豹日記 vol.3
(二〇〇五年九月〜十二月)

(ダンセイニ、夏目漱石、キニャール、ギュスターヴ・モロー、曼珠沙華、煙草、毛皮のマリー、ブローティガン、ヤン・アンドレア・シュタイナー、アルベール・マルケ)

【バニラ・スカイ】
二〇〇五年九月十四日
 夕方。地下鉄の出入り口から一歩外に出ると、日の落ちた後の残映で空が彩られていた。ダンセイニの『ペガーナの神々』。ひとりぽっちだと泣いている小さな女の子の神様に、別の大人の神様が、空の色を毎日変えて見せますから、となぐさめる。だから、空の色は一日たりとも同じものはないのだと。

 ……はだいぶ、よくなりました。ありがとうございます。以前、あなたが「飼いならせませんか?」と仰ってくださったこと、丁度、思い出しておりました。当時は、わからなかったのですが。治ったわけではなく、日によっては、またかなり症状がでたりしますが、何とかだませるようになっています。飼いならせたのでしょうか。夏目漱石は強迫症を治すために小説を書いていたということでした。書くことによってだいぶ症状が治まってきたとのこと、そのうらにながれるかたちが、わたしにはまったくつかめませんでした。いまでも筋道だてては説明できませんが、なんとなくわかるような気がしてきました。『我が輩は猫である』は彼にとっては小説ではなく日記だったそうです。作品として肩をならべようとするわけではもちろんないのですが、わたしはここでこうして日記をつけるようになって、少しずつ、治まっていったというか、つきあえるようになってきたようなのです。詩のことばは……をわずらう以前からありつづけました。……によってことばが出にくくなったことはありましたが(……は熱のように、ことばとむかうときの力を削ごうとします)、病いにかかってもかからなくても、どこかでたしかにながれつづけていました。病いが詩におよぼす力がないように、詩もまた病いと関係なかったのです。とはいっても、詩を書くのもわたし、……にかかったのもわたし、ですから、まったく関係がないわけではありません。発症したのは、その近辺、生活と創作のあいだの亀裂、あるいは日常の他者と、詩の他者の関係への不信、からきたこともありました。どうも、日記はその周辺、詩のことばと通常の生活(……という病いをふくむ)のあいだのクッションになってくれたようです。書いているうち、すこしは溝に橋がかかった、不信がやわらいできたといいましょうか。
ともあれ、この作業は日常をみつめる点でしずかに有効でした。とはいえ、和睦はなかなかむつかしいようですが。

 朝、公園の脇をとおりましたとき、萩が咲き始めているのを目にしました。そのまわりでは、セミが鳴いています。パスカル・キニャールは日本でいえば梅雨の頃を、春でもない、夏でもない、その間の季節として、第五の季節といっていましたが、今の時分もそうなのでしょうか。いえ、暑いような涼しいような、夏と秋が境界をもちつつ溶け合っている季節なのだとおもいました。水平線の水と空がにじんでみえることがあるように。今日の空はあざやかでした。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいますよう、心よりお祈り申し上げます。

【キマイラ】
九月十六日
 顔のない詩人。詩の女神から詩人へ差し出された、受けわたそうとする手もまた欠けている。なぜなら受けわたすであろうもの、ポエジーは見えないものだから。そして顔のほとんど描かれていない詩人だからこそ、わたしたちはそこにおのおのの思いを託すことができるのだろう。顔のないヘレネがとてつもなく美しく、そしてまがまがしく見えるように。それは画家の差し出してくる自由な穴だ。
 ギュスターヴ・モロー展(八月九日―一〇月二三日 Bunkamuraザ・ミュージアム)に行く。前者は『ヘシオドスとムーサたち』(一八六〇年頃、油彩・キャンヴァス)、後者は『トロイアの城壁に立つヘレネ』(油彩、キャンヴァス)。
 キマイラ(キメラ)を描いたシリーズがあった。展示作品の解説にあったキマイラのフランス語の意味が思い出せなかった。日が経つうち、だんだん「現実」だったような気がしてきた。そうであったらいいと思った。頭が獅子、胴が山羊、尾が龍、そうした混沌とした生のありかたが「現実」ならばと。後日、シメールの元となった言葉で、「空想」「夢想」「妄想」の意を持つと知る。想像を織り上げるモローが描くものなのだから、当然といえば当然だ。少しの失望の後、思い直す。だが、「現実」と「空想」はもともと表裏一体なのではなかったか。その混成された動物の腹のなかで、わたしたちは生をつむいでいるのではなかったか。モローの異国趣味、神話への憧憬、彼の夢想は日々のなかで、だからこそあざやかなのかもしれなかった。

 追記 この展覧会には『豹の毛皮をまとったサロメ』という水彩作品が展示されていた。豹(柄)が好きなので、単純にうれしかった。思いがけない邂逅。

【曼珠沙華】
九月二七日
 彼岸花もまた、桜と少し似て、私にとってはいつも突然やってくるのだった。ベランダに彼岸花の鉢植えがある。それまでは土しかないところへ、お彼岸の頃、てっぺんの赤くにじんだ花のついた茎を出す。こうなると後は早い。一日に十センチ単位で茎をのばしてくる。わたしは花が咲く時期になると、いつもすこし不安になるのだった。花の後、交代で出てくる葉は五月には枯れてしまうので今の段階では地上部には何もない。夏に焼かれたような草たちが繁るなか、眠りつづける球根。毒性があるからだろうか、他の鉢植えのように雑草も生えてこないので、そこだけ黒い穴のように見えることがある。生の裏側のぽっかりあいた、汗ばむ死、睡眠がしずかにこれらをつないでいる。
 彼岸の頃になると、もう起きないのでは、と、毎朝わたしは鉢を覗いてしまうのだった。このしぐさに、去年のわたし、おととしのわたしを思い出す。このとき、桜に感じるような、過去との邂逅を感じるのだった。あるいは不安をとおして、彼岸という季節に立ち会っているのだった。だが、桜のそれとはすこしちがう。桜には、春という季節そのもののふいうち、といった感触をもまた秘めてかんじられている。つめたい冬から、あたたかさにうなづく使者として。桜はわたしにとってそれでも待ち望まれた、再生の使者なのだ。彼岸花もまたふいにやってくるものだし、秋をつげる花たちとしても、確かにわたしには感じられるのだろう。だが、それよりももっと親しみをこめた、生活に近しいものとしてなれあいのようなものが混ざっている。それは鉢植えにして、毎日ながめ、育てているからだろう。とはいっても、彼らは彼らの生を淡々と生き続けるだけなのだが。
 黒い穴が彼岸の端で生をつむぐ。家にある鉢植えは、今年も花茎を出してくれた。安心をあたためたのち、彼岸花の群生地に出かける。ここでの花は、他人の花だ。そのいいかたは正しくない。おびただしい数の花たちは、見ているわたしと距離を保ちながらも、突然、亀裂をぬって、季節と過去をさしこんでくるのだった。一期一会のさなかに、郷愁をひたしてくること。鉢植えのそれも、この時この花を咲かすのみで去ってしまうけれど、錯覚として、私に近い場所に、なお、ありつづけてくれる。だが、この川のほとり、この赤い色はちがうのだ。そこは旅のような、季節の一端としての場所だから。
 いつか南のほうで、十月はじめに彼岸花を見た記憶がうかんできた。埃にまみれたひまわりがうなだれていた。八月のような暑さのなか、彼岸花だけが秋をつたえてくるようだった。季節に圧倒されそうな、あのめまい。
 あるいは数年前、この群生地で絵葉書を買った記憶。印刷の荒い、まるで昔の着色した絵葉書のような代物だが、それがかえってほほえましいのだった。わたしは、ある大切な友人にそれを送った。イワタバコ、鉢植えだと難しいですね。ユキモチソウが赤い実をつけました。彼女とは、季節のそんな花のやりとりが、たしかに近しい、大事な挨拶だった。ローズマリーは花や葉の少ない冬に咲いてくれるので、あたたかく感じられます。そのあとしばらくして、「入院している間に、鉢植えがほとんど枯れてしまいました」と手紙がきた。翌年、彼女は亡くなった。
 彼岸花の別名、マンジュシャゲはサンスクリット語で「赤い花」をさすのだという。去年、この赤はすこしばかりいたましい色だったようにおもう。さまざまな私的な別離が反映されていたのかもしれない。今年のそれは、夕暮れのようにたたずんでくれていた、と思った。彼は誰時がふれてくるのだった。
 あるいはこの親しさは、この近接は、鉢植えのそれと、どこかに生えているそれとをもむすぶ、暮れなずむ空の色、なのかもしれなかった。そう、それでも黒い穴が、夜にそそぎこむ、のだとして。

(群生地=埼玉県日高市巾着田、曼珠沙華公園)

【南蛮煙管】
十月十一日
 かつて煙草が好きだった。思い出にひきよせてその要因をとりあげてはいけない、だがすこしだけ。積木で作った家の隙間から、父が煙草の煙を吐きだしては火事だという。煙で大きな輪、小さな輪をつくってはドーナツだという。それを飽きもせずみている少女がいた。なんどもせがむ彼女に、「これ、煙草がおいしくないんだけど」、それでも求めに応じて輪をつくる、火事をおこす。なつかしい写真のような午後の光景。
 そう、まさかその想い出をひきよせておくために、煙草を求めていたわけではないのだから、結びつけてはいけないのだ。父は肺癌で亡くなったのだが、私はそれでも吸っていたのだから。
 今、私は吸ってないが、以前にも二年間吸わなかったことがあった(むろんまた吸い出した)、そのことを思い出して煙草について書いてみる。なぜなら好きだったと過去形で書いたとおり、もはや今の私には関係がないもののように、煙草についてわからなくなっているから。
 その時、やめた理由は「煙草の奴隷になっている自分がいや」だからだった。だが、二年間、ほとんど毎日、煙草に恋がれていた。吸って煙にくるまるようにして落ち着きたかった。人が吸っているのには近親憎悪をおぼえていた、自分がいやな人間になってゆくようだった。
 たぶん奴隷だとか自由であるとかはやめる理由にはならないのだ(それに吸わない者もたとえば禁煙席を選ぶなど、行動が限定されるだろう)。依存性から抜けだし、意志の弱さを克服しようなども、何度も止められた私には理由にはならない。要は、理由は無理につけたつじつまだったから、ささえにするにはもろかった。何度も喫煙にもどってしまうわたしがいた。
 現在のように煙草を止められたのは、亡くなった猫が原因だ。亡くなる半年位前に、彼女は熱を出したことがあった。その時「彼女ももう十八歳だし、煙は身体に悪いだろうな」とふとよぎった(まさか亡くなるとは思わなかった)。すぐに治ったが、一ヵ月ほどでまた熱を出す。今度は完全に止めることに決めた。割と難なく止められたと思う。煙草に依存している場合ではなかったのだろう。彼女にもっとずっと生きてもらいたかったから。それから数か月間、彼女の病院通いがはじまる。そして。
 亡くなって二週間ほど過ぎた頃だろうか。「もういないんだから、吸ってもいいんだなあ」とぼんやりと思った。とたんにおいしかった頃の記憶がやってくる。ふと買い、逡巡のあと、なげやりになって(だって、彼女はいないんだから)、一本吸う。それはとてもまずかった。煙草と離れた後、はじめた一服はいつだってあまい手招きのようにささやいていたものなのだが。口のなかにすっぱいような苦さをおぼえながら、「ああ、もう止められるんだな」と思っていた。
 私の場合は、そんな風に縁が切れた。それは、恋愛のようなものかもしれない。関係を断とうと力んだり意識したりするということは、まだ思いが残っているということでもある。もう好きでも嫌いでもない。感情からするりと存在がいなくなってしまったのだ。吹いてきた風に葉が落ちるように。それから一度も欲しいと思ったことはない。

 ナンバンギセル。煙管に形が似ているからこの名前がある。寄生植物。九月位になると、ススキや葦の下に咲く。この花も父と見た記憶がある。別名オモイグサ。

追記 家の近くの赤塚植物園というところに、万葉植物が植えられたコーナーがあり、その花たちには、おのおの万葉集の歌碑が立っている。ナンバンギセルには、こんなものが立っていた。

  道の辺の尾花が下のおもひぐさ 今さらになど 物か思はぬ
            (10・二二七〇 作者不詳)

【嘘】
十月二五日
「どうせあたしをだますなら/死ぬまでだましてほしかった」と西田佐知子は歌っている。
 そしてたぶん、かつてこんな会話がなされただろう。「あなたは嘘をついている?」「ついていない」「じゃあ、いままでに嘘をついたことは?」「あると思う」「それも嘘。〈嘘をついたことがあると思う〉は立証できないから」そこから「あなたは嘘をついたことがあると嘘をいった」、「あなたは嘘をついたことがないと嘘をいった」、男はたたみかけるようにつむいでいっただろう。「これがギリシャの昔から延々と続いている永遠の命題なんだ」。謎のまま思い出からのびてくるもの。
 というメモを見つける。これはいつのものだろう?

 もう数年、不思議なことに、レンタルビデオ屋で、いつも貸し出し中になっているビデオがあった。そこにはそんなビデオは何本かある。実はあると見せかけているだけなのではなかったかと、存在を危ぶんでいた矢先、それは忽然と中身をもったものとしてあらわれた。そとがわが嘘でなかみは本当。『毛皮のマリー』。寺山修司作、演出。これは映画ではなく劇団天井桟敷の舞台公演を収めたものだ。主演三輪明宏。
「歴史は嘘、きのうは嘘、あしたくる鬼だけが本当」と華美な黒いドレスをまとったマリー(三輪明宏)は叫ぶ。ジャンケンでまけたほうが嘘で、勝ったほうが本当。そとがわが嘘でなかみは本当。彼女は男性であり女性だ。今度は下男に扮したマリーはまた、ジーン・ハローがうらやましいという。ジーン・ハローは何回も映画で死に、自身の最後も、アル中で車の中でのたれ死んだから。映画のつくりごとが、彼女の実人生をもつくりごとめいたものにしたから、本当が嘘だから。
 毛皮のマリーには、子供がいる。それもまたつくりごとの親子関係だ。部屋のなかにだけ世界を積み立ててゆく子供。ここはイタリアであり、昆虫採集のできる植物園なのだ。男の子なのだが、マリーは彼にもまた女装させる。嘘の女、嘘の親子関係。つみかさねた嘘が、ほんとうをつくるのかもしれなかった。
 女装をすることが自然に逆らうことならば、一袋二〇円の植物の種をまく人々はどうなのか、それもまた不自然なことではなかったか、とマリーはうそぶく。(では詩のことばは雨をうつことができるだろうか…)。
 では愛情は? 嘘の子供が嘘で塗り固められた世界につかれて逃げ出してしまう。でもマリーが呼べば帰ってくるのだ。たぶん逃げ出した世界もまた嘘だから。
 では愛情は? 帰ってきた子供は白雪姫のようにこれまでにもまして女装させられる。なぜなら白雪姫はこの世でいちばんきれいだから、なのだ。嘘の自乗のなかで、マリーはほんとう、になっただろうか。

 謎のままのびてくるものが、雨にかぶさり、明日の湿り気を帯びるだろう。

 『毛皮のマリー』を観たのは実は二、三年前のことだ。この文章はやはり発掘したメモをみながら書いている。そとがわが嘘でなかみは本当。あれからあのビデオ屋では、また、ずっと中身がないまま、箱だけが棚に載せられている。

【愛のゆくえ】
十一月五日
 男の旅と自殺した女の旅、あるいは過去が点と点でふれあってゆく。〈単純な恋愛をしているときには、恋愛生活はしばしば皆無にひとしい〉。そして乾いたおかしみと孤独者の旅の断片…。なぜなら移動こそが、つながらないことこそが人生だから。私たちはその点と点を歩いているのだから。接点のように交差するのは、彼らとばかりではない、それは自分とも、そうなのだ。日付が前後しながらであうことがかなしい、やさしい。彼らもまた断片を生きているから。あるいは断層。夢もまざって、空想も息づいて。交差するゆたかさだ、と読んでいるわたしは思う。だが、旅がきらいなのに旅をづつけるという著者は、書かないところで鉛のかたまりを持っている。見えないのだが、吐息のように頁からのしかかってくるのだ。あるいはこれはあとづけか。男の生が女の死にかぶさってくるのは? おもさは事後をしっているわたしから流れてくるのかもしれない……。
 『不運な女』(新潮社、リチャード・ブローティガン、藤本和子訳)。帯の言葉「『アメリカの鱒釣り』からおよそ二〇年――。一九八四年一〇月、ピストル自殺を遂げたブローティガン。遺品のなかから一人娘が発見した、最後の小説。」
 この本のなかで書かれた日記のなかでは、時間は通常通り進行しない。現在が、時には作者自身も話したいエピソードすら投げ出し(これについては後で書く、とあるが、それは二度と書かれることがない)、過去の、それもまったく違う場所での出来事に移っている。作者もとまどっているが、だが、それこそが時間なのだ、ながれなのだ。わたしがいない彼をとても大事に想っているように。

 新潮社HPに手紙(メール)を出した。「死後二〇年の今になってブローティガンの新作が読めて、うれしかったです。私のブローティガン体験は、十年ほど前でしょうか。古本屋で買った新潮文庫の『愛のゆくえ』。そこでは今まで見なかったような新しい言語で、やさしい童話が書かれていました。ひたされながら、しずかに圧倒されました。それから、ブローティガンを探しまくりました。当時、もうブローティガンは新刊ではほとんど買えませんでしたので、古本屋で。先日朝日新聞の記事に、このところ、『アメリカの鱒釣り』(新潮文庫)、『西瓜糖の日々』(河出文庫)、『ビッグ・サーの南軍将軍』(河出文庫)等相次いでブローティガンが再版出版されているとありました。『不運な女たち』もこの記事で知ったのです…」。出した理由は、この新潮文庫の『愛のゆくえ』も再版してほしかったからだ。そこでは不思議な図書館の話が描かれている。
 返事はこなかったが、新刊の案内が来るようになった。すこしうれしい。

 十一月五日は誕生日。一斑というのは豹の斑紋のことだという。これを書いている今日はまだ二日。ブローティガンの日記は順序を越えてわたしのここにやってきた。

十一月五日前後に出した葉書。
『妖気』14号(〈約束の場所/抄〉)ありがとうございました。貴重な美しいことばたちでした。詩集のような密度がありました。後記にありました〈「わたし」という言葉を使い続けることによって、どれほどに「わたし」を解き放つことができるのか、という試みの詩は始まり、そして終わっていくのでしょう。〉の「わたし」の潜り込んでゆくさまに、とても心ひかれました。
 「わたし」が固有性をうしなってゆくことで、ひとりの「わたし」がうすくなり、「わたしたち」になってゆく、それは人間にかぎらず、時空までをもこえた壮大な「わたしたち」、なのでした。「わたし」が輪になり、圧倒的な「一滴」がながれてゆくのでした。大気のような、あるいは一滴のような無名性の「わたし」だからこそ、たとえば今昔物語とのリミックスがこんなにも融合しているのだと思いました。こんなに違和なく合体したかけはなれたことばたちによるうつくしい詩をついぞ見たことがないように思います。この方法に驚きました。遠くて近い瞬間の約束が願われていると思いました。ことばたちのつむぐ果てしもない世界の構築にほぐされるようにして、わけもわからず浸っています。本当にありがとうございました。(詩誌『妖気』14号 広瀬大志)

【LALIQUE】
十一月一五日
 たとえば香水壜。ガラスに浮き彫りになった妖精の彼女には、やわらかな肉がかがやいている。中につまった香る液体が、彼女の肌をあたたかいものに見せている。そして、八十年は経っているであろう、変色し、茶色くなったその液体が、赤い花びらのような色をなして、内側から、さらに彼女の肢体をうつくしく見せてくれるのだった。年月との接点、記憶からの手招きのように肌をつたえてくるのだった。なぜなら、香りは、記憶としたしいから。
 箱根のラリック美術館に出かけた。ここではルネ・ラリック(一八六〇−一九四五)の生涯にわたるコレクション(宝飾品、ガラス工芸品、室内装飾など)が展示されている。この香水瓶、花瓶たちが美しいのは、惹かれていたのだから、たぶんなんとなく知っていた。だが灰皿があった。雪花石膏のように白濁したガラスの皿の上に犬などの動物、そして妖精たちが立っている。かれらのつつましいささやきには気づかなかった。そしてシャンパングラスがあった。そのグラスの脚(ステム)にほどこされたメデューサのような女性の甘美な硬質さについては知っていた。だが、その飲み口の繊細なうすさのもつ光りは知らなかった。これらのこともまたわたしのながらくのネックだったのだ。つまり生活と美。企画展としてカーマスコット展をやっていた。かつて、クラシカルな車のボンネットに飾られていたものだ。鷲や女性やトンボたちが、これまたありし日の船の舳先につけられた守り神のようにガラスのかがやきをたたえている。はじめてこのカーマスコットという存在を知ったときは、往時はこんなすてきなものをつけて走っていたのか、と日々のなかで息づいている美にたいして、うらやましくなったが、今だってさがせばすてきなものはあるはずなのだ。たぶん。

 以前より、特に美術等に関しては、美しさを楽しめるようになってきた。というより、共時性のようなもの、つながっている、と一瞬でもおもえる至福感を受けとれるようになってきた(勝手な思いこみかもしれないが)。このラリック美術館でもしばしそれを感じ、妖精やプシュケの彼女たち(おもに浮き彫りになった女性像たちにそれを感じた)の放つ交接にめまいが起きそうだった。この感触は、じつは幼少の頃の感覚に近しいのだ。自分と他者(人にかぎらず物もふくむ)の区別がよくつかない頃の、あの一体感からくる高揚と。以前は見るのも勉強だと肩肘を張り、緊張して向かっていたからそれらを感受するのに幾分弊害があったのだと思う。だが緊張にもいい面がある。生活がひきしまる。生活としては今のほうがずっと怠惰だ。ともかく今はただ単純に見たいから行く。その点ではいい意味で緊張がとれたのだ。あるいは絵を描くのが好きな子供だったせいもあるかもしれない。ラリックに関しては相変わらずの懐古趣味があるからかもしれない、砂浜に打ち上げられたサイダー瓶の破片、キャンデーのもつ抜ける色、水に映るにじんだ雲、ビー玉、びいどろ、切子細工、他、他。オパルセントグラスという手法でラリックのガラスに凝らされたオパールの輝きが、青を貴重にさまざまな色をとじこめているように。

【記念碑】
十一月二五日
 現実と思い出は共存することができるのだろうか。十五年ぶりに再会した男女。かつて二十歳そこそこだった男にとって、その当時四十歳くらいの人妻だった女は、高嶺の花だった。が、一回だけ関係をもっていた。それは彼にとって不首尾におわった過去だった、男は美しいと同時に羞恥でできあがった甘美な近寄りがたい思い出に復讐するため、「その不可侵性と捉えがたさに苦しめられた」十五年間をなくすために、招き入れた男の部屋で、もう美しくなくなった女と再び関係を持とうとする。女のほうは彼の心のなかに思い出が「記念碑」として立っている、と思っている。「自分の若さが無垢なまま、別の人間のうちに存在しつづけている」のがうれしいと思った。だが、男をこばむうち、そんな記念碑など自分とは何の関係もない、と頭をちらつく息子の影に思わされる。「記念碑はあたし自身の外にあるのだから。ちょうどこの男の考えや記憶があたし自身の外にあるのと同じことだ」、彼女にとってもし記念碑に存在価値があるとしたら、「記念碑を弄んでやれる」ことだけなのだ。そうすることで外にある思い出が自分と関係をもつのだから。男にとっても苦く甘い思い出から逃れ、現在にとりこむためには、今の彼女を抱くしかないのだ。そうして女はドレスのホックをはずした…。どちらも、ちがった形だが、思い出を今にちかづけようとしているのだ、あるいは他者を。
 以上は、ミラン・クンデラ『可笑しい愛』(集英社文庫)所収の短編「老いた死者は若い死者に場所を譲れ」から。クンデラは以前から好きな作家だ。この短編集は、初めての、唯一の短編集と新聞広告やネットの紹介にあり、うっかり最近出たものと思って買ったのだが、実は『微笑みを誘う愛の物語』として、一九九二年に集英社から出版されていたもので、読んでいたものだった。途中であとがきをみてそれを知ったが、ページを進めてもまったく覚えがなかった。後半の一篇で、フェリーニの映画のシーンみたいだ、と思ったことをようやく思いだす。とおざかっていたもやのむこうから、ほそい糸で思い出がつながったのだった。
 クンデラを読み漁っていた当時は、彼の作品にはとても惹かれるけれど、難解だった。対象と距離を置くことで、人々の葛藤の根をとらえようとする、その意志の強固さに好感をもった。生き方が壮絶なのかもしれない(チェコからの亡命者としてそれを余儀なくされた)。その方法はわたしのそれとは違うのだ、ちがうからこそ惹かれたのかもしれない。だが、とにかく、当時はついてゆくのがやっとだった。あるいは精神性に重きをおき、物語的な要素を置いてしまったのかもしれない。わたしは、『可笑しい愛』をはじめて読んだ頃の自分をまだまったくつかめない。だが、こんなふうにあらたにとりいれられ、息づく思い出たちもまたある、のだろう。
 プーシキン展にでかけた。モネの『白い睡蓮』が目当てだったのだが、画を目にしても特に感動はなかった。たぶんめまいは、出会いは突発性のものだから。だが。ひらたい、のっぺりとした、くらい色調。海辺だった、堤防には万国旗がはためいているのだから、祭り的な場面なのだろう、そこに重たげなボートにひとりオールをこぐ影、よごれたような、だが澄んだかなしみ、つらさ、かもしれない海の色。青い色なのに、灰色とよびたい空がのしかかりながら、軽やかだ。この景色をどこかで、みたと思った。わたしの外にある風景なのかもしれなかった。あの記念碑、あの思い出のように。絵をみた瞬間、渡されたと、帰ってきたのだと思った。アルベール・マルケ『オンフルール港』(一九一一年)。それは汚さずとも関係が持てる幸福な記念碑だが。
「ある場所へ立ち戻るということは、そもそもそこを離れていたとはいえない、ということか。やがて帰ることになっていたのなら、帰りついた場所は以前には見たこともない、真新しい土地で、そこのことを思い出す手がかりは皆無だ、ということになるではないか。」(リチャード・ブローティガン『不運な女』新潮社)

【電話恐怖症】
十二月五日
 しばらく前から電話での会話が苦痛になってきた。宅配便の受け取りや会社関係のことならば問題ない。けれども友人とはそれがたとえ事務的なものであっても、まったく駄目になってしまった。親や姉妹とすらだ。ただひとりをのぞいて。いまでは苦痛というより恐怖に近い。電話の音が鳴る。発信者通知設定なので相手がわかる。すると、ディスプレイにうかびあがる名前のまえですくんでしまう、電話の音も身体をしめあげるようにまきついてくる。金縛りのなかで、ようやくできることといえば、せいぜい電話の線をぬいてしまうことだけだ。
 彼らは他者のなかでもたぶん近しく感じている他者たちだ。そしてそのことに幾分緊張してもいる。この近しさを逃さないために、かもしれない。この近しさが対象の見えなさによって不当に増長され、侵入してくるような気がするのかもしれない。どこに? エクリチュールに? あまり出歩かなくなったので自信はないが、会って話すのであればたぶん大丈夫なのだと思う。それも少人数とならば(このことは後で、いつかふれるかもしれない)。

「書くことと生きることは両立しないわ」
「他者との違和とずっと戦ってきたわ」
「ポプラは風になびかない、風にたわむれるだけ」
 『愛人(ラマン)―最終章』をビデオでみた。見逃していたもの、そのまま忘れてしまっていたもの。作家マルグリッド・デュラス(ジャンヌ・モローが演じている)と、最晩年の恋人、ヤン・アンドレア・シュタイナーとの出会いから彼女の死の間際までの生活が、描かれている。登場人物はふたりだけ。そう、たぶん二人はおそらくこんな風だったんだろう、と思わせる佳作だ。もっともこれは、実際そうであったかではなく、あくまでデュラス小説的なことばがちりばめられた架空の生活として、という意味だが。小説にもぐりこんだデュラスとワインとヤン。にしても、上述のセリフの他はあまりこちらに移入してくるものはなかった。デュラスの小説は好きなのだが、そのなかでちょうど『ヤン・アンドレア・シュタイナー』が苦手だったことと関係するかもしれない。映画のなかで、一ファンとして彼女のもとに訪ねてきたヤンに「わたしはこの十年、孤独だったわ」と言う。書く行為は孤独な作業だ。ヤンとの生活はデュラスの生活であってもデュラスの書く作品ではない。だったわ、といったことから、デュラスの孤独の一部はそれでも幕をとじたのだ。それが悪いといっているのではない(衝撃的なめまい、デュラスの代表作『愛人―ラマン』はヤンと知りあってのち書かれている)。だが小説の『ヤン…』にはもちろんデュラスの書いたことばたちでできあがっているが、そこに孤独の影が幾分薄れているように思えたのかもしれなかった。「書くことと生きることは両立しないわ」。ポプラ。ひとりの作業が書物をつきぬけ、しらない場所で風にたわむれること。孤独が、他者をもとめていること。
 
 電話に出るのはひとりだけ、大丈夫だと先に書いた。電話が空気のように、つまり何ごともなく声をさしだしてくる。マルセル・プルーストが『失われた時を求めて』のなかで恋について語るのは、過去のそれ、だ(現在の彼のそれは、状況を示すためだけに、ただ一行書かれただけである)。ひとごとの物語として語るとき、彼らの関係は生き生きとささやいてくるのだった。シャルリュス男爵やオディットの存在のように。つまりそういったことをわたしはからめたかったのかもしれなかった。


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