第三回目 山之口貘の「數学」


數学

       山之口 貘


安いめし屋であるとおもひながら腰を下ろしてゐると 側にゐた青年がこちらを
 振り向いたのである 青年は僕に酒をすすめながら言ふのである
アナキストですか
さあ! と言ふと
コムミユストですか
さあ! と言ふと
ナンですか
なんですか! と言ふと
あつちへ向き直る
この青年もまた人間なのか! まるで僕までが なにかでなくてはならないもの
 であるかのやうに なんですかと僕に言つたつて 既に生れてしまふた僕なん
 だから
僕なんです

うそだとおもつたら
みるがよい
僕なんだからめしをくれ
僕なんだからいのちをくれ
僕なんだからくれくれいふやうにうごいてゐるんだが見えないのか!
うごいてゐるんだから
めしを食ふそのときだけのことなんだといふやうに生きてゐるんだが見えないの
 か!

それでもうそだと言ふのが人間なら
青年よ
かんがへてもみるがよい
僕なんだからと言つたつて 僕を見せるそのために死んでみせる暇などないんだ
 から
僕だと言つても
うそだと言ふなら
神だとおもつて
かんべんするがよい
僕が人間を食ふ間
ほんの地球のあるその一寸の間

             (原書房刊『定本 山之口貘詩集』より)


 ○山之口貘の詩には案外お酒の登場する詩が少ない。この詩でも最初に青年から酒をすすめられているだけで、その後酒の話はでてこない。「安いめし屋であるとおもひながら腰を下ろして」いたのだから、めしを食べ終わったあとのことだろうか、と想像してみる。そして、側にいた青年が振り向いて酒をすすめたのだから、たぶん「僕」も杯をもっていた、つまり食後に独酌をしていたのだろうと想像してみる。そうすると、話が通じそうもないなと青年に敬遠されてしまった「僕」が、そのあとひとりで、こういうふうにぐんぐん内心の思いを膨らませていく感じが、どこかお酒に酔った勢いを借りているというふうに思えてくる。現実には「この僕なんだが見えないのか!」なんて、「僕」は青年に向かって言えなかったのだろう。その場でそんなふうに言えるひとは詩など書かないだろう。あるいは書くとしたら、言ってしまった後に起きたことを書くだろう。




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