仲原マーウイ(馬場)
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沖縄の料理・食材の窓


仲原マーウイ(馬場)




 このひろい道が馬場、パドックです。ここは今帰仁、琉球王国統一以前、北山と呼ばれた今帰仁城主の馬場です。北山が明へ朝貢する時は「硫黄」と「馬」が主な貢物でした。

 両脇に植えられているのが蔡温松といわれているリュウキュウマツです。これを枯らすマツクイムシを未だに退治することができずに、減っていくばかりです。

 「今帰仁村史」より抜書き。

 「4月15日(畦はらい・アプシバレー)」沖縄では旧暦4月、5月の季節を若夏といった。稲が開花し結実をはじめる季節である。稲の結実を促進するために田草をとり、畦の草をはらい、害虫(とくに蝗)を駆除する儀礼がアブシバレーであった。(略)アブシバレーには馬走らせ(競馬)が行われた。村内には仲原と天底と親泊に馬追い(馬場)があって、先ず仲原マーウイでマーパーラセーがあり、翌日に天底と親泊のマーマイで馬を走らせた。出走馬は単に村内の馬だけではなく、国頭郡から集まってくるほど華やかな行事であった。

 この馬場でマーパーラセーを見物していた第二王朝摂政・蔡温はこんな漢詩を作っています。

 戯馬台前万人を会す
 西風吹き起こる馬蹄塵
 群英此れより勝負を決す
 恍として楚王の大秦を破るに似たり

 尚敬王の時代の蔡温の胸の中には遠き日に破れた北山王の姿があったんだと思います。

 さて、石垣に腰掛けて古琉球のマーパーラセーへ、Let's try !






2003.10.15


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