第十回目 「ルバイヤート」の酒のうた


ルバイヤート

     オマル・ハイヤーム


76

身の内に酒がなくては生きておれぬ、
葡萄酒なくては身の重さにも堪えられぬ。
酒姫(サーキイ)がもう一杯と差し出す瞬間の
われは奴隷だ、それが忘れられぬ。

79

死んだら湯灌は酒でしてくれ、
野の送りにもかけて欲しい美酒(うまざけ)。
もし復活の日ともなり会いたい人は、
酒場の戸口にやって来ておれを待て。

94

はじめから自由意志でここへ来たのでない。
あてどなく立ち去るのも自分の心でない。
酒姫よ、さあ、早く起きて支度をなさい、
この世の憂いを生(き)の酒で洗いなさい。

98

一壺の紅(あけ)の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華にまさるたのしさ!

100

酒姫の心づくしでとりとめたおれの命、
今はむなしく創世の論議も解けず、
昨夜の酒も余すところわずかに一杯、
さてあとはいつまでつづく?おれの命!

         小川亮作訳『ルバイヤート』(岩波文庫)より


○オマル・ハイヤームは11世紀のペルシャの人。詩集解説に詳しく載っているが、数学、天文学、医学、語学、歴史、哲学と、万能の学者だった人のようで、その特徴をひとついえば無神論者だったということだろうか。万物流転するこの世はむなしい、うさを酒ではらそう、という言い方には、酒飲み詩人の世界共通感覚みたいなところがあるが、彼の場合その底に、無神論的立場の表明という主張があるような気がする。お酒でうさをはらすことを理想の生き方にしている人が、学問に身をささげて『代数学問題の解法研究』とか『ユークリッドの「エレメント」の難点に関する論文』とか気象学の書、恒星表など、幾多の科学的業績を残すような生き方をするとも思えない。解説をななめよみすると、彼の無神論というのは、一神教(イスラム教)以前の世界への郷愁ということもあったようだ。「はじめから自由意志でここへ来たのでない。あてどなく立ち去るのも自分の心でない。」という言葉などに、ちょっとギリシャ的知性の雰囲気を感じさせるところがある。





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