吸殻山日記(2004.7.4~12.26)



12月26日 12月のデジカメ写真とBBS開設のこと。


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 昨夜10時頃、新宿ユニテ付近のビルの谷間から撮影した満月。灰皿町の清水鱗造さん、足立和夫さんと、ほろ酔いで喫茶店に向かう途中のことだった。


 12月は外出時にあまり撮影しなかった。それでも、二階のパソコン部屋で首を横に向けると見える西向きの窓から、何度か気まぐれに風景を撮影することがあったので、ほとんど手間のかかっていない画像をいくつか。


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 崖の斜面に一本だけ植わっているカエデの樹は、陽当たりが悪く地下の水気が多いせいか、毎年12月の半ばに紅葉のピークを迎える。これを見るのは年末の楽しみのひとつ。


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 15日の夕方に撮影した秩父の山並みの夕焼け。ズームをつかって撮影しているので、実際にはこれほど近くには見えない。

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 数日後に撮影した同じ方面の朝の風景で、山の懐に靄がドライアイスのようにたなびいている。夕焼けシーンと対照的だと思って撮影してみたのだが、この数日の間にケヤキの落葉がすすんでいるのがわかる。


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 崖のケヤキやカエデには、いろんな種類の鳥が群れてやってくる。

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 撮影した一枚を拡大したもの。メールに添付して画像をぺこさんにお送りしたら、この鳥はイカルだと教えてくださった。16日頃に撮影。

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BBS「映画あのころこのごろ」の開設の覚え書き。

19日に、山本テオさん、須永紀子さん、TOMOさんと新宿でお会いして、ライオンでビールを飲みながらささやかな忘年会のように歓談した。数年前に一度須永さんに誘っていただきながらテオさんとお会いする機会を逸したことがあって、今回はテオさんが帰国中で上京されると聞いて私の方からお誘いしたのだった。ニューヨーク在住で、個人詩誌「しっぽ」を発行されているテオさん。個人詩誌「雨期」を発行されている須永さん。前号から「雨期」に参加されたTOMO さん。それで話題は詩のことかというとそうでもなくて(^^;、小説や映画やビデオのことなど様々だったのだが、そのとき盛り上がった映画の話題中心の掲示板をつくれたら面白い、という話がでたのを憶えていて、忘れないうちに清水鱗造さんにお願いして23日に設置していただいたのが、「映画あのころこのごろ」という掲示板なのだった。このわかりやすい掲示板のタイトル(^^;は、映画の話題全般、昔のものも今のものも、なんでもありという意味をこめての私の思いつきだ。
 これで今年の日記も書き納め。みなさん良いお年を。






12月19日 クリスマスツリー。「失楽園」展と詩集出版記念会のこと。


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 横浜のランドマークプラザで。


 先週の日曜(12日)には、坂井信夫さんの詩集『黄泉へのモノローグ』(土曜美術社出版販売)の出版記念会にでかけた。開始時間が午後6時からと遅く、会場のもよりの白楽駅も横浜至近と私にとっては遠出なので、先に桜木町まで行き、ついでに横浜美術館で開催中だった「失楽園」展の最終日をみた。

 これは「欧米と日本及び極東アジア地域の画家・写真家が、1870年から1945年まで、すなわち印象派の時代に始まり、第二次世界大戦の終結に至る70年余りの間に制作した、絵画・写真における「風景」表現を紹介します。」(概要より)というもので、展示作品は310点。開館15周年記念展というだけあって企画は構想雄大という感じだが、写真や絵画というジャンルをこえて、洋の東西を問わず広く作品を収集展示したというその分、印象が散漫になった感は否めない。「風景画の表現」といわれるものの中には、印象派や新印象派のみならず、象徴主義絵画や超現実主義絵画も入っていて、セザンヌもモネもルノワールもルドンもモローも、ルオーもゴーギャンもエルンストもタンギーもダリも、岸田劉生も梅原龍三郎も鏑木清方も佐伯祐三も、木村伊兵衛も土門拳もアジェもブラッサイもキャパも(以下略)、一挙に見られるという豪華さで、なかには珍しい日本の植民地統治時代の台湾や韓国の風景画、戦争画まで含まれていたのだが、それぞれの作家の作品の多くが一点のみの展示なので、ふらっと立ち寄った者としては、やたらに目移りする幕の内弁当のような感じではあった。


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桜木町駅と横浜美術館を結ぶ動く歩道の横から撮影した日本丸。

 5時過ぎに東急東横線白楽駅で下車した。しばらく時間があるので、六角橋商店街を散策する。六角橋通りは、個人商店が軒を連ねていて、どこかに「あざらし堂古書店」(木村恭子さんの同名連作散文詩にでてくる古書店)もあるのじゃないかと思えるくらい、私などには不思議に懐かしい雰囲気がある。銭湯もある(^^)。この時は、六角橋通りに平行して走っている「ふれあい通り」という細い通りを発見して、そこを歩いてみた。この通りは名前の通り、すれ違いざまに人とふれあいそうなほど(^^;。非常に狭い裏通りで、屋根もついている。どこかパリのパッサージュ(小路)に似ていると思った。どうして本通りから数メートル隔てた所に平行してこういう小規模商店の並ぶ裏通りができたのだろう。


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 左が「ふれあい通り」。5時過ぎで日はとっぷり暮れていて、閉店している店が多いが、ここはどこ?と一瞬現実感覚が失われそうになるような雰囲気だ。右はパリのパッサージュ(99年撮影。こちらも夕暮れ時で、こうして並べてみると感じが良く似ている)。

ということで、6時からの坂井信夫さんの詩集『黄泉からのモノローグ』の出版記念会に出席。会場でいただいたパンフレットに、出席者27名とあったが、テーブルと椅子の並ぶカウンター付きのパブ「メイオール」で、この人数はめいっぱいの盛会という感じだった。私は隅っこの方で、会の発起人のおひとりで、会に誘ってくださった倉田良成さん、由利さん(倉田さんの奥様)、初対面だった山崎満さんと歓談。会は日野研一郎さんの司会で、『詩と思想』誌関係の方々や、作家の浮海啓氏などのスピーチをはさみながら、バイキング方式で飲食するという形で進行、坂井さんのご挨拶でしめて九時に散会となった。家が遠いのでそそくさと帰宅の途についたが、武蔵小杉駅のホームで会場で写真を撮影されていた画家の星野勝成さんと「あっ先程は。。」と出会い、南武線車中で絵画写真を見せて頂いたりしながらほろ酔いで帰ったのだった。






12月12日 窓の風景、名刺の印刷、PSPの会のことなど。


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 昨日(11日)の午後、二階の窓から。昨日は風があったので、ケヤキのらく葉もピークという感じだった。「デジカメムービー試写室」に、その様子を撮影した動画をのせてみた。枯葉の舞い散る風景は、どこか気持ちをを騒がせるような風情があって好きだが、ムービーでは、屋根から箒で盛大に枯葉を掃き出しているように見えるものもある。一秒のコマ数の限界からか、スムースな動きが撮れないのも難しいところ(葉が突然空間に出現したり消えたりするように見えてしまう(^^;)。


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 名刺が切れてきたので、久しぶりにプリンター(EPSONのカラリオ)で印刷した。使用したのは、ELECOMというメーカーの「なっとく名刺」というインクジェットプリンタ用の用紙セット。一枚に10面印刷できる用紙が25枚入っている(680円)。このメーカーでは、メーカーのサイトにアクセスすると、オリジナルの素材のテンプレートも各種用意されているという。便利な時代になったものだと思う。

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 私はもっかのところ、そういうフリー素材は使わずに、KIKIHOUSEのトップページの自家製イラストを縮小した画像を使って、名刺をデザインしている。プリントすると、こんなふうに用紙につながったままできあがる。

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 この用紙を、既に切れ目の入っている線を二三度折り返すようにしてから左右に引っ張ると、簡単に分離される。切手のシートをちぎるみたいな感じだが、それよりも簡単だ。


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 できあがった名刺。画像ではみえないが両面印刷したので、裏には日本語で住所氏名が書いてある。こういう名刺でも面白半分に作っておくと、私の場合、詩の朗読会やイベントの時、主に二次会の時に役にたつことがある(^^;。前回、原一男監督の新作映画「またの日の知華」の試写会というのに出かけたことを書いたが、会場では分厚い名刺ケースをもった人たちがにこやかに挨拶を交わしていたのが目についた。なかには俳優の卵という感じの人もいて、名刺交換が重要な意味をもつような世界というのも、いろいろあるのだなあ、と思ったのだった。

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 先週の日曜の5日には、PSPの会に行った。忘年会も兼ねて、ということだったが、いつも詩の合評が終わると時間がある人は一緒に飲むので、考えてみると忘月会みたいなことは毎回やっている(^^;。今回も飲み放題のコーヒーを数杯おかわりしながら、参加者の作品をゆっくり観賞して感想を述べあうという充実した時間を過ごしたあと、いつものように近くの飲み屋さんに流れて歓談した。今回は主宰の竹内さんの他、北見さん、有働さん、高田さん、久谷さん、柿沼さん、岩村さん、小網さん、それに私というメンバー。福士さんも二次会に参加。






12月5日 映画試写会と、詩と造形作品の展示会に行ったこと


 11月30日に、原一男監督の新作映画「またの日の知華」の試写会に行った。原一男氏は「ゆきゆきて神軍」や「全身小説家」で知られるドキュメント映像作家だが、この作品は制作に5年の歳月をかけたという初めての劇映画。知華という女性が、結婚して子供を産み、自分の不倫が原因で夫と別れ、ひとりで自立して生きていこうとする。時代背景からいうと1960年代から70年代にかけての、彼女の半生の軌跡を異性との関係に照明を当てるようにして綴った映画なのだが、この作品の大きな特徴となっているのは、ヒロインの知華という女性を、吉本多香美、渡辺真起子、金久美子、桃井かおり、という四人の異なる女優が演じているところだろう。少女時代と成人以降、また老年になってからというふうに、年齢に応じて別の俳優が演じる大河ドラマ的な作品というのはあったかもしれないが、一人で演じても不自然ではないような十数年ほどの間を、四人の俳優が演じるというのは、たぶん今までに誰も試みていなかった演出だと思う。

 映画は四章に別れていて、それぞれの章で、ヒロインとそれぞれ異なる四人の男性との関係が描かれている。ひとりの女性の中に、人はその人との関係のありかたによって、別の側面をみいだしている。恋愛の後に結ばれた夫にとっては貞淑な愛妻であり、学校教師という職場の同僚のひとりの男にとっては不倫相手の恋人であり、(彼女の教え子の)若者にとっては母性を感じさせる姉のような教師であり、年上の流れもの男にとっては酔客に距離をつめてくるような場末のバーのホステスであったりする。ここで、いわゆる女性のタイプ(類型)のようなことを思い浮かべているのだが、こうした様々なタイプ(のように見えること)を決定するのは、たぶんその女性自身の本性ではなくて、その場におかれた人間相互の関係性そのものなのではないだろうか。しかし当の女性自身は、そういう場にからめとられた関係性をそのつど生きながらも、そういう場をすりぬけた「自分」をも記憶として全人的に生きている。またひとつの場面でのみ接点をもった男の側からいえば、あるタイプの「永遠の女性」(^^;として生涯記憶に残るということもあるかもしれない。自分がいつまでも変わらないと思っていること、人は別の角度から見ると別人のように思えること。通念的に言えばいくつかの挫折を通してしだいに身を持ち崩していったような一人の女性の生の道筋を、政治=学生運動が退潮し、一方で過激化していった時代背景に重ねるようにして描いたこの作品のモチーフからすれば、ずいぶん変な見方なのかもしれないが、この映画にはそういう人性的な「謎」をめぐる問いかけも潜められているようにも思えたのだった。

「またの日の知華」公式ホームページ

 この映画は来年1月15日から「シネマスクェアとうきゅう」にてロードショー公開されるという。この作品の脚本を書いた小林佐智子さん(原一男氏の奥様)と灰皿町の高田昭子さんがお知り合いということで、高田さんにお誘いいただいて、私も試写会をみることができたのだった。高田さんのご厚意に感謝(^^;。


 当日は銀座の東劇での試写会が五時半に終わったあとに、劇場至近の画廊「Pepper's Loft Gallery」で開催中の、『おかえり』展にまわった。これは会期が六日間の、8人の詩人(芦田みゆき 川口晴美 北爪満喜 杉澤加奈子 杉本真維子 西元直子 みずたさやこ 森キミエ)による作品、共同作品の展示と朗読の会。ちょうどこの日は、出展者のひとりの北爪満喜さんが展示作品の案内を六時からされる日ということで、試写会と併せて見るには時間も場所もぴったりだったのだ。

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 会場は白っぽくて明るい空間。
さっそく学生グループの人達に混じって解説を聞いた。


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 これは北爪さんの詩と写真を組み合わせた作品。
かなり大きくて写真も迫力があるのがわかるだろうか。


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 画廊はビルの4階で、テラスにの床にも作品が展示してあった。
 これは写真を凸レンズ状の透明ガラスの下に敷いたものだが、
夜の照明のせいで、思わぬ効果がでて陰影が美しい。


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 展示作品の説明をされている北爪満喜さん。


 自分で撮影した写真をまえに詩を書こうとすると、写真にうつっている事物から直接やってくる言葉でも、観念の中だけで紡ぎ出すような言葉でもなく、その両者のあわいのようなところから、思いがけない言葉が浮かんでくる。そういうことの面白さをおっしゃていたのが印象に残った。

 いろんな場所で熊の縫いぐるみが死んでいるシリーズ写真からなる作品や、町中の「繋がれたもの」(ヒモや鎖で繋がれたモノの写真)を集めたシリーズ写真作品など、北爪さんの解説をきかせてもらいながら、楽しく拝見した。時の流れを川の流れにみたてた場所に、紙片入りのカプセルが並べてあって、回覧者がメッセージを書いた紙片をカプセルいれて、参加できるようになっていた。書き入れるメッセージは「あなたはどこからきて、どこへいくのですか。」という質問への回答だという。一瞬「福生から来て新宿に飲みにいきます」と書こうと思ったが(うそです(^^;)、別のことを書いて参加させてもらった。画廊の中には中二階のようなところにも展示があって、そこには階段ではなくて、室内の壁にすえ付けられた梯子を上っていく。梯子を登ったのは何年ぶりだろう(^^;。いろんなことを楽しんだ一日だった。

「「MAKI'S Modern Poem Page」」 北爪満喜さんのホームページ。






11月28日(その二) 新宿御苑散歩。


 28日に、灰皿町のみなさんと新宿御苑を散歩した。その時のスナップ集です。


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正午すぎの御苑。快晴で爽やかな日。


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スイセンが沢山咲いていた。


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朝からなにも食べてなくて空腹だという人がいて、
いつもの場所(池の側の傾いた芝生の上)に直行。
清水鱗造さんと足立和夫さん。


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このとき、ビールやワインを飲んで軽食をとった。
阿蘇豊さん。


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なんと高田さんが撮影して送ってくださった私の横顔です(^^;。


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温室をみての途中休憩。
左から清水さん、高田昭子さん、足立さん。


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解説を聞きながら植物を眺める海埜今日子さん。


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眺められている巨大植物


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これも巨大なきしめんのような植物。
このあと、開催中の洋ラン展へ。


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洋ラン1。華やかというか。なんとなくロールシャッハ・テストを連想。


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洋ラン2。配色の妙。


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洋ラン3。形態の妙。


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洋ラン4。スリッパみたいな。洋ランの種の数の特定はできてはいないものの、20,000種とも25.000種とも言われているという(ネット情報)。


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洋ラン5。これは豹柄に似ている。


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黄葉していた銀杏の木。


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温室を見終わったあとで関富士子さんと合流。沼のようなところを見てまわったら、はやくも夕暮れだった。「パンの会」ではないが、昼過ぎからボジョレーヌーボーを飲んで楽しく過ごした一日だった。二次会では、石川為丸さんも合流。


 空に真赤(まっか)な雲のいろ。
 玻璃(はり)に真赤な酒のいろ。
 なんでこの身が悲しかろ。
 空に真赤(まっか)な雲のいろ。
(北原白秋)






11月28日 11月のデジカメ写真、皮ジャンの修復。


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 サザンカの花。暗がりに咲いていたのを遠目にみて、急いでデジカメをもってきて撮影した。一目みて、これはすぐにも撮りたいというふうに気持が動くことがある。


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 11月6日に撮影したセンリョウの実。色あいになんともいえぬ風情がある。


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 左上は、ピンクユーフォルビア ドルチェローザという長い名前の花。ネットで検索すると、新種のポインセチアの仲間だという。ピンク色の部分(苞)が、葉のように見えるのは、右上のコンロンカに似ている。下は色づいたセンリョウの実二種類。撮影したのは、22日頃で、6日に撮影した画像が右のように赤くなった。


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 九官鳥のQQの姿が見えないと思ったら、鳥かごの下に敷いてある新聞紙の中に潜り込んでいた。でられなくなったようで、がさがさ動き回っている音だけが聞こえる。放っておいたら一時間くらいかかって自力ではい出した模様。。


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 20日。新宿の高島屋や東急ハンズの横を通って紀伊国屋書店まで続く高架式の板張りの通路。毎年年末になると華やかなイルミネーションが飾られる。


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 もう20年位は使っている皮のジャンバー。肩のあたりと、右ポケットの周辺が数カ所破れて、綿がはみだして無惨になってしまった。こうなると雨露もしのげないし、変な人だと思われそうで、さすがに着ていく元気がでない。お払い箱にするしかないと思いながらも愛着があって、とってあったのだが。。。


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 うえの写真にある新宿の東急ハンズの各階をふらふら歩き回っていて、皮革製品売り場で、似たような色の皮を売っているのをみつけたので、これは、と思い、買ってきた(1029円)。あとは、皮革用のボンドとハサミと鉛筆とカッターで、生地と格闘すること数十分。


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切り貼りしてできたのが、この姿。本当は、色があまり似ていなかった(^^;のと、いいかげんにボンドで貼り合わせただけなので正視に耐えないのだが、破れ目から綿が飛びだしているのよりはましだ。いずれ別の個所が破れるのは目にみえているが、暫くは使えると思う。






11月21日 紅葉、冬支度、PSPの会、ハードライブ。


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 桜紅葉など、大きい樹木の紅葉も美しいが、電柱に絡まってすがれた蔦の葉など、ちいさな植物が一所にはっとするような鮮やかさで紅葉しているのを見るのも楽しい。。


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 カメの住処に、ひよこ球を入れた。毎年恒例の、冬支度。


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 先週の日曜日(14日)には、PSPクラブの集まりに行った。PSPクラブというと、なんだか訳がわからないのがいいが、これは「POETIC SPACE PROGRAMING CLUB」の略で、竹内敏喜さん主宰の、詩を持ち寄って互いに批評しあう合評会形式の集まりだ。今回は、竹内さんの他に、灰皿町の有働薫さん、高田昭子さん、それに、福士大さんが参加。福士さんは「工房絵」という社会福祉施設に勤めておられて、その施設利用者(知的に様々なハンディキャップをもつ人たち)の作品展「Kouboukai展」を開催中ということをお聞きした。


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「Kouboukai展」の会期は、11月13日〜2005年1月30日(am11:00~pm4:00)
金、土、日のみ開催(12/31~1/2休館)
場所は、「鐵の家ギャラリー 明治倶楽部」で、
JR総武本線「下総中山駅」下車徒歩15分。
京成本線「京成中山駅」下車徒歩12分。
HP「明治倶楽部」のinformationに地図があります。


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 有働薫さんが、みなさんにフランス旅行のお土産といって、石鹸を下さった。モノプリ(Monoprix)で求めたとおっしゃっていたが、モノプリというのは全国展開している有名スーパーで、私も旅行したときに何度か利用したことがある。思いがけないことで嬉しかった(^^;。


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 昨日(20日)は、ミッドナイトプレス社主催の詩のイベント「ミッドナイトプレス ハード・ライブ 詩の希求、廃地の世界」に行った。瀬尾育生、守中高明、倉田比羽子、稲川方人氏の書き下ろしの詩作品に、二瓶龍彦氏が曲をつけ、その曲を「祥子」(パンフレットに、パフォーマー・役者、とある)が、清光美郷さんのピアノ伴奏で、身振りを交えて歌うという「第一部 悲劇の恋/歌」、瀬尾育生、守中高明、稲川方人氏の鼎談「第二部 詩の希求」からなるイベントだ。第一部の印象は、というと、すっと、どのようなものだったということが、うまくいえそうもない。なぜすっと言えないのか、というと、たぶん、表現にこめられた、いろいろな制作者の意図や表現上の配慮や工夫、ということが、表現の背後に微細に張り巡らされた「暗黙の主張」のように感じられて、そのことに触れなくては何もいったことになりそうもないのに、それをとても解きほぐせそうにもない、要するに膨大な密度の濃い情報を一挙に与えられて、処理能力が追いつかなくて言葉がでてこない、というようなことになるだろうか。第二部の鼎談の印象も別の意味でそうしたことに近いのだったが、こちらは近い将来に詩の雑誌『midnight・pess』の誌上で辿り直すことができるのだと思う。これだけでは感想になってないので、もすこしいうと(^^;、祥子さんの舞台は、うた(メロディにのせて、詩をうたう)を聞くといえば、そうなのだが、動きははげしくないのに存在感があって、ずいぶん前にモダンダンスの舞台を何度か見ていたときの感じを思い出した。ううむ、そういってもますますわからないかもしれないが。






11月14日 「崑崙花」。イラストカードを飾ったことなど。


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 「崑崙花」。「ハンカチ」というと言われて花の鉢植えを貰ったのだが、その趣あるたたずまいからして、その名前はあんまりだと思った。自分で調べればいいのに調べないで、灰皿町のぺこさんにお聞きすると、やはり「崑崙花」という立派な名前があるという。メールにリンクして教えてくださったサイトには、中国南部が原産とあり、新宿御苑の温室にもあるということだった。

 「崑崙(こんろん)」というのは、これもネットで検索すると、中国の伝説上の聖地で、「日月の沈む場所としての、西の果ての象徴。西王母や黄帝などの神仙が住むとされた。」とある。花の近辺の葉(実際には葉ではなく、萼片の 1 枚が大きくなったもの)だけが、見事にまっ白で、それで「ハンカチの木」などとも言われるらしいが、一目みて、え、これはなぜ?と、驚かされるような風姿は、神仙のすむ聖なる土地に咲く花というイメージのほうが、ずっと似つかわしいように思う。

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 今月はじめに「壱の会」展に行った時、会場で求めた藤富保男さん制作のイラストカードを、額装してみることを思いついた。 近場の画材店で桜材の額縁を買ってきて、台紙にイラストのカード8枚がきれいに収まるように配置を考えながら並べていく。裏面のフランス語の解説のほうは、残念だが表示できないので、代わりに和訳のカードを下に添える。レイアウトが完成したら、歪まないように、カードを台紙に粘着力の弱い両面テープで軽く留めて、額にしっかり収めてできあがり。


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 これを玄関横の空いていた壁のスペースにとりつけた。玄関からあがりかけて、この額に最初に目をとめて面白がる人は誰だろう。


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11月7日 北村太郎の会ほか


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11月初め。朝の窓から臨む多摩川堤防の桜紅葉。


 またしても一週間前のことだが、10月31日、横浜のランドマークタワーのセミナールームでで行われた「北村太郎の会」に行った。はやいもので、今年は太郎氏の13回忌にあたるという。会の司会はいつものように正津勉氏。今回の内容は、北村太郎に捧げる、と副題のついた短編映画「私の惑星は金の髪と(銀の舌と)氷の腕で私をつつむ 私は少しも怖くない」(稲川方人監督作品)のビデオ上映と稲川氏による作品解説をかねた談話。休憩をはさんで、目下「オール読物」誌上で、北村太郎の登場する小説を不定期連載中という、ねじめ正一氏による講演という二本立てだった。また、そのあとに、詩集未収録作品やこの会の講演記録などを収録した『北村太郎を探して』(北冬社刊・四六判上製、472頁。定価2940円)が刊行されたことが、本の編集に携わった方たちの挨拶ともども紹介された。この「北村太郎の会」の貴重な記録であり、また、ひとつの区切りでもあるような、この本の刊行は、縁あって何度かこの会に足を運ばせてもらってきた一人として、大いに慶賀に堪えないところなのだった。


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 区切りのようだからというわけではないが、手元の北村太郎本を撮影してみた。出版されたときに新刊として求めたものばかりで、折々に向き合って読んできたら、自然に集まっていたという感じだ。「詩を読む喜び」にひたった時間がしっかりつまっている。

 ところで、この「北村太郎の会」のことは、これまでにも、何度かネットに書いている。区切りついでの備忘のために、ここに記しておきたい。昨年の11月22日のことは、この吸殻山日記の2003年版にあるが、その他には、関富士子さんのHP 「raintree」 の、14号(1999年10月30日)、18号(2000年11月12日)に、また、KIKIHOUSEのホワイトページの写真帳2001年版の、10月30日(会は10月28日)にも、短い記載がある。最初にこの会のことを関富士子さんから教えてもらって行ったのは98年の10月24日のことで、これは手元に記録がある。記録によると、その時初めて松村武雄さん(太郎さんの弟さん)や、森原智子さんにお会いしたとあって、それからはや六年、無常迅速な時の流れを感じないわけにいかない。。。また、ついでに書くと、北村太郎の詩については、「暗号の詩」についての一文を、HPに掲載している。これは97年末のことだ。


 翌11月1日には、11月13日まで銀座の画廊「響き」で開催されている「壱の会」詩画展の初日にでかけた。「壱の会」詩画展は、小紋章子、粕谷栄市、藤富保男、小長谷清美、小池昌代、新井豊美といった方たちの写真や絵画、イラストを展示する催しで、吸殻山日記を書き始めた第一回目(2003年版の4月)に前回のことにふれている。今回は藤富保男さんから「鼻行類」(ナゾベーム)を描いたイラストを出展されるとお聞きしていたので、楽しみにしていたのだった。灰皿町の高田昭子さん、足立和夫さん、数日前から上京されていたTISATOさんと夕方に待ち合わせて、昨年同様初日のオープニング・パーティに参加させてもらうという形になったのだが、当日の様子については、灰皿町のTISATOさんが、詳細に日記に書かれている。その中では私が待ち合わせ時間にひとりで20分ほど遅刻したように書いてあるのだが(^^;、事実はちょっと違っていて、実際には高田さんが、日記に書いておられるようなことで、二人で遅刻したのではあった(原因はひとえに私のせいですが(^^;)。


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 会場で求めた藤富保男さん制作のカードセット(8枚組)。それぞれイラストが描かれたカードの裏面には、フランス語で、イラストのタイトルと、数行の解説が書かれている。その文章もとてもしゃれていて、モダンな詩画集を読む味わいがある(ということがいえるのは、別に和訳が書かれた小型カードもついているから(^^))。ちなみに、画像の一番うえのイラストのタイトルは「Par ici,je vous prie (this way please)」で、文は「どうぞこちらへ/と男は鼻であしらった」というもの。






10月31日 10月のデジカメ写真とか


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雨の多かった十月初旬。庭の湿っぽい風景のなかで、
地を這うように咲いていたホトトギスの花。
柔らかな純白に目が洗われるようだった。


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10月半ばを過ぎても庭隅のタンポポの葉は青々としていて、
たまに摘んできては、オセロに与える。
実は前日餌をやり忘れたので食欲旺盛な様子(^^;


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これは、二階のパソコン部屋で籠から出して遊ばせていた時のてんまる。
このあとに、右側のキルケ本の帯をばりばりと囓ってしまった。


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10月下旬。咲き始めたサザンカの花。
最初蕾をみたとき驚いたが、咲き始めたのでもっと驚いた。
もうサザンカの咲く時節なのか。時がたつのがはやい。


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 これは、10月23日に広尾の東紅寺で開かれた「宮沢賢治の世界-VOL6 鹿踊りのはじまり」に行った時のもの。賢治の童話集『注文の多い料理店』に収録されている「鹿踊りのはじまり」を、吉田文憲さんがレクチャーし、野口田鶴子さんが朗読する、という催しだ。なんと招待ハガキを3枚いただいたので(野口田鶴子さん、関富士子さんに感謝)、灰皿町の高田昭子さん、海埜今日子さんと待ち合わせて行ったのだが、この日のことは、高田さんもホームページの日記に書かれている(一週間の間に先をこされてしまった(^^;)。

 中央上の画像は、ご住職が、賢治の供養にということで、「雨ニモマケズ」を木魚をたたきながら朗誦されたときのスナップ(一部が朗読ムービーでご覧になれます)。この時の解説で、日蓮宗(法華宗)で「南無妙法蓮華経、、」を唱えるさいのテンポと、浄土宗系で「南無阿弥陀仏、、」を唱えるさいのテンポの違いを、ふたつながら実演をまじえて説明されたのが、興味深かった。後者のテンポで読まれた朗誦は、「和讃」風というのだろうか、配られた「雨ニモマケズ」のコピーを参加者も唱和するという形で行われ、ご住職も、こういうことは、たぶんはじめてで、これからもないだろう、というような意味のことをおっしゃっていて、思えば望んでも得難いような経験であったのだった。墨染めの衣姿のご子息が可愛らしかった(^^;。

 「鹿踊りのはじまり」は、『注文の多い料理店』の掉尾を飾る人と鹿との交歓を幻想的に描いた美しい童話だ。嘉十の忘れた手拭いを中心に輪になって鹿が踊るところ、たしかに虎がぐるぐる回ってバターになってしまうという童話(現在では人種差別ということで絶版になっている「ちびくろサンボ」・思いつきだが、昭和初期に雑誌「コドモノクニ」で紹介されたというこの作品、賢治は読んでいたかもしれない)への連想(吉田文憲氏)を誘われる(^^;。鹿たちが一列になって太陽を崇めるところは、いかにも動物界の中にも宗教的な自然感情をこめたい賢治らしさがでていると思うが、太陽信仰は、日本の仏教でいえば真言系の大日如来信仰にスライドさせることができる。そういう意味では、そういう荘厳なシーンをクライマックスにもつ「鹿踊りのはじまり」のお寺の本堂での朗読は、いかにも所を得ていたものだったといえるのかもしれない。野口田鶴子さんの朗読は、といえば、高田さんが日記にお書きになっているとおり、「美しい声の岩手弁ってわかるかなぁ〜」という感じだ。方言は、ひとつの単語が、独特の抑揚をもって立ち上がってくるので、日常使っているごく普通の言葉でも、ちょうどその単語に強点をうたれたように新鮮にひびくところがあって、なにかと面白いのだった。

 ところで、有楽町に行くと「有楽町であいましょう」という歌のフレーズがうかび、西銀座を歩いていると「西ぎ〜んざ五番街」(西郷輝彦(^^;)という歌のフレーズがそれとしらず口をつく、というようなことが、どの程度他の人にも生じるのかよく知らないが、人のことはいざしらず、私にはよくあることだ。この日も広尾から外苑前方面に向かうことになって、「あ〜めの外苑、よ〜ぎりのひびや〜♪」(新川二郎)という歌の一節がうかんだのだが、当然ながらそんな古い歌知らないという人もいて楽しかったのだった。

(後日、おふたりから頂いたメールのタイトルが、「あ〜めのがいえん♪^^」と「あ〜めのがいえん〜♪」だった(^^;。)






10月24日 東池袋の詩の朗読会にいったこと


 最近一週間遅れの情報ばかり掲載している気がするが(^^;、10月16日(土)に、東池袋のサンライズホールで開かれた詩の朗読会「PoetryReadingLive'04 final」にでかけた。年に一度開催されるこのイベント(辻元よしふみさん主催)には、一昨年から行っていて、これで3度目。8回目になるという今回で一応最終回という。当日撮影した出演者の方たちのスナップ画像を記念アルバム風にならべてみた。

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トップに朗読された高橋和彦さん。

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金井雄二さん。生活感の伝わってくる作品、
息子さんとの会話を織り込んだ詩が印象的だった。

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黒瀬珂瀾さん。
連作短歌の「ドルアーガの塔」は、名作ファミコンゲームがテーマ。
ゲームが世代的な共通記憶になるという感性の切断面が新鮮だ。
黒瀬さんのホームページはここ

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海埜今日子さん。今回のBGMはオリエンタルな曲。
海埜さんのホームページはここ


休憩


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ヤリタミサコさん。白石かずこさんの作品も朗読。
複数者の参加による朗読、即興詩の試みも。
主催されている詩のお祭り「ポエケット」のサイトはここ

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菊池肇さん(パーカッション)。
ヤリタさん、辻元さんともドラムスで共演。

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ジュテーム北村さん。
「あちゃ」でもオープンマイクの朗読をされていた。
今回は拡声器片手にヤリタさんと共演。

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田中創さん。ヤリタさんと掛け合い的な即興詩を共演。

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平居謙さん。大阪から上京されて参加。
発行されている詩誌「リリック・ジャングル」のホームページはここ

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和合亮一さん。御夫妻で朗読。ちいさな息子さんも会場に。
和合さんのホームページはここ

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野村喜和夫さん。BGMのボレロをバックに、
「そしてディープフィールド」という詩一編を15分かけて朗読。
際限ないようなリフレインが、曰く言い難い高原状態にいざなう。
野村さんのホームページはここ


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トリは、辻元よしふみさん。
詩の合間に恒例のハードロックの演奏入り。今回はベースギターで。
辻元さんのホームページはここ

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辻元さんの学生時代の友人の方との紹介があった。
ネットが縁で旧交を温め、バンドを急遽組まれたとか。(リードギター)


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最後に、出演者の皆さんが壇上で一言ずつご挨拶。


 ひとり持ち時間が20分ということで、出演者が時間内にある程度自由な演出ができるというのがこの朗読会の特徴。ムービーでも全容は紹介しきれなかったが、詩や短歌の素読のほか、共演あり、即興あり、定番のロック演奏もありと、内容的にもバラエティに富んでいた。こうして何人もの人の朗読をまとめてじっくり聴ける会は稀少なので、最終回というのがいかにも惜しまれるが、それは気楽な一観客の感想で、これまで8年も持続されてきたということ自体、大変な労力だったと思う。


 ○朗読ムービーはこちらで見られます。また、大まかに検索して判る範囲で出演者の方たちの関連サイトにリンクをはらせて貰いました。。

 ○画像ファイルが多くて、表示に時間がかかる感じになってきたので、日記テキストを二つに分割しました。今年の1月〜6月分へはトップページからリンクしました。






10月17日 庭の茸と「あちゃ」の朗読会のことなど


 9日の台風22号の襲来以来、台風一過の青空がなくて、雨や曇天の日が五日ほども続いた。雨は咲いて間もない庭の金木犀の花をあらかた散らせ、花の溜まりには白っぽい茸が育っていた。

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 10月11日に、立川市にある喫茶・カレーの店「あちゃ」で開かれた詩の朗読会(リンクは、香澄海さんのサイト「CG&詩の実験室」より)「徳弘康代詩集『ライブレッドの重さについて』」に行った。会場のもよりのJR立川駅は家から電車で12分くらい(+自転車)の場所だ。徳弘さんの作品は、これまで詩誌「gui」で拝見して知っていた程度の読者なのだが、関富士子さんが来られるということを掲示板に書かれていて、ちょうどお渡ししたいものもあり(^^;、なにより会場が近場なので、立川市近隣にお住いの灰皿町の住人の方(ややこしいが)にも声をおかけした上ででかけたのだった。会は徳弘康代さんのご挨拶や、(レ)バニラという女性3人グループによる徳弘さんの作品の朗読、参加希望者によるオープンマイクによる朗読、ゲストの柴田千晶さん、詩学社のしげかねとおるさんの朗読と、徳弘さんを含めたお三方の鼎談。すごく大雑把にいうとそういう内容ですすみ、とどこおりなく終了した。

 徳弘さんは2003年に一年間、詩学社主催の詩のワークショップの講師をされていたということで、その関連の方たちも見えていた様子。会場には先週クロコダイルの二次会で隣席したばかりの青葉茂さんもいらっしゃって、今回も隣席になったのが奇遇といえば奇遇だった。青葉さんはホームページでオート三輪をテーマにした詩を募集して(すでに締め切り)、集まった作品を来年、詩学社からアンソロジー詩集として出版される予定という。


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青葉さんに頂いたアンソロジー詩誌「浪速の三輪車」


 会では、若い人たちのオープンマイクによる詩の朗読をまじかで見られたのが、ひとつの収穫だった。もちろん朗読のされ方は人によって千差万別なのだが、次々に朗読希望者にマイクが手渡されてテンポよく朗読者がきりかわっていくこの形式には、普通の(というと変だが)朗読とは一味違う、独特の雰囲気や、のり、がある。前述の香澄海さんのサイト「CG&詩の実験室」から、「あちゃ」についてのリンクページにとぶと、このお店では、時々こういうオープンマイク形式の朗読会が行われているのがわかる。ページには当日司会をされた「どぶねずみ男」さんや、ゲストのしげかねとおるさん、遅れて会場にみえた大村浩一さんのお名前もみえる。

 当然のことだけれど、朗読される詩の印象というのは、同じ作品を黙読する時に受ける印象と別のものになる。朗読しているときの朗読者自身の体感(充実感や存在感)のようなものも、表現の意味にくわえると、詩を書くことと語ることの違いはさらにきわだつように思う。朗読者の無意識が意識をふりきりって顕現するようなところ、それを目撃するのは、見る側も意識の変成をせまられるようなところがあって、意味でとけないリアルタイムの刺激にみちている。迫力ある若い人たちのオープンマイクの朗読を聞いていて、あとで(^^;、そういうことを思ったりした。ただし、大音量の朗読が幾つも続くと、ロックのライブ演奏を聞いたあとように、かなり草臥れることは確かなのだが(^^;。

 会場では、ゲストの柴田千晶さんの朗読時にカメラ撮影をたのまれたのをきっかけに、持参したデジカメもひっぱりだして柴田さんの朗読画像とムービーを撮影した。柴田さんの朗読された二編の作品の収録されている詩集『空室』については、以前「リタ」に感想を書いたことがあり、私にはちょっと忘れがたい詩集なのだった。


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○いつもながら朗読ムービーはこちらで見られます。






10月10日 クロコダイルの詩の朗読会のことなど


 先週の日曜日(10月3日)に、渋谷の「クロコダイル」で開かれた詩の朗読会に行った。出演者の名前やプログラムは、と、ここに改めて書かなくても、「あざみ書房」の「詩のイベント情報」というコーナーで紹介してあったので、 ここでみることができる。html文はこういうハイパーリンクができるので便利だ(^^;。

 いつものように、デジカメで出演された方たちのスナップ写真を撮ったのだが、またいつものように横着をしてずっと座ったまま席から移動しなかったので、手ぶれに加えて照明の加減で画像によってははなはだ写りがわるいものとなった。大きくするとぶれがめだつので、ひとつにまとめて表示してみた。


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(写真右上から横に、阿賀猥、十亀脩之介(舞踏)、ニレギ(Vo)、筏丸けいこ、
中段右から、海埜今日子、森川雅美、渡辺めぐみ
下段右から、高田彰(g)、浜江順子、青木栄瞳、久谷雉、
中上哲夫、三角みづ紀(同不順・敬称略))


 この浜江順子さん主催のクロコダイルの朗読会を見るのは昨年に続いて二度目。前回同様、詩の素読あり、音楽演奏や舞踏との組み合わせあり、朗読者の鼎談ありと、10名の出演者の方たちを中心にした多彩な朗読パフォーマンスが、今回は海埜今日子さんの司会で、途中15分の休憩を挟み2時間半ほどの間にテンポよく進行していく。

ARCH司会の海埜さん


 会場のライブハウス「クロコダイル」は、8年前の「ぴあMAP」(^^;でも紹介されている老舗で、観客が広めの店内のカウンター席やテーブル席に思い思いに座ってドリンクを飲みながら、普段はライブ演奏に使用されているライトアップされたステージで行われる朗読パフォーマンスを見られるという都会風な環境やモダンな雰囲気も、この朗読会の特色。

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阿賀猥さんの詩「変形型恋愛・天虫色模様」のワンシーン。


 それぞれの持ち時間が10分程度と比較的みじかいので、あわただしく印象が流れるという感もなきにしもあらずだが、この転換と異質な表現のくみあわせは、現代詩の現在というか、都市感性の現在というのかよくわからないが(^^;、とにかくそうしたいろんな詩的表現の要素の混在した現在的なものを店内につり下げられたミラーボールのように乱反射させているようには思えたのだった。

ARCH久谷雉さん、中上哲夫さん


○何人かの方の朗読シーンの一部をムービーで撮影してみました。同じページに昨年クロコダイルで撮影したムービーも転載したので、あわせてご覧下さい。

○朗読ムービーはこちらで見られます。

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なんだろう。


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これは、この夏、古内美也子さんから猛暑見舞いにいただいた豆本の真似をして作ってみたミニ「植物地誌」の写真帳なのだった。関富士子さんの新詩集『植物地誌』(七月堂)の、詩のタイトルになっている植物の画像が順番に収録されている。


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久しぶりの紙工作で、時々老眼鏡がずりおちそうになって、目と手がくたびれたが、制作中は熱中できて面白い。世界に一冊のミニ「植物地誌」は著者にさしあげる予定(^^;。

 ベースにつかった名前入り植物写真を集めた画像ファイルのほうは、灰皿町のぺこさん撮影の植物画像の他、いろんなネットのサイトから無断でダウンロードさせてもらった画像もはいっているので、私的使用ということで、ここでは公開せず、見たい方にはメールに添付してお送りします。画像が小さいのであまりきれいに出力できませんが、A4サイズでプリントできます。きりぬいて豆本をつくるとか、モニタに表示して詩集『植物地誌』を読むときのお供に(^^)。






10月3日 コスモスを見る


 台風の余波で大雨の降った翌日、買い物ついでに河川敷の公園に行った。公園と民家を隔てる低い土手があって、その上の道の脇に毎年コスモスが咲いている。


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 まだ前日の大雨の影響から立ち直っていないという感じで、ちょっとやつれたような風情がある。


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久しぶりの快晴だったのだが、空は秋の色でも、台風のなごりのフェーン現象のせいで気温が高く、そのうえ風がすごく強かった。


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 風に吹き流されるように一方を向いて咲いている。画像からはわかりにくいが、風がどれくらい強かったかというのは、当日(9月30日)に撮影したムービーを見るとわかります。

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 祝、イチロー。記録達成なるか、というのはここ数週間の関心事だったので、どうしても書いておきたい(^^)。






9月26日 9月のデジカメ写真


 トウガラシがほんのりと色づいているところと、うつむきかげんに咲くトウガラシの花。


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 9月半ば、朝起きると机の上に弱々しく横たわっていた虫。窓の外ではまだコオロギが盛大に鳴いていた。


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 ホトトギスが咲いている頃ですよと、メールで植物園のペコさんに教えてもらって、翌日(9月25日)庭にでて撮影したホトトギスの花。この名前は、花びらのまだらな斑(油点)が、不如帰の胸羽根の模様に似ているところからつけられたという。まだたくさんの蕾があるので、ときどき覗いてみよう。。


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 宮澤賢治の童話「どんぐりと山猫」の中で、一郎は山猫から「めんどな裁判」というのに9月20日に招かれるが、その9月20日に「めんどな朗読会」というのが開かれた(^^;。これは童話「どんぐりと山猫」を、講師の吉田文憲氏が解説し、合わせて野口田鶴子さん、村野美優さん、村野幸紀さんと共に朗読するという小さな催し。


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 会場はギャラリー「アングル21」。もよりの駅は「六角橋通り」のある東急東横線の「白楽」で、ここで下車するのは6月20日にあった倉田良成さんの詩集『風について』の出版記念会以来だ。自宅から2時間くらいかかる場所で、こういう催しでもないとまず一生下りるような駅ではないと思うと、二度の偶然が重なったのが面白い。会場は駅から徒歩1分。戸口の横に、どんぐりや野草が飾ってあって雰囲気をもりたてていた。


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 会場が20名ほどで満席になってしまうこともあり、講演と朗読の会は、午後から前後二回にわたって行われた。吉田さんの講演を聞くのは、横浜の朝日カルチャーセンターでの特別講座以来で、読めば面白いのに、なかなか普段意識して向き合うことのない賢治の作品世界を、そのつど読み直すいい機会にさせてもらっている。即席カメラマンとして、村野さんからお借りしたAPSカメラと持参したデジカメで、あちこち位置をかえて撮影した。


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 舞台の椅子に並んだ4人の朗読者は、左から村野幸紀さん、野口田鶴子さん、吉田文憲さん、村野美優さん。野口さんは、これまで賢治作品の朗読を各地でなさっているという、いわば、その道のプロの方。吉田さんと練習をしているときに、話の流れでその場にいた村野さんたちも急遽参加することになったという。この朗読の様子は、一部をデジカメのムービーでも撮影した。リハーサルで特に力をいれたという、どんぐりたちががやがや騒ぐところ、これは本当にやかましいので(^^;、おひまなひとはぜひ朗読ムービーでお聴き下さい。


○朗読ムービーは、こちら(灰皿町内「デジカメムービー試写室」)で見られます。








9月19日 夏の終わりに公園へいく


彼岸花

 先週の日曜日、久しぶりにデジカメを持って近所の公園にでかけた。おめあては林の中に咲いている彼岸花。


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 多摩川の河川敷を利用してつくられたこの公園のニセアカシアの林を抜ける道沿いに、彼岸花がぽつんぽつんと咲いていたのを初めて見たのはもう十数年もまえのことだ。林は自然のようでいて、下草を刈ったりして管理されているのだが、この彼岸花は咲く場所も不揃いで数も少なく、だれかが何かの事情で深夜にひそかに植えていったとでもいうような、いわくありげな気がした(^^;。年によっては、花の部分だけが無惨に切り取られて持ち去られていることもあって、そういう風情も印象深かった。それが毎年すこしずつ仲間をふやして、林の奥のほうにも点在するほどになりつつある。


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 彼岸花の記憶というのは、なぜか子供の頃までたどれなくて、私にとってはこの場所で見た時の印象が一番強烈だ。道を曲がって一面の緑の中に忽然と現れた朱の色と、その佇まいに魅入られてしまったのかもしれない。季節になると、思い出して、今年はどうしているかな、という感じで覗いてみたくなる。


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 公園のニセアカシアの疎林の中の道を抜けると広場にでて、そこには、いかにも人工的な小川と、人工的に配置されたような萩の植え込みがある。それでも年月がたつうちにだんだん土地になじんできて、萩もひとまわり大きくなって花もみごとになってきた。


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 意識して植え込みに入り込んだのははじめてだが、しばらくしゃがみこんで眺めていたら蜂や蝶がいそがしく飛び回っていた。


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 虫の姿がみえてくると、自分も虫になったような気分になってくる。


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 萩には400種類もあるという。日曜の朝に小一時間公園の植え込みにすわりこんでいて、萩ってこんなに綺麗な花だったのかと、認識を新たにしたのだった。


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9月12日 ハナアルキ、またはナゾベームのこと

 小川洋子著『ブラフマンの埋葬』(講談社)という小説には、ブラフマンと名付けられる小動物が登場する。裏庭のゴミバケツの脇に潜んでいたところを発見され、主人公の「ぼく」に飼われるようになるこの小動物を、最初、犬か猫のことだろうと思って読み始めると、ほどなく「水かき」とぴんと跳ね上がった「ひげ」をもっていることが明かされてぎょっとする。『ブラフマンの埋葬』は幻想小説ではないので、この小動物はたぶんカワウソとかビーバーといった類だろうと想像はつくのだが、その種名が最後まで明かされないことで、次になにをしでかすか分からないという(^^;、不思議な緊張感が持続されているという感じの作品なのだった。それで連想したのは、カフカの「岐路」という短編小説だ。


「 私は猫ともつかず小羊ともつかぬ妙な動物を飼っている。これも親父から譲られたものだ。だが、私が飼うようになってからこうなったもので、それまでは猫というよりもむしろ小羊だった。今では両々相半ばしているとさえいえよう。猫らしいのは頭と距(けずめ)で、羊らしいのは大きさと體つきだ。両方の素質を併せ持っているのは、野性的にきらきら光る眼と、柔くてぴつたりと身についている毛なみと、はねるかと思うと忍び足で歩いたりする身ごなしだ。窓敷居のところで日向ぼつこをすれば、丸くなつて喉を鳴らしているが、原つばへ出ると、気ちがいのように駆けまわつて、掴まえるどころの騒ぎではない。猫に出合うと逃げ出すが、小羊ならば襲いかかろうとする。、、、」(「岐路」より(『カフカ全集3』(新潮社)))


 この奇妙な動物はやがて、「私」の顔をのぞきこんで、涙を流したりもする。「岐路」は、とても短いが一度読んだら忘れられない、という感じの、いかにもカフカ的な味わいのある小品だ。ついでにいうと、この「岐路」が収録されている「ある戦いの手記」という遺稿集の中の「ブルウムフェルト、ある中年の独身者」という作品にも、奇妙な生き物の記述がでてくる。しかしこれは生き物といっていいのかどうか。


「 上に着いて、部屋の戸の前でポケットから鍵を取り出すとき、部屋のなかから何か物音が聞こえてきて、彼はおやと思わせられる。かたかたと鳴る独特な物音だが、非常に活気があつて、非常に規則正しい。ちょうど犬のことを考えてきたところなので、彼は、犬の前脚が交互に地面を叩くときに出す音のことを思い出させられた。しかし、犬の前脚ならかたかたと鳴りはしない。これは犬の前脚ではない。彼は急いで戸を開けて、電灯をつける。それは思いもよらない光景であつた。まさに魔術とでも云おうか。青い縞のはいつた白い小さなセルロイドのボオルが二つ並んで、寄木張りの床の上を跳びはねている。一方が床を打つときには、他方は上に飛びあがつているというぐあいで、どちらも孜々としてその遊びを続けているのである。」(「ブルウムフェルト、ある中年の独身者」より(『カフカ全集3』(新潮社)))


 さてさて、どうしてこういうことを書いたかというと、先日、『ブラフマンの埋葬』を読んだ翌日のことだが、ちょうど送って頂いたばかりの同人詩誌『Contralto』を読んでいて、そこに収録されている坂東里美さんの「ハナ」という散文詩の中にも、不思議な動物が登場するのを発見したからだ。以下に「ハナ」の全文を紹介させてもらおう。


ハナ
               坂東里美

台風が通り過ぎた翌日 郵便受けに祖父宛の小さな小
包が届いていた 奇妙な絵の切手に滲んだ消印
《Heieiei》郵便受けの下には昨日の台風で吹きとばさ
れた 葉っぱやゴミが吹きだまっていた

昨日は祖父の七回忌だった 強い南風が玄関の扉を傍
若無人に叩く 台風が近づいていた 親戚の人々はそわ
そわと帰り なんだか間の抜けた時間 仏壇の奥から
古いはがきが出てきた それは六〇年も前に南方で戦
死した 祖父の弟からのものだった

はがきの最後に 群の捕虜収容所から先日スウェーデン
兵が脱走したので それを追って... そこから字が消
えている 追って 追って ハイアイアイ...

小包に差出人の名は無かった 祖父の死をまだ知らな
いなんて でも風変わりな人の祖父へのお供えかもしれ
ない と思い直し 包みを開けた 出てきたのは何かの
植物の葉を編んだ蓋付の籠だった 蓋をあけると ハ
ツカネズミのような生き物が うずくまっていた

そっと手に取ってみた 体長は7センチぐらい しっぽは
長く 毛はビロードのように滑らかだった が ひとつ
とんでもないところがあった ゾウのように伸びた長い
鼻が四本 顔の真ん中にある 初めて見る不思議な生
き物 まだこどものようだった

机の上に置いて観察していると しばらくして ひょいっ
と 逆立ちのような格好になって なんと四本の鼻で
ゆっくり ゆっくり 歩き 始めた しゅっ しゅっと
自転車の空気入れ のような音が鼻 から聞こえてく
る 息を圧縮して吹き出しながら 歩いているようだ

雄か雌かは分からなかったが とりあえず ハナ とい
う名前をつけて 飼うことにした 最初は人肌に温めた
ミルクをスポイトで与えていたが そのうち 私の食事
から少し取り分けて 一緒に食事をするようになった
ある朝 ブドウを食べていたら 逆立ちの格好のハナの
しっぽが 思いもかけず しゅるり しゅる と長く伸
び 一粒巻き取った そして器用に口に運んだ 上手
上手 手をたたく なんだか このごろ 楽しい

ハナが来て数週間後の夜 また台風が来た 古い家はみ
しみし揺れる ハナは 少し 不安そうにみえた 籠の
底にタオルを敷き そっと入れて 蓋を閉めた

台風が去った翌朝 籠は 空っぽになっていた ゴミ箱
の中も タンスの裏も 部屋の隅々まで捜したけれど 見
つからなかった 籠のタオルに丸薬のような 糞が少し

ハナがいなくなって から しばらくして 古本屋で
ハラルト・シュテュンプケ『鼻行類』という本を 見つけ
た ぱらぱらとページをめくると ハナにそっくりの絵
があった ハナアルキ〈ナゾベーム〉それがハナの名前
だった

鼻行類は 太平洋戦争中 南海の群島で偶然発見され
た きわめて独特な進化を遂げた動物群とある し
かし発見されて数年後 シュテュンプケが『鼻行類』とい
う論文を発表する直前 アメリカが秘密裏に行った地
下核実験で 生息する群島もろとも 海底に消え 標
本の一つも残っていない 幻の哺乳類

その古本を買って帰った ナゾベームがうちにいた と
言っても だれも信じないだろう 残ったのは 糞だけ
独りの食事をしながら その本の続きを 読む

鼻行類の発見者は 日本軍の捕虜収容所から脱走した
スウェーデン兵 シュムトクヴァスト 彼が偶然 漂着し
た島は ハイアイアイ ハイアイアイ ハイアイアイ


 この作品を読んでいて、お、面白い、と思わず目を見開いたのは、いくぶんかは前日に読んだ小説『ブラフマンの埋葬』にでてくる小動物のイメージが頭の中に残存していたせいかもしれない。ともあれ、この作品の幻の哺乳類ハナアルキについての簡潔な記述は、そのイメージを、いますぐ絵に描いて見たい!、という新たな衝動を私にひきおこしたのだった。絵を描くといっても、大袈裟なことでなく、ただ画像処理ソフトのアイコンをクリックして、でてきた空白画面に、マウスでさらさらと線描して着色していくだけの、お絵かきのようなことなのだが。こうして、1時間くらい、描いたり消したりしてできたのが、下のイラストであった。


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 さて、この話には後日談があって、数日後、どうも作品中の「鼻行類」という言葉や、逆立ちで歩く動物というイメージに、憶えがある、ということが気になってきた。それまでは、てっきりこの不可思議なキャラクターは作者の坂東さんの創造の産物だと思っていたのだ。そこで思いつきで「鼻行類」という言葉をネットで検索してみたところ、(私にとっては)驚くべきことがわかった。シュテュンプケと言う人の書いた『鼻行類』という本は現存していて、その中にはちゃんとハナアルキ(ナゾベーム)という動物が登場するようなのだ。ハラルト・シュテュンプケ著の『鼻行類』が(たぶんフランスで)刊行されたのは1957年。日本語版は、1987年に思索社からはじめて出版され、その後1995年に博品社から出版された。1999年には平凡社から平凡社ライブラリーの一冊として出版された。というような情報がネットでわかった。つまりハナアルキは、知る人ぞ知る、という類の、由緒ある幻の哺乳動物で、坂東さんの作品「ハナ」は、こうした下地を巧みに取り入れた本歌取り散文詩だったということなのだった。

 世に「鼻行類」ファンは数多くいるようで、ネットでは、原著から転載した図版や自作模型!やアニメーション映画も紹介されているところがある。すごく暇な人は私が描いてみたイラストと比較して御覧になるのも面白いかもしれないと思う。


鼻行類研究

鼻行類 オオナゾベーム

鼻行類


 この一文を書き終わってから、「ハナ」の作者の坂東さんから、「先月末に亡くなられた種村季弘さんが訳されていたモルゲンシュテルンの詩集『絞首台の歌』の表紙の藤富保男さんの絵。これも奇妙なハナアルキで。「ナゾベーム」という詩がこの詩集に入っています。」とのお知らせをいただいた。私は奇しくも藤富保男さんと同じ空想動物のイラストを描いていたことになる(^^;。なんだか嬉しい気分になったことであった。


○坂東里美さんたちの同人誌『Contralto』の最新号の情報は、こちら(あざみ書房内「個人誌・同人誌情報」コーナー)で見られます。

○坂東里美さんの詩集『約束の半分』の情報はこちら(あざみ書房内「近刊・新刊書のご案内」コーナー)で。リンクから坂東さんの作品も御覧になれます。








9月5日 HPのトップページデザインの変遷


 調べ物をしていて、昔のMOディスクをあれこれ抜き差ししていたら、本宅のホームページ「KIKIHOUSUE」のデータを、そっくり保存してあるフォルダを幾つもみつけた。フォルダから、ブラウザに当時のINDEXファイルを表示してみたら、自分としてはかなり懐かしい画面がでてきたので、ここに載せてみたい。


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 96年の11月3日に開設したHPのトップページは、こんな感じだった。中央のイラストは、一部分をトリミングして縮小したものをバナーにして使っている。

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 暫くして、上のようなシンプルな別バージョンをつくったが、これは結局英語版のトップページにしてしまった。タイトルの横に、QQがいる。英語バージョンは最初ホームページというのは世界に向けて発信するのだから、作らなくてはいけないということで作ったが(^^;、その後一度も更新しないままだ。消そう消そうと思いつつ、ずっとリンクされている(^^;。


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 ロゴを作ったりデザインを変えたりするのが面白くて、作ってみたカラフルバージョン。中央のイラストのトーンも配色に合わせて落としてある。これは表示使用したことはなかったと思うが、レイアウトはそのままに、以下のものをつくった。


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 シックに衣がえしたバージョン。このデザインは、けっこう気に入って何年か続けていたと思う。見飽きてしまったのと、どこかよそよそしいと思って変えてしまい、今の表紙に至っている。





  8月29日 8月のデジカメ画像と豆本のこと


 ようやく朝夕が涼しくなってきた。ふと気が付くと手足がけっこう冷えているのに驚いたりする。この一瞬新鮮な感覚はこの時期ならではのものかもしれない。


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 8月の半ばに撮影した画像。うえから、セージの仲間、ツキヌキニンドウ、アルストロメリア(名前はぺこさんのご教示による)。
 ツキヌキニンドウは朝のゴミ出しのたびに見かけた花で、いつもいかにも夏を謳歌しているという感じで風景になじんで咲いていた。思い出すと、これから暑くなる朝のやわらかい光が蘇る感じがする(拡大画像: ちょっと画質をいじってその雰囲気を再現しようとしたが、うまくいかなかった(^^;)。


 ところで、私の発行している個人誌「断簡風信」を差し上げている詩人で版画家の古内美也子さんから、かわいい手作りの豆本を送っていただいた。薄手の段ボールの表紙と裏表紙の間に、ひと連なりのチョコレート色の模造紙が、アコーディオンのように折り畳まれていて各ページを作っている。その一ページごとに、使用済みの記念切手が貼ってあって、その切手というのが、これまでお送りした個人誌入り封筒に貼ってあったものだというので驚いた。ホームページ「KIKIHOUSE」を御覧になった方はわかると思うが、私はこの種の工作がかなり好きなほうで(^^;、猛暑見舞いがわりに、と、こしらえてくださったこのミニ「断簡風信」は、8月の嬉しい事件のひとつだった(^^)。


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8月22日 ガスレンジを買い換えたことなど


 定時のニュースを見ようとテレビのスイッチをいれると、柔道着を着た人がさかんになにか動いていたり、人が泳いでいたりする。普通の報道が始まるまで時間がかかり、それが結構ストレスをもたらす、ということに気が付いた。
 いつもニュースをしっかり見ているわけではないので、支障はないのだが、どこか微妙に調子がくるう。あるべきところにあるものがないという感じで、習慣というのは変なものだと思った。今日は久しぶりに朝から日曜美術館と将棋対局をみて、この習慣をとりもどしたところ。


 先日電池を交換してもガスレンジが着火しない、というアクシデントに見舞われて、思い切ってガスレンジを買い換えることにした。電池ケースを含め、そうとう古びていたのだ。どのくらい、古びていたかというと、


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 この位になっていた(^^;。すでに使われていた製品を、14年ほど前に今のキッチンに設置したもので、製造時からはその倍くらい経っていると思う。そっくり引き出してみると、台のうえには剥がれた鉄サビがこびりついていた。表面だけは何度もみがいたりして使ってきて、愛着もあるとはいうものの、見るも話すも恥ずかしい話ではある。話はとぶが、先頃沖縄で墜落した米軍の軍用ヘリコプターというのも70年前後に製造された機種だという。比較にならないかもしれないが、こういうぽんこつが飛んでいたのだなあ、と素人ながらに思う。


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 買い換えてすっきりしたガスレンジ。右と左で火力が違うのに感動したが、そういうことは今では常識だといわれて苦笑してしまった。


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これは、九官鳥のQQが暑さで口をあけているところ。残暑はまだまだきびしい。


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  8月15日 島旅行画像拾遺編


 昨夜はユニテで灰皿町の清水鱗造さん、高田昭子さん、足立和夫さんに、海埜今日子さんを加えて飲んだ。日にちを決めているわけではないが、ユニテには都合が合えば月に一度くらい足立さんや清水さんと行って飲んでいる。今回はパソコンを買ったばかりという海埜さん中心の、「海埜を救う会」(海埜さん自称)。それに、そういう予定が決まりかけていたとき、ちょうど私がメールで別件のやりとりしていた高田さんをお誘いしたところ、私も救ってとおっしゃったので(^^;、こういうメンバーで「海埜と高田を救う会」になった。ユニテでは海埜さんご持参のノートパソコンに清水さんがエディタソフトをダウンロードして、その操作法などを説明されるのを、私はもっぱら横できいていた(マックなのでウィンドウズは似ているようでよくわからない)。

 そんなこんなで今朝は早めにめざめてしまい、開けたままの窓から網戸越しに吹きこむ風が気持ちがよいと思いながらうとうとしていたら、ほどなく雨にかわったので、起き出してしまった。涼しくてそれから久しぶりに長袖シャツに腕をとおした。ということで、午前中は海埜さんのホームページを制作したり、あざみ書房サイトを更新したり、松井の三振を見たりしながら今に至っていて、特に書きたいことがないのだが、そういえば昨日ユニテで清水さんから式根島新島旅行時の写真をプリントしたものを分けていただいたとき、そこに写っていた私の写真を日記に載せましょうなどと口走ったのを思い出してしまった。これまで詩の朗読会やイベントなどで、いろんな方の朗読写真などを勝手に撮影し、そのつどネットにいろんな形で紹介させてもらいながら、機会があまりないということもあり、私自身の写真は載せない方針を貫いてきたのだが(^^;、このところ、いくら必要ないとはいえそういう方針を続けているのもなんだかなあ、という思いもあった。それで、島旅行拾遺編ということで、他の画像をおりまぜながら清水さん撮影の人物スナップも掲載してみることにした。




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式根島の道を這っていたカミキリムシ。


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カメラをセットしての清水さんとのツーショット。


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式根島新島間の連絡船のデッキからのぞむ式根島。


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こちらは新島のトンボ。十三神社の境内。


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散歩していてまよいこんだ墓場付近。江戸時代には伊豆七島は流人の島だったといっても、もちろん普通の島民もいて、流刑者は別暮らし。島に流されても、また当地で禁を破った者がここに入牢させられ、江戸代官所の裁定を受けて打ち首などになった、という。この近くに受刑者が刑場に引き立てられていく時、最期にふりかえったという「見返りの柳」(台風で幹が折れ、後に接ぎ木されたもの)というのもあった。


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我ながら幸福そうな顔をしている。島では二回かき氷を食べたのだった。






8月8日 島へいったこと


 8月1日、2日、3日と、灰皿町の清水鱗造さんと、伊豆七島の式根島、新島に二泊の旅行した。そのため、先週は日記を休んでしまったが、今回は、その旅行のことを。

 式根島、新島を含む伊豆七島というのは、東京やその近郊の住民にとっては船で行ける近場の観光地として、高度成長期くらいから、とくに夏の休みには若い人に人気だった。その最盛期というのは六〇年代後半から七〇年代にかけての頃だろうか。たぶん関東育ちの五〇代くらいの人で、学生時代に一度や二度は行ったことがあるという人は多いと思う。清水さんは式根島は三度目の訪問といっていた。

 おじさんふたりで島に行ってなにをするかというと、温泉や海水浴といえば一般的。まあ普段とはちょっと違った環境で、ふらふらあちこちを散歩して気が向くとカメラで撮影したりする。こういう無駄なような時間を楽しめないと家で寝ていたほうがいい、というふうになるとは思う。

 式根島は周囲12キロほどの小さな島で、水も海底水道を通して新島からひいている。海岸にある露天の温泉や、入り組んだリアス式海岸と白浜で知られている島だ。東海汽船のジェット便による二時間ちょっとの航海の船中で、図書館から借りたガイドブックを眺め、展望台と海水浴場、海岸沿いの露天温泉など、とりあえず行ってみようというポイントをいくつかきめる。

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 式根島の野伏港について、宿の人の運転する送迎用のバンでその名も「清水屋」という民宿に移動して旅装をとき、最初に徒歩ででかけたのが島の東海岸にある「このくち展望台」。この画像はそこからの景観だ。間近には村営の船で10分くらいの距離にある新島がみえている。


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 次に行ったのは、海水浴場になっている石白川海岸で、海水の透明度もたかく、海の中が覗ければきれいだと思うが、浅瀬の海底の岩礁がけわしく、ちょっと泳いでさっそく足に数カ所擦り傷ができたので、そうそうに引き上げた。このときの写真は撮影していない。
 上の画像は、村落のわりに中心地区にある「まいまいず」と呼ばれる井戸だ。廻りから螺旋状に階段がついていて、井戸に降りていくという方式の「まいまいず」井戸の起源は古いと思われるが、この島の井戸は、明治期に造られたものだという。実は私の住む多摩地方の羽村市にも同様のまいまいず井戸の遺構があり、いちど行ってみたことがあるし、似たものをイタリアでも見たこともある。水の貴重な地域では似たようなことを人は考えつくものだということだろう。この井戸は戦後初期くらいまで使われていたらしい。水瓶を頭にのせたり、てんびん棒に重い水桶を下げて階段を上がり下りするのは、昔は何故かたいていは女性の仕事。シチュエーションはちょっと違うが映画「潮騒」で島娘役の山口百恵がかついでいた桶の水をこぼしてしまうシーンが、ふっと頭をよぎる。三浦友和がでてくるところでその追想をうちきる(^^;。古いなあ。。


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 これは、足付温泉という海岸にある露天風呂近くの風景。画像に温泉は写っていないが、大きな岩がごろごろした海岸の至近の地続きに潮だまりのような温泉がある。温泉にもかかわらず、その周囲にフナムシが多数棲息していた。式根島には東南部にこうした露天の温泉が並んで三個所あり、私達は、そのうちの地元の人がミヤビ湯と呼ぶ松ケ下雅湯というのに、その日の夜に民宿のおかみさんたちと8時頃に行って入った(幸いなことにというべきか、そのときの画像もない(^^;)。おりしも満月が海上からさしのぼるという時間帯で、湯加減といい、そよふく潮風といい、じつに気分がよかったのだった。


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 二日目は、日に三往復する村営の船で、新島に移動。出航時間まで少し間があったので、清水さんが簡単な釣り具を店で買って、野伏港の船着き場で釣りをする。海水の透明度が高いので、側で見ていても餌によってくる魚の姿がくっきりと確認できて面白い。これはそのときにかかった、ウマズラハギの画像。ウマズラハギの場合、釣針が口というより、体のあちこちにひっかかってしまうようだ。清水さんは二匹ほどつりあげたが、口をぱくぱくさせる魚の様子にあわれをもよおしたようで、針を外すとすぐ海に戻してやり、釣りを中止してしまった。画像の左に船尾がみえるのが、乗船した新島-式根島間の村営連絡船。


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 新島には、去年も同時期に行っている。船が着岸して、見慣れたような懐かしいような感覚におそわれるというのも面白いものだ。うえの画像は前浜海岸で、泳ぐというか浮いている清水さん。去年と同じように、まあこういう感じですごしたのだった。


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 新島は式根島に比べれば大きいが、それでも整備されて人が住んでいるのは狭い地域なので、大体土地の方向感覚はつかめている。そこで前浜ビーチで泳いだり、自転車をレンタルして港近くの湯の浜露天温泉に入りに行ったり、十三神社や新島村博物館方面を散歩したりと、だいたいやることは同じパターンだ。画像はそういうスナップで、マナというハワイ風飲食店、十三神社境内の老木や、池の亀、港近くの鴎のいる岩礁風景などがうつっている。今回は他に散策中に共同墓地(流人の島だったころのもの)にまぎれこんだり、水中眼鏡を買ってアジの群れ泳ぐ海辺の海中風景を楽しんだり、ガイドブックにもあった「寿司まると」の、島寿司(アオリイカや、タイやカジキマグロなどのにぎり寿司セット)を堪能したりした。

 そのほかに今回はちょっとしたハプニングがあって、それは、道を歩いていて土産物屋の主人に呼び止められ、今朝とったばかりという貝を食べて行けと言われたことだ。店先にコンロが用意してあって、その網のうえに貝をのせて、汁気がなくなるまで焼いて、なにもつけずにそのまま食べる。味はまずまずだったが、なんといってもこれは炎天下の沿道でのこと。この暑いのに、なにが悲しくてこんなことをしなくてはならないのかと一瞬思ったことだった(^^;。なおその親父さんは、伊勢エビの釣り方なども解説してくれたが、これは禁漁期のことなので、解説は略。食べさせてもらった貝の名前はマツカサガイというのだそうだが、あとで絶滅危惧種だとしって驚く。しかし百科辞典で調べるとそれは淡水に棲息する貝としか書いていない。たしかに海でマツカサガイをとったという情報を載せているサイトもあるのだが、この違いはどうなっているのか、もうひとつ腑に落ちないところがある。以下は帰宅後の画像。


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 左は、今回もっていったiPodというウォークマンのようなものと、その音を増幅する簡易ステレオ装置(借り物)。これで宿の部屋で缶ビールを呑みながらアビーロードやピアソラやジャズを聴いた。右は新島で買った水中眼鏡、よく見えないが清水さんからわけて貰った式根島の椿の実、少しだけ夜の前浜の浜辺で遊んで(実は新島の浜辺はどこも火気厳禁で、バーベキューも届け出制)残りを持って帰った花火など。


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 これは新島の民宿「富八」で出してくれた「牛乳煎餅」というお茶菓子。ほのかな甘みがあるが、とくに牛乳の味わいはしない。島で焼いている店があるので、地元名産品ということだろうか。早春の海の色をうつす小さなすみれの花が、式根島の岩礁をみおろす高台に潮風に揺れながら咲いている。そんな情景がふっと浮かぶので、言葉というのは面白い。。

 この小旅行については、清水さんもご自分のWeblogページに旅行中写真を解説付きでたくさん掲載(連載)されています(^^)。







7月25日 7月のデジカメ写真


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 18日に今年で5年目を迎える第八回東京ポエケットに行った。ポエケットは、詩集や詩誌の展示即売と詩のリーディング、参加者の交流をかねた詩のお祭り的イベントで、今回は出展ブースの数が44と激増していた。この数字は、すぐにはぴんとこないかもしれないが、イベントの性質上近くの飲み屋さんでの二次会に七〇名くらい参加してしまうということなのだった(^^;、うえの画像は伊武トーマさんの詩の朗読時のもの。椅子がなくて立ったまま聴いている人が写っているところから、当日の盛況ぶりがうかがえると思う。


 平田俊子さんの詩の朗読のときのスピーチで、さいきんカラスが口をあけて暑そうにしているのを見た、というのがあった。話は続いて平田さんは「国産のカラス口あく暑さかな」だったか(不正確です)、そういうユーモラスな俳句を披瀝されたのだが、この話が特におかしかったのは、うちの九官鳥のQQも、夏場にはよく口をあけているのをみなれていたからだ。カラスや九官鳥の貌つきは、普段は賢そうで威厳があるふうにも見えるが、これが暑くて口をあけている図というのは、すこし間がぬけて切ないようなところがある。このそこはかとないおかしみに着眼してしまう平田さんのセンスが楽しい。QQを撮影しようと思ったがなかなか口を開けてくれないので略。

 詩のお祭りといっても出展品はさまざま。以下に当日会場で買ったりいただいたりしたものの中から、詩集や詩誌以外の物を撮影したので記念に紹介してみたい。


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 これは、「Triptych」のブースで購入した詩の瓶詰め。大きさを示すためにライターと、一緒に関係ないがジオラマ用のフィギア(^^;を並べてみた。
 瓶のなかには「寂しくない国なんて/いらない」と書かれた小さな詩片が入っていた。できたてという感じのTriptychのサイトではネット販売もしている。


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「ガーネット」のブースでは嵯峨恵子さんがプリント写真葉書を出展されていた。嵯峨さんは最近デジカメで花の写真を撮影されていることを、ガーネット最新号の「バラの間を歩きまわって」というコラムに書かれていて、それを読んだばかりだったのを思い出した。こういうふうに文章の記憶がいっきょに現実と結びつく体験は面白い。画像は嵯峨さんからいただいたきれいなハスの写真シリーズ。


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「eleection」のブースでは、柴田千晶さんが、水内桜子というペンネームで原作を書き「週刊漫画TIMES」誌に連載中のコミック『女傑』の単行本(芳文社刊)を出展されていた。『女傑』1巻の感想をホームページに書いたことがあり、続きを読みたかったところで、続巻を思いがけなく頂いたのは嬉しかった。足立和夫さんの「ぺらぺら」のブースに積んでおいたら、足立さんが一冊読み終えたみたいだった(^^;。

 他に「リリック・ジャングル」の平居謙さんから新詩集『春の弾丸』(草原詩社)を、「母衣」の久谷雉さんから、同人誌「母衣」をいただいた。あわせて感謝。

上記の「ガーネット」「eleection」「ぺらぺら」「リリック・ジャングル」の詩誌情報は、あざみ書房HP内の同人誌・個人誌情報のコーナーにあります。「母衣」の情報も久谷さんから届き次第掲載の予定。

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 二階のガラス窓に、ごくたまに鳩が体当たりしてシュールな羽根模様の痕跡を残していることがある。最近深夜起きていてもっと小さな体当たり音を聞くことが連日あった。暗くて姿が見えないので最初いぶかしく感じていたのだが、あるときみるとサッシの下から顔をのぞかせていたのは、なんと蝉だった。鳥が体当たりするのはガラスが透明で見えないからだという。蝉もそうなのだろうか。サッシにとまってじっとしていたた夜の蝉、朝になると当然ながら姿はみえなくなっていた。


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 垣根に咲いていたトケイソウ(七月初旬)。最初みたときは、ぎょっとした。パッション・フラワーというらしい(ぺこさんによる)。パッションは、キリストの受難をあらわすという。そういえばメル・ギブソンが監督した同名映画が今年の初め頃物議をかもした(おもにユダヤ人差別関連で)ことがあったのを思い出す。トケイソウ、時計とみるのは穏やかだが、見ようによっては形状が痛々しい荊冠を連想させるからかな。


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 と、ここまで書いて(今回はポエケットを思い出しながら写真を撮影したり、ゆっくり少しずつ文面を構成していたので、めずらしく金曜日の午後だ)、郵便受けから届いた封書をみていたら、中におおつぼ栄さんからの「結婚式場」があった。亡くなった伊名康子さんの特集号となっている。折り畳まれているB3大の誌面をひらいて、さっとみたら(開くとちょうど裏面が目にはいることになる)、とびこんできたのが、「時計草」という詩のタイトル文字。こういう不思議な一致もあるのだ。伊名さんは、そこに、こんな味わい深い詩をかかれていた。「日輪にヒゲを付けたような花」。これからこの花をみたとき、きっとこの作品とともに、書いた人の名前を思い出すだろう。


時計草

       伊名康子


時計草は
川本さんのフェンスで咲いている
発条のような触覚を生やしつるを伸ばし
日輪にヒゲを付けたような花をいくつも
フェンスから 伸び放題の庭木まで

誰も住まなくなった 夏が
霞んでいるような川本さんの家のまえを
落合さんがあるく
あるいている落合さんのすがたかたちに
昨日でも今日でもない
どこからも離れて浮かんでいる 今が
刻まれている
落合さんを支えうごかしている

影がうごていく
炎えていた日射しがすこし勢いをへらす
むらさきいろのアスファルトの上を
落合さんのスカートがゆっくり
八十五さいの夏が通り過ぎ


 うねって交差してどこまでもつづいていた
 時間がいつからか、上下の身の丈だけになっていて
 前も横も手を出すだけでとどいてしまうの だから
 身体もこころも動かさなくていいから便利よ、という
 筒のように、今日の分を脱ぐと明日の準備は終わってしまう

夢は四、五日は残っている


時計草の花がフェンスから離れて
大きく廻りながら落合さんと重なっていく
青さと白さと薄黄色さがまじってまわって
川本さんの家のまえから
はなれていく






7月18日 飲んだりうとうとしたり


 昨日は灰皿町の清水さん、あそさん、高田さん、それに上京されたTISATOさんと御一緒に新宿で飲み、帰りの電車のなかで一駅寝過ごしてしまって終電もなく、久しぶりにタクシーで帰宅(駐輪場まで)ということをやってしまった。昨日は出がけにも乗換駅前に寝てしまい駅員に声をかけられるということがあった。電車の座席でうつらうつらする、というのは、支障がなければ至福の時間だと思うが、なかなかすんなり眠れないのがいつものことで、昨日は昼間からよく眠れたのはやはりこのところの気候や体調に関係しているのかもしれない。

 ボルガという居酒屋では店の窓に塀の上を横切る何匹もの猫のシルエットがうつっていたことを掲示板で清水さんが書かれていたが、そうそう、それはちょうどあつらえた影絵劇みたいにみえて印象的だった。次に行ったユニテではかりあげカットの足立さんも合流して、TISATOさんからは広島名産のもみじまんじゅうをいただいたり(私は帰宅後に食べました)、テニス焼けしたあそさんからはご自身もカメを飼っているとおききしたりとか、話題はあれこれ、いろいろ得るところのあった飲み会だった(^^;。

今日はこれからポエケットにでかけるところ。両国までけっこうかかるので、またうとうとしてしまうかどうか。






7月11日 暑い日のこと


 「言うまいと思えど滴る「暑い!」なのだ。」と灰皿町の日記に書いておられた方もいて(^^;、私も暑い暑いを連発した感じの一週間だった。ところが今日は曇天で朝からひんやりする風が吹いて午後から雨になった。そのあいだに寝そべってテレビをみていたら雷が鳴って、めずらしく一分間ほどの停電。二階のパソコンがつけたままにしてあっただが、さいわいなことに再起動したら無事だったのでこうして書いている。

 人は暑いといろんなことをするもので、今週は肩にかかりはじめていた頭髪を洗面台の前でレザーカッターでそぎまくったり、10年ぶりくらいにクーラーを買いにいったりした。どちらも突然かき氷を食べたくなるような、その時のうだるような気分にかられてしたことだが、それにしてもそういうことに合理的理由をつけて時は過ぎていく。

 七夕はあっというまに過ぎた。前回駅のことを書いたが、図書館の入口よこにもたんざくを吊した竹が一本設置されていた。入りがけに「ハムスターがかえますように 小林忍」という書き込みが目にはいってほほえましく思い、本を借りてから帰りがけにもういちど眺めてみた。「ピアノがうまく弾けますように」「野球がうまくなりますように」「おばあちゃんがいつまでも元気でいますように。」なんて子供らしい切実な願い事がへなへなの文字でかいてあったのだが、なかに、「お金に不自由なく暮らせますように けいこ」というのがあって、うっと思った。子供の書き付けるこういう言葉、いろいろ解釈はあるだろうが、本人は知らずに親の願いをうつしているだけなのかもしれない。資質というのは不思議なものだ。






7月4日 きのうの外出


 昨日は国立に買い物にでかけたら、通りがかりに自転車にのった布村さんと出会った。国立の街角で偶然ばったりという感じで布村さんに会ったのはこれで三度目。これでは灰皿町を歩いているのとあまり変わらない(^^;。布村さんにちょっと挨拶して別れてからコーヒー豆専門店、食料品店、書店といういつものコースをたどる。本の収穫があった場合はたいてい店の前にある大学通りのベンチに座り、煙草を喫って休憩する。ここで、買ったばかりの手提げ袋入りの本をショルダーバックにまとめて詰めなおすのだ。すでにバッグには一キロほどのコーヒー豆が入っているので、バッグはぱんぱんに膨れてしまう。以前はその後、なじみの喫茶店に寄ったり、別の買い物を予定してこなすことが多かったが、最近は荷物の重さがこたえるようになって、たいていそそくさと家路につく。まあいいか、となってだんだん年老いていくのだと思う。。。

 さいきんの駅のホームには、喫煙所はもちろんだが、めぼしい場所からベンチも撤去されたようで、妙にすっきりしたようになってきた。すっきりして掃除もしやすくなり、ラッシュ時には機能的なのかもしれないが、その代わり座る場所がなくて若い子たちはみんな地べたにすわりこんで、アジア的風景を現出している。すわりこむといえば、地べたにぺたんとすわりこむ姿勢のせいで、若い女の子の骨盤が出産しにくい形に変形しはじめているという番組をテレビでみた。もっとも骨盤の変形は下あごの変形(しょうゆ顔化)とも関連しているそうだ。歯の生えるスペースがなくなって、歯の下側から歯が生えようとしているレントゲン写真はこわかったなあ、などと、連想がとめどない。

 駅のはなしに戻ると、昨日は駅の構内に笹が飾ってあって、短冊が沢山つられていた。誰でも願い事を書き込んでそこに吊ることができるようなサービスらしい。七夕の行事をする家庭というのは都会ではほとんどなくなって、それが学校になり、こういうサービスなどでほそぼそと残っていく、というのは、どこか寒々しい感じもするが、これも逆にいうと、「家」というイメージがかわってしまった現代や、若い人の「どこでも家」気分につながる風景といえるのかもしれない。ああ、もうすぐ七夕なんだ、と気が付いたら、とっぷり暮れた駅からの帰り道、浴衣姿の女性が何人も目についたのだった。