけないことへの苦痛にも思われるのだった。「壁は空間をモノクロームにぬりこめたきり、微動だにしない。(中略)壁はどこまでも無言だが」…(『異人論序説』赤坂憲雄)。
 『失われた時を求めて』(鈴木道彦訳、集英社文庫)を当たってみる。フェルメールの壁の箇所は、「第五篇・囚われの女」にあった。それは主人公の尊敬すべき年配の知人、作家であるベルゴットの死の寸前のことばだった。彼の好きな《デルフトの眺望》が丁度彼の住んでいるパリに来ていた。それについて、「黄色い小さな壁が実に見事に描かれており(それが彼には思い出せなかった)、その壁だけをじっと眺めるとすばらしい中国の美術品のように自足した美を備えている」との評を見たので、具合が悪かったにも関わらず絵を観に行く。「ようやくフェルメールの前に来た。彼の記憶ではもっとはなやかな、彼の知っているあらゆるものとかけ離れた絵のはずだったが、それでも批評家の文章のおかげではじめて青い小さな人物たちに気づき、砂がバラ色であることを認め、最後にちょっぴり顔を出している黄色い壁の貴重なマチエールを発見した。彼の目まいは徐々に増大した。彼は目をすえて、ちょうど子供が黄色い蝶をとらえようと目をこらすように、この貴重な小さい壁を眺めた。「こんなふうに書かなくちゃいけなかったんだ」と彼はつぶやいた、「おれの最近の作品はみんなかさかさしすぎている。この小さな黄色い壁のように絵具をいくつも積み上げて、文章(フレーズ)そのものを価値あるものにしなければいけなかったんだ」。」そうして彼はその場にたおれ、息をひきとってしまう。「庇のついた黄色い小さい壁、黄色い小さい壁」。これが彼の最期のことばだ。壁は白いものではなく、黄色だった。ついでにいえば、わたしは語り手の言葉だと思っていたが、作家のベルゴットの言葉だった。家にあるフェルメールの画集を観る。積み上げられ、塗りこんだ、壁のはなつ実感。その壁はユトリロとも佐伯祐三とも違った。彼らのそれは、閾としての閉鎖が感じられる。内部であれ、外部であれ、行けないことへのような。そしてモネのそれとも厳密には違うだろう。だが塗り込められたものの放つ照り返しのような鮮やかさは、モネの時間と通じるものがあった。その黄色い壁には、空と近しい色が置かれていたから。
 『失われた…』のこの箇所の数頁先に、気にかかる文章があった。全面的に肯定するわけではないが、憶えておこうと思ったので、メモ的にここに抜粋しておく。
 「この地上での人生の条件のなかには、善をなせ、心こまやかであれといった義務、他人に礼儀正しくあれといった義務さえ人に感じさせるような理由は何ひとつなく、また神を信じない芸術家にとってみれば、永久に知られることのない一人の画家、わずかにフェルメールという名で確認されているにすぎない一人の画家が実に巧妙かつ精緻に黄色い小さな壁を描きあげたように、何度も繰り返してひとつのものを描くべく義務づけられていると感じる理由は何もない――たとえその作品が称賛をかちえても、蛆に蝕まれてゆく自分の肉体にとってはどうでもよいことだろう。このような義務はいずれも現世で報いられるものではなく、この世界とはかけ離れた世界、善意や心づかいや自己犠牲に基礎をおく別の世界に属しているように見える。人はその世界から出てこの地上に生まれ、おそらくはやがてその世界に引き返して未知の掟に支配されながらふたたび生きることになるだろう。だがそれに先立って、人はこの地上でもその掟に従うのである。それは、だれが書きつけたのかも知らずに、自分のうちに掟の教えを持っているからだ。いっさいの深い知性の働きによって人が近づくこの掟、それが目にはいらないのは愚か者だけだ――いや、それすら分かったものではない――。だからベルゴットが永久に死んでしまったわけではないというのも、かならずしもあり得ない考えとは言えないのだ」。
 この掟の世界とは、たとえば「不条理の詩的構成が再び新たに喜びを与え、新たに怯えさせ、新たに衝撃を与えるためには、新たな素材の流入、日常言語の清新な諸要素の流入が、不可欠となる」(ヤコブソン)、その流入の来る場所であろう。モネの雪が、清新であったように。フェルメールの黄色い壁が、積み上げられ、陶器に似た、文章に似たまごうことない壁を帯びたように。

【名付けられざる逢魔が刻】
六月五日
 また『異人論序説』から。「名付けることのうちには呪術的な力が、ある根元的な暴力が孕まれている。人間は名付けるという、人類史における、また個体史における原初(はじまり)の行為によって、連続体としての世界を分断し、自己の所有のもとにおこうとする。(中略)名付けられざるモノは、名前をもたないがゆえに不確かな、未知なるもの・不気味なものでありつづける。名付けられたモノとモノの隙間、いわば連続性をたちきられた世界のそこかしこに生じた裂けめは、近寄りがたく威圧的な魔性の源泉となる」。
 幼児もまた「原初的混沌ともいうべき無差別の世界を、名付けることによって分節化し、名付けられたモノを自己の身体や周囲に附着させ」、「みずからの日常的世界(名付けられたモノの集合体)がしだいにその圏域をひろげ、名付けられざるモノや空間を征服してゆく」。こちらの裂けめには、たとえば、「理科準備室・地下道・雑木林」(やがては名付けられ、同心円にくくりこまれてしまうが)、「酔っぱらい・わめきたてる女・浮浪者・森に隠れ住む盗賊」が置かれる。それは、「恐ろしくも魅惑的」で、聖なるものと、禁忌が入り交じっているという。
 だが、この「世界を名付けられた領域/名付けられざる領域の対比のうちに認識する(中略)二元的世界観」は、「共同体全体にとって共有される観念とは位相が異なる」。「子供がやがて、その対象を名付けることによって比較的たやすく呪縛そのものから逃れうるのにたいし、未開社会にあっては、対象はけっして名付けえぬものとして呪縛の源泉=禁忌でありつづける」。
 これは未開社会に限らない。呪縛の源泉=禁忌は、「みずからの文化形態からもっとも遠い、道徳的・宗教的・社会的・美学的な文化のさまざまなかたちを、無条件に拒否する」ようにしてしまう。「たがいに共有できる価値規範の欠如した人々(文化)を、野獣(非人間・非文化)のカテゴリーにくくることで、全面的に排斥しようとする態度は、古来よりけっして珍しいものではない」。これは、いまでもあちこちでいえるだろう。この二元的な世界観は、並列されている限りにおいて、「デカルト的空間認識とは対立する。(中略、デカルト的なものは)自己を世界の中心にすえ、自己との遠近にしたがって、人間・モノ・場所が同心円状に配列される」から。たとえば古代ギリシアでは、自国を中心にすえ(名付けられない場所との接点)「辺境諸国の人々は、未開(バルバール)ないし野蛮(ソーヴァージュ)という形容詞を冠して一括」し、それよりさらに遠方に住まうものは、もはや怪物が住まうところだった。「E・リーチは両義的性格(中間性・曖昧性)を、タブーの指標として重視している」。ギリシアでは、タブーは、辺境、「境界領域」になる。それは、名付けられない場所との裂けめだ。「言葉をかえれば、古代ギリシア的秩序が混沌に接し、不断にギリシア的な「人間」・世界としての自己同一化の運動をくりかえさねばならない、不安定な空間といえる。辺境の住民たちは、「人間」の形態はしているが鳥の啼声に似た不可解な言葉をしゃべる、人間と動物の中間的存在=〈異人〉として忌避された」。本居宣長も、『呵刈葭』の中で、「外国ハ正シカラズ。鳥獣万物ノ声に類セルコト」と、外国(おもに中国)の言語と自然音とを結びつけ、不正と正に、つまり「自然音と人間の言語(声)とを峻別」していたことを思い出す。この態度は、これから触れることに結びつく(『言霊と他界』川村湊)。差別化に。
 二元的な世界観は、名付けられたモノ/名付けられ得ないモノだけにとどまれば、差別化はない。だが、デカルト的空間認識の二元的な見方、自己との遠近は、中心を保つために差別化する。こうしたことを、「秩序と混沌のあい重なる辺境にバルバロスを、混沌のかなたに怪物を配する」こととし、「隠喩的地理学」と呼んでいる。「あらゆる遠/近関係は、自己からの距離(社会的距離)を唯一の基準としてはかられ、決定される」。「空間を内部/外部に分かち、あらゆる人間をわれらWeとかれらTheyとに分割する。辺境に棲むかれらは、「人間」であるよりむしろ動物に近似した生物であった。(中略)このカテゴリカルな思考様式は、しばしばある種の差別関係を産出し、あるいはそれを正当化するための心理的母胎となる。人種的・民族的関係が葛藤をふくむ場合には、思想・宗教・行動などあらゆる場面にわたって、われらに正(プラス)の意味を、かれらに負(マイナス)の意味を付与する傾向があらわれやすい」。このわれらとかれらが接する場所が境界であり、ここで接するかれらを「バルバロス的〈異人〉」という。ここで接しないかれらは、われらと関わりを持たないゆえに、存在しない。この異人は、歪んだ隠喩的地理学上の負性を帯びた存在として、「西欧社会のなかの黒人」、ユダヤ人、日本では、河童、山姥(異形の者や、農耕定住民ではない者に対する差別、また河の神や山の神という両義性をもった存在)を例にし、生贄、供儀またはそれの行われる場所としての庭、演技へと考察が進められる。
 子供にとって、名付けられざる世界は、恐ろしいかもしれないが、入り交じったそこに、禁忌はどちらかと薄いのではないか。未知なるもの・不気味なもののに、憧れのほうが多いのではないか。たとえば、未知なる生物に対するような。名付けた瞬間に恐怖はなくなる。それは身のまわりに無害なものとして置かれる(殺人などは、大抵の場合、まだ身近に置かれることはない)。それは、恐怖としてでなく、どちらかといえば、安心するものとして置かれる。名付ける大抵のものは、恐怖ではない。名付けられない他のものにも、期待を感じるのではないか。名付けられたものは、もはや未知のもののもつ不思議な感触はないが、他者そのものとして、認めることでもある。不思議さは消えてしまうが、まだ名付けられないものはほかにもある。禁忌はだから起こりにくいのではないか。それは狭い範囲の境界からの見方かもしれないが、境界に対する態度としては、決して軽んじてはいけない。またそれは、名付ける(名前を知る)喜びに関係することでもあるだろう。
 「酔っぱらい・わめきたてる女・浮浪者・森に隠れ住む盗賊」を「恐ろしくも魅惑的」だと書いた。これはヘッセの『デミアン』からだそうだが、私にとってもそうだったと思い出す。盗賊はお話のなかにしかいないものだった。それは想像と現実の混合物であったから。また、たとえば暗渠を思い出す。小さな穴から水の音が聞こえる。この水が暗がりをまとって手招きしているようで好きだったと。水が裂けめから暗さを感じさせるすべてだったのだろう。そこには、知りたい欲望の音を感じるのだった。そして夜の街の明かり。街の明かりは、それこそ、名付けられない夜の闇の端っこ、裂けめを照らすものとして映ったのだろう。個人的な記憶としては、夜は母親が家出をし、帰ってきたことと重なる。四歳位だったか。どういういきさつかしらないが、男と夜の街に消えていった。そして夜の街から戻ってきた、帰ってきた。そのしらなさが、闇に溶けてもいたのだろう。帰ってきたことだけが、夜に灯されたもの、名付けうるものだったのだ。それは概ねそれでも、明るいものだったのだ。
 これを途中まで書いて、外に出たら夕焼けだった。この時刻もまた夜と昼の裂けめなのだ、名付けられざるものと名付けたものの間なのだ、そうしてミュシャが、「芸術」の連作で、“poem”を夕方に置いたことも思い出した。禁忌として排除せず、そして喜びだけを取るのではなく、その裂け目にあること、見つめること。こうしたことも両義性なのだから。“逢魔が刻”とも名付けられたそれは…。


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