第六十六回目 高橋順子の「もう一つのコップ」


○思潮社の現代詩文庫『高橋順子詩集』に収録されている、詩集『普通の女』(一九九三年書肆山田刊)からの一編。


もう一つのコップ

      高橋順子


起きてみたらテーブルにコップが二つあるので
一人暮らしの女はひそかに驚き いぶかるが
夕べは というよりも夕べも ひとりだった

うつらうつら考えるに
寝しなにウィスキーを飲んで それから
おそらく明けがた水が飲みたくなって
もう一つコップを置いたのだ

ベランダを見たら
今年最初の朝顔が咲いていて
鉢の中の土がカラカラに渇いていた

         高橋順子詩集『普通の女』より
        『高橋順子詩集』(思潮社)所収


○一人暮らしをしていると、こういうことがたまにある。あるが、この詩の風情は、そういうたまにあることのまとう一瞬の微かな驚き、ということを越えて、「一人暮らしの女」のちょっとさびしいような、ちょっとものたりないような生活感がさりげなくとらえらえているところにあると思う。それは最後の連にでてくる朝顔の花のように、どこか自分の心の深層で、満たされるべき場所が渇いているというような感じだ。そのことへの気づきのこめられた、すっと心に溶けていくような抒情の味わい。
 思潮社現代詩文庫の『高橋順子詩集』には、この詩の収められている詩集『普通の女』から三年後の九六年に出版された詩集『時の雨』(青土社)全編も収録されている。『時の雨』では作者の結婚と新生活がテーマになっていて、多くの作品には「男」と呼ばれたりもする夫の言動が登場する。しかもこのご亭主がほどなく強迫神経症を煩って精神病院に通院するようになる、という、実生活のドラマの進行が緊迫感とともに簡潔に描かれていることで印象ぶかい詩集だ。気のやすまることのない夫の病をかかえた夫婦の生活のなかで、それでも静かな凪のようなな一時があること。詩集『時の雨』に収録されている「いつものように」は、そんな平穏なひとときの喜びや貴重さが美しく描かれている詩だ。こんなふうに飲まれるお酒もある。


いつものように

      高橋順子


男は女のスリッパを拭き
女が歩いた畳 廊下 階段を拭き
女が寝た布団を拭いた
女がスリッパを履かずに廊下を歩いたので
廊下の汚れが女の足裏のかたちで
そこらじゅうに付着してしまったのだ
それは小さな神の汚れだ
一度拭いただけでは汚れは落ちない
拭いて拭いて拭いて拭かねばならない
男はこの世の蓋を踏み割ってしまったので
底のほうにいる神を呼んでしまったのだ
一回拭くごとに水の膜が張る それを重ねて
新しい蓋をつくらねばならない
「やっと終わった
一日の仕事が終わった」
それが徒労だと判断している正常な男が いまは
夕日をひたいにあつめて溜め息をつき やがて
女と男はいつものように
缶ビールをグラスにそそいで乾杯する

         高橋順子詩集『時の雨』より
        『高橋順子詩集』(思潮社)所収







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