第六十四回目 スナイダーの「カタルエナ」


○ビート派の詩人たちの詩の翻訳アンソロジー『ビート詩集』(国文社)という本をを久々に手にとった。収録されている19人の詩人達の作品のうち、あまりにも有名なアレン・ギンズバーグの長詩「吠える」にも、「、、、街じゅう叫びまわった、われたワイン・グラ/スのうえでおどった はだしで なげつけた郷愁のヨーロ/ッパ一九三〇年代のドイツのジャズ・レコード ウィスキ/ーをのみほし ちきしょう便所にうめきながらとびこみ、/耳のなかでうめき巨大なサイレンがなりわたった者たちよ」(片桐ユズル訳)という感じで、お酒の記述が沢山でてくるが、これは長いので、名前をあげておくにとどめよう。ここでは、ゲーリー・スナイダーの詩を。


カタルエナ

      ゲーリー・スナイダー

                 中山容 訳


街路には雨と雷鳴が打ちかかり水が溢れている!
私達は酒場でインディアンの娘と
  膝半分を水に漬けたまま踊った
一番若い娘が着物をずり落して
  腰までだしたまま踊った
大きなニグロの船荷水夫が椅子の上で膝にのせた娘と
  うまくやっていた 眼の上まで着物をかぶせて
コカコーラとラム酒と水が床にひろがって
わめいた《カルタエナ 汚れた恋の泥沼》
そして自分より若いインディアンの売笑婦のために泣いてしま
  った
  私が一八歳の時のことだ
それから屋台で買ったサンダルをはいて
  水をはねつかせながら仲間を追っていった
船にもどって夜があけると船は遠くはなれた海にでていた

      ----一九四八コロムビア--一九五八アラビア


        片桐ユズル訳編『ビート詩集』〔国文社)所収


○「ゲーリー・スナイダー(Gary Snyder,1930--)はサンフランシスコでうまれ、シアトルちかくの農場でそだち、リード・カレジでホエールンといっしょだった。神話や言語学を研究し、キコリや船員をしながらシナの古典をよみ、いまは京都で禅をやっていることは有名だ。」と、『ビート詩集』の片桐ユズル氏の解説にあるのだが、この「いま」とは、このアンソロジーの出版された1962年当時のこと。解説からもわかるのは、この詩が、「船員」時代のはじまりのことを書いたものだということだ。詩の最後に記されている年代と国名が、船員時代のはじまりから終わりにかけての記録だとするなら、この詩では、南米コロンビアの港町の酒場で遠洋航海にでる船員たちの船出まえのらんちきパーティの様子が描かれていると想像できそうだ。作者はこのとき一八歳(これも最後の記載と作者の生年に符合する)で、翌朝気が付いたら船のうえだったというから、このどしゃぶりの夜の酒場で見聞きした出来事が、自分の人生の旅立ちにとっての記念となるような印象深い、みずみずしい刺激的な出来事だったということだと思う。こういう自分にとってだけ意味があるような青春期の特別な日の鮮明な記憶というのは、誰にもあるんじゃないだろうか。それをあるひとは詩に書き留めるが、多くのひとは誰にも言わずに墓場までもっていく。






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