第六十五回目 トゥティの「カクテル・パーティ」


○舟知恵訳『現代インドネシア詩集 恋人は遠い島に』(97年刊・弥生書房)には17人の詩人の作品が収録されている。そのうちお酒がでてくる作品を一編だけみつけた。


カクテル・パーティ

      トゥティ・ヘラティ


先ず服の襞をなおして
きちんと髷を留めつける
ふんわり巻いた髪を額に
     さあ戦いが始ってもいい
時間との戦い
倦怠との戦い、その上
     幻覚の賭け物
台風の中の一本の糸
人と人とのあいだの嵐の激突

台風? え、まだ
誰が構っているかって?
小さく笑ったり、指を噛んだりするのは
     自然じゃない
電撃はただ神々のもの
でも乾いた荒地の上の
     焚火の唸りは
野生の風、閃光の鞭を
     駆り立てる

わたしの前の、髪を逆立てた女、引いた
眉と鋭い嘲けり
     けたたましく笑って------
わたしは罠に陥いる、ワインのグラスを手に
辛抱づよく微笑み、臆病者は韜晦し------
     広間は反響する
儀礼の呟きで、愛想よく挨拶し
虹の彩をなびかせながら その
女が通る、そして感嘆する出席者たち
どうして動揺させられることがあろう
深く息を吸ってゆっくりと
     闘技場のライバルに対き合えば?
死だけが愛を引き離すと人は言う
けれど生はそれをむしり取るのだ、死といっても
愛とめぐり会うための狡猾な願望なのだから
それもただ あなたが同意するときだけの

魅入られた不思議、失われたものは
みんな惜しまれ------
     急激な沈降
親しさと夢遊の中での
苦痛のない夢の延長
そして人と人とのあいだの嵐?
呟き、ほほえみ、そして握手の

     舟知恵訳『現代インドネシア詩集 恋人は遠い島に』
     (弥生書房)所収


○最初作者が女性であることを知らずに読んだのだが、女性ということがわかると味わいがぐっと変わる作品だ。作者のトゥティ・ヘラティについて、舟知恵氏の解説に、「彼女は1933年十一月、バンドンで生まれた。インドネシアで最も有名な建築家として知られているロオスノは、彼女の父である。彼女は第二次大戦中に学業を始めて、インドネシア共和国が確立されるまでの大変動期を、ジョクジャカルタで中学、ジャカルタで高校、と過し、インドネシア大学の医学部に入った。その後、心理学を学ぶため、オランダに出発。一九六二年には帰国し、バンドンのパジャジャラン大学、ジャカルタのインドネシア大学などで心理学を教えた。」とある。
 この詩で描かれているカクテル・パーティは、内容からして、参加者が正装してでかけていくようなかなり上層階級の催しという感じがする。しかしそこは、女性である「わたし」にとって、ライバル(^^;のいる戦場なのだ。パーティ会場で交わされる挨拶や儀礼的な会話、そういうものの背後に息づく人々の心理的な揺動をとらえた作品だと言えると思うが、ただ着飾った男女の表層のやりとりはおべんちゃらばかりで、そういうつきあいは偽善的だというようなことが言われているわけではないところが、複雑な味わいをかもしている。やはりそこは称賛や敵意や失意や和解といった大人の情念がゆきかう「かけひき」の現場なのだった。日本ではもうこういうヨーロッパ移入のサロン的な文化というのは絶えてしまっているのではないか、ということもちょっと考えさせられる作品だ。






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