第四回目 朔太郎の「珈琲店酔月」


珈琲店酔月

       萩原朔太郎


坂を登らんとして渇きに耐えず
蹌踉として酔月の扉(どあ)を開けば
狼藉たる店の中より
破れしレコードは鳴り響き
場末の煤ぼけたる電気の影に
貧しき酒瓶の列を立てたり。
ああ この暗愁も久しいかな!
我れまさに年老いて家郷なく
妻子離散して孤独なり
いかんぞまた漂泊の悔を知らむ。
女等群がりて卓を囲み
我れの酔態を見て憫みしが
たちまち罵りて財布を奪い
残りなく銭を数えて盗み去れり

             萩原朔太郎詩集『氷島』より
           (伊藤信吉編『萩原朔太郎詩集』弥生書房参照)


 ○こういうめにあったことがないひとは幸いだとすれば、私もまた幸いの部類にはいるが、この詩の場合泥酔するに到るには深いわけがあったようだ。年老いて妻子離散して故郷もなくしてしまった身の上。そんな時浴びるように飲むのは一種のやけ酒ともいえるだろうが、たとえ最初同情した口振りの女たちが寄ってきて、酔いつぶれたとみるや、さしずめ今ならサービス料とかいって金銭を掠め取っていかなかったとしても、このひと翌日は深い悔恨の念に苛まれたに違いない。調子の高い文語調が、なんともいえない独特の情感を伝えている。




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