第三十九回目 俵万智のお酒のうた


にわか雨を避けて屋台のコップ酒人(ひと)生きていることの楽しさ

オクサンと吾を呼ぶ屋台のおばちゃんを前にしばらくオクサンとなる

男というボトルをキープすることの期限が切れて今日は快晴

「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの

目を閉じてジョッキに顔を埋める君我を見ず君何の渇きぞ

酔っていた君の言葉の酔い加減はかりかねつつ電話をまつも

コップ酒浜の屋台のおばちゃんの人生訓が胃に沁みてくる

         『サラダ記念日』(河出書房新社)より


○『サラダ記念日』に登場するお酒のうたは、そのほとんどが恋人(男友達)と酒を呑んでいる場面やその延長からつくられている(上にあげた歌の他に「食卓のビールぐらりと傾いてああそういえば東シナ海」「四ツ角を曲がるトラック青島(チンタオ)のビールが悲鳴をあげる上海」という歌があるが、前者は航海中の船室で揺れを感じた時のことで、後者は旅行中の風景描写)。自分から進んでお酒がのみたいというのではなくて、恋人や男友達とデートしてうちとける場所がそういう場所だったから、そのとき印象に残ったことをうたったら当然のことのようにお酒もうたに登場した、という感じだ。この歌集で大きいテーマは恋愛ということだと思うが、お酒のうたに関していえば、その特徴は恋人の酩酊状態に関心がむけられていることにあるだろう。今まで知らなかった異性の酔った状態の言動をはじめて見聞きした時の驚きや発見を若い女性の側からさらりと表現する。これは自分が酔ってしまってはできないことで、後々考えると作者はこの頃からお酒が相当強かったのだと判る(^^;。一人でじっくり飲むうたも、二日酔いに悩まされたうたも、泥酔したうたもでてこない。もっとも『サラダ記念日』は「二十歳の終わりから二十四歳のいまに至るまで」(「あとがき」より)の間に書かれた歌を集めた歌集なので、そんな飲み方をしないのは当然といえば当然ではあるのだったが。


友だちに着地を決めた人と会う食前酒にはベリーニがいい

カラスミのパスタ淫らにブルネロディモンタルチーノで口説かれている

ベーグルパン置かれる朝の食卓に勝てぬシャンパンを冷しつづける

地ビールの泡(バブル)やさしき秋の夜ひゃくねんたったらだあれもいない

ボーイA我らの夜に立ち会いてルームサービスのシャンパンを抜く

いのち得て輝くポメリーブリュットの気泡に見える無数のあなた

「恋」は「孤悲」だから返事はいらないと思う夜更けのバーボンソーダ

足を伝うしずくのぬるさを追いながらプールサイドにマイタイを飲む

ふと思いついた感じのシャンパンの気泡のような口づけが好き

にごり酒きゃしゃなグラスに満たされて小諸の夜は更けやすき夜

イタリアンパセリの匂い口づけを白きワインで洗い流せり

天井低きホテルに我ら逃げこみぬウォッカオレンジのような二時間

あかねさす昼は缶のまま飲むビール一人暮らしは旅にも似るか

旅人に優しき酒場ベルギーのビールが言葉になる夜もある

         『チョコレート革命』(河出書房新社)より


○「二十八歳から三十四歳まで」(「あとがき」より)の歌を集めた『チョコレート革命』のお酒のうたは、数も増えているが、その内容もずいぶん変わってきている。異性の酩酊状態への関心(驚きや発見)は影をひそめて、いろいろな意味で酒がうたの主役になってきている。お酒の好きな人が、ある場面の雰囲気やそのときの気分にぴったりくるような特定の酒の名前を、うたに読み込むことを楽しんでいるという感じだ。こうしてお酒のうただけ並べると、どこか忙しく衣裳をとっかえひっかえしているモデルをみているような感じもしてくるが、個々の場面のいくつかには読者もまた見覚えや類似経験もある、という時代になっているのだと思う。この歌集では性愛(エロス)を核にしたいわゆる大人の恋愛を歌うということが大きなテーマになっていて、不倫の関係ゆえの心の揺動をうたった歌も多い。作者にとってお酒はそうした自分をたてなおす心の友という感じで、あくまでも醸し出される気分は慰めや肯定性に満ちている。




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