[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]


戸隠 --- 高原



戸隠


待ちかねていた朝
ロッジの重い扉を押すと
蛾の群れが一斉に飛びたつ
雨上がりの明るい空に

紫陽花と向日葵が並び咲く
高原の道はコスモスに縁どられ
空気はさわやかに乾いているのに
林には水の匂いが満ちていて

首を振る幼い羊歯の葉陰に
たちうごく宝石のような虫のかたち
なぜ瞳を過ぎるものの愉悦を
秋の予感のなかに消してゆくのか

白樺をわたる冷たい風が
梢に残る雨の滴を降らせると
熊笹の茂みにひかる水流に誘われ
戸隠が霧の帯を解いている



  初出「断簡風信」9号(1988年)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   高原



   八月の高原は夏と秋の婚姻のとき
   樹々たちは深い霧をまとい
   ふいに思い出したように霧を脱ぐ
   みずからの姿を思い出そうとして

   透明な宝石に閉じ込められた
   虹いろのかぼそい一匹の昆虫
   のように触れることのできない時間
   封印されたままの君の季節

   まぼろしの高原
   霧はふたたび深くなり
   もう これより先を
   辿ることはできない



[ NEXT ][ BACK ][ HOME ][ INDEX ]